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「不適切にもほどがある!」 時をかけるダメおやじ、参上!〜昭和がいい?令和がいい?〜タイムスリップの妙 自分の死を知ったとき

 痛快だった!

 

「不適切にもほどがある」TBS金曜夜10時 2024年1〜3月

脚本/宮藤官九郎

出演/阿部サダヲ 仲里依紗 磯村勇斗河合優三宅弘城 古田新太 吉田羊 他

 

この作品には不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが

時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み

1986年当時の表現をあえて使用して放送します

 というテロップが、ドラマのなかに出てくる。

 

〜どう見ました?このドラマ

 第1話放送のあと、ちょっとネットがざわついていた。

「せやろがいおじさん」ことお笑い芸人の榎森耕助(リップサービス)は次のようにつぶやいていた。

「やっぱりポリコレが生きづらくしてるよね」的な主張を極上のエンタメ演出とともに内面化させてくモンスターバックラッシュコンテンツになりそうで怖い…

 

昭和から来た人の暴言をきっかけに思考停止したポリコレに気づく、というより「昭和の暴論が正論っぽく聞こえる」バランスになってて、結果的に変わりたくない、学びたくない人が正当化されるバックラッシュ味を帯びてる気がするんです。

 かなり批判的。まだ1話しか観ていないので最後まで観て判断しよう、とは言っていた。その後、これについては何もつぶやいていないが、最後まで観たかな。

 実は私もせやろがいおじさんと、1話目を観終わった時点では、たぶんまったく同じ感覚だったと思う。けっこう心が不愉快だったので。このドラマを観続けようかどうしよか、ちょっと考えたほどだ。

 2話目は、録画していたので…観た。視聴し続けるかどうかは2話目を観てから考えようと思った。

 2話目はなんだか良かった。面白かったし、登場人物たちがみな生き生きと描かれていると感じた。

 

 タイムマシン(路線バス)に偶然乗ってしまって、1986年から2024年へ、昭和から令和へタイムスリップした小川市郎(阿部サダヲ)。葛飾区立第六中学校の体育教師で野球部顧問。「地獄のオガワ」という異名を持つ、いわゆる昭和なスパルタ教育をする教師。妻を亡くしたあと、ひとりで一人娘を育てている。

 娘の純子(河合優実)は、バリバリのスケバンスタイル。

 

 このタイムマシンバスのなかで小川はタバコを吸う。2024年に入り込むと、その時代の人々が乗ってくる。小川はその乗客たちに敬遠され、スマホで撮影され、炎上する。表現の誇張かもしれないが、1986年でもそれ以前でも、さすがに路線バスや電車のなかでタバコを吸っている人はいなかったと思うのだが。新幹線や飛行機、そして道路では吸っていた。学校の教室でタバコを吸っている先生はいなかった。職員室ではいた。

 とはいえ、タバコをどこでも吸っている風景は、昭和だ。平成時代にその風景は消えていった。昔のドラマを観るとタバコを吸っているシーンはたくさん出てくる。今となっては「時代を感じる」。

 

 2024年の世界で渚(仲里依紗)と出会い、渚の働いているテレビ局のカウンセラーを引き受けることになる小川。昭和の感覚と新しく学んだ感覚を取り入れながら、カウンセラーとして様々持ち込まれる問題を解決していく。

 1話ごとにテーマがあって、そのひとつひとつが論じるに値いする大きなテーマ(不適切的に)だ。

 全話を視聴した私としては、当初の不愉快な感覚はまったくなく、むしろ、昭和と令和の様子が見事なコメディで描かれているな、と思った。

 

 昭和は昭和で、令和は令和で、それぞれ問題はある。

 究極的には、穏やかな世の中のために必要なのは、人の話をよく聞く、自分もしっかり話すこと、そして、互いを認め合うこと、ではないか。

 もうひとつ大事なポイントがあった。他人を自分の家族だと思うこと。ドラマのなかでは、いわゆる卑猥な表現を、小川は娘にはさせたくない、が、自分はビデオなどで楽しんでいる。それを社会学者・向坂サカエ(吉田羊)に指摘された小川がたどり着いた答えが、みんな自分の娘だと思えばいい。娘が嫌がること、悲しむことを娘にはしないだろう、と。それは娘に限らない。その人が、自分の両親、兄弟姉妹、祖父母だったら、そんなことする?ってなことはしないだろう。でも、他人だったらしてしまう。ゆえに、あちらこちらで争いが耐えない。親切がない。例えばあおり運転。あんたが煽ってるその車、あんたの母親が運転してたらどうする?

「ケアの倫理」が社会全体に働いていれば、ハラスメントなどというものは存在しなくなるだろう。そう簡単にはいかないかもしれないが、それでも、気付いた人から親切に溢れた世界を広げていくしかない。「ケアの倫理」に満ちている世界は、誰にとっても優しい世界だ。

 

〜時をかけるダメおやじ(時をかける少女

 さて実は、私がこのドラマにハマった理由は、上記の不適切な事々ではなく「タイムスリップ」なのです。

 私はタイムトラベルものが大好き。余談だが、人気テレビドラマ「スタートレックヴォイジャー」(1995〜2001年アメリカ)にはタイムスリップエピソードが数多くあり、それがとても面白い。

「不適切にもほどがある」のなかでも言われていたが、タイムパラドックス、これがややこしい。過去で何か違うことをすれば未来が変わってしまう。すなわち歴史が変わってしまう。その出来事を追っていくと頭が混乱してしまうこともある。でもそこが醍醐味だ。「スタートレックヴォイジャー」のジェインウェイ艦長は、歴史には興味ないと言って、どの時代に行ってもその時正しいと思うことをする。ドラマ「Jin―仁―」(2009年2011年TBS)では、南方仁がタイムスリップした江戸時代に成したことによって現代が少し変化する、という物語になっていた。

 

「不適切にもほどがある」では、既述したように、小川市郎がタイムマシンで1986年から2024年へタイムスリップする。

 そこで小川は、1995年に神戸で大地震があることを知り、「覚えておこう」と言う。

 ところが……。

 父と娘、小川と純子の運命。これが、なんというか、ドラマの中盤からとても切ない雰囲気が物語を包んでいくことになる。

 渚が、タイムパラドックスを警告する症状と、小川の娘の名が純子であることから、小川の娘である純子が自分の母、そして、小川が自分の祖父であることを推測した。

 渚は、自分の父親・ゆずる、すなわち純子の夫に小川を会わせる。

 純子は元気なのかと聞かれて、ゆずるは俯く。…言えない。離婚したと嘘をついてしまったが、しばらくして嘘をつき続けることはできないと判断し、渚とゆずるは全てを打ち明ける。

 小川と純子は、神戸の震災のときに死んだ、と。

 自分が生きていない時代に来て、自分と娘の人生を知ってしまった小川。

 

 いったん86年に戻った小川は、86年に留まって研究を続けているサカエにそのことを打ち明ける。自分はいいけど純子がまさか26歳で死ぬなんて……。

小川 女房が病弱だったから、健康にだけは気を配って育てたのに、全部無駄じゃねぇか、クソ。どうなるか分かってる人生なんて、やる意味あんのか。

サカエ しょうがない、こればっかりは。

小川 あんただったらどうする?息子があと9年しか生きられないと分かったら、言うかね。

サカエ 変えられない運命なら、言ってもしょうがないって思うかな。

小川 ほんとに変えられないのかね。渚ちゃんが生まれてくるところまでは悪くないんだよ、純子の人生。上出来。(写真を見せて)笑ってるよ純子も俺も。このあとなんだ、問題は、このあと、どうなるか知ってるから、知ってるのに俺は…。

サカエ そのときになったら考えるってことじゃないかな。今考えてもそのとき考えてもたいして変わらないなら、今、日々を楽しく好きなように生きたらどうだろう。

小川 だよね、すぐって話じゃない。まだ9年もある。余命9年だ。

 そして小川は、純子をタイムマシンバスに乗せて2024年へ連れて行く。純子は未来で自分の娘である渚と夫であるゆずると会う。もちろん、本当のことは秘密。

 なんだか、これも切ない。自分が子どものときに死んでしまった母、若くして死んでしまった妻に、時を経てこうして会う娘と夫。

 

 脚本家の江面賢太郎(池田成志)が執筆に関してあれこれぼやいていたときの江面と小川の対話が興味深い。

江面 完璧な起承転結。1話からの伏線を最終回でぜ〜んぶ回収して最後のピースがラストシーンでズバッとはまって、エンドマーク。

小川 回収しなきゃだめかね。

江面 だめだね。完璧主義なんだ。ずっとそれでやってきた。ゴールさえ決まれば、道筋が決まるんだよ。そしたら一気に書けるんだよ。

小川 あんた神様かね。

江面 自分のドラマに対してはそうだね。神の視点を持ってる。

小川 悪いが、そんなのは傲慢だと思うね。どうなるか、いつまで続くか分からないから面白いんじゃないの。最終回が決まらないと書けない?冗談言うなよ。俺と純子の最終回はな、決まってんだよ。

ごめんね、偉そうなこと言って。けどいつか終わる、ドラマも人生も。だから、そのギリギリ手前までとっちらかってていいんじゃないかね?

最終回が決まってないなんてさ、最高じゃん。俺にいわせりゃ、最高だよ。

 

「どうなるか分かってる人生なんて、やる意味あんのか」

「余命9年だ」

「どうなるか、いつまで続くか分からないから面白いんじゃないの」

「けどいつか終わる、ドラマも人生も。だから、そのギリギリ手前までとっちらかってていいんじゃないかね?最終回が決まってないなんてさ、最高じゃん」

 やるせない小川のセリフ。

 小川はどうするつもりなのだろう。あの日、神戸に行くのをやめるのか。その前から策略して、その日の前に純子の家族を東京へ連れて来る?純子と夫を出会わせないようにするのはダメ。なぜなら「渚っちが生まれてこなくなっちゃう」から。

 複雑な思いを抱えながら、小川は純子を2024年に連れてきてあげたのだろう。決して経験することのなかった時代に。スマホでお金を払い、写真を撮り、連絡を取り合い、動画を見る。「あれがなくなると終わるんだ」と純子に言わせ、「思い出がぜんぶそこに入ってるんだ、なくしたら大変だね」と小川に言わせたスマホ。これは現代の象徴だ。便利になって、スケバンがいなくなった世界、純子が決して経験することのない世界を、小川は純子に体験させてあげたかったのかな。

 余命9年を、小川はどう生きるのか。

「今、日々を楽しく好きなように生きる」というサカエの助言が、ベストなのかもしれない。

 今を生きる……Carpe Diem……

 それはいつの時代も変わらない人間の生きる道。

 

 シーズン2は書かない、と言われている宮藤官九郎。この先の物語は空想するしかないのかな。

 

 印象的に聴こえてくる音楽(劇伴)。あれ、原田知世の「時をかける少女」に寄せていますよね。「時をかけるダメおやじ」だもんね。

「不適切にもほどがある」小川先生 ©2024kinirobotti