ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

60歳からのわがままタロットセラピー14「お片づけの手紙と日記 番外編」〜残された手紙が名著になるとき〜

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

  

 わざわざあえて「あとに残される」ことに大きな意味が発生する場合があります。

 前にもすでに書きましたが、例えば作家や学者、著名人の手紙やメモ類などはぜひとも残しておいてもらいたい。いや残す必要性があります。死後何十年もしてから「貴重な文献が発見されました」ってなニュースを私たちはときおり目にします。それらは、大きな文化財となり得ます。

 なかにはフェイクもあるので要注意ではありますが。

「ある女流作家の罪と罰」(2018年アメリカ)という伝記映画があります。売れなくなってしまった作家が、著名人の手紙をその人物になりきって巧妙に創作してお金に変えていきます。古物商たちも続々騙されていきますが、ついにFBIの捜査が……、という物語。この作家は自身の著作はまったく売れないのですが、これだけのフェイクがつくれるということは、かなり文才のある人なのでしょう。もったいないことですが、詐欺は詐欺なので、罪が重いです。

 日本でみんなが騙されたものに石器の捏造がありました。誰も見抜けず、歴史の教科書の記述も変更され、大学入試にまで影響が及んでしまったという、なんとも豪快でお粗末な事態が引き起こされてしまったのでした。研究者もプロの目も意外と簡単に騙せる、という教訓でしょうか。が、どこかでしっぽは見えてくるもの。けれどもしっぽを隠し通し続けているものも、世の中には出回っているのでしょうね、きっと。

 

 のちのち有名人の仲間入りをするだろうと予想、妄想する御仁は、手紙や日記をわざわざ残しておいたほうがいいかもしれません。

 また、著名人の配偶者、ご子息ご息女ご親族の方々は、ご自身の日記や手紙などのなにがしかを残しておくことは後世の人々に益する可能性は高いのかもしれません。もちろん公にせずとも極めて狭い身内の間だけでも、良きにつけ悪しきにつけ情報や思い出を共有するというところに何かしらの意味や意義を見い出す人もいるでしょう。そうはいっても、例えばいくら自分の父が有名人だったとしても、自分にとっては世界中の子どもたち同様ただの父親ですから、その日記やメモには悪口がたくさん書いてあるかもしれません。それが恥ずかしいと思えば捨てればいいし、いやこれが復讐だと思ってあえて残しておくのも一興かもしれません。

 

 広く有用なものは公文書になったりもします。

 私はフランスのルネサンス時代、すなわちフランソワ一世の治世にたいへん興味があって様々調べたことがあります。フランスの国立公文書館にはルネサンス時代の書簡や文書が多数保管されているそうです。私が読みたいと熱望しているのは、フランソワ一世の姉であるマルグリット・ド・ナヴァールとブリソネ修道院長との文通です。このマルグリットという人は手紙魔だったようなのですが、なんとそのほとんどが残っているらしい、ということをどこかで読みました。けれども何の推薦状もなく素人が訪れても、簡単に見せてはくれないようです。ちなみにマルグリット・ド・ナヴァールは、「エプタメロン」という小説をはじめいくつかの著述を残しています。「エプタメロン」は当時芸術文化の最先端をいっていたイタリアのボッカッチョが書いた「デカメロン」に倣ったものです。世界史の教科書のルネサンス文化の項目に載っています。「エプタメロン」は翻訳本が出ていますので読むことができます。

「60歳からのわがままタロットセラピー5」でも書きましたが、ちょうどこの時代の市民の日記が残っていて、それは有益な文献となっています。

 

 ある有名作家の手紙にまつわる私の友人の興味深いエピソードがあります。彼女が高校生のときにその作家の著書にいたく感動して手紙を書いて送ったのだそうです。すると、たいへん丁寧な返事をもらった、ということでした。けれども、「それ、処分しちゃったのよね」と、あるとき話してくれたのです。その作家はすでに故人ですが、ものすごく有名な方です。ですので、私は思わず知らず「え〜!」と叫んでいました。「もったいない」と心の底から思いました。今なら高額で売れるだろうとかそういうことではありませんよ(それもあるかもしれませんが)。貴重な資料の仲間入りをしていたかもしれません。いや、していたでしょう。

 

 過去の作家や歴史上の人物の手紙や日記について、幾つかこちらで触れておきます。

 

 マルクス・アウレリウスの「自省録」については、パリの市民の日記同様「60歳からのわがままタロットセラピー5」で書きました。

 まさか他人に読まれるとは思っていなかったであろう極めて個人的なメモです。それが今こうして21世紀の人間たちの精神的啓発ともなっているということを考えましたら、本人、もしくは周辺の誰か、あるいは時代を下ったどこかで「これ、捨てていいよね」ということによくぞならなかったな、と感動します。古代ローマの時代からずっと残ってきてくれたのです。そして日本でも翻訳されて出版されている。この書物に心救われた人は、2000年もの間残ってくれてありがとうと、感謝してもしきれないでしょう。

 

 シモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943)というフランスの哲学者がいます。

ヴェイユは生前、論文を公けにすることはあっても、著作を世に送ることはなかった。『神を待ち望む』も彼女の遺稿集である。(略)ペラン神父に送った私信であって、広く読まれるために書いたものではなかった。(略)

強く世に送り出そうとしたのではなく、そっと部屋に置かれたような言葉が、半世紀以上の時間を経てもなお、人々の心を打ち続けている。造られた言葉ではなく、生まれてきた言葉は、古びるということとは関係がないのかもしれない。ただ、私たちはその意味に気が付かず、そうしたもののほとんどを見過ごしているのだろう。

若松英輔「読書のちから」P41)

若松英輔 詩人 批評家/東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。

 

 リルケ(1875〜1926)というプラハ生まれのオーストリアの詩人がいます。

『若き詩人への手紙』は、いわゆる作品ではありません。これは、リルケが、これから本格的に詩を書いてみたい、という若者に書いた本当の手紙なのです。手紙を装った創作ではないのです。

(略)

今日、およそ百年後の私たちが、今なおリルケの手紙を読めるということは当たり前のことではありません。受け取った人が読んだ後に捨てていれば、それが後世に伝わることはないからです。

(略)

捨てなかった、というより、捨てられなかったといったほうが精確なのでしょう。

若松英輔「14歳の教室」P129)

 『リルケ書簡集』には575通の手紙が収められていて、全部で3000通ほどの手紙が残っているそうです。

リルケは、自分の書いた手紙を世の中の人が読むことになるなど、想像すらしなかったと思います。しかし、ひとりの人に本当に心を込めて書いたものは、書き手の意図を超え、世紀をまたいで人々の心を打つのです。

(同上P130)

 手紙を受け取った人たちのほとんどが、捨てずに残してくれていた。今と昔では手紙の重みも違うでしょうし、詩人からいただいた手紙ですから大切にしていた、ということもあるでしょうが。

 

若きロマン・ロラン、無名だったロランにトルストイは、じつに熱のこもった長文の書簡を送っている。トルストイが、ロランだけに書いた文章であるはずなのに、今日読む私たちの胸を熱く打つ。一人のひとだけに向けて書いたからこそ、時空を超えたものになる。それが言葉の秘密なのだ。

若松英輔ツィートより)

 

 2020年11月25日、NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」で「明治に挑んだ女性〜鹿鳴館の華 大山捨松の実像〜」が放送されました。大山捨松(1860〜1919)は、日本女性としてはじめて官費留学し、アメリカで高等教育を受け、その後看護学校設立など社会貢献に奔走した人物です。

 アメリカのホームステイ先の娘アリスと親しくなり、帰国後も文通を続けていました。この二人の遣り取りがそれぞれのところに残っているということに驚きました。もっといえば、アリスが残してくれていたからこそ、その子孫たちも今まで残してくれていたからこそ、捨松が書いた手紙、すなわち日本での彼女の活動の苦労などが詳細に伺い知れるのです。手紙でも日記でも、記録というのは本当に大事ですね。

 まったく関連のない話で恐縮ですが、母子手帳。子どもが受けた予防接種と罹った病気の記録。これが大事だとつい先日実感しました。息子が帯状疱疹になって、医者から水疱瘡はやったかと聞かれたので教えてほしいと言われ、予防接種受けたでしょう、と咄嗟に言っていたのですが、母子手帳を見ると水疱瘡、やってました。しかも水疱瘡の予防接種なんてない。うそ!思い込みってすごい、そして怖い、と思ったのです。そのとき、記録って大事だな、人間の記憶って完璧間違ってることがあるんだな、と認識したのでした。

 もちろん記録が間違っているということもあります。日記などは本人の主観が最強に発揮されているわけですから。

 ちなみに大山捨松、朝ドラにしてほしい。

 

 世に「書簡集」という書物はあまたあります。

 そこに何を求めるのかということもありますし、きっと歴史学的文献としては有益なものなのでしょうが、出版されているものでも、そしてその手紙を遣り取りしている人物たちが好きな作家だったりしても、なんとも退屈してしまうものもあります。しかし、そのなかから、珠玉の言葉を見つけ出すこともまた時を超えた黄金の出会い、なのでしょう。

 しかし正直なところ退屈過ぎるときは、飛ばし読みをします。それでも私にとって特別な意味を持つ内容がなさそうなときは、読書を中断しちゃいます。私は実のところ根気強くありません。書簡が交わされた当時の雰囲気を楽しむ、ということはありますが、それでもなぁ……ということもあります。そこは抜粋、編集方法の技なのかもしれません。

 そいういった技芸はタロットカードに当てはめますと「No14節制」ということになりそうです。今さらですがこのカードの「節制/芸術」の意味するところが体得できたような気がします。バランスには技が必要なのですね。

 

 最後に次の一節をご紹介します。

私にとって詩は、ある人への手紙だから、受け取る人が捨てずに残しておきたい、そうと思ってもらえるようなものであれ、と思って書いている。だが、書かれた紙はいつか消えてしまうかもしれない。だから、紙が無くなってもなお、読んだ人の心に言葉が残る、そんな一篇であれ、と願って書いている。

若松英輔ツィートより)

 

 私の友人が今は亡き有名作家から受け取った手紙。いち読者、高校生の彼女の感動を受けとめて丁寧に綴られた返事の文面、文字の形や内容から漂う香りが、彼女の心には深く刻まれ、残っているのだろうと思います。そしてそれは、その後の彼女の人生に何らかの影響を及ぼしたことは間違いありません。

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