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「幸福なラザロ」その2〜アントニアとラザロ〜神の視線〜

この映画には検討すべきシーンがいくつかある。

「その2」では、アントニアとラザロに焦点を当てた。

 

「幸福なラザロ」2018年イタリア映画

監督/アリーチェ・ロルヴァケル

主演/アドリアーノ・タルディオーロ

 

前の記事では「主人公の青年ラザロは、ファンタジーとリアルの間に現れた聖人」ということを書いた。

ここでは、アントニアとラザロの関係から「神の視線」を感じてみる。

 

アントニアは、タバコ農園の村にいるころからラザロには親切だった。彼女には幼い子供がいるが、父親が誰なのか、おそらく映画のなかでは分からない(私の鑑賞力のなさだったら教えてほしい)。

アントニアは信心深い人間だ、ということが見て取れる場面がある。タバコ農園の主人である公爵夫人の屋敷を掃除しているときに、ベッドの下や引き出しのなかにあるイコンをラザロに見せたり、イコンにキスをしながら信仰の素晴らしさを語ったりする。殉教した聖女たちだ。

 

警察が村に入って公爵夫人が逮捕され、村人たちが解放されたとき、ラザロは、みんなの前から姿を消した(崖から落ちて行方不明)。

そこから年月が流れて、現代に姿を現したラザロが昔のままの容貌であることに当時の村人たちは驚く。

ラザロを見つけたアントニアは、ラザロ!と呼びかける。振り返るラザロ。アントニアは、ラザロが全く年を取っていない当時のままの青年の姿であることに驚愕する。

だが、アントニアは他の元村人たちとは少し異質な反応を示す。アントニアはラザロに十字を切って跪く。目の前で起きている奇跡に感激すらしているようだ。

アントニアの信心深さという伏線がここで生きてくる。

もしかしたら単に、ラザロが生きていたことに対する感謝の気持ちを神に示しただけなのかもしれない。が、私は、アントニアが恭しく跪く光景から、彼女がラザロを特別な存在だとあらためて認知した、そのようなシーンだと受けとめさせてもらった(そうでないとこのエッセイは続かない)。

 

アントニアたちは、詐欺や盗みをして暮らしている。

一緒に暮らすならそいつにも仕事してもらえよ、という仲間からの促しに、アントニアは自分の詐欺現場にラザロを連れていく。

ラザロにも手伝わせてひと芝居うち、タバコ農園の屋敷から盗んできたランプを通りすがりの女性に買わせる。が、帰り道、ランプはアントニアのバッグのなかにある。それに気づいたラザロ。アントニアはマジックだと言って誤魔化す(余談だが、これは結構すごい手品だと思う。あんなに大きなものをすり替えることができるならマジシャンになれば正当に稼げるのではないか)。

仕事は成功したにもかかわらず、次からはラザロを連れて行かない、とアントニアは宣言する。不思議に思う仲間たち。

ここは、アントニアの良心と清らかさが伝わってくる、とても印象的な場面だった。

 

人にはア・プリオリな良心があって善悪を判断できる、と私は思っている。

アントニアは、信心深い女性なので、特に善悪については実は明確な意識を持っているに違いない。悪事を働いているのは、生きていくためにしかなたく、いやむしろ家族同然の元村人たちを養うためという高潔な使命感から自分の良心を裏切っているのだろう、と想像できる。

そもそもタバコ農園で公爵夫人なる人に騙されて農奴のような生活をしていた村人たちが、その理不尽な事実を知ったあとの精神状態はいかほどのものだろうかと同情しないではいられない。自由を得て、ごく普通のイタリア人として街で暮らすことになるも、貧困生活を余儀なくされている。政府からは何の援助もなかったのだろうか。生きていくためには、何でもしなければならない。どこも雇ってくれないなら盗みや詐欺をするしかない、そんな社会的底辺生活に追い込まれている。

アントニアは、自分のしていることが誰かを騙して悲しませている悪事である、犯罪であるということは、息子よりも、他の同居者たちよりも誰よりも痛感しているはずだ。彼女は、感じ、考える心の力を生まれつきより多く持っている人間だと、ここまでのストーリーの流れから感じ取ることができる。

 

なぜアントニアは、ラザロを詐欺現場に連れて行かないことにしたのか。

答えは簡単だ。

「自分の悪事をラザロに見せたくなかった」

「ラザロにはそんなことをさせたくなかった」

 

「自分の悪事をラザロに見せたくなかった」

ラザロに見せたくなかったのは「見られたくない」という意味でもある。「神の視線」だ。

神様が目の前にいたとして、そこで平気で悪事を働くことができる人は世界にどれだけいるだろう。強盗、殺人、レイプ、悪口、嘘から意地悪、ズルまで。神様でなくてもいい、親でも兄弟姉妹でも息子娘でも恋人でも。ちなみに警察官は、意味合いがちょっと違ってくる。警察官の場合は、逮捕されたくないという自己防衛本能が働くことはあっても、純粋な良心に訴えかけてくる存在ではない。

誰にも見られてないと信じるからこそ悪事はできる。

 

最近は、自分の悪事ぶりをネット画像で全世界にお知らせする輩も多いが、その根底にあるのは自己顕示欲と承認欲求の歪んだ精神であり、忘我状態に支配されて制御を失った虚無のなせる業であろう。あるいは社会や誰かへの抵抗、復讐の場合、そこに神の視線など存在しない。それでもやはり、ネットの誹謗中傷を匿名で書き込むという行為、世間の目は気になるようだ。人はみな透明人間になったら必ず悪いことをする、と確かプラトンが言っていた。

 

アントニアの息子のように、子供のころから学習、習慣化されていて、生活の一部あるいはそのものになっている場合、どこかで気づくチャンスが来るまで全く罪悪感がない、ということもある。

とはいえアントニアの一行は、教会は嫌いだと言いつつ、中へ入ると十字を切るという、日本人から見れば不可思議な行動を全員が取る。嫌いだと言い放つ気持ちは分かる。自分たちの世界と明らかにかけ離れた世界だということは感じているからだ。とはいえ、祭壇に向かって十字を切る姿は複雑だ(公爵夫人から聖書の講義を受けていたということは事実としてある。公爵夫人が自らは悪事を働きながら聖書を教えたのは、ある種の罪悪感からなのか、それとも小作人たちを従順にしておくためなのか)。言ってみれば泥棒家業の彼らは、神の存在を信じていないかもしれないし、あるいはナナメ目線で見ているかもしれない。少なくとも、自分たちの境遇を考えると、社会に対して逆らわずにはいられないという気持ちもあるだろうから、神様にだって逆らいたくもならないか?そんな人たちがラザロのためにやむを得ず入り込んでしまった教会で咄嗟に取ったポーズが祭壇に向かっての十字、だった。

教会は、彼らにとってまさに「神の目」なのだ。

この教会のシーンも、一瞬にして多くを伝えてくれる。

 (「その4」でさらに読み解く)

 

アントニアは、ラザロの神聖さの前に怖気づいている。恥ずかしいと感じている。悪事を働いている自分の姿をラザロに見せたくない。ゆえに、詐欺現場には連れて行けなくなったのだろう。

「ラザロの視線」は「神の視線」だ。

でも、ラザロの視線のないところではやらなければならない。食べていくために。

「恥ずかしい」という気持ちはとてもとても大事だ。いわゆるイジメやハラスメントなどの悪事も、周囲の純真な視線がしっかり機能すれば、引っ込まざるを得ないという状況が作り出せるはずだ。恥ずかしくなるからだ。周囲の多くの善なる目線は犯罪の抑止や中断につながる、と私は思っている。

 

「ラザロに詐欺の手伝いをさせたくなかった」

ラザロの素直さは常識外れだ。

ラザロの出生については詳しく描かれていない。つまり親が誰なのか、どこから来たのかなどなど。ゆえにこの呆れるほどの素直さ、純粋性がどういったDNAなのかは分からない。

純真な子供なのか、あるいは発達障害的なものを抱えているがゆえの無垢なのか、突然現れた天使なのか。とにかく素直すぎるのである。普通は幼稚園児だってもっと生意気でわがままだ。

人の言うことはストレートに疑うことなく聞き、要求を断ることはない。馬鹿なのか?と思うほどだ。

アントニアに仕事(詐欺)の手伝いを頼まれたとき、ラザロは言われた通りに行動した。

ラザロとしては、アントニアを助けたい、成功して喜ばせたいというその気持ちだけで他意はない。助けるために、アントニアを喜ばすために為されることがどういったことなのか、その内容は問題ではないのだ。

アントニアはラザロのそんな性質を、タバコ農園にいたころからおそらく知っているのだろう。頼めば何でもやってくれるラザロ。マジックについて不思議に思っていたとしても、次にはまた同じことをしてくれる。

アントニアは、天使のような汚れない心を持っているラザロに詐欺の手伝いをさせたくなかった。その上、神聖な人に悪事を手伝わせてしまう自分の甘えた気持ちも許せなかったのではないか。

 

ラザロという神の視線。この純真無垢な視線は、アントニアが何をしようと良いとも悪いとも言わない。そして、困っているアントニアを一生懸命に助けてくれる。

それを都合よく利用する人もいるだろうが、アントニアにはそれはできなかった。

そういえばタバコ農園にいるときも、働き者のラザロを調子よくこき使ったり、素直さを翻弄したりしている村人が多いなか、アントニアだけはラザロを一人の青年として「尊重」していた。そのように描かれていたと思う。

 

ラザロは聖人なのか。

幸せとは何なのか。

アントニアとラザロの関係は、この映画のテーマを彩る大切なエピソードだ。

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「幸福なラザロ」アントニアとラザロ @kinirobotti

 

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