もっと観ていたい……
「作りたい女と食べたい女」NHK夜ドラ月〜木22時45分 2022年2024年
原作/ゆざきさかおみ 脚本/山田由梨 料理監修/ぐっち夫妻
出演/比嘉愛未 西野恵未 森田望智 藤吉夏鈴 ともさかりえ 他
何がきっかけだったのか分からないことってある。
このドラマを観ようと思った(観はじめた)のはなぜなのか、どうしてなのか、よく覚えていない。
NHKの「夜ドラ」のことは知っていた。「カナカナ」の終盤を観て面白いなと思った。「おとなりに銀河」「わたしの一番最悪なともだち」もちょっとだけ観た。あとでまとめて観ようと思いながら、そのままになっている作品たち。
「作りたい女と食べたい女」は、たぶんNHKの放送のどこかでこのドラマについてインプットされていたのだと思う。NHKオンデマンドで、なにか面白いものないかな、と探していたとき、ふと目にとまった。なんかいわゆる料理系のほんわかドラマなのかな、と思いながら1話目を観た。
とまらなくなった。どんどん観てしまう。すると、あれ?10話で終わってる。…こんな短いドラマだったんだ。
しばらくして、現在放送中(2024年2月)であることが判明。ってことは、オンデマンドで観たのはシーズン1ってことか。新シーズンが放送されてるんだ。わぁ、嬉しい。観ようっと。
そして、2024年2月29日にシーズン2は終了した。今回は20話あった。
夜ドラも朝ドラも、オンデマンドで1週間分をまとめて観ることにしている。
夜ドラで、毎週木曜日に必ず観るという楽しみを味わったのは初めて。
余談になるが、朝ドラは「らんまん」を観るのが毎週金曜日の楽しみだった。一方「ブギウギ」は数週分観たが、毎週金曜日を楽しみに待って観るという気持ちにはなれず、いつの間にか観なくなってしまった(2024年3月時点)。
ということで「作りたい女と食べたい女」は、私にとって夜ドラ史上(今のところ)いちばん面白いドラマとなった。
雰囲気としては、「すいか(2003年日本テレビ)」とか「かもめ食堂(2006年日本フィンランド)」とか「ペンションメッツア(2021年WOWOW)」などの小林聡美主演のドラマや映画と似通った香りがする。「川っぺりムコリッタ(2022年日本)」もちょっと近いかな。すなわち、私の大好きな種類のドラマである。
静かで、落ち着いている。煽ったりするような過激がないので、ストレスフリーだ。いや、それだけではない。むしろ安らぐ。
主人公の野本さん(比嘉愛未)が努めている会社の雰囲気、これがまたso goodだ。女性の人数が多いし、男性もみな物腰が柔らかくて、セクハラやパワハラとは無縁な雰囲気がおおいに漂っている。
刑事ドラマが特にそうだが、女性がわずかしかいない職場はもう、感覚的にも価値観的にも古い光景だ。ドラマや映画は、社会の雰囲気を醸成していく役割(良くも悪くも)を持っている。新しい世相を積極的に取り入れていくことは、社会の進歩、成長、洗練にとって重要なことだ。
そういう視点からも、このドラマはしっかりとつくり込まれている。
シーズン1の終盤になって、このドラマは、たくさん作りたい野本さんとたくさん食べたい春日さん(西野恵未)のほんわかドラマというだけではなく、女性同士の恋愛ドラマでもあるということがわかってくる。それがとても自然に描かれている。
先般(2024年1〜2月)起きた原作者の悲劇と、それをきっかけに明るみになった原作者たちとドラマ制作者サイドの間で起きている(起きてきた)トラブルの数々を知ることになった。ゆえに、このドラマも漫画原作なので、その辺り大丈夫なのかな、などと余計なお世話を考えてしまった。内容も女性同士の恋愛というデリケートなものなので。
ネットなどで暴露されている内容から察するに、原作と原作者への配慮や敬意に欠けるテレビ局側の姿勢、態度がけっこうよろしくないようだ。
ラジオ深夜便でたまたま「作りたい女と食べたい女」の制作者たちの話を聞いた。話し合いを重ねて、内容を詰めて、丁寧に丁寧につくっている、ということだった。同性愛というところの表現で、傷ついたりする人がいてはいけない、というドラマスタッフたちの繊細な思いが伝わってきた。
同じマンションに住む野本さんと春日さん。料理が大好きでたっくさん作りたい野本さんが、いっぱい食べたい春日さんに、作りすぎたルーロー飯をごちそうしたところから物語ははじまる。二人は食事を通してどんどん親しくなっていき、次第に互いの気持ちに気づいていく……。
シーズン2では、二人に加えて南雲さん(藤吉夏鈴)と矢子さん(ともさかりえ)が登場。矢子さんは、野本さんとSNSでつながっている人物で、レズビアン。野本さんの相談にのってくれる。南雲さんは親からの過干渉によって会食恐怖症になっている。南雲さんは3人との優しいつながりのなかで次第に元気を取り戻していく。
南雲さんだけではなく、実は春日さんも親との関係が良くない。封建的な男尊女卑の家庭で育ち、その状況に疑問を持ち続けていた。食事も父親と弟が優遇されており、その反動もあって「いっぱい食べたい人」になっている。
そんな家を捨てて一人暮らしで今の仕事についているのだが、叔母から父親に住所と電話番号をばらされてしまい、母親の介護をしに帰って来いと横暴な連絡が入る。
このドラマの良いところは、春日さんが実家との縁を切る決意をするところだ。
取引先のスーパーマーケットの従業員女性も介護をしている。相談すると、自分だったら娘に帰ってこなくていいと言う、という反応。彼女はのちに離婚する。
こういうシーンって、現実でもドラマでも、親を見捨てるのか、冷たいやつだ、という反応がけっこうふつうにある。不具合だった親子関係も、結局最後には許し合う的な表現もよく見かける。岡田惠和脚本の「日曜の夜ぐらいは(2023年テレビ朝日)」がまさしくそうだった。途中までは親を切り離して、友人もそれを責めずに協力、応援、保護してくれて非常によかったのだが、最後の最後に実は親たちもいい人だったんだ的なシーンが取り込まれていて、かなりがっがりした。
もちろん人ぞれぞれなので、それでも親の言いなりになるという方向を選択する人もいるだろう。春日さんの場合は、愛のカケラもないような人権無視のモラハラ、パワハラ的な環境の実家なので、絶縁するほうが良いと私も思う。
これも上に書いた「ドラマの社会への影響力」につながる。
「ドラマの影響力」ということでいえば、春日さんが食事に入ったある定食屋でのエピソードもそれだ。
からあげ定食を注文したのだが、カウンターの隣の席の男性のごはんの量が春日さんのごはんよりも多い。店主の男性が「ごはん少なめにしておいたよ」と厨房から言う。「ふつうにしてください」と春日さんにお願いされて、ちょっときまり悪そうにする店主。
次に野本さんといっしょにこの店を訪れると、注文を取りに来た店主の妻が「ごはんは、大盛り、ふつう、少なめとありますが…」と尋ねてきた。春日さんもびっくり。でも、前回のことがあったからそうすることにしたんだな、と思うと、この定食屋の経営者はすばらしくオープンハートな人物なのだな、と私は嬉しくなった。
こういう肯定的な表現は、観る者の心を安定させる。ざわざわと興奮させるほうが視聴率はあがるのかもしれないが、それだと犯罪が多くなる可能性もあったりする。
春日さんは大盛りを、野本さんは少なめを注文した。
性別や見た目や年齢で勝手に判断してしまうのは、差別につながるのかもしれない。いや、差別だ。
余談になるが、先日マスクを買おうとしたところ、黒系に小さいサイズがなく、ピンク系には小さいサイズしかなかった。え、これって男女差別じゃない?と瞬間的に思った。もちろん売上的な現実問題もあるのだろうが、それを当たり前と思わなくなっているところが、時代の変化によって磨かれてきた自分の感覚でもあるのかな、とちょっと思った。
春日さんの父親に住所を知られてしまったので、春日さんは引っ越しを決意する。それにあたって、二人で暮らすことに。
同性カップルにとって賃貸住宅を探すのは困難なんだ、と私ははじめて知った。ルームシェアということだと、それはそれでそれなりに手続きが必要らしい。ふつうに友人といっしょに家を借りることはできないのか?家族以外の人といっしょに家を借りるのはハードルが高いんだ。知らなかった。そういえば、この国では老人が家を借りるのもたいへんらしい。
「きのう何食べた(2019〜2023年テレビ東京)」では、シロさん(西島秀俊 )とケンジ(内野聖陽)のゲイカップルは問題なくいっしょに住んでるけど、あれは事故物件だから大家さんがOKだしてるのかな?
家族的問題でいうと、シロさんは50歳になって、これからの人生のことを考えはじめた。遺産について、ケンジに相続できるように遺言を残しておくとのこと。結婚できないから、そのままだといくらカップルでも自動的に相続できない。
野本さんと春日さんも家を探しているときに、結婚できないから、というセリフがあった。
ああ、そうなんだ、だから同性カップルの人たちは、同性婚を認めてほしいと声をあげているんだね。
確か病院でも、危篤というときに「家族以外の方は面会できません」というセリフを聞いたことがある。
それ、どうにかしてほしいよね。変だよね。同性カップルに限らず、家族には会いたくないけど恋人には会いたい、親友に会いたい、って人だっている。
さて、矢子さんに「LGBTフレンドリーの不動産会社」を紹介してもらい、最終話で二人は「二人の新居」に移る。
このあとも物語は続くよね。シーズン3を待っています。
追記
「舟を編む〜私、辞書つくります〜」NHK日曜夜10時 2024年2月〜
原作/三浦しをん 脚本/蛭田直美
現在(2024年3月時点)放送中。
第2話で、主人公の岸辺みどり(池田エライザ)が、辞書編集部主任の馬締(まじめ 野田洋次郎)に、「大渡海」に乗せる予定の「恋愛」の「語釈」について尋ねる。「大渡海」というのは、玄武書房が制作中の国語辞典。
「異性同士が互いに強く慕い合うこと」
みどりは言う。
「なんで異性なんですか?どの辞書にも、異性とか男女とかって書いてあるけど、異性同士だけのものじゃないですよね、恋愛って」
編集会議で何度も議題にあがったが、辞書の「語釈」には「典型的例」が必要だから、と馬締は答える。典型例とは、例えばウサギの特徴は?耳が長い、ぴょんぴょん跳ねる。でも、耳の短いうさぎも、ぴょんぴょん跳ねないうさぎもいる。
岸辺は反論する。
うさぎと人間はちがう。うさぎは辞書を引かない。耳が長くないとうさぎじゃないんだ、などと傷つかない。松本先生(大渡海監修の日本語学者 柴田恭兵)が言っていた。辞書はあなたを褒めもしないが、責めもしない、と。
異性ではない相手と強く慕い合っている人が、大渡海で恋愛を引いた時そこに異性同士って言葉があったら、責められてるような気持ちになるんじゃないかな。そんなさみしくなるような辞書はつくりたくない。
「恋愛」と「同性愛」を別項目にしているのも差別ではないか。
ファッション誌のように、辞書が時代をつくることはできないのか?という岸辺の問い掛けには「辞書は時代を追いかけるもの」だ、と学者は言う。
岸辺はデータも示す。「右」には「お箸を持つ方」と書いたものはなかった。2017年の調査結果では日本人のLGBTの割合は7.6%。これは日本人の左利きの割合とほぼ同じ。
「恋愛の語釈」を考えてみてください、と言われた岸辺が数日かけて考えたのは、
「特定の二人の互いへの思いが、恋になったり愛になったり時に入り交じったりと、非常に不安定な状態」
肝心なのは、どれだけ世に浸透しているか。大渡海は2020年7月刊行予定。ぎりぎりまでみんなで言葉を観察し、話し合って、3年後に結論を出しましょう、ということになった。
私は辞書で「恋愛」を引いたことがないが、もし今引いて「異性」とか「男女」という文字を見たら、「あれ?」とひっかかるかもしれない、いや、ひっかかるだろう。既述したマスクと同様に。
ドラマはぜひ、時代を追いかけるのではなく、時代をつくっていく役割を担ってほしい。「作りたい女と食べたい女」は、時代に寄り添いつつ時代をつくっている、そんなドラマだと思う。