次のような記事を読んだ。
大阪市は20日、働き方改革の新たな取り組みとして、職場で役職や年齢に関係なく「さん」付けで呼び合うことを推奨すると発表しました。
現在市役所では、役職つきの職員は「〇〇部長」「〇〇課長」などと呼び、それ以外の職員は「〇〇さん」などと呼んでいるということです。
「さん」付けは、あくまで推奨ではありますが、これにより働きやすい職場環境を実現して、市民サービスの向上にもつなげたいということです。
企業でも上司部下役員問わず「さん」付けを導入するところがあるほか、法務省も去年、受刑者を「さん」付けで呼ぶことを決めています。
大阪市の横山市長は「さん付けをすることでハラスメントなくしていく。丁寧なコミュニケーションになる。義務化とただちには言わないが、そういう方向を目指していこう」と話しました。
(2025年2月20日 Yahooニュース)
これはとても良いことだと思う。
人を呼ぶときの敬称について、私も何度か書いてきた。なぜか?
私は「先生」という呼称が非常に気になるのである。
まず、国会議員が「先生」と呼び合うのはやめたほうがいいと思っている。
国会議員をどうして「先生」と呼ぶのですか。漫画家をどうして「先生」と呼ぶのですか。作家、画家、弁護士、医者(医者は患者の側から「先生」と呼びたくなる気持ちはわかるし、私もそうしている)……。
私は占い師ですが、みんな「先生、先生」って呼び合っています。誰がそう決めたのかは知らないけれど、そういう習慣のようだ。相談に来る人たちもそう呼ぶ。
私は「先生」と呼んでくる方には「先生」と言わないでください、とお願いしている。なので、みなさん、「さん」づけで呼んでくれる。
私は都内のある占いサロンに所属していたとき「さん」呼びを貫いていたが、それに追従してくれる人は誰もいなかった。私が「さん」と呼んで、相手の占い師は私を先生と呼ぶ。だからといって、とくに注意されたりはしませんでした。
でもね、一方で「先生」って呼称は便利でもある。その人の名前が分からないとき。「先生」と呼びかければ、占い師でも医者でも弁護士でも作家でも国会議員でも振り向いてくれる。
「先生、先生」と持ち上げられて、めっぽう「偉く」なって勘違いする人が世の中にはたくさんいる。社長、部長、課長…などの役職名は、その人が「偉い人」だということを部下や周囲の人々に知らせるためのものでもある。
その証拠と言ってはなんだが、漫画家や作家が売れっ子になると、突如「先生、先生」と呼ばれて持て囃される、と聞く。まあ、その点では占い業界は、もうすこし公平かな。新人に対してもベテランの“先生”が「先生」と呼ぶので(あ、国会議員もそうか)。細木数子“さん”が他の占い師を「先生」と呼んだことがあるかどうかは知りませんが。
「先生」「部長」などと呼ばれて気分を良くする一方で、反対に、「〇〇先生」「〇〇部長」と言われなかったときには気分を害してしまう人もけっこういる。世間というのは、こんなくだらないことに気を使うという労力を強いられる所だ。
あらゆる組織でそれはある。読者の方々も、両方の立場をすでに経験済みだろう。
私の通っている美容院では、店長は店長と呼ばれていない。そのことに最近気づいた。もちろん、社員たちが客に対して店長のこと(でも誰でも)を示すときには、呼び捨てだ。だから気づきにくかったのかもしれない。他の美容師(しかも若い新人です)とお喋りしているときに、その店長のことを「〇〇さんは…」と話すので、あれ?と、さすがの私も思ったのである。それで、あ、そうなんだ、と気づいた(「さんづけ」で呼ぶことにしてるんですか?と確かめていないので、あくまでも私の想像)。
でもね不思議なことに、そんな風なので、「あれ?〇〇さんって店長じゃなかったっけ」などと古い慣習的感覚がいっしゅん私の心を過ったのだった。
店のなかで「店長!」と呼びかけられていれば、「あ、あの人が店長なんだ」と分かって良い面もあるのかもしれない。が、その利便性よりも、昨今は、上下関係に伴うハラスメントをなくしてフラットな組織にしていくことのほうが重要に思われる。店長が誰なのかを知りたければ、ネットですぐ分かりますしね。
もちろん、そのことで店長としての責任や立場がなくなるわけではないし、店長自身もそこはしっかりと把握したうえでのフラットだ。
海外のドラマを見ていると、さんづけどころか呼び捨てだし、しかも名字ではなく名前で呼んでいたりする。もちろん、上司や教師には「Sir」「Ma'am」「Mr. Miss Mrs.」を使うこともある。でもたぶん普段は、基本的に呼び捨てだよね。
刑事ドラマでも日本だと、班長とか警部とか、部長とか所長とか呼んでるけど、アメリカのFBIものとか市警ものでは、ほとんどファーストネーム(あ、もちろん親しい関係だから)。実は階級の厳しさは日本以上なのかもしれないが。
日本では、ファーストネームで呼ぶことが「幼稚」という感覚があるようだ。なぜならきっと、子どもをそう呼ぶからだろう。そして「ちゃん」までつける。それこそ馬鹿にしていると言えないだろうか。
グレタ・トゥーンベリが世に出てきたとき、彼女は16歳だった。そのとき「グレタちゃん」と報道は呼んでいた。社会学者の富永京子は報道情報番組のなかで、「グレタちゃん」という呼び方を批判した。そのときは確か「トゥーンベリさん」と呼びますと言っていたと記憶している。あえて、そうしたのだと思う。最近は報道も世間も「グレタさん」で統一しているようだ。トゥーンベリが発音し難いから?
私は、何歳の人でも、「ちゃん」呼びはやめるべきだと思うし、お年寄りを一括りにして、おばあちゃん、おじいちゃんと呼ぶのもやめたほうがいい。
まあ、ただ、名前を知らない通りすがりの人に、おばあちゃんとか、おとうさんとか、学生さんとか、ぼく?とか思わず知らず言ってしまうのは、それはそれで、その時限定の、意外と便利な呼びかけなのかもしれない(「先生」と同じだ)、と思わないでもない。私もやってしまう。なんか落とし物して「すみません」だけで気づかれないとき、「おにいさん」とか「おねえさん」とか必死で言っちゃう。
日本語の「あなた」は、よそよそしかったり、ちょっと威圧感があったりするから、日本の様々な呼称は、ある種の配慮なのかもしれない。
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呼称に関連した問い掛けがもうひとつある。
「X」に次のようなポストがあった。
近田春夫@ChikadaHaruo
昔は政治家とかの名前、呼び捨てだったよね。ケネディ、フルシチョフ、吉田茂とか。
いつからプーチンさん、トランプさん石破さんになったの。これもう別に呼び捨てじゃダメなの?
午後6:21 · 2025年2月21日
佐島顕子@sele607
「有名人はフルネームで呼び捨て」が本来の敬意の表し方。有名人と知り合い同士の人だけが「さん」をつけるので、一般人が有名人を「さん」付けすると「私はあの有名人と知り合いだ」と馴れ馴れしさをアピールするもので、かえってはずかしいこと、が20世紀までの常識。しかし今世紀に芸能人がTVで、特に芸人同士が先輩後輩知人関係のプライベートな話をすることが増え(20世紀はスターの交遊関係は一般的に謎であるほうが好まれた)、彼らは知人同士なので「さん」付けする様子が頻繁にTVに映りました。そのあたりから視聴者も「芸能人にさん付けしないと失礼だ」という感覚に慣れてしまったよう。
午前0:29 · 2025年2月22日
先ほどの例で言えば、おそらく欧米ではなにしろほとんどのとき「呼び捨て」なので、こんな話題、疑問は不思議な問題提起になるだろう。
まず私が思うのは、有名人の名前に「さん」をつけるのは、やはり上にあるように、その人と知り合いであるという印象がある、いや、あった。
平成に入るころからかな、「さん」をつける人たちが出てきた、ように思う。でもこれはおそらく書き言葉で。多くの場合、誰かとお喋りするときには、「鈴木亮平さんがナレーションやってる世界遺産見た?」なんて言わないと思う。「ああ、鈴木亮平がナレーションやってるあれね」と言う。
でも書くときに、はたと立ち止まった人がいたのかも。「さん」をつけないと失礼かも、と。すなわち、ネットである。ブログやSNS。
私としては、有名人は基本、呼び捨てが原則でいいのではないかと思う。
私は、こちらのサイトで、ドラマエッセイや読書エッセイを書いている。そのなかでは自ずと、俳優や作者の名前を書かなければならない。私も以前は「さん」や「氏」を使っていたが、そのほうがなんか変な感じがしてきて、いっさいやめた。すなわち呼び捨て(「呼び捨て」という表現が良くないような気がしますね)。
とにかく「名前のみ」を使う。フルネームのときもあれば、名字だけのときもある。この場合は、下の名前を使うことはまずないかな。ドラマの登場人物は下の名前を使うときと名字を使うときがある。ドラマのなかでより多く呼ばれているほうを使うようにはしている(そもそもさすがに、俳優ではなく登場人物に「さん」はつけないか)。本の執筆者は、冒頭ではフルネームで、途中からは名字、あるいは「著者」と呼ぶ。
もちろん、本人が目の前にいれば、「〇〇さん」と呼びます。
例えば大谷翔平も、基本「大谷」でいいのでは?文脈によっては「大谷選手」となるときもあるかな。
そうなのだ。文脈のなかで、ここは呼び捨てだとおかしいな、と感じるときが時々あって迷うことがある。いままで呼び捨てだったのに、ここで「さん」は変だけど、呼び捨ても変、みたいな。大谷は選手をつければいいけど、作家だったら「さん」しかない。学者の場合は、「教授」をつけたりできる(尊敬して影響を受けている学者には、文脈によって「先生」を使うこともある)。肩書はこういうとき重宝だ。まぁ、日本人的感覚なのでしょうね。
上記ポストの芸人の例は、たぶんこれ、先輩芸人に対してだと思うのだが、同輩や後輩には呼び捨てなんだろうと思う。ということは、これは、上下関係をはっきりさせるための呼称「さん」と言っても過言ではないのでは。
もちろん、日本の習慣、文化として、目上の人に「さん」をつけないのは無礼だと、日本人なら誰もが思うだろう。
ただ、上記の芸人の世界観には、大阪市長がなくそうとしているハラスメントや差別や人権的問題が含まれているように見えるのが、いささか不気味だ。いわゆる体育会系っていうんですか…。
それをテレビで放送して、視聴者に植え付けるのもよくない。
アメリカの野球チームでは、監督もコーチも選手も、名前で呼び合うそうだ。「監督!」とか「コーチ!」と言う人はいない。
大谷を呼ぶときも、選手もファンも「オオタニ」ではなく「ショーヘイ」だし。
学校でも今は全員「さん」づけで、男子の呼称「くん」はなくなった。昔の先生は生徒をよく呼び捨てにしていたけど(特に男子)、これはこれで、主従関係を彷彿とさせる。ところが、呼び捨てにしていた人に突然「〇〇さん」と呼び掛けると、それはそれで恐怖を感じたりするものだ。え?なんか怒ってるのかな的な。
部長だの課長だの、社長だのといった肩書呼称は、どうしてもどうしても必要なとき以外は使用しない。「先生」は、学校の先生以外は不必要に使わない。私は個人的にはそう思っている。
まわりがみんなそうなれば、違和感はなくなる。
まずはドラマのなかのセリフからはじめたらどうでしょう。普通の感覚にしていくには良い方法かと…。
「主人」を「夫」と呼ぶのは、新しいドラマでは定着しつつある?ようだが、まだまだですかね。テレビに出ている方々は、ぜひ「夫」と言っていただきたい。いまだに「主人」と言っている人がいて、がっかりします。
私も占いのときには「ご主人」と言わないことにしている。「夫さん」「妻さん」。ちょっと変と感じるむきもあるかもしれないけれど、慣れればふつう。ちなみに、「夫」「妻」には「さんづけ」です。「あなたの夫は、云々」じゃあ、ちょっときついかな、と思うので。けれども慣れてくれば「あなたの妻は、云々」でも平気になるのかも。
そういう意味では、日本語って微妙(繊細?)で難しい。英語などに較べて、率直じゃないから。遠隔的で、回りくどい。でもその遠慮深く見える表現が、尊厳を大事にしているのではなく、逆に人々を不自由にしているのかもしれない。
いずれにせよ、全般的に、基本は大阪市長の取り組みでいいのでは。そして、時と場合によって、敬称や役職名を臨機応変に使う。
なにはともあれ早急に、政治家どうしが「先生」と呼び合うのをやめてほしい。官僚は政治家を先生と呼ばず「〇〇議員」でいいじゃない。
それから、大臣に敬語を使うのもおかしいです。ときどき、自分の親に敬語を使う人がいる。「母がくつってくださった」みたいな。同じだと思う。
冒頭に挙げたニュース記事のなかに、「法務省も去年、受刑者を「さん」付けで呼ぶことを決めています」という文言があった。
報道機関は、事件を起こした人や逮捕された人を「さん」づけで報道しない、ということを徹底しているようだ。容疑者、受刑者、死刑囚などと言う。芸能人の場合はたいへんだ。〇〇メンバーなどというのもあった。
そうなんですね、法務省は「さんづけ」で呼ぶことに決めたんですね。
この際なので、もうひとつ。
「歌」の紹介。
作詞者、作曲者、歌手の名前に「さん」をつけるのが解せない。全員「呼び捨て」のほうがいいと思う。なかには、作詞、作曲は呼び捨てなのに、〇〇さんで「〇〇〇〇◯」、と紹介する人もいる。
「作詞・安井かずみ、作曲・筒美京平、歌・郷ひろみ、“よろしく哀愁”」
「作詞・作曲・歌・福山雅治、“ひとみ”」
でよくないですか?
細かく辿っていくと、たぶん本が一冊書けそうな勢いなので……この辺で。
