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「おカネの切れ目が恋のはじまり」〜これからだっ、て〜「せかほし」鈴木亮平にバトンタッチ〜

かつてこのような最終話を迎えるドラマがあっただろうか。

 

「おカネの切れ目が恋のはじまり」TBS 全4話

脚本/大島里美

三浦春馬 松岡茉優 

北村匠海 三浦翔平 草刈正雄 キムラ緑子 南果歩

 

出演者が都合で出演できなくなったとき、代役を立てるのがごく普通なのだと思う。

けれども、このドラマの場合その背景がひどく普通と違っていた。主演俳優が途中でいなくなってしまった経緯が悲しすぎた。しかもまだそのとき放送はスタートしていなかった。

3話まで収録済みだった、という報道があった。すこししてTBSは、それに1話加えた全4話での放送を決めた。

どんな風に物語を終わらせるのだろう、脚本家やスタッフの力量が問われるところだな、などとすこし斜め目線で楽しみにしていた。

 

正直なところ秋ドラマの告知CMを見た(三浦春馬がまだ健在だった)とき、私は松岡茉優ファンなので彼女の出演するドラマはできるだけ観ているのだが、チャラい恋愛ドラマなのかな?と、観るかどうしようか迷っていた。

いつも思うのだが、なぜそのドラマの本来の魅力を半減するような、誤解を与えるようなタイトルをつけるのだろうか。あるいは、告知CMで焦点の当てどころがそのドラマの趣旨と違っていることがあるのだろうか。

とりあえず1話だけ観てみるとか、たまたま観たとかいう好機によって、このドラマ面白いじゃんと見逃さずにすんだということは何度もある。そういうドラマが意外と名作だったりする。そんなとき私は、もったいないといつも思っている。このタイトル、宣伝方法ではいわゆるただの(と言っては失礼だが)恋愛ドラマかぁ、と敬遠してしまう人もいるのではないか、と。

日本人は恋愛系が好みのようだ。ドラマもそうだが、ヒット曲もラブソングがほとんど。ゆえに制作側は視聴率確保のために恋愛を常に匂わせるのだろうということは分かるのだが、その固定観念もそろそろ外し時ではないかと私は思っている。

余談になるが、昔は洋楽のタイトルに「恋の〇〇」みたいにほとんど「恋」というワードがついていて、英語タイトルと全然違うというのがほとんどだっりするグループもあった。ターゲットは中高生だったのかな。にしても、今確認するとバカにしてる?とすら感じてしまう。さらに当時は素直に受け入れていたのであろう自分が情けない。

 

「おカネの切れ目が恋のはじまり」は、まさしくタイトルだけで判断したらもったいない、そういった類いのドラマだった。

たった4話しか見られなかったけれど、チャラくなかった。

三浦春馬松岡茉優も、いい役をもらったのではないだろうか。三浦本人はどう思っていたのかは分からないが、私はこれまでのなかでも一番と言ってもいいくらいな役柄だったように見えた。

いっけん放蕩息子のようで、実はヒューマニティに溢れ、尊厳と親切を忘れない人物、それが三浦が演じた猿渡慶太。

 

1話2話と観ていくと、このドラマは登場人物たちの「お金にまつわる物語」を描き、それを慶太と経理部の九鬼玲子(松岡)がかかわって解決していくというドラマだということが見えてくる。

ただ単に社長の息子で金遣いの荒い慶太を改心させるとか、お金に困っている社員の苦悩とか、倹約家の玲子が実は無駄遣いしていたとか、単純にそれだけの話ではない。

そしてそういった問題があるからといって決して深刻すぎたり、ドロドロしたり、泥沼化したりしない。ドラマによくある誇張された意地の悪い邪悪な人間や、卑屈で攻撃的な人間が基本的には出て来ないからだろう。精神衛生上悪くない。

 

第1話では営業部のエース、ガッキーこと板垣純(北村匠海)が、京都出張の新幹線代金を請求して実際には高速バスを使うということを繰り返して身体を酷使していたために倒れてしまう。

それでいくらになるの?と尋ねる慶太。1万ちょっと。慶太からすればたったそれだけのために?だが、ガッキーは、慶太には分からないだろう、と叫ぶ。出張代金だけではなく、定期代も浮かせていた。

何かご事情があるのでは?と問いかける玲子。

ご事情って、別にそんな大した話じゃないですよ。

普通に親の商売がうまくいってなくて、普通に奨学金の返済が200万円ちかくあって、普通に弟や妹が小さいだけで、それだけで、毎日胃が痛いくらいお金のことばっかり考えて。暇さえあればパソコン開いてデータ入力のバイトして。

も、人生って何なんですかね。頭んなかはカネカネカネ。一生お金で悩んで、振り回されて……死んでくんだ。

このセリフは強烈な時事ネタだ。

「欲望の資本主義」が現代の貧しさを生み出している、というのが最近のトレンドだ。資本主義の行き着く先に待っているのは人間と地球の破滅。

COVID19による世界的なロックダウン(日本では活動自粛)によって、お金って何だろうと、はたと立ち止まって(立ち止まらされて)考えた人も多いのではないか。

家賃やローンのためだけに労働しなければならない資本主義消費社会。ガッキーの言うように普通の人たちは「一生お金で悩んで、振り回されて……死んで」いくことになる。いや、世界の1%の大富豪以外の人生は、大富豪たちをさらに富ませるために、ますますそうなっている。それが資本主義のカラクリだったということが可視化された。

このドラマは、タイムリーなドラマだったのだ。

 

第2話では、慶太の元カノ聖徳まりあ(星蘭ひとみ)の結婚をめぐる物語。慶太の浪費癖に呆れたまりあは、山鹿というベンチャー企業の社長と婚約。けれども山鹿は実は心無い人間だった。玲子はまりあに、本当にあの方でよいのでしょうか?と尋ねる。まりあは、26歳からの3年間の彼のための労力を考えるとさっさと手放すことができない。今手放したら次はもっと落ちる、と。

コンコルド効果」と言うらしい。その投資が損失になると分かっていながら投資をやめられないこと。

これまでに費やしたお金や時間や思いが、ただの浪費だったとは思いたくないから。

これはタロットカードで言えば「No14節制」と「No13死神」からの教訓と言えよう。

占いの相談でも、まりあと同じようなことを言う相談者さんはけっこういる。

無駄遣いはそもそもしないほうがいいわけだが、無駄遣いだったと分かったら引きずらずにさっさと切り離したほうがいい。切り離せば次のチャンスがやってくる。

同じことを第3話で慶太が失恋した玲子に言っていた。

これからだよ、と。

ちなみに、例えば新しい恋が始まらない、上手くいかないと悩んでいる人は、前の恋人に心残りがあるはずだ。

 

第3話では、玲子が15年間も思い続けてきたテニスの先輩で今や、公認会計士ファイナンシャルプランナーとしてテレビで華々しく活躍している早乙女健(三浦翔平)が、実は妻子持ちだったことが判明し週刊誌沙汰になる。

早乙女がお金に執着している理由、ガッキーが洗脳されそうになった巧みな話術など、表と裏の落差はあっても玲子自身も15年間も費やしてきた恋心+渡し続けてきたプレゼントの重さはおいそれと捨てることはできない。玲子もコンコルド効果だったのだ。

早乙女もまた、23歳でテニスの現役を引退してから、自分の人生が、本当に大切なものは何かが分からなくなっていた人だった。マネーゲームは勝負師の本能でもあったのだろう。

失恋して泣いている玲子に慶太が言う。

これからだっ、て。

さよならしたならさぁ、

きっと新しいいい出会いがあるよ。

ほら、この間、新しいイヤリング、

お迎えしたみたいにさ。

このイヤリングのくだり、玲子が早乙女とデートするというので、慶太がひかり(下に説明あり)のフリーマーケットに連れて行く。アクセサリー所持は3つまでと決めているので、新しいものを迎えるときには現在所持しているものをひとつ手放さなければならない、と言う玲子。

これもタロットで言えば「No13死神」のエネルギーだ。

「新しい扉を開くためには古いものを断ち切らなければならない」

「古いものとバイバイすれば新しいものが入ってくる」

玲子は「死神幸福論」が感覚的に身についている人なのかもしれない。もちろん辛い過去があるからだが。いや、方丈記の影響?

お気に入りの猿の絵が描かれている小皿を手に入れようとするときも、それが家に来るための場所を予め用意していた。それは慶太に先に買われてしまったのだけれど。これをタロット的に解説するなら、あまり待ちすぎるのはよくないという教訓があるかもしれない。が、そうは言っても、これは物語のとっかかり、始まりであり、いわゆる玲子と慶太のドラマチックというものであるので、ある種のシンクロニシティということになるのであろう。

 

このドラマ、ひとつひとつのエピソードが味わい深く、ドラマエッセイを久しぶりに毎週連載できそうだったな、と今更ながら残念に思う。タロット的に細かく読み解くこともできそうだ。機会があればやります。

 

最終話では、慶太がふと家を出て行ってしまったという設定で、結局三浦春馬の映像は過去の思い出シーンのみだった。

それがかえって痛々しかった。

慶太のいない画面は静かだ。

このドラマがコメディとして成り立っているのは、玲子の生真面目なこだわりと慶太の無邪気な明るさのコントラストが絶妙だったからだ。

三浦春馬の、あの明るい慶太の声と表情が玲子の隣りにない最終話は本当に寂しく物足りなかった。

そして折に触れて回想される慶太のシーン、さらに慶太の両親、富彦(草刈正雄)と菜々子(キムラ緑子)が、玲子の家で居候している慶太の部屋を見るシーン、玲子が慶太の「おこづかい帳(玲子がつけるようにと渡した)」など部屋にある持ち物を見るシーンは、追悼そのものだった。

 

本当の本当のラストシーンでは、慶太を想って待っている玲子のところへ、ガラガラと扉が開けられておそらく慶太であろう人が入ってくる、その目線のカメラワーク。

そのときの松岡茉優の表情、ちょっと戸惑ったように目線を動かしてから、笑顔で頷いた。あの戸惑った視線は何だったのか?ちょっと前にキスされたそのことへの戸惑い?

私としては、それこそ無邪気に「おかえりなさい」か、「みんな心配してたんですよ」と怒ってみせるとか、そんな感じを予想しただけに、いささか不可解だった。

それとも、慶太ではなく、三浦春馬への挨拶だったのかもしれない。最終話全体がそのテイストだったので。

 

最終話となった第4話で、玲子の過去、すなわち父親の事情が語られる。これもお金にまつわる重大事件だった。本当だったら第4話ではなく、本当の最終話だったのだろう。そして、父親には慶太といっしょに会いに行ったのだろう。

そこまでの間にいくつかのエピソードが描かれたはずだ。たとえば短く、本当に短く挿入されていた慶太が妹、すなわち父親の隠し子だと誤解していた鮫島ひかり(八木優希)と猿渡家との関係、そしてひかりとその父親との関係。養育費は愛なのかどうなのか問題がありそうだった。

玲子をめぐって、慶太、早乙女、ガッキーの駆け引き的な恋愛模様もあったことだろう。

 

母親役のキムラ緑子は、「サムライ・ハイスクール」でも三浦春馬の母親役だった。せっかくの再共演だったのに。

3話までにはあまり親密に絡むシーンはなかった。これからだったのだろう。

 

余談になるが、ひかり役の八木優希アミューズなんですね)。朝ドラ「ひよっこ」ですっかり成長した姿を見たが、「薔薇のない花屋」で注目された子役、雫(しずく)ちゃん。香取慎吾が演じた主人公の娘。そのとき共演していたのが竹内結子

しずくちゃん大丈夫かな、とお節介に心配してしまった。

 

本当に本当に残念で仕方がない。

これはとても良い台本だと私は感じた。

シナリオブックも発売されるそうだ。全話収録らしい。読んで感じるところがあればまた書きます。

本当はぜひ全話、文字ではなく映像ドラマとして観たい。台本をお蔵入りにしてしまうのはもったいない、と思う。別の機会に適切に厳選された配役であらためて撮ってほしい。

 

出演者、スタッフ、みなさん辛いであろうなか、渾身の第4話(最終話)を撮影して、三浦春馬の最後の演技をお蔵入りにせずに放送してくれたことに感謝し、

あらためて三浦春馬さんを偲び、俳優のみなさんへ敬意を送らせていただきます。

 

追記1

オープニングで草刈正雄が「方丈記」の一節を朗読する(この雰囲気は草刈がナビゲーターをつとめるNHKの「美の壺」を象っているのかな)。

玲子の部屋には「方丈記」が鎮座している。これと出会ってから変わったと玲子の母が言っていた。

方丈記」、今こそ読むべき書物かもしれない。少し前に、批評家で詩人の若松英輔も、現代語訳を出版したいというようなことを言っていたと記憶している。

 

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「おカネの切れ目が恋のはじまり」 ©2020kinirobotti

 追記2

「世界はほしいモノにあふれている」NHK

鈴木亮平さんがバトンタッチしてくれたのですね。

大切な友人から受け取った大切なバトン

春馬くんが愛したせかほしを引き継いで

とおっしゃっていました。

鈴木亮平と言えば「世界遺産」。

先だって「行った気になる世界遺産」という本を出版。著者自身が行ったことのない世界遺産旅行記と味のある絵で構成されている。私は買いました。素敵な本です。

春馬くんも4月に「日本製」という書籍を出版していました。まだ手に入っていません。そろそろ増刷されるみたいですね。