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「さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート」〜親子関係とかいろいろ…えっとぉ……

 なんなんだろう、このドラマ。

 

「さよならマエストロ」TBS日曜夜9時 2024年1〜3月

脚本/大島里美

出演/西島秀俊 芦田愛菜 宮沢氷魚 石田ゆり子 玉山鉄二 西田敏行

 

 見始めは、もしかしてちょっと面白い?と思ったが、次第につまらなくなってきた。いや、つまらないのではなく、ひどい…。

 結論から言うと、俳句の夏井先生だったら「詰めすぎ」です、と言うはずだ。

 いや、詰めすぎでも上手に描かれているドラマもある。「いちばんすきな花」(2023年フジテレビ)がそうだった。けっこうな量の背景が詰め込まれていた。が、それぞれの気持ちを汲むことができるし、どうしてだろうと考えたりもできた。現代社会の生きづらさと主人公たちが抱えてきた感情と思考が、ファンタジックな偶然を軸に見事に表現されていた。

 そう、このドラマには、感情移入できたり、魅力的だったりする人物がひとりもいない。いないどころか、むしろ腹が立つ。

 脚本は誰だ?大島里美

 大島里美って「おカネの切れ目が恋のはじまり」(2020年TBS)の脚本家だ。

「カネ恋」は、主演の三浦春馬自死により4話までの放送となった。三浦が出演しているのは3話まで。このドラマ、とてもよくできていた。面白かった。現代社会への風刺も効いていて、最後まで観たかったのに本当に残念だった。別の出演者でいいので最終話まであらためてつくってほしい、と今でも願っている。

 その大島里美が「さよならマエストロ」の脚本家なんだ。どうしたんだろう。あ、でも、三浦亡きあとの「カネ恋第4話」のまとめ。ちょっとどうかなという部分も確かにあった。全話放送されていたら、途中で「?」となったのかもしれない。

 

 そもそもこのマエストロなる人物、夏目俊平(西島秀俊)が、私は苦手だ。

 明るく無邪気な設定なのは分かるのだが、離婚したがっている妻・志帆(石田ゆり子)が言うように、夏目は周りの人をことごとくマネージャーにしていく。すなわち、たいへん利己的な人だ、ということだ。実際そのように見える。

 音楽の才能があって、感性が豊かで、市民オーケストラの面々の良いところに気づいて引き出していくという描かれ方で、それもよく分かるのだが、夏目にもメンバーたちにもとにかくまったく感情移入も同情もできない。

 みんな迷っているのは分かるが、一本筋の通った人がいない。

 そんななかで、夏目の娘・響(芦田愛菜)が、ひとり父親に逆らって悩みながらも我が道を歩んでいるように見えたが、結局最後は、父親のいちばんの味方となった。やめていたバイオリンに戻るという選択は視聴者も望むところだし、ある意味お決まりの流れだと思うが、あれだけ冷たくあしらっていた父親に、妙にウキウキと優しくなったのが気持ち悪かった。もちろん、父親への反感は愛情の裏返しなのだろうということも理解できるのではあるが。

 

 このドラマでは3つの親子関係が描かれていたのだが、どれも中途半端だ。

 ひとつは上に書いた夏目と響。天才と言われていた響。あるコンクールでの父親のひと言に心が崩れてしまった。夏目はその直後、指揮者をやめる。そして5年後、響は市役所に勤めている。志帆が夏目を日本に呼び寄せ、親子関係の修復を図る。夏目はひょんなことから市民オーケストラ晴見フィルハーモニーの指揮者を引き受ける(実は志帆の策略だった)。その活動のなかで、決裂してしまった父娘の関係が修復されていく、というのがメインテーマ。「父と私のアッパシオナート」ですから。

 

 もうひと組は、夏目と夏目の父親(柄本明)。高校の野球部で監督をしている父。野球部員だった夏目。高校3年生の夏、隣の家に越してきたドイツ人指揮者が弾くバイオリンの音に魅了されて野球をやめる。そして指揮者の道に。そのときから夏目と父親は不仲になっていた、ということが物語後半で判明。

 その過去の物語提示も唐突なら、二人の関係修復もさらに唐突だった。もちろん年月はかなり経っているので、父親の心も柔軟にはなっているのだろうし、ある種の諦めや有名な指揮者になっていることを実は誇りに思ってもいるだろう、ということは推測できる。だが、そこまでの過程がまったく存在せず(どこかに伏線があったら気づいておらずごめんなさい)、第8話ですべてが明かされ、その上、父親が突如として(私にはそう見えた)夏目を許すシーンは、感動的な劇伴で盛り上げてはいるものの、まったく感動できず、むしろ劇伴が陳腐に聴こえた。興ざめとはこういうことか…。

 

 3組目は、晴見フィルハーモニーの予算が無駄だといってオーケストラを廃止に追い込む市長(淵上泰史)とその娘・天音(當真あみ)。こちらの伏線は十分に張られてはいたが、それにしても、この二人の和解(?)もまったく空々しかった。天音が、指揮者になりたい、音楽の勉強をしたいと泣きながら初めて自己主張すると、なぜか父親も涙を流すシーン。ここは視聴者の涙も誘おうとしているのだろうが、まったく感動できない。え?なんで…。一応、理由は言っていたけど。

 そしてたぶん父親は娘が音楽をやることを許してくれたんだろう。はっきりとはそう描かれていなかったが、次の日から天音は堂々とオーケストラに参加していたので。

 父親がブラスバンドをやっていた。それが分かる若い頃の写真が画面に映るシーンが序盤であったが、そのことにはのちに触れられることはなかった。そのことによって何かトラウマを抱えているがゆえに晴見フィルハーモニーを毛嫌いしているのかな?と私はドラマを読んでいたのだが。思わせぶりだったのか?

 

 この天音という高校生の存在も、どうも好きになれない。

 序盤から登場する。晴見フィルハーモニーの演奏を聞いたことで、クラシックに魅了される。指揮者になると宣言。夏目を師匠と慕う。はじめは楽器を甘く見ていたが、次第に真剣なり、バイオリンを習いはじめる。コーチは響。そして、最終話、夏目が日本を去ることになり、天音が指揮者となる。…って、なんだ?いや、そういう嫌な予感はしていたが…。

 たった3ヶ月でそこまでできるか?いや、天才にはそういう人もいる。夏目は天音の感性を高く評価していたので、そういうことなのかもしれない。名前が「天音」であることも、作者の意図がそこにあるのだろう、おそらく。

 でも、なんというか、鼻につく。謙虚さがなさすぎる。天音にも家族間の悩みはあるのだが、だからといって同情できないほどの能天気さと無頓着な性質が見え隠れしている。ってことは夏目に似てるのか?ゆえに天才なのか。う〜ん、ちょっといただけないキャラ設定。

 もう3〜40年前のことだが、フジテレビのアナウンサーだった逸見政孝が、何のインタビューだったかは覚えていないが、音大の学生に何かを尋ねたとき、その音大生が「お前たちに音楽が分かるか」みたいな発言をしたのがニュース番組で放送された。その後も逸見は番組のなかでそのことを問題視していた。私もおかしいと思った。そして、そんな傲慢な気持ちの人間が奏でる音楽は美しいのだろうか、と思った。一方でテクニックだけを求める聴衆もいるので、心は置き去りでもいいのかもしれない。だが、気持ちというものは音楽に乗る。そんな人が演奏する音楽は、聴衆の耳にも身体にも良い影響を及ぼさないはずだ。

 私たちは知らず知らずのうちに、さまざまな音によって良くも悪くも影響を受けている。病や、世間のギスギスやイライラの原因がそれであることもある、と音響の専門家も言っている。だが、今の科学ではそれを証明できていない。

 私は思っている。絵画も音楽も、いわゆる上手い下手ではない。そこにどんな気持ちが反映されているか、だ。

 

 天音のことでもうひとつ付け加えておく。

 アリストテレスは「人はフィクションのなかのできごとにたいしては、必然性を求める傾向がある」と指摘しているそうだ。

必然性の感じられない重要事件がフィクションのなかに出てくると、ついつい「出鱈目だ」「ご都合主義だ」などと言って、説得力が減じると考えがちなのです。

いっぽう、ノンフィクションのなかのできごとにたいしては素直に驚き、「事実は小説よりも奇なり」とはこのことだなあ、などと言ってはそれを受け入れます。

千野帽子著「物語は人生を救うのか」P54〜55)

 私自身は、この一般論とはすこし違っている。物語(フィクション)のなかの「ご都合主義」と言われがちなシンクロニシティ、すなわち偶然や不可思議な出来事については、肯定的な見方をしている。本当はそういったシンクロニシティで人生や世の中はできているはずなのに、それを忘れてしまっている人間たちは、こうしたドラマで描かれる奇跡を見ることでそれを思い出すことができる。ゆえに、私は「必然性の感じられない重要事件」をもってそのドラマをご都合主義だと評したりはしない。むしろ、それを希望と捉えている。

 その私が「さよならマエストロ」の天音という人物のプロセス(たったの3ヶ月でバイオリンがうまくなり、オーケストラ譜が読めるようになったりする)の必然性のなさに、辟易してしまった。いつもの私と違う感覚を私に呼び起こさせてくれたのでした。

 

 夏目の妻・志帆のことも今ひとつよく分からない。画家、らしいのだが、描きたい絵を封じて、ヨーロッパでの夏目を甲斐甲斐しく世話しつつ、子育てに専念してきた。夏目とは離婚したい。そしてついに、これまで自分がどれほど我慢してきたのかを、夏目に爆発させる。

 これも、もうすこし伏線があってもよかったのではないだろうか。そんなに我慢して絵も描かずにいたとは…。そんな風に見えなかったので。つまり、過去のどこかで楽しそうに絵を描いている様子とか、夏目の世話が辛そうだとか、そうしたシーンがあっても良かった。それに、自分は夏目から離れるのに、娘の響には仲直りをさせる。響が父親のことを本当は大好きなんだということを知っているから、なのだろうが。お互いの誤解が解ければ…ということなのだろうが。

 

 他にもまだまだあるが、ここでやめておく。

 せっかくのキャラクターがすべて上手に使われていないという、じれったいものを感じています。

 落語家のくだりもそうだし、元天才チェリストもそうだし…。市長なんて前半であれだけ二項対立的に出てきたのに、最後は尻切れトンボみたいな扱いだ。

 最後の演奏で、主要メンバーらの思い出のシーンが流れたが、ただただ冗長だった。

「さよならマエストロ」なので、最後は「さよなら」なんだろうなと分かってはいたが、夏目をドイツへ送り出すシーンで「さよなら」「さよなら」としつこくうるさかった。

 市役所の同僚である森大輝(宮沢氷魚)と響が、最後の最後に手をつないで、恋人同士になったことを視聴者に伝えてきたシーンはよかった。恋愛的シーンをあまり好まない私が、このシーンを良いと思うとは……。このくらいしか納得のいくシーンがなかった、のかもしれない。

「さよならマエストロ」夏目俊介(西島秀俊) a la TsuTom ©2024kinirobotti