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「寂しい生活 」(文庫版)稲垣えみ子著〜文庫になるということ〜ラジオ深夜便「令和つれづれ草」

 一度読んだけど、買ってしまった。

 

「寂しい生活」

稲垣えみ子著 幻冬舎文庫

 

 2024年6月13日放送「NHK ラジオ深夜便」、稲垣えみ子の「ライフスタイル 令和つれづれ草」を聞いた。「寂しい生活」が文庫本になるということで、稲垣が「寂しい生活」を振り返ってさまざま語る、という回になった。

 わぁ、文庫になるんだぁ。感激。

 

 これまでにも書いてきたが、稲垣の本は、すべて図書館で借りて読んだ。それは、私がケチって購入しなかったということのみならず、全部、図書館にあった、ということだ。すなわち、私が登録している図書館、という意味です。わざわざ別の図書館や都立図書館などの大きな図書館から取り寄せてもらう必要がない。

 

 ヤマザキマリの本も、図書館で借りることもあるが、それでもかなりの冊数買って自宅の本棚に並んでいる。津村記久子の本だって買ったしなぁ…。

 稲垣のファンなのに、一冊も持ってないって、なんだか著者に失礼な気がしていた。それに、再読もしたいしね。

 ということで、文庫になっているのを発見した2冊「魂の退社」(幻冬舎文庫)と「アフロ記者」(朝日文庫)を購入して手元に置いた。

 なんてことがあったばかりだった。

 え?「寂しい生活」も文庫になるんだ。

 ちなみに、ヤマザキマリの本は、なんで気楽に買ってしまうかというと、新書だからなんですね。安いですから(単行本も買うが)。

 まあ、でもある意味、ラッキーだった。単行本を買ってしまう前に、文庫になってくれて。文庫になると、文庫用の「あとがき」とか「解説」とかがあらたに載ったりするんで。それも楽しみなんだよね。

 文庫版を買えば、再読するしね。

 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」も、単行本を購入して読んだが、それからほどなくして文庫になったとき、買って読んだ。最後のページまで線が引いてあるから、ちゃんと通読している。

 

 老眼のせいで小さな文字を読むのが苦痛(メガネをしても)。できるだけ単行本など大きな本(文字)を好んで読む傾向があった。文庫本を憎んですらいたと思う。なんでこんなに小さくしなきゃいけないの、と。若い頃は文庫本が大好きだったのにね。

 ところが、最近はいささか変化した。図書館で借りるなら単行本のほうがいいけれど、買うとなれば、やっぱり安いほうがいい。

 それに最近の文庫本は、昔の文庫本よりも文字が大きい。ほんの少しの差かもしれないが、文字の大きさと行間の余裕が、老眼にもやさしい、と私は感じている。

 何の本だったか忘れたが、古典の名著で単行本しか出ておらず、岩波はこれを文庫本にする使命がある、くらいなことを國分功一郎がどこかで言っていた。その単行本は学生が購入するには高い、と。

 文庫になる利点は、安価になることと、読者を増やすということもあるようだ。

 

「魂の退社」が2016年、「寂しい生活」が2017年なので、その間、絶版にもならず、7年後に文庫化って、稲垣えみ子はやっぱりすごい!と、最近ファンになった私としては絶賛するばかりであります。だって、売れない本を文庫にするはずもなく。

 

 本の内容については、すでに読書エッセイを書いているので、そちらを読んでください(※)。

 

 稲垣がラジオで語っていたことを少しまとめてみる。

 稲垣は、自分の著書を読み返したりすることはない。が、今回の文庫化にともなって読み返した。

 あらためて驚いた。原発事故からはじまった超節電生活。これがなかったら今ごろ、老後を前に不平、不満がいっぱいで、暗い気持ちで生きていたと思う。

 ところが今は、まったく暗くない。大げさではなく、節電生活に救われた。

 どうして?

 原発のない生活の実践。当時は神戸に住んでいた。関西電力の半分は原発。なので、自分の家の電力(電気代)を半分にしようと思った。が、なかなか減らない。そこで、家電を次々捨てていくことに。やってみると、家電がなくても工夫次第でなんとかなることが分かった。残した家電は、パソコン、スマホ、ラジオ、明かり。ラジオはほとんど電気を使わない。電気代は200円程度。この顛末は本に詳しい。

 

 まだつづけてるんですか?偉いわね、とよく言われる。主義主張のために我慢して頑張っていると思われているようだが、我慢どろこか、この生活が自分の幸せのもとになっている。

 節電生活を通して、「なにはなくてもやっていける」自分を発見した。

「なくてもいける」という、ひとつひとつの過程が爆発的に面白かった。

 綺麗な服を買うとか、美味しいものを食べるとか、豪華なホテルに宿泊して旅行するとか、ずっと求めていたあらゆることよりも、比較にならないくらい楽しかった。

 

 なくても幸せ、ないほうが幸せ、という素晴らしい体験だった。

「老いの不安」というのは「ないことが不安」「なくなっていくことが不安」なのだ。

「なくても大丈夫」「ないほうが幸せ」となれば、老いの不安はない。

 ピンチはチャンスって本当だ。

 変わりたいと思っても、うまくいっている、なんとかなっているときには変えられない。なんともならないひどいことになったときに、はじめて変わってみようとして変わることができる。

 ピンチが変われるチャンスになれば、生きていくひとつのよすが、希望になる。

 何事があっても、怖がらずに生きていける。

 稲垣の本に感動している村上里和アナウンサーはこう話す。「自分ができるかというとなかなか…家電を手放せるか?というとできない」

「そんこなことやらないですよ。そうしても大丈夫という人がいたな、と思ってくれればいい」と言う稲垣。

 ひどいことが起きずに変わらずにやっていけるなら、それはそれで幸せなこと。

 これはピンチの話ですからね。

 

 私もそう思う。私も家電は捨てられないし、電気代は、(値上がりもあって)すごくたくさん支払っているし(なんとかしたいのだが)、クーラーつけないきゃ生きていけないし。

 でも、なにもなくてもなんとかなるんだ、ということを、臨場感あふれる稲垣の著書から学んでいると思う。この先、何かひどいことが起きても、工夫次第でなんとかなる、ということを知っていれば、不安に苛まれずに生きていけそうだ。

 「不安」に、詐欺はつけ込んでくるのだから。

 

 最後に、

「手放さないと入ってこない、ということもある」と、村上里和と稲垣えみ子は同調していた。

 それはその通りだよね。

 捨てると新しいものがやってくる。

 古いもの、不必要なものは捨てましょう。後生大事に抱えていると、いつまでも先へ進めませんよ。それはタロットカードで言うと「No13死神」のエネルギーなんです。

 まさしく稲垣の超節電生活は「死神」のエネルギーだったようだ。

 

 文庫本を買いあさってしまっている私。どれだけ稲垣ファンなんだろう…。

「寂しい生活」文庫版 ©2024kinirobotti

 

(※)

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