落ち着いた雰囲気。良質のドラマでした。
「舟を編む〜私、辞書つくります」NHK日曜夜10時 2024年2〜4月
原作/三浦しをん 脚本/蛭田直美(全話) 塩塚夢(第5話共同執筆)
出演/池田エライザ 野田洋次郎 矢本悠馬 前田旺志郎 渡辺真起子 美村里江
柴田恭兵 岩松了 向井理 他
玄武書房で「大渡海」という中型辞書をつくりあげるまでの物語。
2013年に映画化されている。
映画では、馬締(まじめ/野田洋次郎)が、営業から辞書編集部にスカウトされて……というストーリー展開だったが、NHKのドラマではその馬締が主任となっており、映画の後半で出てきた岸辺みどり(池田エライザ)が新米の辞書編集者として主人公となっている。
岸辺は、ファッション雑誌編集部にいたが、突然、辞書編集部への異動を命じられる。落胆して納得のいかないまま、いやいや辞書編集部へ。
その直後、一緒に暮らしていた恋人に振られてしまう。
「〇〇なんて」と無意識に言ってしまう岸辺。
歓迎会で「私なんて」と言う岸辺。
そのことを「大渡海」監修者で日本語学者の松本先生(柴田恭兵)に指摘される。辞書を引いてごらんなさい、と。
なんて(副)「なんとの転」何とまあ。たいそうまあ。
なんて(副助)①次にくる動作・作用の内容を、軽視する気持ちを込めて例示。
「病気になんて負けないぞ」
②軽視する気持ちを込めて、同格の関係で次の語を修飾。
「太郎さんなんて人、知らないわ」
③無視または軽視する気持ちを込めて、事柄を例示。
「野球なんてつまらない」
「辞書なんて(編集部で)」「カメラなんて(カメラマンを目指す恋人に)」……。
そんな風に言ってきたこれまでの自分を見つめ直す岸辺。言われた人はバカにされていると感じてしまうだろう。この岸辺のなにげない表現「〇〇なんて」は、恋人を傷つけ、ファッション雑誌編集部の同僚たちにも不評だったのだ。
「〇〇なんて」、私も使ってしまうな、と反省。
この「なんて」はけっこう曲者かもしれない。とくに「私なんて」は、自分にとってよくない。「軽視」の意味が込められているわけで、すなわち「私なんて」は、自分自身を軽視している、自分で自分をバカにしている言葉になる。ものすごい否定表現だ。そんな心の態度だと、世の中の全てに「なんて」と言ってしまうかもしれない。
このドラマを観てから、日常生活のなかでうっかり「なんて」と言ってしまったあとに撤回している自分がいたりした。加えて、誰かが言っているのも気になったりする。
自己卑下しないためにも「私なんて」はぜひ避けたい表現だ。
「言葉には悪い言葉はない。選び方と使い方でいかようにも解釈されてしまうだけ」と松本先生。
「なんて素晴らしいの!」は肯定表現だもんね。
このドラマでは、そういった様々な言葉の要素、使い方が折々に出てくる。そしてそれは、私たちの生活、人生にまで大きく関わっているのだということが分かると感慨深い。
辞書をつくる人たちの言葉への執念は半端ない。もう四六時中、ことば、ことば、ことば……。何か新しい表現や耳慣れない表現に出会うと、さっとメモを取る。そんなことやっている人に街なかで会ったことないけど…いつかどこかで見かけてみたい。「用例採集」している出版社の人。
岸辺は整理整頓がうまい(引き出しのなかなど)。ゆえに「辞書づくりに向いている」と馬締は言う。岸辺の気質に気づいて、それを教えてくれる上司。
意外と私たちは、自分の長所に気づいていなかったりするものだ。それは場所や場面によっては短所になってしまうこともあったりするので、そんなシーンが続くと自己卑下の連続となってしまったりする。ゆえに、居場所も大事だ。そして、自分の長所に気づいて指摘してくれる存在もまた、人には必要である。
「大渡海」の編集はすでに13年前にはじまっており、岸辺が辞書編集部に配属されたのは2017年、刊行予定は2020年7月。気の遠くなるような、長い長い作業だ。
最近は、言葉もネットで検索できるので、紙の辞書を買う人が減っているのかもしれない。昔のように、重たい辞書を学校へ持って行く必要もない。私のようにすでに老眼の人間には、紙の辞書はもう読めない。よくあんな細かい文字を読むことができていたなぁと、今となっては若い頃の自分に感心するばかりだ。
そのあたりも、社長(堤真一)から指摘されて、デジタルのみでの販売を打診されたが、馬締たちは決して譲らず、なんとか社長を説得することに成功した。
「語釈」を考えるにも苦労が耐えない。例えば「恋愛」に、「異性同士の…」などと入っていることに岸辺は疑問を感じる。確かに、異性同士とは限らない。じゃあ、どう解説するか。岸辺に託される。その結果「大渡海」では新しい語釈が採用される。
製紙会社の宮本(矢本悠馬)は、岸辺同様、新人。二人とも辞書、紙がとくに好きというわけではない。
宮本は「星の王子様」に気になる言葉があると言う。
「きみがそれを好きなのは、それのために時間を使ったからだよ」
逆じゃないのか、と首を傾げる岸辺。
ここから3年、すなわち「大渡海」完成までの3年間、岸辺は辞書制作に、宮本は「大渡海」のための紙探しに時間を使って、それで本当に好きになるかどうか試してみよう、と提案する宮本。長い3年間(いや、実はあっという間なのだろうが)のモチベーションとなりそうな提案だ。
「好きになるかどうか」という宮本のセリフ。これって伏線だったんだな。
3年後、宮本は岸辺に告白する。
岸辺は最初「ごめんなさい」と頭を下げる。宮本は振られたと思い、立ち去る。岸辺にはトラウマがあったのだ。
「言葉にしてください、今のあなたの気持ちを」という馬締の声が岸辺の心に蘇る。
勇気を出して宮本を追いかけて言う。宮本はとても良い人だから自分はまた調子にのって、嫌われて、静かに去られてしまうのではないか、と。元彼のことだけではなく、実は母親との間にも確執があった岸辺。宮本は、自分は絶対に静かに去って行ったりしない、と強く主張する。岸辺の両手は、子供時代の岸辺の誘導で、宮本の手を取った。
このシーンはとっても良かった。この二人が結ばれて良かった。
岸辺が辞書編集部へ配属されてからの3年間は、岸辺と宮本の愛が育まれる3年間の物語でもあったのだな。
私は、恋愛ドラマが好きではない。が、このような表現は好感が持てる。もちろん、このドラマが、恋愛ドラマではなく、辞書をつくる人たちのドラマであるからかもしれない。それでも、挿入的であっても不快なものもあるなか、これは爽やかだった。
ひとつでも抜けが見つかると、「あ」から「ん」まで、ぜ〜んぶチェックし直すという作業。これには驚いた。私なら無理だ〜と投げ出しそうだ。が、手分けして、じっくりひとつひとつ確認していくという、本当に本当に地道な作業を腰を据えてするしかないのだな。さすれば、必ず終わる。終わりのない作業はない。私も教訓とさせていただこうと思った。
池田エライザが好演だった。今後にも期待。
(2024年11月現在、TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」に出演中。こちらもたいへん良い)
追記
第3話。漫画文化論の秋野教授(勝村政信)が、水木しげるの項目のとても長〜い原稿を編集部に送信してきた。語釈として長すぎるので短くしなければならない。
たった4行にまとめて返信したところ、教授は激怒。「代表作ゲゲゲの鬼太郎」…誰にでも書けるだろう、と。なんと秋野は、水木しげるについての著作が多数ある教授だった。元辞書編集部で現在は宣伝部の西岡(向井理)が、岸辺とともに説得にいく。
向井理といえば、朝ドラ「ゲゲゲの女房」(NHK2010年)で水木しげるを演じた。
う〜ん、これは何と言いますか、偶然なのか意図的なのか、いずれにせよ面白いシーンでした。