ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

本当に怖いNo15「悪魔」カード「熱狂」②~アイドルにご用心~虚像と熱狂と自己喪失~ファンはどう振る舞う?~

承前)

「アイドルに熱狂する」は「アイドルを崇拝する」ということであり、すなわち「偶像崇拝」という論法が成り立ちます。

①に書きましたモーゼの十戒にある「偶像をつくるな」は、信仰の対象を形に求めてはいけない、神の似姿をつくって拝んではいけない、という信仰の純粋性についての戒めなのだと思います。「偶像」というものは、いつの間にかそれ自体が崇拝の対象になって、本来の信仰心(精神)を別のもの(物質)にすり替えて人々の心を乱していく、ということを十戒を授けた神は見抜いていたわけです。

「偶像」「アイドル」はギリシャ・ローマ時代を経て、剣闘士、スポーツ選手、遊女、役者、歌手、俳優……と、連綿と私たちの周りに存在し続けているのです。

偶像に心を奪われた人間の心理がいかほどのものであるかを知り得ていた支配者たちは、それを巧みに利用してきました。「何かに狂信させて」「思考能力を奪って」「コントロール」しやすくし、「洗脳」して操作しようと野心に燃えています。

ジャニーズでもAKBでも何でも、熱狂によって身を持ち崩す、すなわちお金や時間、精神までも過剰につぎこんだりすることは、説教臭いことを言えば、例えば学生の本分は何かということを考えたとき、人生の無駄と言えることになってしまう可能性まで多分にあります。また、自身が熱狂する人物なりグループなりを崇拝するあまり、その言動を無批判に信じ込んで賛同することで、大きな間違いに加担していくことになったりもします。

その現象の例として分かりやすい「ヒトラーユーゲント」という組織がかつてありました。かっこいい制服姿のナチスの青少年少女隊です。1938年に来日したそうで、そのときには今でいうところのジャニーズのような大人気を博したとも言われています。あの戦争がどれだけの悲劇であったかを知らない人はいないでしょう。

 

日本では、歌手や俳優が社会的政治的発言をすることが好まれないという奇妙な風潮が根づいています。それでも最近はようやく勇気ある人々がSNSで正直な気持ちを吐露するようになってきました。とくに令和時代を迎えてから、揶揄攻撃されたら引っ込むのではなく、淡々と、ときに力強く発信しつづける俳優や歌手、タレントを多く見かけます。

贔屓の歌手や俳優、タレントが政治的発信をしたときに、それを止めろ言ったりするのはファンではないと私は思っています。内容の是非にかかわらずがっかりしたというような意見は、自身の愚かさを露呈しているだけです。自分がファンであるその人物がどのような考えを持っている人なのかを知り得ればいいだけです。そのうえで必要ならば、その人物の考え方に賛成か反対かを表明すればいいだけです(したいのであれば)。自分と違う考え方だったらがっかりするでしょう。あるいは自分自身は何も意見を持っていなかった場合にはそれを機会に、そのことについて深く考えるようになるかもしれません。

ひとつだけ言えるのは、アイドルたちの言動が差別主義や好戦主義に基づいていたり、そのような主義を助長するような仕事を選んだり、選ばされているときに、ファンとしてはそのまま無批判に受け入れてしまう姿勢は変えていったほうがいいのではないか、ということです。なぜなら差別主義や好戦主義は、すでに野蛮ではないはずの21世紀の人間として、人類として、地球人として問われるところだと思うからです。おかしいことはおかしいと言うこともまたファンの役割であると私は考えます。それでも自分自身が差別主義者であり好戦主義者であるということでしたら、意を得たりと賛同すればいいと思います。

いずれにせよ、例えばアメリカのように民主党派なのか共和党派なのかということを明言することもアイドルにだって大事だと思います。立場を示すことができない人、黙っている人は海外ではバカの認定をされてしまいます。

以前、原発は安全だというCMに出ていた芸能人たちは、どういった考えを持っていたのでしょう。同じ見解だったのでしょうか?ただただ事務所が受けた仕事をこなしていただけなのでしょうか?マネージャーや事務所の立場はCM内容と同質だったのでしょうか?彼らもまた、来るもの拒まずの考えなしの仕事姿勢だったのでしょうか?当時は原発は安全だと教科書にも載っていましたので、私たち日本人のほとんどがそう洗脳されていたと思います。ゆえにそこを問いただすのは酷かもしれませんが。それでも、有名人が世間に与える影響ということは無視できないものであることを、アイドルをはじめとする芸能人、有名人は意識してほしいと私は思っています。「考えなし」で、あるいは「利益のため」だけに受ける仕事は危険です。熱狂しているファンたちはアイドルに付き従っていきますから。

第二次世界大戦のときには、作家や俳優、落語家たちが、兵隊さんをたたえる作品をつくったり、ラジオ放送をしたりして、後から悔やむ人もいました。翻訳家・村岡花子も、兵隊に憧れる気持ちを少年たちの心に植え付けるようなラジオ放送をして(させられて)しまった様子が朝ドラ「花子とアン」で描かれていました。

その一方で、「少年H」で描かれているように、とのときどきにどちらにもつく、干されないようにとか、儲かるならどっちもいいとか、ふらふらとしたコンブのような人間が世の中には大勢います。戦中は軍歌を、戦後は歌謡曲を書いて大儲けした作曲家もいたようです。

そんな状況のときに国に逆らえるわけがない、ゆえに俳優たちにも市民にも責任はない、という意見がほとんだと思います。その通りです。戦争が始まってしまったら、もう誰にもどうにもすることもできなくなってしまうのです。言いなりにならなければ、逮捕や拷問が待っています。それゆえ、そうなる前の有名人らの態度や発信、仕事の選択というのはより重要であるわけです。

 

日本では、アイドル側がエンタメ業界の操り人形になっている姿を見るにつけ、この人たち何も考えてないのかなぁ、と失礼ながらバカに見えてしまうことがしばしばあります。繰り返しますが、ファン側 も、おかしいなと感じることがあれば批判精神を発揮して批評するのが本当のファンであり、ファンの役目ではないかと思います。もし考え方が違うのであれば、ファンをやめるものいいですし、そこはそこ、ここはここ、と区別して冷静なファンであることが、熱狂の罠にかからない、悪魔の鎖につながれたままになって魂の抜け殻にならないための良い方法だと思います。

少し前に、元SMAP中居正広が、自身のテレビ番組のなかで差別的発言をしました。外国人を揶揄するようなシーンとなっていました。私はSMAPファンでしたので、正直なところこれはあまりに残念な出来事で、力が抜けてしまいました。ユーモアのつもりだったのかもしれません。日本人はユーモアの質が低く、単なる揶揄になりがちです。けれども、見下して笑うような気質は、誰に対しても持つべきではありません。尊厳を欠く表現はユーモアではありません。他の仕事がどれほど立派でも、この一点は致命的であったと私は思っています。そのことをちゃんと教えてくれる関係者やファンが周囲にいるのでしょうか。本人は良いと思って発言しているわけでするから、苦言を呈する人が周囲にいなければ本人は学ぶ機会を持つことができません。しかも放送されたということは、番組制作サイドがそれでOKとした経緯があるわけです。それはとても不幸なことです。苦情が多数届いて、本人の耳にも入ったことを願っています。

 

熱狂のなかにある人は冷静な判断力を奪われてしまいます。そして熱狂の対象である偶像(アイドル)の思うがままです。それがタレントであろうと教祖であろうと。 

「悪魔カード」の図像で悪魔に囚われているキャラクターは、自分の頭と心で考えられない者たちの姿です。

 

そうはいっても、熱狂した日々は青春の思い出です。私にもあります。

とはいえ、のちになってあの日々は無駄だった、あの時間にもっと勉強しておけばよかった、という後悔の声はあちこちから聞こえてきます。私も同様です。

けれども、熱狂したものが仕事になっている人も世の中にはいますので、何が良かったのかは一概には言えません。

ですがやはり、「熱狂」によるリスクは「時間の浪費」と「思考能力の消滅」です。 熱狂を仕事にした人は、実はこの2つを失っていなかったはずです。

 

評論家で東京工業大学教授(2019年現在)の中島岳志は、

「熱狂を疑え」と言っています。

熱狂している人間は、ひとつのことを信じて、そこから外れる人を排除する、と。

私は、これに加えてこう考えています。熱狂はいっときのもので時間が過ぎると忘れ去るものだが、忘れ去られないときにカルト化する、と。

 

今朝の報道番組。

ジャニーズ事務所所属グループのコンサート。今日も今日とて何万人と入る会場が満杯です。アイドル(偶像)にほだされた人々が、こんなにたくさんいるんだなぁ。

偶像は虚像です。

 

シリアでは空爆によってまた幼い命が犠牲になっている……。

 

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