ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

「“あとがない”のご都合主義」〜60歳からのわがままタロットセラピー9

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

 

「あとで……はない」と同時に、60歳前後からの私たちにはもう「あとがない」のです。

決してネガティブな意味では言っていません。

 

タロットカードに例えますと私は、No18「月」を思い浮かべます(タロットカードの解釈はいろいろあります、ということは申し添えておきます)。

「月」のカードは不安や恐れを表していますが、図像をよく見ると道の向こう側には月が光り輝いています。そちらが前進していく先です。後ろには水辺があってそこにはサソリらしき猛毒の生き物が構えています。すなわち、戻ったら危険ですよとこのカードは私たちに伝えてくれているのです。

つまり「あとがない」のです。

 

「あとで……はない」「あとがない」

を私は2つの行動に分けました。

「お片づけ&処分」と「ご都合主義」です。

 

「あとで……はない」「あとがない」は、余生を暮らす基準としてシニア世代は思考の根底に置いておくとよい、と私は思っています。

 

「あとで……はない」については、ここまでにすでにたくさん述べてきました。

人生100年時代と声高に言われていますが、平均寿命は男性81歳女性87歳(2019年)ですから、70代で亡くなる人も多いわけです。私の周辺でもそうですし、芸能人など著名人でも多いですよね。100歳まで生きるんだ!と信じていたら「あとでいいや」の習慣を続けてしまうかもしれません。

シニア年齢に差し掛かってきますと、年を取ることへの不安からなのか、人生へのあがきなのか、もうひと花咲かせようなのか、最後にひと花なのか、若い頃の心持ちを正常性バイアスにかけてしまうことってありませんか?その「夢のつづき」が「あとで……」を実行してしまうことがあります。これはよくありません。

人は肉体が衰えても、なぜか心のなかは若いですよね。それゆえに鏡を見て驚いたりしてしまうわけです。心のなかの鏡には20代か30代、へたをすると10代後半くらいの自分が映っていたりします。例えば夢を諦めたことがあって「あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ(夜空ノムコウ)」ではありませんが、そこに立ってないとき、自分の心の鏡に映っている自分の容姿が、その夢や希望を持っていたときの年齢で止まっていたりすることもあります。その心には破壊された夢の象徴となってしまった「No16塔」のカードも宿っています。

「お片づけ&処分」を通じて「塔」カードを「破壊」ではなく「大きな気づきを得る」というエネルギーに変えていくことができます。

そして「あとで……はない」「あとがない」をより良く認識することができると、そこに現れるのは希望の「星」である大アルカナカードNo17です。

何かをやろうとするならば、過去を引きずったままの夢のつづきではなく、「死神カード」で言えば過去をすっぱりと断ち切って、「塔カード」で言えば土台から立て直す気概で、新しい扉を開けるという発展型で夢を叶えてください。もちろんそれは、若い頃に諦めた夢であっても構いません(それが多いのではないでしょうか)。できなかったという気分や古い情報を断ち切って立て直せばよいのです。

つまり、まだまだ先があると勘違いして後回しにしたりせず、過去のネガティブな思いを断ち切って、今やりましょう、ということです。

 

これは、高齢者だけへ向けて発せられる箴言ではありません。老いも若きも実は同じです。

若いときはとくにまだまだ人生は長い、チャンスはいくらでもある、と過信して怠けたり後回しにしたりすることが多いと思います。そうでしたよね。若さにかまけて、大事なことを先延ばしにして今を生きることを遠ざけていたりします。中年の頃には、お金が貯ったらやろう、仕事を引退したらやろうなどと、本当にやりたいと思っていることを先延ばしにします。あとでできると思っていることもありますし、勇気をもって夢を実現しようとしたところ周囲から堅実さを理由に諦念を勧められたりしたこともあるかもしれません。ですが、あとでできる、そんな風に思っていることは、お金が溜まっても、老後にやっと生活のための労働から解放されて自由になる時間ができても、おそらくやりません。「60歳からのわがままタロットセラピー⑦」で言及した「僕の生きる道」のエピソードのごとくです。

今やらないことは、概ね、後になってもやらないのです。

「後回しにする」ということは、なんかわからないけどぼんやりと「あとがある」と思っている、ということです。あらゆる世代に実は「あとで……」はない、とも言えるのです。

若い世代の人たちへの助言はまた別の機会に書きます。

 

さて「60歳からのわがままタロットセラピー」では「あとで……はない」の観点から「お片付け&処分」を思いっ切り断行します。

そして更に「あとがない」のですから、これからは「ご都合主義」で生きていきます。もうあとがない、人生の終着駅が曲がりなりにも見えてきているのですから、必要なもの、ほしいものは遠慮なく手に入れちゃう(買う)、やりたいことはやる。我慢しない!これが私の「ご都合主義」です。

「あとで」も「あと」もないのですから、「今」やりましょう。やりたいことがあるのなら、すぐに取り掛かりましょう。すぐに手に入れましょう。

 

お金は使いたいだけ使っていたら、いち市民の懐は寒くなってしまいますのでバランス感覚が必要なのは言わずもがなです。生活が成り立たずしては「あとがない」もへったくれもありません。タロットカードでは「No14節制」がこれに当たるでしょう。節制というのは吝嗇を意味しません。「バランス」なのです。

シニア世代よ、子どもたちからも解放され、夫は賃労働から解放され、妻は夫からも解放されて自分の好きなように生きる!遠慮も我慢もなし!やりたことをやりましょう。やりたくないことは避けましょう。

 

特に中年期は、我慢してきたものが多かったのではありませんか?それが幸せなのよ、我慢ではないの、かもしれませんが、自分以外の誰かを優先してきたのは間違いありません。誰かではなく、会社や組織かもしれません。子育てや家族を支えることを自己犠牲だなどと言う人はいないでしょう。私もそんな卑屈で心無いことを言うつもりはありませんし、思ってもいません。互いに支え合って生きているのであり、家族は家族でひとつのエネルギーを持っているわけで、そこでの喜怒哀楽を通じて多くを学び、成長し、幸福を感じてきました。

ですが、自己犠牲や滅私奉公的なものをただ単に尊いとして崇めながら自分を誤魔化しつつ死んでいくことは、魂にとって良いとは言えませんし、周囲の人々に与える影響もネガティブな色を帯びていきます。

 

何のドラマだったか記憶が定かではないのですが、母親が死んで、そのあとに家族が「お母さんは自分のことよりも他の人のことを大切にする人だったから……」と言って、それを基準に何かをしようとしている、それが母(妻)の幸せだと信じ込んでいる、そんなドラマのワンシーンを見たことがあります。そのとき私は、たかがドラマではありましたが、ぞっとしたのです。この家族は彼女の本当の気持ちを知っていたのだろうか、と。いつも自分のことは後回しにしてきた、それがお母さんの幸福だろうからと死んだあともそうしてあげようとすることに私は違和感を覚えましたし、どうして死んだあとまで彼女に我慢させるのでしょう、と。自分の好きなこと以外の何を優先させるというのでしょう。ものすごく極端な話をすれば、「お母さんはいつも残りをものを嬉しそうに食べていたから残りものをお供えしてあげようよ」的なことです(この表現には賛否両論あると思います。言葉を尽くさなければならない話題です。が、ここで深く論じることはテーマからはずれてしまいますので、別の機会に述べます。おそらく「No12吊られた男」カードとともに)。

 

死んだあとにしてほしいことは、それこそエンディングノートに記しておいたほうがいいと思います。なぜなら遺族たちが自分を誤解して理解しているかもしれないので。

私はお墓もお葬式も必要ない派ですが、だからといってあまりにもぞんざいに扱われては怨念が残りそうなので、誤解のないようにくらいは指定しておこうと思っています。絶対にやってほしくないことも記しておくのは大事かもしれません。遺族が気を利かせたつもりが、それが故人の大嫌いなことや我慢し続けてきたことだったなんてことでは浮かばれません。

日本人はどちらかというと控えめが尊いと思われてきましたが、私のタロットセラピーでは、それは違うとお伝えしています。かといって行き過ぎた無礼や単なる自分勝手、自己中心を応援しているわけではありません。

 

兎にも角にも、もう「あとがない」わけですから、いわゆる余生において我慢は無意味です。何のために、誰のために自分を押し殺すのですか?もうすぐ人生が終わるってときに。

この世ではお金があればたいていのことはできます。逆に言えば、金銭的余裕という事情でできないことはあります。

例えば私の場合、我慢するのをやめようと決意したもののなかに本があります。家計簿的に、ある時期からできるだけ図書館を利用してきました。もちろん今でも図書館の恩恵は受けています。が、読みたい本は積極的に購入することにしたのです(不必要なものだけですが本の処分もしたのに)。値段が高く、内容的にどうかな、と迷うものはまず図書館で借りるという習慣はなくしていません。借りて、少し読んで、気に入ったら買います。ただし、予約人数があまりに多いものは、以前でしたら1年でも2年でも待ちましたが、今ちょうど必要な内容であると判断した場合(読んでみると違ってたということもある)は失敗を覚悟で購入します(図書館談義はまたいずれの機会に)。そもそも1年後2年後に生きているか分かりませんし。

他には、気分よく日々を過ごすために必要な日用品も、遠慮せずに「自分のために」買うことに決めました。これは暮らしのストレスをなくという意味でも大変良いです。

 

え?買うって、お片づけ&処分の精神に反するんじゃない?と思うかもしれませんが、あれもこれもと無節操な無駄買いをするわけではありません。もちろん、あとで無駄だったと思うことはそれなりに出てくるでしょうが。そんなことよりも、とりあえずの身辺整理をしたあとは、自分の都合に合わせて暮らしていきたい、と思ったのです。

 

もともとわがままな性格だと自認してはいましたが、そんな私でも、それなりに遠慮して生きてきていたことも多々あったんだなと、今回のお片づけ&処分作業を通して自分自身の人生の過ごし方を見直すことになり、分かりました。

不満を持たないように、できるだけ自分の希望に近いような暮らし方をしていきたい、嘘偽りなく。脅しでもなんでもなく、残り少ない人生です。「あとがない」のですから、やりたいようにやる、そう思うことにしたのです。

「やりたいようにやらせてもらうから」

これは私から家族への宣言です。

人生の旅路の最後、余生を遠慮せずに好きなことをして生きていたら(イヤなことはイヤ、嫌いなものは嫌い、という意思表示も大事です)、死後の対応を家族が間違えることもなくて済むのではないでしょうか。

 

どんなにわがままでご都合主義に暮らしても、「60歳からのわがままタロットセラピー7」でも書きました「バケットリスト(BUCKET LIST)」(死ぬまでにやりたいことリスト)には、できなかったことは残るでしょう。

それでもいいのです。何もしないよりはずっと。我慢して生きるよりもずっと。

 

「60歳からのわがままタロットセラピー」の副題に「やりのこさないために」と書いています。

「あとがない」のですから「自分の都合に合わせて」生きていきませんか?

 

If not now,when?

It's now or never.

今でしょ!

f:id:risakoyu:20210226062959j:plain

タロットカード「No18月」 ©2021kinirobotti

 

f:id:risakoyu:20210226072250j:plain

タロットカード「No17星」 ©2021kinirobotti