これは、教則本であると同時に警告本だ。
「行動経済学が最強の学問である」
相良奈美香 SBクリエイティブ
私はビジネスパーソンではない。ゆえに、そちらの視点から語ることはできない。
けれども、ここに記されている事々は、普通の生活のなかでとても役立つ。
「行動経済学」とは、経済学に心理学がプラスされている、新しい学問ということだ。まだ体系化されていない内容を、著者がすっきり体系づけるという試みがなされている。
人の意思決定と行動は、すべて自らが主体的にコントロールしていると思っているかもしれないが、実は「そうさせられている」。
これは、哲学からスピリチュアルまで、よく言われていることではある。なので、私としてはそれほど新しい教えと感じるわけではない。もちろん、経済学、起業とか販売とか、ビジネス的な側面はまったく分からない。
人が何かを認識して選択して行動する過程には、それこそ様々な出来事が絡んでいる。それは今現在だけのことではなく、トラウマも含めた過去の出来事から未来への希望(ときに絶望)までの感覚がすべて含まれている。スピリチュアル系では「過去世」なんていうのもある。
そして私たちの日々は選択の連続で、それが人生、シンクロニシティ、いわゆる運命となる。
「行動経済学」でいうところの人間の意思決定に影響する要素は「認知のクセ」「状況」「感情」の3つだ。
「認知のクセ」
何を購入するか、どの(どっちの)商品を選ぶか(良いと思うか)という人間の認識には一定の法則がある。形、色、紹介文の言葉遣いなどによって私たちは常に誘導されている。いや、販売側からすれば、それが売上を向上させる大事なテクニックだ。
「状況」
天気、気分、情報量、時間帯……。自分の気分や疲労度によって、また選択肢の多さによって、私たちは知らず知らずに選ばされている。
「感情」
戦争や災害とか、知人の死や無礼な出来事など、私たちは「強い感情」にのみ左右されるわけではない。むしろ「淡い感情(アフェクト)」(ちょっとした気分の上下)に影響されながら一日を過ごしている。
確かにそうだ。人はほんとうに一瞬一瞬で思考や感情が変化する。何か出来事が起こってもそうだし、何かを考えたり思い出したりしてもそうだ。それを著者は「一瞬よぎる微妙な感情」と表現する。これは分かりやすい。
この3つの要素は独立しているわけではなく、複雑に入り組みながら人間の日々の行動に影響を与えている(あるいは、日々の行動を操っている)。
これを熟知していれば、企業側は人々に、必要のないものも含めて、たくさん購入させることができる。レトリックなのだ。販売サイドは騙しているわけではないのだろうが、研究された心理学を巧みに使って購買欲や競争欲を煽る(煽りつづける)。
ゆえに、こういった研究(学問)は、成功のための技術となると同時に、騙されないための知識ともなる。例えば世によくある被害者の体験談などは、加害を考えている人間にはすばらしい教材となる。それは、カルト教団や政治にまで及ぶ。
購入者側の一般市民としては、不必要なものを買って後悔したり、無駄遣いをしないために「行動経済学」を知っておく価値は十分にある。
これから何かを売りたい、やりたいと考えている人たちには文字通り、十分な知恵を授けてくれる。
また「選択オーバーロード」から抜け出す方法として、「そもそも選ばないようにする」という解決策も、ずいぶん前から実践している人は多い。
スティーブ・ジョブズが黒いタートルネックだけを着ていたのは有名ですが、オバマ元大統領も「3着しかスーツを持っていない」と述べています。(略)
どうでもいいことは選択せずに済む仕組みを作れば、その他の重要なことで選択オーバーロードに陥る可能性を減らせるのです。服装選びに時間をかけないことで脳に余裕ができ、もっと大切なことに時間をかけてシステム2で吟味できます。
(P202〜203)
<システム2とは、注意深く考えたり分析したりと時間をかける判断。ちなみに、システム1は、直感的で瞬間的な判断。(P93〜92より)>
もう10年以上前になるが、茂木健一郎も同じことを言っていた。茂木の髪型や服装を見れば一目瞭然だ。
どうでもいいこと(おしゃれな人にはどうでもいいことではないでしょうが)に時間や労力をかけてくたびれていると、大事なことを考える時間やパワーが減ってしまって選択や判断を間違ってしまう、すなわち、企業や相手側の戦略にまんまとコントロールされてしまう可能性が増えるかもしれない。
そもそも勉強や読書の時間も減るだろう。それはとても痛手になる。なぜかというと、知識や教養が少ないと、「騙される」「操られる」可能性がだんぜん高くなってしまうからだ。それこそ「認知のクセ 状況 感情」によって選ばされてしまう、という生活を(操作されていることに気づかぬまま)送りつづけるということになってしまう。
そして著者は次のように言う。
聞き慣れてしまっている概念はそれが「社会規範」となり、多くの人に影響を与えます。例えば、アメリカの例ですと「女性は会議であまり発言しない」という概念。(略)実は最近まで仕事上で無意識にこの概念に影響されていることに気づきました。そのような中で自分の無意識のバイアスを変えていくのはかなりの意識改革と努力が必要です。
このように「よく耳にすることだと、信じていないことでも影響力がある」という真理の錯誤効果を避け、良い「規範」を作り出すため、私はできるだけインスピレーションを得られる情報を意識的に目にするようにしています。
「いい・悪いではなく、現実として私たち人間にはこうした認知のクセがあることを、まず知ってください。知ることからすべてが始まります」
(P341〜342)
例えば、アメリカの映画で、「ヒーロー=白人」というステレオタイプは古くなりつつある。黒人、アジア系、ヒスパニックのヒーローが登場している。
私も常日頃思い、ときにこちらのドラマエッセイでも書いているのだが、ドラマのなかに、いわゆる多様性を積極的に取り入れていくことは重要なのではないか、と。「聞き慣れてしまっている概念」同様に、「見慣れてしまっている場面」が社会規範となって変化を拒むことに繋がってしまわないように。
私が日本のドラマでものすごく気になっているのは、例えば刑事ドラマ。警察内に女性の姿が極めて少ない。アメリカだとほぼ半々の割合になっている。
恋人だって、異性とは限らないが、日本ではなかなか同性カップルをドラマのなかですんなりとは見かけない。同性カップルが主人公のドラマは別だが。
それから、もうずいぶん以前から主張させていただいているのだが、夫を主人と呼ぶんシーン。「夫」「妻」とセリフを変えればいいだけだ。
ドラマなどメディアは、「無意識のバイアスを変えていく意識改革」が努力なしに自然にできる状況を生み出す助けとなる、と思われるのだか。
ただ、もうすでにお気づきと思うが、その逆もまた真なりなのである。多様性や平等、公平、平和の逆へと誘導してしまうドラマや映画を積極的につくることも簡単なのだ。それは先の戦争でもなされたことでした。
私は常に疑いつつ、情報に接することを心がけている。が……。
この本は、ビジネス教本であると同時に、受け手側には警告の書となっている。