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「お片づけのCD DVD 書籍 番外編」①〜60歳からのわがままタロットセラピー17

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

 CD DVD に関してはその殆どを捨てたのではなく、圧縮収納することで「お片づけ&処分」を行いました。

 前にも書きましたが、この作業のなかでゴミとして捨てた物は、CDやDVDのケースです。ケースから紙ジャケットを外す作業の苦労も然ることながら、作業中、こんなにたくさんプラスチックゴミを買っていたんだ、と驚きとともに後悔に苛まれました。そのゴミの多さに辟易でした。これじゃあ、地球環境破壊も進みますよね。自分だけの責任ではないのですが、その一端を明らかに担ってしまっているという罪悪感からは免れることはできません。こんなのが世界中で溢れているのだと想像すると、ちょっと絶望的になってしまいました。

 

 山本貴光著「記憶のデザイン」にはこうあります。

私はかつてコレクションしていた音楽のCDや映画のDVDも、あるときすべてコンピュータにコピーして、処分したことがある。

(P17)

 私にはできない技ですが、物理的なものを捨てて、音楽も映画もデータとして残した、ということです。

 けれどもこの便利で場所要らずの収納では、例えばアルバムにどんな曲が入っていたのかとか思い出せなくなったり、あの映画はどこにしまったかなと探し出すのに苦労してしまうことがあると言うのです。

 棚に並んだCDやDVD、そしてその背表紙は、人の情報回路を理路整然とさせてくれるのですが、データとして保存してしまうと、全てを広く視野のなかで眺めることができません。

 私は本についてそれを感じています。

 

「記憶のデザイン」には、本についても書かれています。

「紙の本にはまず大きさ(形)がある。五感から味覚を除いた四覚がある」

「本を見る。手に取ってページを捲る。視覚が働く。ページを捲ったり本を置いたりするとき音がする。匂いもある。インクの匂い。新しい本の匂い、古い本の匂い」

電子書籍にも四覚はあるが、それは例えばi padに触れる感触だったり、操作する音だったり、固有の本の匂いではなくi padの匂い。形もレイアウトも全て同じなので、それぞれの本の個性というものはない」

 

 そう言えば私も新聞はタブレットかコンピューターで読むようになってずいぶん経ちますが、新聞屋さんが配達してくれていた新聞のレイアウトやインクの匂いや雰囲気を味わえなくなりました。それゆえ最初は戸惑いました。紙の新聞なら大きくひらいてばぁ〜と目を通して、気になった見出しを選んでその記事を詳しく読んだり、お気に入りの連載コラムなどはどの紙面のどの辺りにどんなデザインで載っているかを覚えているので、ささっと探したりしていました。

 ささっと探すという意味では、電子版も負けてはいないと思います。過去記事は特にそうです。積んである過去の新聞紙をひっくり返しても見つからない、ということはありませんし、うっかり捨ててしまって悔しい思いをするということもありません。また、記事を探すというよりもお気に入の連載をフォローしておけば、新しい記事は新聞のほうから掲載を教えてくれるので、気づかなかった、忘れてた、といううっかりを避けることもできます。けれどもその機能に頼りきりになって、なんとなく受け身のような気もしてきます。積極的に記事を探して気づくという楽しみの時間はなくなったのかもしれません。

 紙の新聞なら、番組欄では見たい番組があれば赤鉛筆などで印をつけておくこともでしますし、必要な記事は切り取って重要な箇所に線を引き、その記事をそのまま保管しておくことができます。電子版では、必要な記事はコピーしてプリントアウトして、それから赤鉛筆で線を引いたりしています。どうしても、データの世界から現実空間へと記事を出してしまいます。

 

住んでいる場所で、目に入るように本が置かれていることにはいくつかの効果がある。(略)日常生活のなかで意識しなくてもそれらの本を繰り返し目にするという効果だ。

(「記憶のデザイン」P180〜181)

本はそれぞれが、ある外見や重さや手触りや匂いを備えている。(略)背表紙は、多くの場合、著者名、書名、副題、叢書名、版元といった要素が表記されている。すでに内容を知っている本なら、この背表紙はその内容に対するインデックス(索引)のようなものとして機能する。

(同上P182)

 脳科学者の茂木健一郎もどこかで同じことを言っていました。学者や著述家にはこの様な話をする人は多くいます。

 私も全く同じ考えで、紙の本は書棚のなかに並べるだけで、ジャンル分け、著者分けなどが可視化されます。書棚のある部屋のその風景のなかで、背表紙がときどき目に入るので、常に本の内容を再確認しているような雰囲気もあります。あの本まだ読んでないな、などの確認もできます。学生の頃は私も自分の書棚の背表紙を眺めるのが好きでした。その頃の書棚の様子は今でもおぼろげながら覚えています。

 

 書物というのは、そこにあるだけで、たとえ読んでいなくても、読みかけでも、何らかのエネルギーを発しているので置いておくだけでも価値があるのだと、茂木健一郎がどこかに書いていました。その感覚は電子書籍では味わえないかもしれません。

 データとなると、コンピューターを立ち上げたりタブレットを開くまで中身が見えません。何気に(意識的にせよ無意識にせよ)背表紙を眺めるという行為はできません。極めて意識的にアクセスしなければなりません。図書館でも閉架式のところがありますが、私はあれが苦手です。そのわりに、書物の購入については今はほとんどネットです。リアル書店のなかをぶらぶら歩き回ることをほとんど全くしなくなりました。書籍の購入についてはピンポイントです。

 

「お片づけ&処分」で、身の回り、環境をシンプルに整えるという観点からすれば、本やCDをデータで保存しておくという方法は「物」が増えないので、収納棚や場所を確保する必要はありません。狭い部屋が機能不全に陥る煩わしさからは解放されます。本や音楽CDについては物理的な「お片付け&処分」の必要はなくなります。どんどんコンピューターのなかに収納していけばいいわけですから。もちろん、その中身を随時整理整頓するという作業は使い勝手のために必要かと思いますが。

 

 書庫があったり、書斎を広く整えることができるのであれば考える必要のない問題ななのだと思います。私のような狭小住宅住まいには、増えていく本の置き場への苦慮は永遠の課題です。ある程度までいくと工夫の仕様もなくなります。お片付けアドバイザーに助言を求めれば「捨ててください」となるでしょう。

 ゆえに、いっとき買うのをやめて図書館を利用するようにしました(金欠問題もあって)が、それも限界があり、また、それでもどうしても手元に置きたいものはやはり購入してしまうのです。必要なところだけでもとコピーしたりもしていましたが、それもまた気づけば膨大な資料群になってしまい、今回の「お片づけ&処分」で捨てると決断した大量のペーパー類の一部となりました。だったら本のほうが書棚に分かりやすく収納できていたのに。

 

 少し前、私は自分が持っている全ての本をデータ化できたらいいな、と思ったことがありました。それはお片付けのためではなく、読み返したい箇所や、あれってどこに書いてあったかな、という探し物はコンピューターが得意だからです。

 どの本のどこに書いてあったかを、後から思い立って探すのに苦労した経験のある人は少なからずいると思います。ゆえに私は、気になったところは線を引いたり、付箋を貼ったりしながら読むようにしています。線は以前でしたらラインマーカーを使っていましたが、これは良くないです。あとからあまり重要じゃないなと思ったときに消せないからです。ボールペンで色分けして線を引くことを推奨している学者もいますが、本がすごく汚くなりますので私はやりません。鉛筆で十分です。鉛筆片手に読書をすれば気づいた書き込みもそのままできますし、線を引き間違えたら消しゴムで消すことができます。

……読書術はまたいずれ。

 

 要するに、データ化された書物の利便性のひとつに文章や単語を探すのをコンピューターがやってくれる、ということがあるわけです。

 けれどもその便利さとは裏腹に、書棚に本があることで可視化されて整えられていた自分自身の知や情報の集積が、分かり難くなるということがあるのではないか、と素人ながら想像できるのです。上で引用した著者がCDやDVDで感じたことと同じです。

 

 繰り返しますが私の場合は、データ化して音楽CD、DVDを廃棄したのではなく、圧縮収納しただけです。なのですが、ひとつのホルダーに何十枚も収納できるので、実はそれだけでもうどこに何があるか分からなくなっています。過去に購入したCDについてはほぼ記憶していますから、例えばバッハのクリスマスオラトリオどこだろう、と探すことは可能です。

 まあ、なんと言いますか、前にも書きましたが、おそらく好んで選択して音楽を聴く機会はほぼ0%に近い確率だと思っています。すなわち私に残された人生の時間のなかで、かつて購入したこれらのCDを、じっくり鑑賞する機会はもうおおかたないだろうと予想しているからこそできた圧縮作業なのです。もし探すことがあっても数えるほどでしょうから、当たりをつけてなんとか探し出せるでしょう。繰り返し聴きたくなったら、それだけ取り出しておけばいいかな、と思っています。

 音楽や映画との向き合い方によって、収納方法は様々かと思います。

 

 さて、たとえお片付けのためでも私はなかなか電子書籍愛好者にはなれそうもありません。やはり私は、書棚に並んでいる本を見るのが好きですし、その雰囲気を楽しみたい気持ちもあります。

 

②へ続きます。

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