ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

自分の人生を歩んでいますか?と問い掛けてくるタロットカード「ソード8」①~マウンティングに惑わされる~

「あなたが生きているのは自分の人生ですか?」

タロットカード「ソード8」は、人生の何たるかを深く問い掛けてきます。マクロの視点からもミクロの視点からも、私たちの生き方を検討することを要求してきます。

このカードはその図像が示している通り、「誰か(何か)によってがんじがらめにされている」あるいは「誰か(何か)をがんじがらめにしている」という意味・解釈を持っています。小アルカナカードですので、タロットカードに慣れ親しんでいない人には見慣れないカードかもしれません。

拘束要素は様々あります。

上司、会社、教師、学校、親、友人知人。

制度、仕組み、常識、慣習、通念、差別意識

メディアからの情報や宣伝。広告。

国。

これらは、直接一方的に拘束してくるときもあれば、これらに拘束されている他の人々の(価値観という)目による拘束もあります。あるいはその他人の目を経由した自分の目が自分を推し量って拘束してくるときもあります。一方的に拘束されているときは、逆らうことも逃げ出すこともできますが、自分の目が他人の目になってしまっていると抜け出すのも一苦労です。自分で自分をしばって苦しんでいることに気づかず、自分が間違っているんだと思い込んで深い悩みに陥ったりしていることもあります。

制度や上司や親、社会の誤謬が問題であること以外に、本人の思考が自立していないことにも問題があります。それは教育の問題でもあるので結局のところ社会問題でもあると考えることもできます。昔も今も社会や国が従順に言うことを聞く人間を求めていることを考え合わせますと、これは自由や人権や平和という根源的な意味・意義を問うてくるカードである、とも言えるかもしれません。

 

根源的問題はさて置き、日々の暮らしや、人生の選択、80年、90年の人生に思いを巡らせるとき、「ソード8」状態、諦念のなかで生きていかなければならないとしたら、それは、タロット的には不幸な人生と言わざるを得ません。

 

なぜ人はいわゆるマウンティングなるものをするのでしょう。さまざまな現場で、心無いマウンティングをされて、とても嫌な思いをした経験のある人はいるでしょう。あるいは、あなた自身がしているかもしれません。

上司や就活での面接、親や教師、近所の人から見知らぬ人まで、自分の優位性を見せつけよう、分からせようとする人は、そもそもとても不幸な人なのだと思って間違いありません。満足な生活を送っている人は、誰かを貶めて自分の優位性を誇示しようなどという言動とは無縁です。本当に幸せならばその幸せを分けたいと思うでしょう。そのような善なる心が人間には備わっているからです。

マウンティングをする人は、人生や生活に不満足な部分があることに加えて、自分自身もそうされています。そうされたままですと自分を保ちきれないので、別の人に同じことをして解消します。相手は誰でもよいのですが、原則としてその矛先は自分よりも強い人には向きません。同等かそれ以下であると自分で決めつけた人です。あるいは逆に幸せそうに見える人々もターゲットになります。復讐です。

一方で、権力も地位も名誉もお金も持っている人のなかにも不親切で意地悪な人たちがいます。彼らは、何かにつけて支配欲を全開にして周囲の人々を威圧します。生活には十分な余裕があるのに、いわゆる心に余裕のない人間たちです。彼らの弱点をうっかり本音でついてしまったときには嵐のような仕返しを覚悟しなければなりません。そこを指摘されたら、これまでの華々しい人生が否定されることになってしまうからです。彼らが自己保存に躍起になるのは、良くも悪くも当然かもしれません。

兎にも角にもマウンティングをしてくる人たちは、その相手を従えよう、組み敷こうという願望を持っています。

あなたはこうしたマウンティングにすごすご引き下がったり、付き従ったりするタイプでしょうか。実は、権威に屈する人は、権威を振りかざす人と同質です。どちらも「権威主義」なのです。権威に重きを置いていないフラットな思想の持ち主たちは、その場を立ち退いたり、波風立てないようにやり過ごしたりすることはあっても、服従することは自尊心が許しません。他人を思い通りにしようとする行為は人権を無視した行為なので受け入れることができないのです。権威主義者からすると、そのようなフラットな人間どもは気に食わない存在となり、大人の世界でも子どもも世界でもときにイジメの対象になったりします。思い通りにならない面倒なヤカラだからです。教師がそういった生徒を嫌うのもそれが理由です。

 

どうやら人間というのは、優位性を示すことで自分自身のアイデンティティを確認しよう、認めさせようとする動物のようです。それを野性と言うのかもしれませんが、野性のなかでも野蛮な部類の性質です。

善なる心が万人の心に元来備わっているのと同様に、優位性を感じたいがために他人を見下したり傷つけたりする攻撃欲求も、悲しいかな誰にでも備わっているネガティブな習性です。

多少の差はありますが、それには生来的なものと、後天的なものがあります。生来その欲望が強い人も、育った環境や教育によっては弱まります。生来その欲望が弱い性質の人も、生い立ちによっては強く際立ってしまう可能性があります。ただ同じ経験も人によってその作用と効果はまちまちです。愛情深い環境で育っても無慈悲な人間になってしまう人もいれば、見事なまでに悲惨な子供時代を過ごしても(それゆえかもしれませんが)慈悲深い人間となって多くの人々を助ける人生を歩む人もいます。

いずれにせよ立場はどうであれ、心が満たされていない人たちがマウンティングをするのです。誰かを踏みにじったりやり込めたりしなければ、自分自身の存在(意義)を確認できない人たちです。けれどもそれは、どこまで行っても到達地点のない虚しい行為です。そのことに気づかなければいけない、ということも「ソード8」のカードは教えてくれています。 

 

権威主義」という意味から78枚のタロットカードを見渡したとき、「No4皇帝」「No5神官」「ソードキング」が姿を現します。これらのカードの持つネガティブな要素である支配的エネルギーの発揮と受容の結果が「ソード8」である、と読み取ることができます。「束縛」という意味からは「No15悪魔」のカードがタロット好きの方々の心には思い浮かぶことでしょう。(これらのカードにつきましてはあらためて別に書きます。)

===②へつづく

 

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