やっぱり面白い!
脚本/福田靖
出演/安藤サクラ 長谷川博己 松坂慶子 内田有紀 松下奈緒 要潤 大谷亮平 岸井ゆきの 他
なんとなく観たくなって、NHKオンデマンドで観た。
そうしたらなんと、テレビで再放送していた。
放送当時も面白かったが、再視聴でもやっぱり面白い。どんどん先へ先へと観てしまってとまらない。
いくつか発見があった。
あれ?「らんまん」?と思ってしまった出演俳優がけっこういた。松坂慶子、要潤、今野浩喜、前原滉、小松利昌、奥田瑛二、牧瀬里穂。
松坂慶子は「まんぷく」では主人公の母親、「らんまん」では主人公の祖母。要潤は「まんぷく」では主人公の義兄、「らんまん」では主人公と深く関わる大学教授。牧瀬里穂は「まんぷく」では主人公たちが通う喫茶店の経営者、「らんまん」では主人公の妻の母……という具合。「らんまん」を観たばかりだったので、ちょっと錯覚しそうになった。
もうひとつの発見は、なんともお恥ずかしい私自身の勘違いなのである。
2シーンほど、大きな記憶違いをしていることが判明した。
まず、序盤の終わりあたり。戦争が激しくなって疎開をしようということになる。ところが、福子(安藤サクラ)の母・鈴(松坂慶子)は、自分は武士の娘だからと家に残ると言ってきかない。その鈴を福子と夫・萬平(長谷川博己)が、ここにいては危ないと懸命に説得する場面。その場面を私は、空襲のなかの場面だとばっかり思っていたのだ。すなわち、爆弾が落ちてくるなかで毅然としている鈴に、「おかあさん、逃げましょう」と叫んで必死で連れ出す、といったシーン。ありありとした映像が私の脳裏にあるのである。
再視聴して、え?と我が目を疑った。こんなに静かなシーンだったんだ。姉の克子(松下奈緒)の家族も疎開するので自分たちも疎開しようと先手を打っての行動だった。どうして爆弾が降ってくるなかのシーンだと思い込んでいたのだろう…我ながら不思議でならない。しかもあのありありとした記憶のなかの映像は…逆にすごい…。
もうひとつは、物語も終盤、「まんぷくヌードル」(カップヌードル)を売り出すエピソード。
実話として、銀座の歩行者天国(1971年11月)のブースで販売して、大好評。歩きながらカップヌードルを食べる若者たちの様子がニュース映像に流れたのは有名な話だ。もうひとつ有名な話があって、そのあと1972年2月「あさま山荘事件」が起きた際、機動隊員が雪山のなかでカップヌードルを食べる姿が生放送のテレビ映像に流れた。「あれは何だ?」と世間の耳目を集めることになり、カップヌードルはいよいよ日本国民に広く認知されるにいたった。
1972年2月19日、連合赤軍が軽井沢の「あさま山荘」に人質をとって立てこもった。山荘を包囲する警察官の非常用食料として「カップヌードル」が配られ、それを食べる様子がテレビ中継でくりかえし映し出された。その後、「カップヌードル」は火がついたように売れ、生産が追いつかなくなった。
(NISSINホームページより)
歩行者天国は銀座ではなく大阪に変えられてはいたが、間違いなくこのシーンはあった。
「あさま山荘事件」のエピソードがいつまでも出てこない。あれ?え?と私はまたもや我が目を疑った。なんと、「あさま山荘事件」がドラマに組み込まれていると、ずっと勘違いの記憶をしていたのだ。なんというか、けっこう劇的なエピソードなだけに、これは外せないだろうという個人的な期待と価値観が、全く違う記憶を植え付けていたようだ。居間で「あさま山荘」に犯人がたてこもり、警察官が雪のなかで作戦を練っているライブ映像をテレビで見ている福子と萬平の家族、現場にカップヌードルを送ってあげようと言う萬平、みたいなドラマの映像。
そうだよね。これは悲惨な事件だったわけで、それを朝ドラで肯定的に取り上げるのは、いささか不謹慎であろう。
機動隊員がカップヌードルを食べていたのは、用意された弁当が氷点下の気温ですぐに凍ってしまうためだった。
当時、長野県警機動隊員だった箱山好猷(よしのり)さんは「用意されたおにぎりとたくわんは寒さでカチカチになる。カップ麺を初めて食べたのはあさま山荘の現場だった」と振り返る。
まあ、でも、極寒のなかで凍てついたおにぎりを食べるより、温かい麺を食べることがいかに心身の助けになるか、という話は良い話ではあるのだが(私も凍てついたおにぎりを野外で食べたことがあるのですが、とても食べられた代物ではありませんでした。おにぎりって冬の野外に置いておくと凍るんだ、とそのときはじめて知り、以後気をつけました)。
ということで、人の記憶というのはなかなか厄介でしかも不正確なものなのだな、とあらためて思い知らされた「まんぷく」再視聴だった。「人」なんて書いてしまったが、「私」でしょうかね。
自分のなかで、何らかの別の記憶と混じらせて、まったく違う物語のシーンを勝手に創作しているということが明らかとなったわけだが、もしかしたら、他のドラマやその他でも、別ヴァージョンで記憶していることがけっこうあるのかもしれない、と思ったらちょっと怖い。
本を読んでいても、自分のフィルターを通して理解しているはずだから、筆者とは違う意味をもってきてしまうことだってあるだろう。ときに、読んだ瞬間の理解と、あとから読み直したときの感じ方が違っていることもある。それがたとえたった一文だったとしても、だ。線を引いたり、付箋を貼ったりする箇所は、大事だなと思うところのはずだが、あとで見返すと、なんで線引いたのかな、付箋貼ったのかな、と考えてしまうようなことがときどきある。そのときは感動や特別な気づきを得ているのは確かなわけだが(勢い余っていたとしても)。
ああ、人間って。いや、ああ、私って。
本題に戻る。
「まんぷく」と「らんまん」は似ている。すなわち、天才という種族の強大な情熱と熱中(熱狂)と集中力。これは天性のもの。あとから学習したり身につけたりできるものではなく、すなわち、誰にも真似できるものではない。
ゆえに、彼らの子どもたちは、いささか冷めている。「まんぷく」のなかでは、萬平の息子は自分の父親に付いて行けない様子だった。そして、自分の父親の天才性をあまり理解していない風でもあるように描かれていた。
萬平にも万太郎(神木隆之介)にも、何があってもじっと見守ってくれて応援、協力してくれる妻がいた。この妻の存在が大きい。
加えて、萬平も万太郎も、自分を信じている。自分の信じた道を行く。確固たる信念を宿している。これはタロットカードに当てはめると「No2女神官」のエネルギーだ。信じた道を行くことが使命。逆に言えば、信じもしない、信じることもできないことをしてしまうと、間違った道で倒れてしまうことになる。
世の中の人を助けたい、幸せにしたい、という思いから萬平は、発明、研究を続け、即席麺という画期的な食品を生み出した。しかも栄養のことまで考えている。
その妻である福子に焦点を当てつつ、萬平、すなわち安藤百福の戦前から戦後の高度経済成長期までの苦難困難と大活躍を、コメディタッチで描いた「まんぷく」。
また観るかもしれない。
追記
カップヌードルの開発過程が分かって面白かったし、勉強になった。
芦田愛菜のナレーションはexcellent!だ。当時、若干14歳。
天才子役は今も健在。今シーズン(2024年1〜3月)のTBSドラマ「さよならマエストロ」でもいい味を出している。CM出演の多さには圧倒されっぱなしだ。