ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

WBCという「運命の輪」を回した監督と選手たち〜ヌートバーの夢語りプレリュードから大谷vsトラウトのフィナーレへ

「運命」というものがあって私たちの人生の全てが決まっているとしたら……ならば、私たちが日々為(成す)ことは無意味なんだろうかという疑問が、おそらく大多数の人々の心に湧くだろう。

 

 これは何という言葉で表現したらよいのか。―2023WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本優勝のストーリー。

 日本人なんで、負けるより勝つほうが嬉しいに決まっているし、応援もしていた。けれども、優勝が決まったときの感情は歓喜と同時に驚愕も大きかったように思う。素晴らしいとか良かったねとか、嬉しいとか感動したとか、やった〜とか、そういった叫びは、感情の言語化としては月並みで平凡で物足りない、そんな感覚だ。

 ただ「勝った」ということだけではない「別の何か」がそこにはあった。私にとっての「別の何か」は「運命」という神秘的なワードだった。

 

 日本のメディアでは、ドラマを超えるドラマ、軌跡、偶然にしてはできすぎ、野球の神様が……、ハリウッドの台本か?などなど、様々な感嘆の声が飛び交っていた。それほどの「え?」ってなことが、この大会期間中に起こり続けていたのは確かだった。

 そこには明らかに「物語」があった。

「物語」などと言うと、何にでもストーリー性をもたせて視聴者を感動させたり、誘導したりする手法、というネガティブな評価も昨今のメディアに対する感想としてはある。それは昔からあるのだが、受け取る側もその心理性に気づいてきた、というところだろうか。いわゆる「お涙頂戴」がよい例である。それは詐術的手法としても十分に機能する。

「物語」にはそのようなネガティブな側面もあるにせよ、そこに「物語」が存在していたことは、どうしても否定できない。

 決勝戦で日本とアメリカが対戦できるように多少の操作はできたとしても、さすがにここまでのドラマチックなドラマは操作できないだろう。アポロ11号の月面着陸が全部やらせだったという都市伝説のように、本当に全てが実は映画だったとしたら、ものすごく優秀なスタッフと俳優(選手)たちの、NGのない最高の出来の撮影だったということになる。おそらく、そちらのほうがあり得ない。

 故にドラマを超えているのである。そして、ドラマなどを観ていると「こんなことあるわけないじゃん」「都合いいな」と思わず批判したりするシーンにしばしばぶち当たるものだが、ドラマのようなこと、ドラマチックなことは実際に起こるのだ、ということが私たちの心に刻まれた。

 

 私は占い師なので「運命」についてはしばしば考察する。

 え?占い師なんだから占えるだろうって?まあ、そういうこともあるだろうが…、私はばっちり占ったりはしていないが、準決勝のメキシコ戦に関してはなんだか心配になって、その日の朝タロットカードを引いてしまった。勝つ、と出た。でも最後の最後まで、当たらなかったのかなぁと思っていた。ちなみに、どこかのインコは日本が優勝すると予言していたようだ。

 

「運命論」哲学は、私の執筆テーマのひとつでもあり、これからじっくり書いていく予定なので、考察中の今、WBCでの日本チームの劇的なストーリーは私の探究心を刺激してくれた。

 私には、メディアから得る情報しかないのだが、この度のこの奇跡的な流れを追っていくと、その始まりが見えてきた。

 それは、ラーズ・ヌートバーである。日本人の母親を持つメジャーリーガー(カージナルス)だ。

 各チームに登録されるためには次の条件を満たす必要がある。
・その国で生まれた。
・その国の永住権、国籍を保有している。
・両親のどちらかがその国で生まれた、または永住権、国籍を保有している。

(日刊スポーツ)

 候補は数名いたそうだ。私は大谷ファンでエンゼルスファンなので、昨年引退したエンゼルスの捕手カート・スズキが日本チームで出場したら面白いな、などと思っていた。大谷もカート・スズキとそんな話をしていたそうだ。

 数名いる候補のなかから、ヌートバーが選ばれた。最後の候補にもうひとり残っていたそうだが、彼は祖父母が日本人ということで資格条件を満たさなかったそうだ。もちろん、これも運命のひとつだ。

 ヌートバーが日本代表メンバーに選出されると、彼が8歳か9歳くらいのときの映像がテレビニュースや情報番組で流れだした。

 彼は「高校日本代表チーム」がアメリカに行ったときに、日本チームのバットボーイを務めた。ヌートバー家は高校生たちのホストファミリーでもあった。試合中ベンチにいる彼、選手たちといっしょにストレッチをする彼の映像が映し出され、田中将大斎藤佑樹と撮った記念写真もあった。

 何より驚くのは、ヌートバーが「将来は日本の代表選手になりたいです」と、ビデオカメラに向かって声変わり前の高い声で喋っている映像が残っていることだ。

 え、そんなことってあるんだ。だって彼はアメリカ人だし、それに大学でアメフトもやっていて、野球とアメフトの道でいささか迷ったと彼の母親も言っていた。

 だとするとこの幼いヌートバーは、ある意味予言していたことになる。日本チームとともに過ごして気分が高揚していたこともあったかもしれないが、ここまで具体的に夢を語っているのだから。語ったというよりも「語らされた」と言ったほうが当たっているかもしれない。何か見えない力に。

 同時に、大谷も言っていた。子どものころに観ていたWBC。出場して優勝するのが夢だった、と。これは大谷がインタビューの度に繰り返し言っている。ヌートバーと大谷の子ども時代から、このシナリオははじまっていたのだった。

 もちろん、今回招集された全ての選手たちにも同様の夢と物語は、人生のどこかの時点ではじまっていたにちがいない。

「運命」というのは、いわゆる「引き寄せの法則」であり「シンクロニシティ」である、と私は思っている(詳細は別の機会に)。まさしく私たちは、このヌートバーの十数年前の出来事を思いがけず追体験することで、「運命」というものを、そして「希望実現」ということを、いささか神秘的に感じざるを得ないのである。

 

「希望実現」「引き寄せの法則」ということで言えば、一昨年だったと思うが、大谷が高校生のときに書いたという「目標達成シート」なるものがメディアで紹介されて話題になっていた。このような成功ツールや思考方法は、例えば自己啓発セミナーなどでは珍しくなく、使用している人は数多くいることだろう。だが、その通りに成功、実現したという人は実は少ないかもしれない。成功しないと、あなたの思いや本気が足りないとか、途中で気持ちが萎えただろうとか、責められた経験のある人もいるのではないだろうか。

 こういった言い訳をするのは簡単で、占いでも、その通りになりませんでした、と言われたとき、あなたがそうしたいと強く思わなかったからですよ、と答えることはできる。いや、だからといって、これが詐術、誤魔化しというわけではない。確かに「思いの強さ」において差が出るということは実際にあることだ。意気込んではじめても途中でやっぱりだめだ、と諦めてしまったらそれきりになってしまうのは説明を要しない。

 そういう意味でも、今回のWBCは、思いの強さと同時に、諦めないことの大切さも教えてくれたようだ。特にメキシコ戦9回裏のさよなら逆転劇。野球は9回2アウトから、とはよく言ったもので、人生も然り。

 

 ヌートバー少年の夢語りから十数年間、今回集められたメンバーひとりひとりがそれぞれの夢に向かって歩み、プロ野球選手になるという夢を叶え、その先に2023年WBCがあった。

 2021年に開催予定だったWBCは、COVID19の影響で2023年開催となった。その間に、例えば大谷はMVPを獲得し、ヌートバーはメジャーに昇格している。栗山監督は、2021年に日本ハムファイターズの監督を退任し、その直後WBCを任されることになった。

 これらは全て「運命」と言う以外に何と言えばいいのだろう。

 

 私たちの人生は選択の連続だ。その選択も細かく言えばきりがないが、大きく言うと、AとBという別れ道があったときAを選択した人生とBを選択した人生がある。その両方が実はパラレルワールドに存在している。そして無数のパラレルワールドが折り重なるようにして宇宙空間には存在している、という説もある(誰も証明できないが)。ただ、Aの世界にいるときaの道を選んだらその先を予想すること、占うことはできるし、あるいはaを選ぶだろうと予言することもできるかもしれない。すなわちそれが「運命」になるから。

 一瞬一瞬の行動、選択によって、あなたは今日事故にあうかもしれないし、それを避けることができるかもしれない。そういうテレビドラマや映画を観たことがあると思う。

 

 例えば大谷翔平がこの世に誕生したときから、この日への流れはできていた(もちろん別の道もあった)。さらに遡れば、大谷の両親が出会ったときからその道はできつつあった。

 とにもかくにも、今のところ可視化できているのは、ヌートバー少年の夢語りが大きな始まりだったのではないか、ということだ。

 もっと言えば、斎藤佑樹がのちに(今回のWBC)、ヌートバーや彼の母親にインタビュー、取材し、それをテレビ番組のなかで報告することも、この時に決まっていた。斎藤佑樹は2021年に選手(日本ハムファイターズ)を引退している。

 栗山監督も2021年にファイターズの監督を退任していることも合わせると、ファイターズ絡みのシンクロニシティは、なかなかのストレートだ。

 

 昨年(2022年)、WBCにトラウトがキャプテンという立場で出場するという情報を聞いたとき、アメリカもいよいよ本気出してきたんだなと思った。それと同時に、大谷とトラウトとの対決を見たい、見れるかも、そう思った人はたくさんいたことだろう。

 けれどもその夢の対戦は、ひとつひとつの結果が着実に「そちらへ向けて」重なっていかなければ、決して実現しない。そしてそれは、最後の最後に、偶然が必然となる奇跡を見せつけてくれた。嘘のような本当の話、神様が書いたとしか思えない台本通りの出来事を私たちは目の当たりにした。この「運命の輪」はあまりに出来すぎていて、まるで夢か幻のごとくであった。

 打者として出場している大谷が、ベンチとブルペンを何度か往復する姿。覚悟を決めたようにゆっくりと歩んでマウンドへ行く9回表。大谷のユニフォームは泥で汚れている。ストッパーのユニフォームが汚れていることはあり得ない。そして、いくつもの想像を超えたシチュエーションを経て、ドラマを超えたドラマの最終話の最終シーンが終わった。

 ここまでが、ヌートバー少年の夢語りから始まった、監督と選手たちの夢実現の物語だ。

 

 ここにたどり着くまでの間に起きた選手、監督、関係者らの無数の選択と出来事、そして願望の積み重ねが、この結果を引き寄せ、シンクロした。その経緯のなかには、行動だけではなく、彼らの発したひと言ひと言まで含まれている。すなわち言葉の力。

 形も結果もパラレル的にいくつもあったはずだ。そのなかから、大谷が言っていたように「最高の形になり、最高の結果になった」パラレルワールドに、日本チームと観衆は入って行ったのだ。

 

 俳優の長澤まさみは「こうだったらいいねっていうことを実現してくれる選手たちだった」と感想を述べていた。

「こうだったらいいね」ということが「実現する」世界とは、理想の世界だ。いや、本当はそういう社会であるべきなのだが、現実の社会、政治はその逆であることが多い。

 この野球選手たちが十数年間思い続けた夢の実現物語を通して、その意識の片鱗が、少しでも社会を良き方向へと導くパワーになってくれたらと願う。

 

「こうなってほしい」と思うことがそのまま起きる様子を、私たちは2023WBCで体験することができた。そして運命のような奇跡が起こることも知った。そのドラマチックな感覚を忘れないでいることが、私たち自身の「運命の輪」を回すときの大きな力となるはずです。

ツトムとペッパーミル ©2023kinirobotti