ハリウッド映画だったら……
「スカーレット」NHK朝ドラ2019年10月〜2020年3月
主演/戸田恵梨香
言ってみれば、男尊女卑と父権制のなかで、自分のやりたいことを貫き通したひとりの女性の姿が描かれていた。
とはいえ、喜美子(戸田恵梨香)も妹の百合子(福田麻由子)も高校進学を諦めている。いや、女には学問など必要ないという古い頑固頭の父親・常治(北村一輝)のおかげで、諦めさせられた。
中学を卒業した喜美子は、家計を助けるため、大阪の荒木荘という下宿屋で女中の仕事をすることになる。そこで将来に繋がる素晴らしい出会いがあるのではあるが、何のために喜美子が働かせられるのかと言うと、飲んだくれ常治の無謀な行為や借金と酒代に消えていく生活費のためだ。
喜美子は信楽の実家に帰って来てからも、働き詰め。
しかし、そこで陶芸、絵付けと運命的な出会いをする。
仕事場である丸熊陶業で喜美子は、やはり陶芸家志望の十代田八郎(松下洸平)と出会い、結婚。
喜美子のモデルとなった陶芸家の神山清子。離婚した夫との結婚生活は、ドラマ「スカーレット」のなかの喜美子と八郎の離婚までの経緯をはるかに凌ぐ壮絶な物語のようだ。
八郎が喜美子の才能に嫉妬している雰囲気や、弟子の女性との仲睦まじいシーンなど、すこし実話に寄せて描かれてはいるものの、柔軟な表現に留まっている。
朝ドラなので、爽やかさは外せないのだろう。民放だったら実話に近く、いや、ひょっとしたら実話よりも過激に描くことができた、いや、描かれてしまったかもしれない。
なにより、ハリウッドだったら……、と勿体なく思った。
昨年は、男性よりも女性のほうに才能があるとき、男性優位女性蔑視社会での女性の生き方、自立について描かれた映画やドラマが何気に目立っていた。
「メアリーの総て」
「シュガー・ラッシュ・オンライン」
「天才作家の妻」
「アリー スター誕生」
etc
ゆえに、「スカーレット」もハリウッドで撮影されたらより刺激的な作品になるだろうとふと思った。
妻の才能への夫の嫉妬、浮気も含めて、ハリウッドなら巧みに描いてくれそうだ。しかも、上記のどの映画よりも明瞭な物語になりそうだ。陶芸界での女性差別、父権制、男性優位社会と女性蔑視、主人公女性の才能とその夫の醜い嫉妬、そして自立、十分にハリウッド映画に耐えられる。
朝ドラでは、喜美子の父親である常治も、夫だった八郎も、本当は優しくていい人なんだ、というありがちな日本的雰囲気に終始している。
これは朝ドラに限らず日本のドラマの常套手段だと言っても過言ではない。もしかしたら、どれほど強権でも乱暴でも無謀でも、それは愛情表現のひとつなんだ、その人は不器用だからそのようにしか立ち振舞えないのだ、と言いたいのだろう。そんなドラマ、山ほどある。これは、イジメを可愛がりと言ったり、暴力を愛情からの体罰だと言っている風潮と根底でつながっている。
寛容なのか優しいのか無知なのか分からない、おそらくは正常バイアス的自己防衛なのだろう。それは、ドラマが先か実生活が先か分からないが、現実社会のなかでもドラマ通りのことは多分にある。
周囲の正常バイアス、自己防衛感覚を証明するかのように、常治も、喜美子夫婦を助けるために最後は働き過ぎで体を壊して早死したという親としての責任を見せてはいた。だからというわけでは全くないが、常治のことを絶対的な悪人として認定しようという厳しい所感を私は持っているわけではない。のではあるが、この家族の様子は、ある種、家庭内児童虐待にあっている子どもたちが親を悪く言わない例も多々あるということに繋がる感性を想起させる。どれほど親から肉体的、精神的な暴力を受けても、良くも悪くも子どもにとっては親は親なのだ。施設に保護されると、親のところに帰りたいと言い出す子どももいる。それは、夫婦間のDVでも同様だ。子どもや妻が帰りたいからと言って、その親や夫の行為が許されるわけではない。たとえ子どもや妻がそれでいい、それが自分の人生なのだと言っていたとしても、客観的に正義ではない事柄というものは存在している。
常治が死んだとき、喜美子の人生のまだ早い時期につっかえ棒が外れてよかったという感想さえ私は持った。けれども、家族のなかで父親にいちばん逆らって自由を求めて家を出た妹の直子(桜庭みなみ)が、けっこういきあたりばったりのDNAを父親から引き継いているようだったので、常治のかわりに直子が今度は足かせになるかもしれないと私は恐れながら見ていた。その雰囲気は少しあったが過剰にはならなかったのでホッとした。
一方で、豪放磊落で頑固、そして夢追い人だった常治のDNAを引き継いでいたからこそ、喜美子は陶芸家として成功した、とも言える。
そういったことも含めて家族だ、ということなのかもしれない。喜美子は家族をずっと支えてきた。ゆえに、家に誰もいなくなったとき、気が抜けたような気分も味わっている。あれほど自由を求めていたのに。
「自由は不自由だ」という謎のキャッチフレーズが、ドラマの前半から後半までを貫いて出てくる。画家・ジョージ富士川(西川貴教)の言葉だ。
このジレンマ、パラドックス。
作者が伝えたかったことなのか。
喜美子の息子・武志(伊藤健太郎)は、白血病という病を得て若くしてこの世を去った。
その武志がある日、喜美子にこう言った。
おかあちゃんは、陶芸家としてやりたいことをやって成功したかわりに、大切なものを失ったんや。
そこまでして陶芸やっていけるか分からん。
武志が自分の将来について考えているときだ。
この「大切なもの」とは夫、つまり武志の父親のこと。
実話から想像すると、嫉妬して暴力を奮ったり浮気をしたりするような夫について、自分の成功と引き換えに失った大切なもの、犠牲にしたものとは思えない。
八郎が出ていったあと「ひとりが楽でいい。誰にもお伺いを立てなくていいから」と言って喜美子は穴窯におもいっきり邪魔されずに集中することができた。
子どものころは何をするにも父親の了解が必要だった。ゆえに高校進学もできなかった。結婚してからは夫。喜美子の才能が顕著になるにつれて、そして穴窯への執念が始まってからなお、味方だと思っていた夫の正体が見事に露見した。
ひとりが楽だと言っていた喜美子は、息子も失ってある意味本当にひとりになった。もちろん、仲間や慕ってくれる人もいるし、夫もときどき尋ねてはくるが。
喜美子がひとり居間で食事をするシーンが数回あったと思うが、いち視聴者として私は、寂寥を感じるとともに、人生とはこういうものだという感慨、そして、陶芸家喜美子というひとりの芸術家の、さらにひとりの女性の意志の強さを見させてもらったと思っている。
大切なものを失ってまで陶芸家をやっていけるかどうか……と話していた武志は、白血病という余命を宣告されている病を理由に、自分を愛してくれている女性を遠ざけようとする。愛する人がある日突然いなくなる、その寂しさを良く知っているからなのか。いずれにせよ、武志の大きな愛だ。はっきりとは描かれていなかったが、二人は最後まで一緒にいたと思われる。
夫と別れたのは、果たして成功に伴う犠牲だったのか?
成功は、何らかの犠牲を伴うものなのかもしれない。が、喜美子は、そうは思っていないように思う。もっと言えば、高校進学ができなかったことも、働いて貯めたお金で通う予定だった絵画学校への道が絶たれてしまったことも、家のために労働しなければならなかったことも、犠牲とは思っていないのだろう。それでもある時、絵を描きたいと、泣きながら爆発したので、我慢していたのは確かだ。
余談になるが昔は、女性でも実家の家計のために労働している人は意外といたようだ。「まんぷく」でも、福子(安藤サクラ)の姉・咲(内田有紀)は、働き過ぎで亡くなったそうだ(実話)。今で言うところの過労死だ。
力強い女性が力強く描かれていた、というのが私の感想。
欲を言えば、ハリウッド版「スカーレット」を見たい。