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60歳からのわがままタロットセラピー18「オカルトを楽しむ」②〜悪魔カードが教えてくれたこと〜

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

 タロットに助言を求めるとき「悪魔」カードが出てくると緊張が走ります。

 占い師にもよるでしょうが、私はたとえ他に明るいカードが出ていても、良い気持ちはしません。

 相談者さんたちの多くが、「死神」カードを怖がるように「悪魔」カードも怖がります。「悪魔」「死神」カードが出てくると「何か悪いことがあるんだ」と即断するようです。

「死神」カードは恐れるカードではないことはこちらで既に述べています。一方で「悪魔」は確かに要注意カードです。このカードが出てきたときに私は、とにかく注意してくださいと必ず話します。誘惑、執着、依存、束縛、感情の乱れ、怠惰、詐欺などなど思いつく限りの暗黒、悪事を示しています。

 悪魔のパワーは強いので、カリスマ的存在になれるほどの成功のエネルギーを与えてくれるかもしれませんが、謙虚さの欠如によって、自らが暗黒面の行為者サイドになってしまう可能性が、よほどの人格者でない限り、非常に高いと言わざるを得ません。

 あるいは欲しいものを手に入れるために悪魔に魂を売る、という小説や映画のようなことも無きにしもあらずです。そんなことをして手に入れた成功は、道理にかなっているとは言い難いものです。

 

 ある日の夜、ゴールデンタイムのバラエティ番組を見ていたときのことです。私は「あれ?ヤバイな」という思いを体感しました。

 どのような出来事かと言いますと、その番組内で、様々なタレントさんたちが昭和平成問わずヒットソングについて語り、その歌詞への感動を熱弁していたのですが、それを聞きながら、「うまく書くなぁ」とヒットメーカーの才能を称賛しつつも、感動はしていない自分がそこにいたのです。

 もちろん私自身の青春時代のヒットソングは、当時の記憶が一瞬にして蘇ってくるという感覚とともに、今でも楽しく、そして懐かしく聴くことができます。

 年齢とともに感動する内容が変化するのは当たり前でしょうし、いつまでも若い頃と同じ感動スイッチで生きていたら、それはそれでまたおかしなことでしょうから、このような冷めた目線は、年齢相応なのかもしれません。

 ですがそのときの私の「ヤバイ」は、やっぱりヤバイと思ったのです。なぜならその無感動は無気力だからなのではないか、と直感したからです。

「感動」は「創造」につながる感情なのですから、「感動しない」ということは「クリエイティブではない」「行動しない、できない」につながってしまう可能性が多分にあるはずだと心のどこかで気づいて、唖然としたのです。

  え?これが年取るってこと?

 

 そんなことがあったあと生活面でちょっとトラブルめいたこともあり、繊細な(?)私はいささか「絶望」めいた感覚に襲われまして、どうしたものかなとふと思ってカードを切っていましたところ、なんと「悪魔カード」がふぃっと飛び出してきたのです。さすがにぞっとしました。わぁ、なんだこれぇ、これからもっとイヤなことがおきるのかぁ、と。しかし、少し間をおいて「あ、そうか、今の私の気持ちそのものだ」と思いました。歌詞にも感動できない絶望的感覚をついこの先日味わったではないか。ただ私の気持ちを代弁してくれただけなのかも。

 そうだとしても、じゃあどうすればいいのか教えてもらわないと、と思って再びカードを切りますと「No2女神官」が現れました。これは、自分自身を信じなさい、と語りかけてくるカードです(けれどもそんなに優しい雰囲気ではなく、信念を試されるような神秘性の強いエネルギーですが)。そして、自分の内面深く沈静しているかもしれない情熱や可能性に気づきなさいと教えてくれます。

 私はこう解釈しました。この悪魔カードが伝えてきているのは「熱狂」というメッセージなのではないか、と。そして、そうか、今飛び出してきた悪魔カードは「熱狂しろ!」と言ってるんだ。深く沈み込んでしまった情熱、意欲を浮上させろ、と。そう理解した途端、悪魔カードへの忌避の気持ちが薄れていきました。

 忘れてしまった熱狂を思い出せ!

 そういえば悪魔カードは、今の自分に満足してこれでいいやなどと思ってしまう可能性がありますよ、それではいけませんよ、というメッセージを送ってきてくれたことがかつてありました。そのままそこにいると怠けてしまって成長しませんよ、と。そうなる可能性があるか、すでにそうなっているので悪魔カードは現れるわけです。

 

 熱狂について少しお話ししますと、「悪魔」カードには「熱狂」のエネルギーが含まれています。

 熱狂とは夢中になることで、無我夢中という言葉に象徴されるように、我を忘れるほどに熱中してしまうことです。この場合の無我は、宗教的な良い意味での無我とは違います。

 熱狂している人の姿はあまり尋常には見えません。その対象が、アイドルでも歌手でも俳優でも、スポーツでもカルト宗教でも、収集でも。熱狂、と言うくらいですから「クレイジー」な感情も含まれています。

 ゆえに本来はよろしくない感情ではあるのです。

 

 政治学者(東京工業大学教授)の中島岳志が、「100分de名著」というNHKの教養番組で「オルテガ 大衆の反逆」(2019年2月)の講師として登場したとき、こう言っていました。

「熱狂を疑え」と。

「熱狂している人間は、ひとつのことを信じてそれ以外を排除する」というのです。

 これは、悪魔カードの注意すべきひとつの側面です。

 アイドルへの酔心、すなわち偶像崇拝という熱狂によって自己喪失する人々もいます。また、サッカーの試合でファン同士の争いが起きたりするのもその一例でしょう。普段は穏やかな人でも熱狂のなかにあるとき、思いもかけない激しい感情に操られてとんでもない行動をひき起こしてしまう、まるで何かにとりつかれたかのように、ということが実際にあります。そんなに珍しいことではありません。

 ゆえに、熱狂は推奨されるような感情でも状況でも本来はありません。

 熱狂は熱心とは違います。何かに熱心に取り組むことは、すばらしいことです。熱心に取り組むとは、落ち着いて腰を据えて心を打ち込むというイメージです。

 

 なのですが、ヒットソングの歌詞に全く感動しない自分を発見したときの驚愕、を想像してください。同じような気分を味わった人も少なからずいるのではないでしょうか。「わぁ〜私、気持ちが萎えてるのかなぁ」と、私はけっこう焦りました。

 気力のなくなっている人が意欲を出すにはまず怒りの感情を持つこと、と心理学的に言われています。

 何かに怒ってみる。怒りの感情は感情の乱れであり、良くない感情として一般的には理解されていると思います。感情的な怒りは、まさしく「悪魔カード」のエネルギーでもあります。けれども怒りの感情を持つことによって、気分があがってきますので、そこからポジティブな方向へステップアップしていくことができます。とりあえず浮上できるのです(そのまま激しくネガティブ方向だけに進むということのないようにはしてください)。

 

「熱狂」もその部類、すなわち思いを浮上させる感情の部類に入るのではないか、と思ったのです。「60歳のわがままタロットセラピー」にとって。

 出演者たちが熱く語っている歌謡曲の「歌詞」にも感動しなくなっていた私の心を奮い立たせるには「熱狂」のエネルギーが必要なんだ、と思いました。何かに熱狂、あるいは熱中してみる、夢中になってみる。さすれば気持ちが高鳴る。

 もちろん、ラブソングや恋愛ドラマに今更ハマることはできませんし(私は)、できなくてもかまいません。

「オカルトを楽しむ①」でも書いたように、10年から20年近く斜め目線を保ってきたオカルト、スピリチュアルに、熱狂とまでは言わないまでも、それらを面白がって楽しんでもいいじゃないか、と思ったのもその流れでした。

 いずれにしても、やる気とワクワクを蘇生させるためには、熱狂ほどの強いエネルギーが必要なんだということです。

 

 悪魔というのは、人間に「絶望」を植え付けて、希望、生きる気力を奪って、そして自由自在に操ると言われています。

 悪魔という、もしかしたら宗教書のなかに登場する架空の存在かもしれない存在だけではなく、私たちの生活のなかにもこのような状況はあります。誰かに追い詰められて希望を失うこともありますし、誰かの放ったたったひと言が一瞬にして誰かを絶望の淵に追いやってしまうこともあります。

 絶望のなかにある人間は魂の抜け殻と化してしまうことを悪魔はよく知っているのだそうです。抜け殻人間はいとも簡単に操ることができる。悪魔は人間を自分の言いなりにするために絶望感を与えます。一方で「熱狂」。熱狂のなかにある人は、尋常ではない心持ちなので、これも思った通りに操作するにはもってこいの感情です。無我夢中、文字通り「我を忘れ」て没頭しているわけですから、熱狂している人はいとも簡単に操ることができるのです。

 悪魔の側からすれば、熱狂は人間を堕落させるための大変便利な手段です。絶望と熱狂、正反対の感情のように見えますが、実は根幹にあるのは、自己喪失、魂の抜け殻なのです。

 

 しかし「60歳からのわがままタロットセラピー」では、なんと「熱狂」に「希望」を見出そうというわけです。小さな刺激だと反応できないかもしれないので、熱狂ほどの刺激を受けて希望に変えていきます。

 私もそうでしたが感動力が弱くなっていることも一因して、ある種の絶望めいた感情を抱いたりすることもあります。それが一瞬のこともあれば、継続してしまうこともあります。同様の感覚は、誰にでも起こり得ます。 

 世事から離れてせっかく心静かに暮らすことができるような年齢になったにもかかわらず、ふと立ち返ると「何もない?」という心持ちにさせられるのはなんとももったいないことです。

 そこで悪魔カードのパワーである「熱狂」をポジティブ利用できそうですよ、というのが私の気づきであり、私からの提案なのです。「60歳からのわがままタロットセラピー」としては、すっかり冷めてしまった無気力な感覚に彩りを取り戻すために、熱狂を最適の治療薬として利用しましょう。

 

 忘れている自分の熱狂を思い出せ。

 知りたいこと、やりたいこと、やり残していること、できるところまで全部やったらいいと思います。

 それが解放です。

 悪魔カードは束縛のカードでもあります。縛りを外して、何かに夢中になりましょう。束縛は自分でかけている呪いかもしれません。年齢的呪縛から解き放たれましょう(「60歳からのタロットセラピー17②」でも年齢については言及しています)。こんな年齢だからできないではなく、むしろあとは死ぬだけなのですから、怖いものは何もありません。守らなくてはならないものは何もないと言っても過言ではないのですから、この年齢だからこそ、自分の好きなことだけを考えましょう。遠慮ばかりしていたら、やり残してしまいます。

 

 ということで「気持ちを高めてなんでもやろう」のなかに、私は「オカルト」を加えました。若い人たちには新しい情報でも、私はすでに30年以上も前から知り得ていた情報だったりすることも多いということに気づきました。それもあって、とても楽しめそうです。アップデートされている情報もありますし、また同じ情報でも若い時と今とでは、感じ方も解釈の仕方も、内容についての是非の判断も違っていたりします。そこがまた興味深いところでもあります。

 余談ですが、ナオキマンショーのYou Tubeがとても興味深く楽しめます。洗脳感がまったくなく、恐怖心を植え付けるような言動もありません。むしろ欧米のドキュメンタリーに近い感じで、ちょこっと付け加える本人の感想にも中和感があって、視聴者に自分の頭と心で考えさせる余地を残すような発信内容になっています。

 都市伝説やオカルトを語る人のなかには、無批判な信者のような人もいれば、教祖化、カルト化してしまう自己優越感、選民感覚の強い人もいるなか(そういう人のほうが多い)、彼は節度を持った伝達者のように見えます(今のところ)。

 

 最後に、日本の神様の話を少し。

 塩椎神(しおつちのかみ)という神様がいます。

 この神様の塩のエネルギーには強烈な浄化作用があるそうです。

浄化とは「けがれ」を祓うものですが、神道ではけがれとは、「穢れ」ではなく「気枯れ」つまり、生命エネルギーが枯渇した状態を表します。

心配ごとや、思い込み、自分への疑いが積もると、元気がでなくなります。気が枯れた状態になるのです。

(「神様カード」より)

「気枯れ」すなわち無感動、無気力は、自分を疑わないことで払拭することができるということです。

 熱狂という感情によって枯渇から脱却しても「60歳からのわがままタロットセラピー」としては、そのあと魂の抜け殻になることはない、と思います。

 が、一部の方はそうならないように注意はしましょう。あまりに若いエネルギーを保っている人ですと、抜け殻までいってしまうかもしれませんので。調整は人それぞれです。それは自分が一番よく分かっていると思います。抜け殻になってもいい、という人は自己責任でお願いします。ただし周囲を巻き込まないように。

 

 健全な範囲内でオカルトを楽しむ実力は、青年期中年期を通じて学び、感じてきたシニア世代の特権です。

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