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60歳からのわがままタロットセラピー16「お片づけ&処分 占いとシンクロ二シティと掘り出し物」

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

 後日談とまでは言えないかもしれませんが、その後のエピソードをひとつ記しておきます。

 

 大々的に行った「お片付け&処分」でしたが、あと少しというところまでで一休みしていました。

 その一休みのあと「あと少し」のために残しておいた箱を開けますと、「わぁ、まだこれ残ってたのかぁ」と思わず叫んでしまうガラクタが登場。呆れ返りながら、ゴミの仕分けをして捨てました。回収してもらえるかな?とちょっと迷う物もありましたが、無事持って行ってもらえてホッとしました。

 

 それも終了してしばらくしたときです。

 

 なにせ「わがままタロットセラピー」ですから、60歳を過ぎた私は、可能な範囲で思いっ切り「わがまま」に生きようと決めているわけで、この部屋(家)で今よりもう少しでも快適に過ごすことができるようにと過ごし方を工夫することにしました。特別お金を掛けるような模様替えの計画があるわけではありません。快適ではないまま、無理したり我慢したりしたまま死んでいくのがイヤなだけなのです。

 

 無い頭と狭い部屋をあれこれひねり回しました。

 少し具体的に書きます。

 家具や生活雑貨の小売店〇〇に行ったとき、「リビングでもダイニングでも使えるシリーズ」という商品展示を見ました。これいいな、と思って大きさも計測して、商品の紹介をしてくれているYouTubeなんかも見て、次第に購入の方向に心が向いていきました。

 じっくり考えてから、買ってもいいかどうかを占いました。

 するとことごとく良くない結果を突きつけられたのです。

 ネガティブカードが立て続けに出て、そのうえ、ビブリオマンシーもやってみたところなんと「ノー」とはっきり書いてあるではありませんか。あやふやな言葉ではなく、カタカナで「ノー」です。

 たとえ占いを信じていなくても(私は占い師なのでそのような設定はないわけですが)、迷信とか幽霊とか神様とかUFOとかそういった類いのことはいっさい信じない人でも、この結果で購入を決断するにはかなりの勇気が要ると思います。

 そういうわけで、断念しました。

 時期が悪いということもあるかもしれませんので、もう少し時が経過してからまた考えるつもりでした。

 

 ですが、それでも快適ライフのことが頭から離れません。気がつくとネットでいろいろ検索したりしています(これはヤバイ、とりつかれてる。悪魔カードだ)。思考を巡らせているうちに、狭いところに無理にダイニングセットをおく必要はないなという考えに至りました。

 10年くらい前まではそうしていたのです。ソファーとこたつ。食事は床に座ってする。仕事も床に座ってします。ソファの座枠が背もたれになります。

 その後、息子の提案でダイニングセットを買いました。そのほうが食事を運んだりするのに楽だし、腰掛けたり立ち上がったりするのにも足腰に負担がかからないだろうから、ということでした。このときには、居間にあったちょっと大きめの家具を処分するのに伴った模様替えでした。新鮮で快適、仕事もしやすかったです。

 それからつい先日までソファーがなかったので、常にダイニングチェアに座っている状態で生活していました。読書(読書もときどきはゆったりとした姿勢でしたい)や仕事には悪くありません。そんな暮らしのなかで、本や資料が次第にダイニングテーブルを席巻したりしながら(お片付け&処分をしていないので)、なんかもっと座り心地の良い生活がしたいなぁと、漠然と思いはじめていたのです。

 

 そして、残りの人生が5年か10年か分からないけれど自分のためのソファーを買おう、という考えに至ったのです。「60歳からのわがままタロットセラピー」ですから。

「リビングでもダイニングでも使えるシリーズ」というのは、すなわち椅子がダイニングチェアではなくソファー、その高さに合わせたテーブルとのセットなのです。でも、それですと、自分用のソファーの他に別の椅子が2〜3脚必要になります。このシリーズではベンチと小さなスツールがセットで推奨されていました。

 とても魅力的だったのですが、よくよく考えますとそれは部屋のスペースを結構占領してしまいます。だったら、と自分用のソファーだけを買うのはどうかなとひらめいたのです。Very Goodだと思いました。なにせ「わがままタロットセラピー」ですから。自分が快適ならそれでOK。占いの結果も変わるかもしれません。

 

 ですが今度はそのソファー選びに苦戦。大きさも然ることながら、デザインが今ひとつピンときません。

 考えた末にもうしょうがないから、安い家具を買って、耐久性がなかったとしても例えばこれから10年生きるとして、2万円くらいのものを買えば2年おきに買い替えても10万じゃん、と半分開き直りのアイデアが湧いてきました。そのくらいの意気込みで買えば、後悔もしないだろうし、と。

 そして私の心が、もう明日にでもお店へ見に行こうかという勢いになっていたときのことです。

 私がフォローしている社会活動家の女性のツィートに、とあるブランドのソファーとテーブルの写真がアップされていました。「買いました。ちょっと奮発しちゃいました」と。それを見たとき「これだ!」と一瞬で魅了されてしまったのです。

 ネットで調べたところ、素敵でかわいいソファーがいくつかありました。そして、考えて考えて、ひとつに決めたのですが、それでもまだ迷っていました。私からすればちょっと予算オーバー。とはいえ、10万も20万もするものではありません。

 息子に相談したところ、そういうときははやく買ったほうがいいよ、なくなっちゃうから、と。

 で、決心したのです。

 注文から到着までたった3日。部屋に設置すると、なんと「ピッタリ」。ものすごく良い!

 大きすぎず小さすぎず、デザインも作りもしっかりしています。これなら10年くらいもつかもしれません。

 座り心地も抜群。床に座って仕事をするときの背もたれとしてもgood。以前使っていたソファーは座枠の木が背中に当たって痛かったのですが、これは大きなクッション部分が少し前に出ているので心地よいのです。別のクッションを当てる必要がありません。このデザイン考えた人天才だな、床に座って仕事をする人のことを考えたんだろうな、と独善的称賛です。

 こんなにほとんど後悔のない家具の買い物ははじめてと言っても過言ではないほどです(今のところ)。どちらかというと私は、買い物が苦手なタチでして、買った後にあれこれ悔やむことが多い、と言いますかいつも悔やみます。

 このソファーの存在をツィートで教えてくれた社会活動家の彼女に、〇〇さんありがとう、あなたのおかげです、と何度も口にしました。テレビに出ているときには「この人のおかげで買えたんだよ」と家族に話しています。ツィッターにアップされていたものと全く同じものではないのですが。

 

 こういうのをシンクロニシティと言うのですが、良くも悪くも、私的にも公的にも、2020年はシンクロの多い年でした。

 真剣に考えていることへのヒントというのは、様々なところからやってきますので、見逃さない、聞き逃さないことが大事です。

 このソファーを購入するにあたっては占いませんでした。なぜかということ、シンクロニシティだったからです。これを私はOKのサインと受けとめました。

 

 ちなみにテーブルはどうしたかと言いますと、以前使っていたこたつもすでになく、小さなちゃぶ台のようなテーブルはありましたが小さすぎです。これまで使ってきたダイニングテーブルの脚を切って座卓に変身させました。

 快適スペースを整えるのに掛かったお金は、ソファーひとつ分で済み、ソファーとしてはものすごくお安いものではありませんでしたが、全体としてお買い得だったのかもしれません。気分的にもお得となりました。

 

 さて、ソファーの話を細かく書きましたが、実はこれは「前口上」です。前置きにしてはいささか長い物語となってしまいましたが、これはこれで「60歳からのわがままタロットセラピー」にもぴったりの物語かなと自負しております。

 この出来事に引き続いてと言いますか、このソファー購入がきかっけとなって表出してきたことが本題です。

 それは何か?思いがけず出てきた「写真」です。

 

 写真の処分については、すでに書きました。いわゆる断捨離で写真を全て捨ててしまって遺影の写真もないと言っていた老婦人の話。私自身の子ども時代の写真などは、自分の子どもたちにとってはさして価値のないものではないかと思って捨てることも考えたけれどやはり自分としては思い出のあるものなので今すぐには捨てないが、自分の死が近づいたら捨てようと思っているという話。また、例えば昭和の風景とか、歴史的とまでは言わないが、何らかの公共的価値のあるものなら残してもいいのではないか、というようなことも書きました。

 実は、そういった記録として残しておけるような写真が出てきたのです。 

 そこにこの度購入する決意をしたソファーの話が絡んでくるのです。すなわち、ソファーを置くための環境を整えているとき、それは出てきたのです。

 居間にちょっとした作り付けの棚があるのですが、そこには扉がついていて、その前までソファを持って来ると扉を塞いでしまうことになるので、すぐに取り出す必要のないものを仕舞っておこうとその棚を整理したのです(もともとそういう場所にしていました)。

 袋に詰められた怪しげなものが無造作に数冊のアルバムの上にのせられていました。もう長いことそこにあって、風景化していたのです。何だろうと開けてみますと、まだあったのかという不必要なものに混じって、30数年ほど前に撮影した写真が10数枚ほど出てきました。結婚したばかりの頃に夫の実家へ行ったときのものでした。夫の家は改築をして今ではすっかり様子が変わっているので、当時の家の様子が分かる貴重な写真でした。また、新幹線が通るに当たって駅舎もすっかり近代的に改築されたので、この写真に映っている昔の駅舎はなんとも風情があります。

 これすっごく貴重じゃない?と夫に見せますと、夫もじっくり見て懐かしそうでした。特に実家の写真、当時実はトイレが外にあったのですがそれも撮影していました。たぶん私が珍しいと思ったからでしょう。

 夫が、ネガある?と尋ねてきましたので、実家にあげようという心積もりなのかもしれません(まだ実践されてはいません)。

 

 ちなみに、一体誰なのか分からない子どもも写っていました。ひとりで堂々と。結婚のお祝いに来てくれたどなたかのお子さんなのでしょうが、東京暮らしの私たちには謎の女の子です。

 写真というのは、記憶を紐解いてくれたり、懐かしさを駆り立ててくれたりしますが、風景でも人物でも人間の記憶に留まっていないときはただの謎になるのです。もちろんそれはそれで、全くの無関係なものではないのですから忌み嫌う必要はありません。が、前にも書きましたが、例えば我が子たちからすれば、私の子供時代、学生時代の写真などは残しておいてもどうなのでしょうね、という気持ちはあります。年賀状の処分のところでも書きましたように、知り合いから送られてきた写真付き年賀はがきの子どもたちの写真が、馴染みが薄いだけに無味乾燥に変容して見えてしまうのも上記の女の子と同様の経過を辿っているわけです。ゆえに私の、子どもたちにとって親としての面影のないこれらの古い写真は、私と夫が死んだあと、たとえ我が子でも不用なものに分類してしまうということもあるのかもしれません。それでまったく問題はないと思います。今だけちょっと懐かしんでおきましょう。

 

 いずれにせよ、私自身の写真の仕分けと処分作業は、数年後に必ず実行しようと思います。昔の風景は何らかの資料になることもあるかもしれませんので、残す……かもしれません。

 

 長くなりましたが「その後」にお付き合いくださり、ありがとうございました。

「前口上」のわがままソファの話は面白エピソードとシンクロの妙ということでご堪能いただけましたら幸いです。

 これも、タロットカードNo13「死神」のエネルギー的効用だと思います。

 古いものを捨て新しいものを手に入れる、という行為には、古いものを掘り返すという作業が伴います。そこには宝が眠っていることが多々あります。そのシンボリックな体験をさせていただいたように思っています。

 

「お片づけ&処分」は死ぬ間際まで続きます。

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