書評家で詩人の若松英輔がこのようにツィートしていた。
学生時代に一度だけ、占い師にみてもらったことがある。「もの書きになれますか」と尋ねると「それはありません。気配もありません」と即答された。今でも時折、名前も顔も覚えていないこの占い師を思い出す。当てにならなかった出来事としてではなく、いつ私の人生が変わったのかを考えるためである。(2020年2月)
どんな占術だったのかな、と興味が湧く。
「気配もない」というのがなかなかすごい。
占い師に占ってもらった内容を逐一記憶している人はそれほど多くはないだろうが、それでも印象的な助言や予言めいたほんの一言などは何気に心の片隅にあって、用事があればふと姿を表す、というような経験をお持ちの方もいるのではないだろうか。人生の途上でのあれやこれやがあったときに、そういえばあの時あの占い師が……と無意識の底から浮かび上がってくるヒントもあるかもしれない。
占い師の言った通りにならなかったときには「なんだ当たらなかった、あの占い師だめだな」と思い、その通りになったときには「当たった、あの占い師すごい」と思うのが、ごく自然な感情だ。
若松英輔は物書きとして今仕事をしている、という事実を踏まえればその占い師の占いは当たらなかったということになるので、「当たってなかったな」というのが、常套な振り返りなのだろうと思う。
だが若松は、「なんだ当たらなかったじゃないか」と顔も覚えていない占い師のことを思い出すのではなく、「いつ自分の人生が変わったのかを考える」のだと言う。
タロット占いは特にそうだが、そのときの相談者さんの思いが反映されて、このままいけばこうなるよ、ということを伝えてくる。そうなっていいならこのままいけばいいし、そうなりたくないのであればどうしたらいいかということをカードは教えてくれる。
価値観や思考が変われば、人生の道筋も変わってくる。選択内容が必然的に変わるからだ。
若松のこの占いは学生のころ。その後の彼の人生は様々あったようなので、それらを通過してこその物書き人生だったのかもしれない。
私のところにも次のような相談者さんが来たことがある。彼は「占い師になれるかどうかみてください」と、極めて率直な質問をぶつけてきた。別の占い師のところで「絶対になれない」と言われたのだそうだ。「そんなにはっきり断言されたのですか」と尋ねると、そうだと言う。私が占ってみると、けっこう才能はありそうだった。ただ、人生経験の不足からなのか、思慮深くないからなのか、独善的で、いささか乱暴な気配が見て取れた。なので私は、才能はあると思うけれどしっかりと人からも学ぶ必要がある、というアドバイスをしたと記憶している。もしかすると別の占い師は、その辺りを見て「この人は占い師にならないほうがいい」くらいに思ったのかもしれない。実際、とてもエネルギーの強い人だったので。でもそういう人ほど、利他的になることができれば、生来の大きなパワーで悩める人を助けることができるはずだ。
若松英輔は「いつ自分の人生が変わったのかを考える」ということなので、その占い師の占いを「当たらなかった」と批判しているわけではない。それどころか、その占い師の占いを肯定して受け止めている。だからこそ「いつ変わったのか」を辿ろうとしている。
占いというのはそういうものでもある。
若松はこうも言っている。
仕事というものは、やろうと思ったことよりも、自分では気が付かない何かのためにやっているのではないかと感じることがある。「思っていた」ことに意味がないのではない。しかし、真の意味は「思ってもみなかった」ことの方にあるように感じる。やり遂げたか否かはあまり問題ではないのだろう。