ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

ドラマ「コントが始まる」〜ベーシックインカムがあれば解散しなかった?〜

 日本には珍しいタイプの人生ドラマ。

 

「コントが始まる」(2021年4月17日〜6月19日)

日本テレビ 土曜夜10時

脚本/金子茂樹

出演/神木隆之介 菅田将暉 仲野太賀 有村架純 古川琴音

 

 出演者が魅力的だったので、初回から楽しみに観た。

 初回を観てすぐ、「お、これは良質のドラマだな」と感じた。

 

 できるんじゃん、日本にも。

 何が?

「This Is Us」(アメリNBC)みたいなやつ。

 現在を描きながら、どうしてそこにいたったのかを過去に戻って物語る。それが、それぞれのエピソードのなかに上手に組み込まれていて全く違和感がないし、その表現方法を衒ってもいない。いかにもこんな表現してみました的技巧能力礼賛のにおいもしない。とても自然に描かれている、と私は思った。

 視点がひとつではないところもまた良い。「This Is Us」もそうだ。

 同じ出来事、同じ日の同じ場面、同じ対話でも、それぞれの思いや状況は違う。ゆえに、同じ場面が繰り返し描かれる。それで「ああ、そうだったんだ」と、視聴者は理解を深める。

 視点が変わるということは、モノローグも変わるわけで、そういう描き方を、あちこち視点が動いて分かりにくいというように批評する人もいるかもしれない。

 このドラマでの視点移動は非常に成功している、と私は思う。

 

 各話の冒頭にマクベスのコントが流れ、そのコントに関連するドラマ、すなわちエピソードが展開するという構成。

 結成10年を迎えるお笑いトリオ芸人マクベス。最終話の最後のライブは、10年を祝うのではなく、解散ライブとなる。そこまでの物語。

 

「コントが始まる」すなわち「人生が始まる」なのかな。

「コント」というのは、笑い、風刺、ファンタジーが含まれた寸劇だ。「人生」もやはり、笑い、風刺、ファンタジーの連続なのではないか。いやいや人生は極めて至極真面目なものだろう、かもしれないが実は、お笑いのコントで見るようなことがけっこう起こっているのではないか。それが自分に降り掛かっているから笑えないだけで。本当はそこで笑っちゃえば楽なのかもしれない。

 

 ファンタジーは、いわゆる「夢」。このドラマを貫いているいちばん大きなテーマはそこだ。

 

 お笑い芸人マクベスの男性3人。いわゆる売れない芸人だ。

 マクベスと絡むことになる中浜姉妹。姉の里穂子(有村架純)は職を失い、妹のつむぎ(古川琴音)は生きがいを探している。

 自分の好きなこと、自分にできることは何なのか。誰もが人生を歩むなかで考えることなので感情移入しやすい。

 結果的にこのドラマでは、主人公である男女5人は収まるべきところに収まった。

 姉妹はそれぞれ、いちばん輝いていたときの自分を互いに思い出し、そちらの方向へ進んでいく。

 マクベスの3人。

 瞬太(神木隆之介)は、海外へ放浪の旅に出る。

 潤平(仲野太賀)は、10年間愛を育んだ高校時代の同級生と結婚するため実家の酒屋をつぐ。

 春斗(菅田将暉)は、マクベスのコントで演じた水のトラブル修理をする業者になる。まさに「人生はコント」を地で行った。

 

 正解なんてどこにもないのだけれど、私たちは、いや世間は、いわゆる成功を正解だと思っている。お笑い芸人で言えば、売れること。じゃあ、マクベスの10年間は不正解だったのか?そんなことはないだろう。

 

 里穂子は「マクベスとの出会いは必然だったのか偶然だったのか」と考えている。マクベスと出会ってから明らかに自分の人生が良い方へ転がり出した、と。

 必然か、偶然か。

 人生はシンクロニシティでできていると言われている。

 共時性。意味のある偶然の一致。

 

 夢は追いかけない方がいいのか?

 やめるということは失敗であり、負けたということなのか?

 夢にタイムリミットはあるのか?

 

 月並みだが、人生に無駄はない……はずだ。

 やってきた事や努力が思わず知らず役立つときが、人生のなかでふと訪れることがある。そんなときその気づきは、ネガティブに感じていた自分の過去をポジティブに変えてくれる。中浜里穂子にはまさにそんな瞬間が訪れた。

 

 最終話で春斗が里穂子に言う。「100人が観てくれるのもうれしいけど、ひとりの人が100回観てくれることも同じくらいうれしい」と。

「たったひとりの理解者」の存在「ちゃんと観てくれている人」がいるということが分かっただけで頑張れるのは、おそらく芸人だけではない。作家でも漫画家でも画家でも歌手でも俳優でも学者でも……そうなのではないだろうか。

 

「誰かの目にうつるマクベスの10年は失敗の連続に見えるのかもしれない」春斗は自分を気遣う両親を前にしてそう思う。 

 華々しい活躍だけが成功ではないだろう。しかし「誰か」にとっては、華々しい活躍こそが成功、そのような姿がみえないのであれば、それを失敗と断定する。「誰か」は、本人たちのプロセスを何も知らない。

 

 失敗とは?成功とは?

 そんなもの人生にはない。自分で思うならまだしも、他人にそれを批評されて判断される謂われはない。たとえ親でも。

 

 登場人物たちと、いっときの人生を歩んでいるような気分に浸れるドラマだった。狡猾な人や悪人が出てこないところも良かった。その辺りでの登場人物たちの葛藤がないのが、視聴者にとってもストレスがなくて良い、と私は思う。

 

 しかし、私は今これを書きながらなんとなく腑に落ちていない。最終話のあとにいろいろ書きたいと思っていた。各話でナイスなセリフも多かったので、あれこれ語れると思っていた。けれども、ここまで読んでいただいてお気づきかと思うが、私の思考が散っている。

 なぜか。

 マクベス、解散しなくても良かったのに。

 解散する必要があったのだろうか?

 

 先述したように、5人の男女が収まるべきところに「ふつうに」収まった感のある最終話。

「コント」だったのは、春斗が選んだ仕事。ドラマ的には伏線回収。春斗の人生としては自分たちの「コント」が予言となった。

 

 唯一、瞬太の世界放浪の旅に「夢」が残っている。

 瞬太の恋人になったつぐみは、マクベスが所属していた芸能事務所にマネージャーとして就職した。もしかしたら、瞬太が帰国したとき、そこに何か生まれるかもしれない、という微かな希望がないでもない。

 

 私としては、もう少し違うラストがあってもよかったのかな、と思っている。

 強欲資本主義ではなく、サスティナブルで地球を破壊しない次なる社会のあり方ということに思いを巡らせれば、何もお笑いで(世間で成功と言われているような)何億円も稼がなくてもいい。生きていけるだけのお金が入ってくればいい。それもなかなか難しいのであれば、今のままアルバイトしながらでもお笑いは続けられるかもしれない。これからは二足以上のわらじを履く時代でもある。そこを期待したかった。

 

「人新世の資本論」の著者で大阪市立大学准教授・経済思想家の斎藤幸平は、次のように言っている。

資本主義から脱成長経済へと転換する、本当の「グレート・リセット」が必要です。経済成長によって犠牲になってきた平等や公正、個人の幸福度や自然環境を重視する経済への大転換です。

 それには「コモン」とうキーワードがカギになる。

「コモン」とは、食料や水、エネルギーなど、誰しもが必要とするもの、みんなで共有され、管理されるべき富のことです。

資本主義ではこの「コモン」が商品化され、貨幣を持っていないとアクセスできない。そのせいで貨幣を獲得するために、みな必死に働き、心身を病み、環境を破壊するようになっている。「コモン」の領域を増やせば、労働へのプレッシャーを下げることになり、脱成長も可能になるのです。

(「T JAPAN」インタビュー記事より)

 

 マクベスが解散を決意するに至った要因の根底にあるのが、才能の有無やコントが面白いかどうかではなく「生活できるのかできないのか」というところなのではないか。

「夢」というといささか違う気もするが、世間的にはそのように称されている「やりたいこと」。タイムリミットがあるとすれば、それは「生活していかなければならない」からだ。お笑いだけではない。特に親から出される条件はポピュラーだ。生活、すなわち死なないで生きていけるのかどうなのかを心配している。

 斎藤幸平が言うように、人の生命に関わることの全てが商品化されているので、お金がないと生きていくことができない仕組みになっているのが今の地球。

 COVID19の感染拡大によって、世界中の人たちがそのことをまざまざと知ることになった。緊急事態宣言で休業を余儀なくされた店舗。まるで家賃を払うためだけに働いているかのようだ。何もしなくても、家賃と光熱費、いわゆる固定費がかかってくる。

 私は最近よく考える。例えばスポーツ選手。何千万円も何億円も稼ぐ必要がどこにあるだろう、と。斎藤幸平も言っていた。大坂なおみ選手は支持するけれど60億も稼がなくていいと思う、と。

 野球もサッカーも、億万長者を目指すというモチベーションもあるに違いないし、これまではみなそれをいいことだと思ってきた。憧れてきたかもしれない。

 資本主義というのは、際限なく利潤を追い求める仕組みだ。それゆえに格差が広がり、気候変動まで引き起こしている。

 例えば野球もサッカーも、何千万円も何十億円も稼がなければ成功と言えないのか?とりあえず普通に生活できて、好きなスポーツを続けられるのは幸せではないのか?

 医療や教育も含めて生きていくためのものにお金が必要ないのなら、野球やサッカー、お笑いで何千万円も何億円も稼がなくても生きていける。

 あるいは「ベーシックインカム」があれば、マクベスも解散せずにすんだかもしれないし、アルバイトを減らしてネタ作りや練習などにもっと多くの時間を使うことができたかもしれない。もちろん世間体を気にしている周囲の人たちからすれば、とにかく安定した仕事をしてくれ、なのだろうが。

 

 私が少し前から途轍もなく感じているのは、生活費を稼ぐためだけに、ときにやりたくもない労働を強いられている(私たちはそれが当たり前だと刷り込まれているのだが)がゆえに、人々の心がとてもすさんでいる、ということだ。そしてそれはいわゆるブラックな会社や組織の温存に役立っている。

 

 新しい形で「コント」を始めることができるのではないだろうか。

 ただしこの3人にとって、お笑い芸人という仕事が自分にとって組み合わせの悪い仕事、すなわち「自分自身であろうとする力」とは別のことであるのなら、それは苦しいだろうし、うまくいかないだろう。その場合はやめたほうがいい。

 

 ちょっとツッコミ2つ。

 3人の高校時代の担任教師・真壁先生(鈴木浩介)は、10年前3人には才能があると言っておきながら、10年後に3人が相談すると解散を勧めた。応援してほしかったな。教え子たちの将来を案じて、ごく普通の結論に至ったのだろうか。もっと面白い人なのかと思ってたら、極めて凡庸な人だったようだ。

 マクベスのマネージャー楠木(中村倫也)。この人だけは解散に反対した。でもだったら、もっとマネージャーとして売り込んでくれればよかったのに!

 

 ということで、

 春斗の兄・俊春を演じた毎熊克哉のツィートが興味深い。

もうすぐ30かーって頃、バイト先で正社員なっちゃいなよ!って言われて、ならないっすよーとか言いながら、先のこと考えて、それも有りなのかなーとか揺れた事があった。
道を諦めるのも辛い、歩き続けるのも辛い。
でも何を選んでも間違いじゃなかったって前に進みたいですね!
間違いじゃなかった。

 この毎熊のツィートが、ドラマのラストじゃないかと私は思ってしまった。

「先のこと考えて、それも有りなのかなーとか揺れた事があった。道を諦めるのも辛い、歩き続けるのも辛い」

 毎熊は諦めなかった。だから、今がある。

 

 思わずいろいろ書きましたが、とても好きなドラマです。

 役者もみないい役もらったと思う。

 シーズン2があるといいのに。

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