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新しいルネサンスの小径

死神幸福論~手っ取り早く自分のやりたいことを知るために②~読まれなかった本「僕の生きる道」~

承前)

 

自分の死を目の前にしたとき、日ごろ憎み合っていた家族のことが突然愛おしくなるかもしれません。生き方が変わる瞬間です。あるいは、自暴自棄になるかもしれません。

「死」を想うということは、人間は死んでゆく存在だと悟ることです。

「どうせ死ぬんだから」という感覚の先には、善と悪の2つの道が用意されています。善と悪とは言い過ぎかもしれませんが、平穏なふるまいか、無謀なふるまいか、ということです。

 

僕の生きる道」というテレビドラマがありました。 

自分の命の限りを知って戸惑い、恐れ、それから「死」と向き合って「すべきこと」をしていく、その様子と時間の流れが、涙とともに描かれています。

僕の生きる道」2003年フジテレビ(カンテレ)
脚本/橋部敦子 主演/草彅剛

高校の理科教師で28歳の中村秀雄(草彅剛)はある日、健康診断でスキルス性胃癌が見つかり、余命1年と宣告される。受け止めきれない中村は、自暴自棄になり、真面目にコツコツ貯めてきたお金を無謀な飲食などに使いまくり、あげくのはてに自殺をはかる。が、助かってしまう。

同僚の教師・みどり(矢田亜希子)にヤケクソ気味に告白して断られる。そして、無謀な生活をしても何の満足も得られないことを知った中村の人格が変容する。再びみどりに告白して恋人同士になる。中村の病と余命を知ったみどりはともに生きていくことを決意。二人は結婚する。

真面目だが自分本位に教師という職業をそつなくこなしてきた中村が、どうして自分にこんなことが降りかかるんだとヤケになります。どうせ死ぬんだから、金なんて貯める必要もないし全部遊びに使っちまえ、と。

生徒たちと真剣に真正面から向き合う中村。その様子を不思議に思う生徒たちだが、偶然中村の病のことを知り、そういえば中村はどこか「違っていた」と気づく。医師を目指す男子生徒(市原隼人)には患者の心に寄り添う大切さを伝え、歌手になりたいという女子生徒(綾瀬はるか)には難しい道だが夢を諦めないで頑張ること伝えて応援する。
最終話、クラスで出場した合唱コンクール。その会場で生徒たちの歌声を聴きながら静かに息を引き取る中村だった。

(上記の話の内容は前後しています)

 

「どうせ死ぬんだから」の先には「善(平穏)の道と悪(無謀)の道がある」と、先ほど書きました。

僕の生きる道」の中村は、余命宣告を受けた当初は自暴自棄になり自殺も試みますが、その後、生まれ変わった余命を生きていきます。とても自然なパターンかもしれません。大抵の人は、自分と死なんて無縁だと思っているわけですから、そこへある日突然、余命を知らされてショックを受けない人はいないでしょう。どうして自分なんだ、あんな悪いことしてるやつがのうのうと生きてるのに、そんな風に思ってもまったく不思議ではありません。中村は、自殺未遂から生還して、医者の優しい言葉にも癒されて、そして本当の自分と対面しました。

無謀な道から平穏な道へとシフトし、余命を使って生徒たちを導く中村。

生徒たちとの触れ合いが、それぞれ特有の逸話として印象深く描かれていますが、そのなかでも、第2話「読まなかった本」は象徴的なエピソードです。


中村が職員室の自分の机を整理していたとき、引き出しのなかから一冊の本が出てきます。そういえば読まかったなぁ、と思う中村。
明日読もう、明日読もうと思っていていつまでも読まれることのない本があります。明日やろう、来年やろう、お金がたまったらやろう、子育てが終わったらやろう、定年退職したらやろう……と思っていることは、おそらく十中八九「その時」はやって来ません。たとえ「その時」がせっかく来ても別の理由を考えてさらに先延ばしにするか(すでに先延ばしにしているので、簡単に先延ばしできるのです)、すっかり忘れて「読まなかった本」のごとく引き出しの奥深く、本棚のどこかに眠ってしまっていて発見されることはないからです。
このドラマでの副題は「読まなかった本」ですが、私はこの記事のタイトルに「読まれなかった本」と書きました。読まなかったのは自分であり、自分が「読む」と決めればその本は「読まれる」ので「読まなかった本」のほうが能動的でポジではあるのですが、その本は、読まれること、思い出されることを、じっと「そこで」待っている、発見されることを待ってくれている、そんな風に詩的にも思ってしまうからです。
中村にとって、この本の発見は大きな「気づき」となりました。

さらに中村は、自分が幼い頃に教会の聖歌隊で歌っていたことを思い出します。歌手になりたい、という夢を持っていたのでした。


あなたに思い出してもらおうとじっと待っているあなたの「宝」があります。

「死神」は、それを見つける手伝いしてくれます。つまり「読まれなかった本」「実現されなかった夢」を思い出させてくれます。様々な理由、事情で諦めた事かもしれません。できないと思い込んで、あるいは思い込まされて封印した事かもしれません。

今の自分が本当の自分ではないと思うなら、この先の行く道を迷っているのなら、心や部屋の整理整頓をすることで、忘れていた好きなこと、やりたいこと、やるべきこと、あえて封印していた宝を発見することができます。「死」を想うよりも簡単かもしれません。物理的作業ですから。その「秘めた宝」と再会してから、そのことをやるのかやらないのか、手に入れるのかやっぱり捨てるのか、命の期限を想定したときにどうするのかの決意と覚悟が生まれるのです。 

新しい道へ進むために、古いものを捨てていくことを「死神」は要求してきます。その「古い」もののなかに「甦り」が隠れていることがあるのです。

時間に追われて日々をせわしなく生きている私たちは、ときどき立ち止まって、心や部屋の大掃除をしましょう。埃をかぶった段ボールの箱のなかにひっそりと静まり返ってうっちゃっておかれた、本当は忘れてはいけなかったはずの大切な物が、息を吹き返してくるでしょう。それに思いを致してワクワクするのなら、それはあなたがやりたいことです。

そして、読まれなかった本は再び読む機会を得るのです。

 

僕の生きる道」第2話。中村が生徒たちへ向けて次のように教壇から言いました。

ここに一冊の本があります。

この本の持ち主は、この本を読みたいと思ったので買いました。

しかし、今度読もう今度読もうと思いつつ、すでに一年が経ちました。

この本の持ち主はこれを読む時間がなかったのでしょうか。たぶん違います。読もうとしなかった。それだけです。そのことに気づかない限り、五年経っても十年経っても、持ち主はこの本を読むことはないでしょう。

受験まであと一年です。みなさんのなかにはあと一年しかないと思っている人もいるかもしれません。でも、あと一年しかないと思って何もしない人は、五年あっても十年あっても何もしないと思います。だから一年しかないなんて言ってないで、やってみましょう。この一年、やれるだけのことをやってみましょう。

  

繰り返します。人は、うっかりすると永遠の命があるかのごとく錯覚しています。まだまだ時間はたっぷりある、と。ゆえに「あとで」と思って先延ばしにしてしまうのです。しばらくすると忘れてしまいます。あるいは、本当にやりことは今はできないから、○○してから、と条件をつけて先延ばしにします。大学に入ったら、卒業したら、金持ちになったら、仕事が落ち着いたら、子どもが結婚したら、会社辞めたら、ローンが終わったら…、そう思っているうちに私たちは年を取り、そして死んでしまいます。

この時間の経過の速さについて考えるとき、私の耳なかに、「すぐにおばあちゃんよ」というセリフが聞こえてきます。原田知世が16歳で主演した映画時をかける少女(1983年)のワンシーンです。未来から来た青年に恋をしてしまった和子(原田知世)は、記憶を消されたあとも元通りの感覚に戻れず、大学院へ進んで研究に没頭している。本来は結婚するはずだった幼馴染の吾朗(尾身としのり)からの誘いをいつも断っている和子を見て、友人たちと会って恋をして結婚しなさい、と先輩の女性研究者から心配して助言される場面です。

 

ほとんどの場合、「今やらないことをやる時」は来ないでしょう。

「忙しくて…」をあらゆる事々の「できない理由」にしている人は、自分自身が本当にやりたいことにも「忙しくて…」を「できない言い訳」にしているかもしれません。おなじ「言い訳」を探すのなら「できる言い訳」を探しましょう。「できない言い訳」は癖になっていて無自覚に発している可能性もありますので、積極的に「できる理由」を探すといいと思います。

 

===③へつづく 

 

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僕の生きる道」 ©2019kinirobotti

 「読まなかった本」について話す中村先生。

エンディングテーマ SMAP世界に一つだけの花」はドラマを優しく彩っていた。

 

 

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