なんか、ちょっと、すごく良かった。
「下剋上球児」TBS 日曜夜9時 2023年10月〜12月
小日向文世 松平健 山下美月 明日海りお 他 生徒(球児)たち
TBS日曜劇場。このひとつ前の作品「VIVANT」が大ブームだったので、次のこのドラマがどうなるかな、といささか不安だった(なぜ不安かというと、鈴木亮平のファンなので)。
加えて、予告を見ると、どうやら野球の話らしい。いまさら野球青春ドラマ?面白くなさそうだな、と、申し訳ないがちょっと思った。
それでもとにかく、1話目は観ようということで観た……あれ?なかなか面白そうじゃない。そして最終話まで、飽きることなく、突っ走りました。
ドラマに出てくる越山高校のモデルとなったのは、三重県立白山高校。原作は、白山高校が2018年夏の甲子園に初出場するまでの軌跡を描いたノンフィクション作品。とはいえ、ドラマのストーリーはほとんどオリジナル。原作にインスピレーションを受けた、とのこと。
とはいえ、南雲先生(鈴木亮平)が実は教員免許を持っていなかった、というストーリーは、モデルとなった高校と教師には迷惑な設定だったのではないだろうか。私も一瞬、え、そんな先生が本当にいたの?と思ってしまったので。
このドラマは、たった3ヶ月の放送のなかで、けっこう深い内容を秘めていた。
長文なので、興味のあるところからお読みください。
①登場人物たちの心の傷
②資格と仕事
③ペイ・フォワード(Pay It Forward)
④夢
⑤生徒たちの夢
⑥運命〜犬塚翔と根室知廣
⑦裏切り(良くも悪くも)
⑧兄弟・姉弟愛
⑨師弟愛
⑩女性たち
⑪俳優たち
⑫演出
⑬悪人や事件で対立軸を過度につくらない〜ドラマの影響
①登場人物たちの心の傷
上に書いた通り、南雲先生(野球部監督)は、教員免許を偽造して教師になった。
南雲の妻の美香は、離婚して連れ子とともに南雲と再婚。
山住先生(黒木華/野球部部長)は、前の学校でちょっとした問題に巻き込まれて越山に来た。さらに、野球が大好きなのだが「女性」であることに不利益を感じてきた。
大地主の犬塚(小日向文世)は、ただのバカ息子だと言われてきたと、自分を卑下している。ついでながら、孫の翔(中沢元紀)は、野球強豪校の星葉高校からスカウトが来たものの、学業成績が芳しくなかったために入学できず、意気消沈したまま越山高校に入った。
そもそもこの物語は、翔が越山に入学したことを機に、祖父の犬塚が空き地にグラウンドをつくって越山野球部を強化し星葉を打ち負かしてやる、という犬塚の個人的遺恨から始まる。
②資格と仕事
南雲先生は教員資格を持っていなかった。
三重県立越山(えつざん)高校に赴任して3年目の社会科教員。大学まで野球一筋でやってきたものの、怪我をきっかけに引退。大学中退後はスポーツトレーナーとして働いていたが、教師になる夢を捨てきれず、32歳で大学へ再入学し教師になった。
(TBS「下剋上球児」ホームページより)
教員試験には受かっていたが、大学の卒業単位が足りていなかったことが判明し、免許を取得することができなかった、という経緯。家族を守らなければ、という思いからか、公文書を偽造してしまう(この経緯は唐突といえば唐突。留年して単位を取ればいいのだし、と普通に思う〜一年留年するには経済的に厳しかったのか〜が、それではドラマは始まらない)。
このドラマを、教師版の「ブラック・ジャック」だと言っている人がいた。なるほど、その視点もあるかもしれない。
「資格ってなんだろうな…」と生徒がつぶやくシーンもあった。
資格を持っているからといっても、みんながみんな立派な医師だったり教師だったり保育士だったり警察官だったり美容師だったりするわけではない、というのが世の中だ。ろくでもない医師、教師、保育士、警察官、美容師だっている。そこにあるのは、魂、心、精神の問題なのだろう。
技術やペーパーテストが得意で良い成績を収めることができれば資格試験(国家試験)には合格する。心のテストはない。適正検査的心理テストはあったりするものもあるのかな?確か運転免許の講習でもあったな。
「ブラック・ジャック」も先ごろ放送された「Get Ready!(TBS2023年1〜3月)」も、主人公の外科医としての技術は最高峰。しかしそれだけではない、というところがミソなのだろう。
南雲先生のように真摯に生徒と向き合う教師は、おそらく貴重だ。仕事が自分自身を体現している、と言っても過言ではない。それは生い立ちと深くかかわっているのだが(これはあとで述べる)。
南雲先生の実は無免許でしたという背景は、「資格って何ですか?」と問い掛けてくるこのドラマの社会性も垣間見せてくれている。
ちなみに、教員不足を鑑みて、令和3年(2021年)から、教員採用が緩和された。大学3年生で採用試験を受けることができたり、教員免許を持たない社会人の採用も全国に広がっている。東京都の場合は2023年度から、教員免許を持たない25歳以上の社会人でも教員採用試験が受けられる。ただし、合格から2年以内に教員免許を取得する必要がある。それまで教壇には立てない。(トレンドニュースより)。
このニュースを聞いたとき、え?と耳を疑った。そんなんでいいんだ。教師って聖職だよね、と。
いずれにせよ、何が大事かといって、教師をやろうとする人物の資質、性質、人格なのではないか。俗悪で低劣な人間が紛れ込まないようなシステムこそが必要なのではないか。免許、公的資格さえあればいいのか?という疑問は依然として残る。
実は、越山高校の校長(小泉孝太郎)は、民間校長。進学塾で働いていた。教員免許を持っているのかどうなのかその当たりは分からないが、民間校長のシステムは、あらゆる分野の人間の能力を学校に活かしてほしいという趣旨なのだろう。
民間人校長
教員免許状を持たず、教職経験もなく、公募方式で任用された校長。
(コトバンク)
③ペイ・フォワード(Pay It Forward)
南雲の生い立ちは過酷で、両親が借金を抱えて行方不明になっていた小学校低学年のとき、担任の先生に引き取られて育っていく。教師を志したのは、自分が先生に恵まれ、助けてもらったことへの恩返しの気持ちも大きい。
越山野球部の根室(兵頭功海)の両親は事故で他界。姉(山下美月)が家計を支えてきた。その根室に、南雲が自らが使用していたグローブを差し出す。何もお返しできないからもらえないと躊躇する根室に、
「おとなんなってから誰かになんか返せばいいんだよ」と言う南雲。
これはペイ・フォワード(Pay It Forward)だ。日本では「恩送り」とも言う。
「誰かからもらった善意、助力、親切を別の誰かに渡す」という意味。それがどんどんつながっていったら世界中の人が幸せになる。
南雲が教師を目指したのも、まさしくペイ・フォワードだったのだろう。自分がしてもらった良きことを、今度は自分が教師になって生徒たちに返していく。
実は世の中はそうやって動いているはずなのに、往々にして、多くの人たちが頂いた善意を自分のところで止めしまう。自分さえ良ければいい、という新自由主義の風潮が蔓延している。
このドラマでは、善意の素晴らしさがあらためて描かれていた。
加えて、根室のように、遠慮深い人間は、人から何かをもらう、してもらうということにためらいがある。根室も言っているように「お返しできない」から。
お返しできないと思うと、プレゼントというのはなかなかしんどいものとなる。けれども、AさんからもらったものをAさんに返すのではなく、たとえばいつでもいいからどこかで誰かに返すのであれば、心の負担は軽くなる。さらに、それは生涯を通じてできることなので、お返しは10年後かもしれないし、30年後になるかもしれない。そんなペイ・フォワードを、自覚的でも無自覚的でも、たくさん実践しながら私たちは生きている…はずだ。
④夢
野球は球児たちにとっても監督にとっても夢だ。
家庭科の山住先生にとっても野球は夢だった。高校野球オタクでもあった。女性なので、入れる野球部はなかった。
南雲先生にとっても野球は夢だった。星葉高校の野球部監督・賀門(松平健)は、南雲の恩師、高校時代の野球部の監督。甲子園を目指していたが、最後の最後に、賀門の作戦に抵抗して、甲子園行きを逃した。
大地主の犬塚の印象的なセリフがある。みんなが自分をバカにしている、犬塚のバカ息子と会社でも近所でも言われているのは知っていると言う犬塚。
死んだおやじだって私をバカ扱いだよ。おまえはいっさいなんもすんなって言って、何もさせてくんなかった。何もしないでただただ年取っただけ。
ひとつぐらいさ、なんか成し遂げたいと思っちゃいけないの?
(南雲)いや、いけなくないです。
そう思うならいっしょにザン高勝たせよう。
いつも横柄で開けっ広げな犬塚の、悲痛な胸の内が明かされた瞬間だった。
「何もしないでただただ年取っただけ。ひとつぐらいさ、なんか成し遂げたいと思っちゃいけないの?」極端だが、似通った思いを持っている大人たちは、日本に世界に、意外といるように思う。
「成し遂げ」なくてもいいけれど、若い頃にできなかったこと、諦めたことを、リタイアしたのちにやろう、実現しよう、と考える人は多くいると思うし、そう思うならやったほうがいい。それは中年期にも言えることだ。
このセリフから垣間見えるのは、犬塚が親の支配下にあって自由に動けなかったという気の毒な背景だ。
ちなみに、犬塚の青年時代の夢は実はミュージシャンだった、という仰天な事実も物語中盤で判明する。犬塚ではなく、犬塚を演じる小日向文世の風貌からすると意外?なのだが、こういった感じの元バンドマンのおじさん、おじいさんたちは世の中に大勢いるかもしれない。
複数の無念を抱えてきた犬塚だからこそ、孫の翔への思い、やりたいことをやらせてあげたい、夢を叶えさせてあげたいという気持ちが強いのだろう。その孫のために空き地に「犬塚ドリームグラウンド」を建設してしまったのだから。さすが大金持ちのやることはすごい。名称に「ドリーム」と入っているところに、犬塚の本音が滲み出ているようで、一抹の切なさを感じないでもない。
余談だが、翔の母、すなわち犬塚の娘(明日海りお)は、そんな家族のなかでどのように育ったのだろう。冷静で善人のようにみえる。その夫で犬塚開発の社長は、養子なのだが、この人もまたおだやかで善人のようだ。この夫婦にはまったく驕り高ぶりはない。
犬塚は、少なくとも自分の娘を縛り付けるようなことはなかったのかな、と想像できるのだが、いかがだろうか。父親の暴走気味の地域貢献に振り回されては、冷静になるしかないという現実もあったかもしれないが、自分がしてほしくなかったことを娘にすることはなかったのかもしれない、というストーリーを私は組み立ててしまう。その分、穏やかに育ったのかな。そう考えると犬塚は良いお父さんだ。
⑤生徒たちの夢
弱小高校の野球部に入ってきた生徒たち。高校で野球をやっていて甲子園を目指さない人なんているのか?
彼らの夢はまずは地区優勝そして甲子園。
その夢は叶った。
南雲の小学生の息子(番家天崇)が「みんな野球選手になるの?」と尋ねるシーンがある。
決勝まできた球児たち、一瞬息を呑む。
そして3年生は、夏の試合が終わったらそのあと何をしたらいいか分からない。
この辺りにはちょっと寂しさがつきまとう。高校球児のそのほとんどがプロ野球選手にはなれない。
大学で野球をする人もいるだろう。会社で野球を続ける人もいるだろう。学校や地域その他で野球をしたり、コーチや監督をする人もいるだろう。別のスポーツをやったり、スポーツ関連の仕事をする人もいるだろう。まったく野球と関係ない仕事、生活をする人もいるだろう。
最終話ではそれが判明する。みんな生き生きとして幸せそうだ。
じゃあ、何のために野球やんの?そこから学ぶことはたくさんある、と南雲先生は言う。
⑥運命〜犬塚翔と根室知廣
このドラマを観はじめたとき、学力不足で星葉に落ちた翔のリベンジ物語が話の骨格にあるのかな、と思ったが、最終話まで観てようやく気づいた。これは根室の成長物語だったのだ、と。
根室は弱々しい青年。家が貧しく、アルバイトもしている。家が学校から遠く、フェリーと電車で片道2時間かけて通っている。部活の練習時間は自ずと削られてしまう。野球は大好き(これは南雲先生が見抜いている)なのだが、挫折しかかる。そのとき南雲に助けられ、グローブまでもらって励まされる。100キロくらいのスローボールをサイドスローで投げる。速度は遅いが、センスはいい。最後には140キロの球を投げるピッチャーに育つ。
星葉に勝った準決勝のあと、根室はとある大学からスカウトを受ける。姉からは大学へ行って野球を続けたらどうかと進められていたが、働いて家計を助けると決めていた根室。決勝戦の前日、姉に、わがままを聞いてほしい、大学のスカウトを受けていいかと尋ねる。奨学金も出るらしい、と。もちろん姉は喜んで賛成する。
そして2023年、最終話で、根室が社会人野球の選手になっていることが分かる。いわゆるプロ野球選手ではないが、野球でお金をもらって生活している人、になった。
一方で、星葉に勝って甲子園へ行くことで、翔と祖父のリベンジ物語は幕を閉じた。翔は根室の才能に気づいていた。翔は他にやりたいことがあると言って、大学へも進まなかった。2023年の時点では、越山野球部のコーチをやっている。リトルリーグからいっしょだった星葉の部員はひとりプロになっている。
ある意味、この二人は興味深い運命の出会いだ。
視聴者からすると二人の人生は逆転している。1話目では、翔がいずれはプロ野球選手になるのだろうと予感させるような雰囲気だった。2話目で根室がクローズアップされ、上記のようなやりとりもあり、南雲から励まされる。
翔と根室は、対称性を持っているキャラクターだ。裕福な家とそうでない家、一方はリトルリーグ時代から有望な選手、一方は自分に自信のない野球を続けようかどうしようか迷っている生徒。
この二人を見ていると、なにやら運命というものを感じざるを得ない。二人の人生の成り行きは、運命としか言いようがない。こうなるだろう、と視聴者が(安易に)予想できる方向へは行かなかったのだから。
そして何よりも、二人の青年の運命を変えたのは南雲だ。
根室には熱心に野球を続けることをすすめた(ピッチングフォームについてもサイドスローからオーバースローに変えさせる。入部当時から球速は30キロも伸びた)。根室は次第にたくましくなっていく。
翔の実力については誰よりも認めており、地区大会では、星葉との準決勝でさよなら2ランを打つ機会を与え、決勝では試合の最後を抑えるピッチャーとして登板させている。
この3年間の経験のなかで、翔はプロになるとか大学や会社で野球を続けるよりも、別の道があることを悟った。それは、南雲の背中をずっと見ていたからだ。地区大会決勝での南雲の采配や指導をおそらくすばらしいと翔は感じている。それはベンチのなかで、南雲のほうに視線を遣る笑顔の翔が映る一瞬のシーンに現れていたと思う。そして、もしかしたら、翔は自身の野球選手としての能力の限界を感じ取っていたのかもしれない。
さらに興味深いのは、2023年冬、翔が山住先生から、教師にならないかとすすめられるシーンだ。先生のなり手が少ないらしい、と。大学を出ていないと言う翔。今は検定試験に受かればいろいろ方法がある、向いていると思う、と山住。翔は「教師か…」と笑顔を見せ、決意したようだ。そもそも勉強が苦手だった翔。スカウトが来たにもかかわらず学力不足で星葉高校に入れなかった。その翔が、検定試験を受けて教師になろうとしている。加えてこのシーンは、南雲の問題(事件)を連想させる。
南雲を介在した翔と根室の人生ドラマは、非常に興味深いものとなっている。他人から知らされ、そして自覚していくシンクロニシティ。
⑦裏切り(良くも悪くも)
教員免許偽造によって、南雲はこれまでお世話になった人々を裏切ってしまった。お返ししたかったのに、真逆になってしまった。
実はもうひとつの裏切りがある。
南雲は高校生のとき、賀門監督のやり方をよくないと思っていた。どんな手を使っても勝つ。例えば、強打者を徹底して敬遠する作戦などで地区大会を勝ち上がっていく。世間からも騒がれた。その手法について南雲は抗議し「決勝は正々堂々と戦いたいです」と願い出た。賀門もそれを認めたが、結果、敗退し甲子園への夢は途絶えた。
2018年、地区予選決勝。越山と伊賀商業との決戦。
8回表2点ビハインド。南雲は球児たちに向かって話す。
みんなに相談がある。こうなったら絶対に勝ちたくなってきた。
どんな手使ってもいいか?卑怯な手でも、姑息な手でも、連続敬遠したっていい。
どんな手使っても勝ちたくなってきた。スポーツマンシップにのっとってない。そう言われるかもしれない。それでもいいか?
誰がそんなこと言うのか。ルールにのっとってれば姑息もセコいもない。何言われたっていい。あるもん全部でやるしかない。…生徒たちは口々に言う。
使った手が、なんとチームで一番の俊足である久我原(橘優輝)が、盗塁をしかけ途中で転ぶ。その間にサードランナーがホームイン。
このシーンをはじめて見たとき、まさか作戦とは思わず、あ〜転んじゃったぁ、と私は思った。でも録画をしっかり見ると、上記の南雲の宣言、そして久我原を代走で出すときになにやら南雲が囁いて指示をしているのからして、これはやっぱり作戦なんだ、と合点がいく。視聴者には瞬時に分かりにくいかもしれないからなのか、放送席は「ここは久我原わざと躓いたようだ、トリックプレーをみせた」と解説し、相手チームの監督も「なんちゅう手にひっかかんとんや」とベンチで叫ぶ。しっかり演出されている。
この南雲の正々堂々ではない作戦は、ある意味で、恩師である賀門への裏切りとなっている。同時に、当時の賀門の気持ちを南雲が理解した瞬間、だったのかもしれない。
⑧兄弟・姉弟愛
日沖誠(菅生新樹)と日沖荘磨(小林虎之助)。
バッティングセンターで地元の会社員たちにからまれて、乱闘騒ぎに発展してしまった。弟の荘磨を助けようとした兄が、相手を突き飛ばして怪我をさせてしまい、さらに咄嗟の判断で弟が兄をかばって自ら罪を負う。その後、南雲先生の真相追求や計らいによって事なきを得たが、兄の誠は今回の責任を取って夏の地区大会には出場しないと宣言。裏方に徹すると言う(3年生なので最後の夏なのに。部員が集まらないときにもたったひとりでがんばってきたのに)。その試合を観戦していた荘磨は、なぜ兄が出ないのかと校長に詰め寄る。校長の説明を聞き、悔しい思いを隠せない荘磨。そして、荘磨はその夜、髪を短く切り、野球部に入ると宣言する。
行ったり来たりしながらも、この二人の兄弟愛はバッチリ熱い。
姉の根室柚希(山下美月)と弟の根室知廣(兵頭功海)。上にもすでに書いたが、事故で両親を亡くし、柚希は知廣の親がわりとなってきた。貧しくても姉弟で力を合わせて暮らしている。姉は弟のことを、弟は姉のことを、いつも慮っている。知廣は、お金がかかってしまうから野球を諦めたほうがいいのでは、と悩んだりする。
片道2時間の通学は大変だろうと、南雲先生が自分の家に泊まることをすすめる。けれども自分とかかわると世間から非難されるかもしれない、と気遣う南雲。そのとき、柚希が「私は弟が信じる人のことを信じとります」と言い放った姿は、毅然としており、なおかつ弟への強い想いが示された素晴らしいシーンだった。姉弟の深い信頼と愛が浮き彫りになった瞬間だった。
⑨師弟愛
南雲と野球部員たち全員。
南雲と賀門監督。
山住先生と部員たち。
もうひとつ。南雲が越山高校に赴任して早々に向き合うことになった女生徒(新井美羽)。南雲の献身的な努力で立ち直ってくれた。
忘れてはならないのは、南雲を育ててくれた小学校の担任、寿先生(渋川清彦)。親代わりとなって、生活のことから人生まで、多くを教えてくれた。南雲の原点がここにあると言っても過言ではないだろう。
⑩女性たち
登場する女性たちが、みな泰然自若として美しかった。「らんまん(2023年前期NHK朝ドラ)」の女性たちもそうだった。これは最近の傾向なのか。だとしたら良い傾向だと思う。
黒木華演じる山住先生。
井川遥演じる南雲の妻・美香。
明日海りお演じる翔の母で犬塚の娘・杏奈
新井美羽演じる、南雲がはじめて生活指導した生徒・越前恵美、も然りである。
みな、何かに甘えたり、責め立てられたりして身を引いたり、やたらと我慢したり、遠慮したり、卑下したりしない。
⑪俳優たち
すばらしい配役だったと思う。大人たちをベテランの演技力抜群の役者で固め(本当にみんなうまかった)、生徒たちはほぼほぼ新人だ。
この若手俳優たちの2024年が楽しみだ。みなそれぞれに有望性を感じる。さまざまに活躍してくれそうな気配だ。
鈴木亮平、黒木華、井川遥、小日向文世他、ベテラン俳優の演技が素晴らしいのは当たり前として、根室の姉を演じた山下美月が、ベテランに負けず劣らず良かった。
「舞いあがれ(2022年NHK朝ドラ後期)」「スタンドUPスタート(フジテレビ2023年1〜3月)」で、その実力を見せてきた山下。すっかりベテランの域に達しているかのようだ。ひとことで言って「うまい!」。弟役の兵頭功海とともに、根室姉弟の深い愛をしっかりと視聴者に伝えてくれた。山下の2024年も楽しみである。
加えて、忘れてはならないのは、寿先生役の渋川清彦、越前役の新井美羽。静かに際立っていた。
余談になるが、南雲の息子役の番家天崇は、同じ日曜劇場で放送された「テセウスの船(TBS2020年1〜3月)」で、すでに鈴木亮平と親子を演じている。
⑫演出
物語冒頭から、越山高校が南雲監督のもと、2018年の夏に地区大会で優勝して甲子園へ行くことは明かされている。これは、行けるのかどうなのか、南雲はどうなるのか、というところにナラティブを置かず(描きたいのはそこのハラハラドキドキではない)、そこまでの過程を描き、またその過程に集中して視聴してほしいというスタッフの思いからの描かれ方だということだ。その点、確かに見やすかったし、見応えもあった。
登場当初から球児たちの2018年のポジションがテロップで紹介されるのもgood ideaだと思った。
結末が分かっていて、その物語の始まりに戻って再び結末へと辿っていく手法は、実は人生ということに思いを馳せたとき、運命を感じたり、読み解いたりするすばらしいナラティブとなる。人生の成り行きと、加えて、諦めないことの大切さも十分に描かていたと思う。
試合のシーンは、実際の試合を観戦しているかのようだった。臨場感溢れる場面のつながりで、撮影と編集はなかなかのものだと、素人ながら感じた。
たった2年ほどの間に越山高校野球部が急に強くなった経緯が分かりにくく、そうなる必然性を感じることができないのでドラマに入り込めない、という感想を述べている人もいたが、私は、その意見はまさしくこのことだな、と思って興味深かった。
アリストテレスが指摘したように、人は虚構表象(フィクション)のなかのできごとにたいしては、必然性を求めるという傾向があります。必然性の感じられない重要事件がフィクションのなかに出てくると、ついつい「出鱈目だ」「ご都合主義だ」などと言って、説得力が減じると考えがちなのです。
いっぽう、非虚像表象(ノンフィクション)のなかの意外なできごとに対しては素直に驚き、「事実は小説よりも奇なり」とはこのことだなあ、などと言ってはそれを受け入れます。
(千野帽子「物語は人生を救うのか」P54〜55)
とはいえ、このドラマは実話に基づいているのですが。
テーマ曲Superflyの「Ashes」は、このドラマとすばらしく合っていたと思う。
⑬悪人や事件で対立軸を過度につくらない〜ドラマの影響
とても見やすいドラマだったことの理由のひとつに、二項対立を必要以上に際立せないことがあげられる。
最近のドラマは(いや昔からかな)、主人公と敵味方を目立たせて、面白おかしく視聴者を引き付ける手法が目立つ。同じ日曜劇場だと「半沢直樹」シリーズが分かり易いだろうか。
「下剋上球児」には、それがない。まったくないというわけではもちろんない。現実世界ではいい人ばかりではないのだから、うそは描けない。
南雲先生の教員免許偽造が発覚したあと、世間には冷たい目があり、それも描かれている。息子が学校でからかわれたりするシーンもある。球児が事件を起こしてしまうエピソードもあった。南雲の妻の元夫も出てきてからんでくることもあった。
このドラマではこういったシーンには、ごく自然に必ず救いが伴っていた。がんばれよと言ってくれる人、やめなさいよと言っていじめっこを追い払ってくれる同級生、卑怯な出来事があってもそれを公正に引き戻す力…などなど。
多くのドラマでは、泥沼的様相を醸し出すことが多い。主人公をはじめメインキャラクター側が徹底して追い詰められて、ときに自分を抑え込んでいく、あるいは半沢直樹のように激しく抗戦する。
そういったストレスがこのドラマにはない。これは視聴者の心に与える影響は良いものになるのではなか、と私は思っている。実際の世の中はもっとひどいよ、かもしれないが、ドラマというのは、良くも悪くも人の気持や社会に影響を与えるものだ。ゆえに、より平和な世界を描くことで、世の中も平和になっていく、ということはあるはずだ。少なくともこのドラマを観たあとに、誰かを傷つけたくなったりする人はほとんどいないはずだ。
加えて、それぞれの登場人物たちが、悩んだり、疑問を持ったりはするけれど、みな自分を見失うことがない。互いに認め合い、励まし合っていく。
生徒たちも、変につっぱっていないところも良かった。みんな素直でいい子だ。
同じ野球ものでも「ROOKIES(ルーキーズ)(TBS2008年7〜9月)」は、面白かったが、けっこう痛いシーンがたくさんあった。そして生徒たちがずっとギスギスしていたと記憶している(川藤先生(佐藤隆太)の「人の夢を笑うな!」はナイスなセリフだった)。
他にも語るべきところはまだまだあり、できれば1話ずつ身勝手解説をしたいほどだが、このあたりでいったん筆を置きます。またいつか、その機会があれば。
兎にも角にも、さまざまな視点から好感の持てる秀作、力作だったと思う。
全登場人物にとって、この物語は下剋上だったのだろう。そして、本当の自分自身になるために諦めないということはどういうことか、を訴えかけてくる。
長くなったが、最後に、地区大会優勝報告会での南雲監督のスピーチから。
負けてもそこで終わりじゃない。必ず次がある。
次を目指してる限り、人は終わらない。
このドラマと制作者、そして出演者の皆様に拍手を送りたい。