ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

自分の人生を歩んでいますか?と問い掛けてくるタロットカード「ソード8」③~羊のように従順な~

承前) 

最近こんな言葉をよく見かけます。「羊のように寡黙だ」「羊のように従順だ」。

近頃、世界各地で市民による抗議デモがあります。けれども日本ではめったに起きませんし、あったとしても小規模で、その上警察によって妨げられます。

文筆家の古谷経衡はこうつぶやいています。

消費税を上げる(大悪政)というのに、抗議のデモもない、国会前に集まりもしない、機動隊と衝突するわけでもない。国民は「もう規定事項だから諦めよう。それよりも軽減(据え置き)税率の対策を・・・」諦観ムード。為政者からすると羊の様な国民で、さぞ天国のように統治しやすい国でありましょう。

本当は日本を誰に任せるのではなくて、主権者は国民だから、政治家は国民の代表者にすぎないのです。なので日本をどうするか、どうしていくかは有権者次第なのですが、トランプ様にペコペコ、消費税上げて内需が更にズタズタになるのに羊の様に黙っている。その国民の代表ですから推して知るべしです。

 こんなツィートもありました。

異邦人

市民に奉仕する政府を取り戻す為に何を為すべきか。話は簡単。政府に対して「物分りのいい市民」を演じるのをやめることだ。財源がないなら消費増税は仕方ない、年金が足りないから自助努力は仕方ない、そんな「仕方ない」は一切捨てるべきだ。でなければ「失われた30年」は40年、50年になっていく。

そして、元官僚の前川喜平はこう言っています。

(再掲2013年3月8日のツイート)
ネット右翼諸君、君たちには確立された自己が無いから、国家だとか民族だとかに自己同一化するのだ。真に自己を確立した個人は、国家や民族の虚妄性を認識し、かかる観念を相対化し得る強靭な精神を持っている

 

「物分りがいい」とか「聞き分けがいい」とは、ポジティブな表現ではありません。支配しようとする側から見た相手が支配者の意を汲み取ってそれに従うことができる、という意味での支配者側からの褒め言葉です。「話の分かるやつ」も同様です。自分の意見に物言う人は「話の分からないやつ」です。上に立ちたがる人たちは、「理解力」があって「知的」で「賢明」で「認識力」の高い人々を好みません。思い通りにならない人々だからです。

「ソード8」に描かれているキャラクターは、自己の確立ができていません。それは、後ろ手に縛られて目隠しをされている様態からも分かります。人をこのような状態にしておけば、いかにも従順で扱いやすい存在になります。

こういった状況は、国、会社、学校、地域コミュニティ、家庭、個々人の間、どこにでもある光景です。統率する側の立場からすれば、何も疑問を持たず従順に命令に従う人間は扱いやすいですし、様々な場面で説明して納得させたり理解させたりする手間が省けて、まるで有能なリーダーシップがあるかの如くに統率を取っていくことができます。優秀な人物だからではありません。恐怖や権威を振りかざすことで羊たちを隷従させているだけです。いや、ある意味そういった面での才能があるとも言えます。本質的に良心性の高い人にはそのような野蛮な行為をし続けることはできません。政治家や教祖が国王になりたがったり独裁を好むのは、人を自分の言いなりにすることに不健全な生きがいを感じるからです(多かれ少なかれ万人が持っている性質です)。

今日本人がどんどん幼稚になっているの理由のひとつはここにもあるのかもしれません。報道でもテレビドラマでもタレントの会見でも、幼児性が目立ちます。海外のものと較べるとよく分かります。盲目的隷従の人間が重宝される社会に暮らしているからです。もちろん、隷従するほうにも欲があります。「ソード8」状態でいることで得られる利益(それがどんなに小さなものでも)によって、それができない人々への優越性を保つことができます。

 

自己確立ができておらず、誰かに自分の人生を委ねてしまっている人、委ねさせられている人は、自分自身の人生を生きていないことを実は心の奥底で知っていて常にストレスを抱えている状態でもあります。ゆえに、自分よりも弱いと決めつけた人に暴言を吐いたり、不躾な態度で自己を顕示して自己存在を認めさせたり、自己顕示欲を満たすことでアイデンティティを保とうとします。威圧的で蔑むような言動をするのはそのためです。

ゆえに「ソード8」状態にある人間は、優しい心根を発揮することができません。苦しくてたまらないけれども、本心を吐露するべき相手には本心を言えないので、他人の誰か、たまたま出会った人 への攻撃となって現れます。愛の循環「ペイフォワード(恩送り)」の逆です。不幸の手紙になってしまいます。

例えば家で親の圧力を感じている子は学校であばれます。会社で圧迫されている人は通勤途中にたまたま電車内で隣り合わせた人に嫌がらせをしたり、仕事帰りに立ち寄った飲食店で横柄に振る舞って店員を困らせます。

逆も然りです。常に偉そうにしている人は、どこでも誰にでも居丈高です。もっと認めろ、尊敬しろという態度を示すことすらあります。そしてフラットな人を嫌います。自分を持ち上げてくれないからです。彼らが唯一媚びるのは、自分の上にいる人と自らの利益になる人です。

 

今の日本で起きているのは、自発的「ソード8」状態です。いわゆる忖度という言葉で表に出てきました。誰もそうしろと言っていないのに、そうすることを匂わせます。匂わされた側は匂いに従わないと自分の地位や命があぶないと思うので自らを縛って従順な行動を起こします。私たちは、政治の世界で今その様相を映画でも観ているように目撃しています。

1995年の日本は、カルト教団によるテロを体験しています。教団というのは忖度させる教祖と従順な信徒たちで成り立っています。それは「No5神官」カードが持つひとつの側面でもあります(これにつきましては別のテキストで書きます)。政界もカルト界も、トップの人間に気に入ることをさせるように巧みな誘導をし、それに従って成果をあげた信者にはご褒美があります。昇進、昇給、ランクアップなど。地下鉄サリン事件の際、教祖は弟子たちが勝手にやったと法廷で話しました。政治の世界でも似たようなセリフをよく耳にします。

その観点から見ますと「ソード8」には「承認欲求」も見え隠れします。ソード8状態の人は、ソード8を仕掛けてくる人に認められることが幸福追求の指針となってしまうのです。ソード8を仕掛ける側は、誰かをソード8状態にすることで自己確認をしていきます。あるいはソード8状態の人に自分を承認させることで満足を得ていきます。共依存関係にある人間関係も、まさに「ソード8」状態です。

 

誰かに認められたり褒められたりして承認してもらうことで人間は成長していきます。が、他人から承認してもらうことばかりに汲々としている人間は、自立した精神を育てるか取り戻さなければなりません。自立心が養われていないので、まるで魔術のように「ソード8」状態にかかりやすく、どんどんその状態を強くしていってしまいます。そのような人々は、家庭や学校で適切な称賛や扱いを受けてこなかった、否定ばかりされて育った可能性が高いという災難もあります。自立した精神の確立には、家庭環境や良い教師との出会いというものがいかに大切であるか、親や教師がどれほど尊い仕事であるのかということが分かります。

「自立した精神」とは、自分で自分を褒めたり、自分の長所も短所も認識したり、自己反省したりできる精神です。それらは「自己肯定感」を下支えするものです。

 

「ソード8」状態は、無知のなせる業でもあります。自分が何をしているのか客観的に感じることができておらず、満たされない心の欲望に操られているだけなのです。自己を相対的ではなく絶対的に眺めることができるだけの知性が必要です。無知であることの罪は大きいと思います。

===④へつづく

 

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