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年金より貯蓄と投資?~「父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」橋本治~

老後の生活費用に2000万円貯めておけ、という金融庁からの提示がありました。

え?

年金だけじゃ生活していけないだろう、とご心配してくださっているようです。

え?

税金取り放題で、年金の受け取り額を減らし、受け取ることのできる年齢をどんどん引き上げて、しまいには、貯蓄しろ。資金運用しろ。

その一方で、消費しろ。

 

人生100年時代と言われていますが、ほとんどの人が100歳までは生きないのではないかと思います。60代後半からから80代で亡くなる人が多いのではないでしょうか。そもそも生活苦のなかで100歳まで生きるなぞ苦痛でしかありません。 

さらに恐ろしいのは、就業年齢70歳までのばせと企業に要請するなど、死ぬまで働け、という地獄のような世界が繰り広げられていきます。

余分なお金のない市井の人々はしがみついて生きるより早く死んだ方が幸せです。そういった意味からの安楽死という考え方がでてくるやもしれません。私ならそちらを選びそうです。生活費のためだけに老体に鞭打っていじめを受けながら(私の知り合いの老婆は職場でひどいいじめにあっていました)仕事するなぞ、生き地獄です。

 

こんな悪魔のような(悪魔のほうがもっと優しいかもしれません)発表、提示をされてもなお、多数の国民は怒りません。テレビのワイドショーから報道番組まで、これからの生き方としてお金を貯める方法などをご教授してくれていたりします。

この発信はおかしいのではないか、と論評したり、批評したり、批判的報道をしたりするジャーナリズムが全くありません。メディアも国民も、従順に受けとめてその通りしようとしている雰囲気がなんとも解せません。

これ、海外だったら批判コメント、抗議デモ、がすぐさま起こるだろうな、と日々CNNなどを見ている私は思いました。クリストファー・クオモやドン・レモンだったら、激しく「おかしい!」と意見するだろうな、と。余談になりますが、その点、ちょっと期待していた「あたらしいNEWS23」にもがっかりしました。期待外れでした。さらに余談ですが、今年に入ってから、「新しい」と謳いながら「古い」ものを目にする機会がいくつかありました。「あたらしい地図」なるものもその最たるものです。看板に偽りあり、いや、別の意味で「あたらしい」のかもしれません。

 

父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」

橋本治著 朝日新書

を読んで、なるほどと知り得たことがありました。日本で、民主主義の権利であるデモが起きない理由のひとつです。1968年に世界中で起きたデモ。欧米では反戦デモ。日本では学生運動でした。

 

社会は豊かになると、本来は黙って働いたり勉強をしていなければならない若者達に、やりたいことをさせてしまう。(P106)

ある程度の豊かさがあれば、若者達の反抗、反乱は可能になる。それは、若者に「ある程度の自由」を与えるような豊かさで、その豊かさが拡大されて周囲とぶつかったりすると、犯行や反乱になって「変革」を叫ぶようになる。

(P109)

 

著者の言いたいこととは少しずれてしまうかもしれませんし、コアな橋本ファンの方々からすれば、そんな解釈するなとお叱りを受けるかもしれませんが、私はこの数ページを読んだとき、こう思いました。「だから、庶民を貧しくしておきたいんだな」と。

 

ユートピアのような万人が豊かな社会が地球中に広がっていれば、そもそも抗議など起こりません。みんな幸せで、不満がないからです(そこはそこでまた新たな次元の不満が起こってくるかもしれませんが、まだそのような世界を経験したことのない地球人には想像できません)。

けれども、ユートピアのような万人が幸福な世界は、特権階級からしますと(今の意識レベルでは)、望ましくない世界です。彼らはその特権を優越的に感じることができてはじめてアイデンティティを確認する種族だからです。見下したり、従えたり、ときに憐れんだりしながら、彼らは自らの幸福をかみしめます。これはいわゆる「パワハラ」に通じる習性です。

パワーハラスメントの「パワー」とは、その人個人の力ではなく、組織がその人に与えた「場の力」が邪悪な作用をすることだから、どんなに小さなものであっても、一人の人間に「権限」というものが与えられたら、そこに相応のパワハラは起こりうる。組織内のポジションは、小心な人間の身を護る鎧として機能するから、鎧を着けた人間は、その鎧ゆえに「自分は力のある人間だ」と錯覚する。

さしたるポジションを与えられていなくても、それが組織内の他の人間よりも少しばかり優越していたら、それだけでその人物はパワハラの当事者となりうる。

パワハラは「組織に由来する病」で、たいした権限を持てないチンケなポジションでも、そこに「下の人間」がいれば、パワハラは起こりえて、(略)

(P129)

政治は最大級のパワハラになり得るわけですが、しかし、政治というものの本質はパワハラにあるわけではない、ということは本当は誰もが知っている真理のはずです。が、上記にあるように、パワハラの構図が成り立つ場はそこにもここにも存在していて、それが社会なんだと納得している(させられている)市民たちの諦念とも言える仕組みのなかで、人間は暮らし、人生を過ごしているのです。

 

「万人が豊かな社会」が自分のアイデンティティを脅かすと考える為政者や特権階級によって支配されている社会は、決して豊かになることはありません。特権階級は豊かに見えるかもしれませんが、それは豊かでない市井の人々という奴隷的存在がいなくなれば享受できなくなる偽りの富裕です。ゆえに、貧民の存在がどうしても必要なのです。 

そこで考えたのが、いかにも民主主義を装って、貧しさを定着させることです。刷り込むのは簡単でした。教育課程で「考える力」を奪えばよかったのです。そして政治の話をタブーとし、デモは悪であるという印象を植えつけました。「貧しさと無知」は、支配者の持つ最大の武器となりました。

 

私が思うのは、貧しい人々は日々の生活で精一杯で、抗議デモを起こそうとすることや、おかしいと叫ぶことはなかなかできない、ということです。そこで、豊かな人々のなかで知的な思考能力と思いやりある慈悲の心を持っている人々(※)が、他人のために声をあげることができます。 それが政治家だったのでは?とも思いますが。 

 (※少数ですが一定の割合でこのような高邁な精神の持ち主います。が、このような人々は往々にして批判されたり抹殺されたりします。大きな社会でも小さなコミュニティーでも)

さらに操作するためには、恐怖心を与えることが重要です。人間にとって一番怖いのは、お金がなくなって食べることができなくなること、すなわち死ぬことです。 

この国(金融庁)の発表から推測できる未来は、日本人の老後は、一部の大金持ちと公務員を除いて、恐ろしい人生です。一般市民は死ぬ直前まで衣食住のためにだけに働いて、そこから多額の税金を支払わされます。ゆったりのんびりと老後を過ごすなんてことはできなくなってしまいました。それがはっきりと2019年の今、判明したわけです。

恐怖を与えるといっても、恐怖過ぎて、どのような効果をもたらすか分かりません。

 

いろいろ言っても、政治家の仕事は、国民に責任を押し付けることでもなければ、死ぬまで市民を奴隷にすることでもありません。

社会保障が充実していれば、人間は安心して生きることができます。そういった社会は、温かく柔らかい社会になっていくはずです。

汲々に締め上げる社会のなかで、人々はストレスフルです。そのうえパワハラ組織の構造です。そんな社会のなかで、日々しいたげられながら生活している人々が、他人に優しくなんてできるはずもありません。自分さえよければいい、と思って行動してしまうような人間がどんどん育っていくのもこの流れと言わざるを得ません。

 

まず国がすべきことは、年金額引き下げ、受け取り年齢の引き上げ、各自で2000万円貯めろ、ではなく、お金持ちにより多くの税金支払いをお願いすることと、年金を60歳から支給に戻して額をあげること、医療・教育を無償にする、奨学金返済を清算する、あるいはベーシックインカムを実施すること、です。

ホッとした気持ちで暮らせることができれば犯罪も減るでしょうし、なにより穏やかに暮らし、死んでいくことができます。頭の良い方々ならその仕組み考え出して、日本でも実施することができるはずだと期待します。

そのためには、貧乏な庶民相手に優越的アイデンティティを保とうとする性質を改善することです。アメリカも格差社会ですが、寄付文化、カウンターカルチャーが根付いているので、「意外と」バランスが取れているようです。これは頭の良さ、学校の成績、出身大学とは無関係ですので…………。

 

すでに、日本脱出を考えて準備をしている人たちも多いと聞きます。私の周囲にも少なからずいます。

その一方で、

こんな国なんか嫌だ。この国で生きるのが息苦しい、辛い。そうだ、小銭があるから海外脱出しよう。なんて思っている貴方。もう手遅れです。既にそう思っている人は無言実行で海外に飛びました。まだ辛うじて日本円が力を持っている時代に。私たちは、潔くこの列島と共に最期を迎えようじゃありませんか。

と、古谷経衡がつぶやいていました。

 

どうやって2000万円貯めるんですか?と媚びる前に、それ間違ってるだろうぉ、と叫ばなければいけないと思います。

自分を捨てて、強者に媚びた人だけが出世していく社会の仕組みのなかで、前者は媚びている人たちの言動、後者は意見する自立した精神の人々。ですが後者は社会から逸脱しがち。

 

投資をさせたい、というのが本音だったのでしょうか?けれどもそれは危険です。博打みたいなもの。

上に、いじめられ続けていたおばあさんのことを書きました。彼女は薬剤師なのですが、その調剤薬局は店を開くために彼女の資格だけが欲しかったようです。

これもまた私の知り合いの老夫婦の話ですが、高級住宅街にお住まいのどちらかと言えばお金持ちのご家族です。ところが定年退職後、夫が投資に失敗して、退職金や貯蓄の大半を失ってしまいました。妻のほうと私は知り合いでした。息子さんの結婚資金も貯めていたのになくしてしまった、と電話口で嘆いていました。そして、知り合いの娘さんが金持ちの息子と結婚して、お金に困っていた人なのに奇跡がおきて羨ましいとつぶやいていたのを覚えています。私は当時まだ若かったので、今ほどは実感することができていなかったと思ます。が、今回の2000万円貯めろ、そのためには運用という方法がある的な報道に接して、ふとこのエピソードを思い出しました。ちなみに、このご夫婦は貧乏に陥ることはありませんでした。夫は国の役人でしたので。

 

日本はどこへ行きたいのかますます分かりません。

誰も幸せにしたくないようにすら見えます。

お金持ちたちだって、政治屋たちだって、生きている大多数の人たちが貧しくなれば、いなくなれば、豊かなままではいられなくなります。「誰も幸せになれない国」というファンタジーが書けそうです。

 

いわゆる弱い立場の人々、困っている人々に優しい社会は、誰にとっても優しい幸せな社会だと私は思っています。

老後の生活が保障されていると分かっている、病気になっても安心して病院へ行けると分かっているなら、穏やかに日々を過ごすことができるし、お金を持っている人はお金を使うと思います。

2000万円貯めなきゃいけないなら、お金、使いません、使えませんよ庶民は。

 

私は穏やかな老後と死を望んでいるだけです。