ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

「春になったら」「お別れホスピタル」〜死ぬと分かったら何をする〜やりたいことリスト〜やったことリスト

 余命で何をする?What to do with the rest of your life?

 

「春になったら」カンテレ(フジテレビ)月曜夜10時 2024年1〜3月

脚本/福田靖 監督/松本佳奈 穐山茉由

出演/奈緒 木梨憲武 濱田岳 向井真理子 小林聡美 光石研

 

   お正月。「大切な話がある」という父と娘。そして同時に言う。

「3ヶ月後に結婚します」

「3ヶ月後に死んじゃうから」

 そんな衝撃、いやコントのようなシーンからこのドラマは始まる。

 ドラマが始まった当初、こういう重たい話は観ることができない、と評するドラマ評論家がいた。

 このドラマは病気ものとはいえ、お涙頂戴的でもおどろどろしくもなかった。それは1話目から伝わってきた。木梨憲武というコメディアンと奈緒という才能あふれる俳優の演技と掛け合いが冴えていたからかもしれない。すなわち、悲しみを払拭してしまうような、笑いの耐えないドラマなのである。

 娘の瞳(奈緒)も、父親(木梨憲武)の余命宣言を信じず、医師のもとを訪れて初めて理解した。視聴者も瞳と同じく、父親・椎名雅彦の物腰の柔らかい、ちょっととぼけたようなキャラクターの悲劇の告知に実感が持てない。

 雅彦はグラッチェ椎名の名で実演販売士をしている。社内トップ成績の大ベテラン。瞳は子どものころ父親の仕事を恥じていた。

 瞳の結婚相手は、売れないお笑い芸人・川上一馬(濱田岳)。芸名は「カズマルくん」。ピン芸人。東大中退で、バツイチ、8歳の男の子がいる。雅彦は大反対。

 瞳の結婚と雅彦の余命、その残り3ヶ月を互いに葛藤しながら、思いやりながら、過ごしていく。温かくゆっくりと流れていく日々が丁寧に映し出される。

 瞳が結婚をやめると決めたり、一馬が芸人をやめたり、二転三転しながら、雅彦の残された時間を父と娘はともに悩みながら、そして精一杯、忘れ物のないように生きる。

 助産師の瞳は、その間、新しい命と出会う。

 瞳が産まれたときがいちばん幸せだった、と終活ノートに雅彦は書いていた。

 

「死ぬまでにやりたいことリスト」を雅彦は書く。それをひとつずつクリアしていく。

 昔の友人と会って誤解が解けたり、瞳と旅行に行ったり、タイムカプセルを掘りに行ったり……。

 いわゆる「Bucket List(バケットリスト)」。年齢や病気(余命)に関係なくつくれるものではあるが、病気以外では、60歳を過ぎたあたりからこのリストを書き込む人は多いのではないか。若い頃にできなかったこと、叶わなかった夢に再挑戦、行きたいところ、会いたい人、読みたい本から食べたいものまで、多種多様な希望を書くことができる。

 私も書いている。

 ところが私は、このドラマの雅彦を見ながら、自分が余命3ヶ月だと宣告されても、もしかしたら私のバケットリストは完遂しないのではないか、という思いに駆られたのだった。時間が限られていても、そうそうなんでにも思い通りにできるものではないのかも。だって、何かをするということは、それだけストレスも加わってくることを覚悟しなければならない。こんな年齢になってからまで嫌な思いもしたくない。だったら、静かに、平和に、穏やかに、好きなことだけして(すなわち、目標のようなリストをつくらなくても)、死んでいきたい、誰にも邪魔されずに、と思っても不思議ではないですよね。「なにかをやる!」ということは、いくら失うものがなくても、その物事の大小にもよるが、それなりに気力体力が必要だ。

 でも雅彦は、瞳たちの力も借りながら、すべてを成し遂げた。

 

 最終話「英語をマスター(勉強)する」というリストの意味が明かされるが、う〜ん、このエピソードはどうかな、今ひとつだったように感じたけど。

 

 瞳の結婚式と雅彦のお別れ式を同時に執り行うこととなった。そのあと、瞳の無音のシーンがしばらく流れて雅彦が亡くなったことが分かる。この静寂の演出はよかった。

 

 死と人生を見つめることのできる良質のドラマだったと思う。

 ドラマの雰囲気が「ペンションメッツァ」や「きのう何食べた」「マザーウォーター」に似ているなと思っていたら、監督が松本佳奈だった。小林聡美光石研の起用はその雰囲気を助長する。

 脚本は「まんぷく」の福田靖。「まんぷく」も私の大好きな作品である。

 福山雅治の主題歌「ひとみ」も、素晴らしかった。ドラマの内容を深く理解して作詞作曲したそうだ。福山の才能、恐るべし。

 

 もうひとつ、死をみつめるドラマがあった。

「お別れホスピタル」NHK土曜夜10時 2024年2月3日〜24日(全4話)

脚本/安達奈緒子 原作/沖田×華

出演/岸井ゆきの 松山ケンイチ 小野花梨 古田新太 泉ピン子

 

 辺見あゆみ(岸井ゆきの)は、終末期病棟の看護師。この病棟から回復して退院する患者はいない。看取るだけの看護もきつい。辺見も、死とは何だろう、生きるとは何だろう、そう自分に問い掛けながら患者とともに日々を過ごす。

 患者たちも個性豊かなら、その家族もそれぞれの思いを胸に秘めている。家族のなかの誰かの終末と向き合うとき、人はそれまでの人生に思いを致すことになる。

 辺見は患者とその家族とのふれあいのなかで、感じ、学び、成長していく。

 ひとつ気になったエピソードがあった。教師だった女性(根岸季衣)が入院している。摂食障害を患っている辺見の妹・佐都子(小野花梨)は、かつてその教師の暴言によって傷つけられたのだった。

 認知症もあって、そのことを問い質しても反応はない。まったく忘れている。どんなに言葉をぶつけても虚しい。謝罪してほしいところだが、それは叶わないというやるせなさは、いかばかりだろう(もしかしたら、本当は気づいているのかもしれない。だとしたらより残酷だ)。

 たとえ認知症でなくとも、傷つけたほうは忘れていて、傷つけられたほうはずっと覚えているというのは世の常だ。そんな人生の理不尽さが描かれていたシーンだった。

 

 脚本の安達奈緒子は、「お別れホスピタル」と同じ原作者の作品「透明なゆりかご」(2018年NHK 主演/清原果耶)でも脚本を担当している。産婦人科を舞台にした生と死、人生が遠慮なく描かれている。安達作品の朝ドラといえば「おかえりモネ」(2021年NHK 主演/清原果耶)だが、私は「G線上のあなたと私」(漫画原作 2019年TBS 主演/波瑠)が、地味だが秀逸なドラマだった評価している。

 

=====

 できれば私は病院で死ぬことは避けたい。とはいえ、病状によってはそれは叶わないのだろう。

 だったらどこでもいいので、好きなドラマや映画を見ながら、すなわち平和な心地になれる環境で死んでいきたい、と願う。それについては家族にすでに伝えてある。本も読みたいけど、最後の最後にはその体力はないだろう。読書というのは視力を使う分、なかなかの疲労を伴うものだ。もちろん映像を見るもの疲れるが、受け身であることが幸いする。

「春になったら」の雅彦は、治療を拒んだ。なぜなら、以前に同僚が癌治療を受けてとても苦しい日々を送りながら死んでいったからだ。雅彦は緩和ケアを受けながら、自宅でいつも通りの生活を送る。

 雅彦のすごいところは、「バケットリスト」を着実に実現していったことだ。余命を思い切り楽しんだ。仕事もギリギリまでやって、後輩に託すことができた。

 

 病院にいながらも、できることはあるかもしれない。

「フラジャイル」(2016年フジテレビ 主演/長瀬智也)というドラマの第5話では、余命1年の末期癌の青年・小早川(安田章大)が、夢を思い出し、病室で曲をつくった。最後は余命をまたずに、外出先で、少し前まで保育士として受け持っていた園児を助けて死亡する。

 小早川が書いたのは「やりたいことリスト」ではなく「やったことリスト」。それは、仲良くなっていた臨床検査技師の森井(野村周平)が、小早川のいなくなったベッドで見つけた楽譜に記されていた。「やったこと①一曲だけ、曲を書いた②たった一人だけど、友達ができた③   」森井は、まだ何も記されていない③を読み上げる。「③ひとつの命を、救った」。感動的なシーン(このエピソードはとても見ごたえのあるものだった。死についてだけではなく、いくつかの示唆を含んでおり、別個に取り上げてドラマエッセイを書く価値があると思う)。

 

「やったこと」のリストを増やしていくのもひとつのやり方かもしれない。「やりたいことリスト」が書けないこともあるし、それを考えることに時間を費やしすぎてもいけない。様々やりながら、おそらくやりたいことも出てくるはずだ。ゆえに、「やりたいこと」と「やったこと」を組み合わせていくのがベストで自由かも。「リストを書かねば」になってしまっては本末転倒だ。

 加えて、これまでに「やったこと」「やってきたこと」を書き出してみるのも一考だ。さすれば、「やれていないこと」「やりたかったのにやらないままできたこと」「これからやりたいこと」が見えてくるはずだ。それに、意外と自分も実はたくさんのことをしてきたのに、忘れていたり、何もやってないと自己卑下していたりすることがあるので、振り返って自分を認めてあげることも大事だ。自分に与えられた他人の評価はけっこう不当だったりしますよ。

 振り返れば「やったこと、できなかったこと」が明瞭になり、そこから「やりたいこと」が自ずと眼の前に現れてくるだろう。

 

 なにはともあれ、人生の最後は、世間の束縛から解かれて、自由自在に、やりたいことをやって暮らしたいものだ。逆に言えば「やりたくないことはやらない」。

 例えば1年後に死んじゃうのに、やりたくないことはやらないですよね。やりたくないことはやらないほうがいいです。それは健康な人、若い人も同じです。私は、占いのときにいつもそのようにお伝えしています。極端なことを言えば、明日死んじゃうのに、わざわざ嫌なやつがいる会社に行ったりしないだろう。

「もしあと少しで死んでしまうとしたら今何をしたいか」を考えることは、「ほんとうに自分がやりたいこと」を知るために、とても大切な作業、思考力だ。

 タロットカード「死神」のエネルギーはそのことを教えてくれている。もうすぐ死んでしまうのなら、今何をするか、したいか、を考えてみることは、誰にとっても必要なことだ。

 映画「Living 生きる」(1952年日本 2022年イギリス)のテーマもそれだった。自分の今すべきこと、本当に生きること、主人公はそこに向き合い、そして実行した。

 

 2024年冬ドラマでは、もうひとつ死について別の角度から思いを致すドラマがあった。「不適切にもほどがある」。別の記事で書きます。

「春になったら」カズマルくん ©2024kinirobotti