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60歳からのわがままタロットセラピー9「お片づけ&処分を振り返る①」

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

そもそも私は、自分の占いによる運勢からも家族事情的な理由からも、2020年オリンピックの年に引っ越しをする、あるいは引っ越しに向けての準備を整えていく予定でいました。

2020年、オリンピックは延期になり、COVID19が世界中に感染拡大しました。3月に、義母が他界しました。ガラ空きの新幹線で夫の実家へ行きました。「60歳からのわがままタロットセラピー①」で登場した「写真を全て処分してしまった女性」というのは、このときの葬儀で出会った義母の知り合いです。

引っ越しというのは、この義母の、すなわち夫の実家のある県への、言ってみれば移住です。

義母が3〜4年前から、夫に戻ってくるように勧めており、家も建ててくれるということでした。

このとき私は、それもいいかな、と思ったのです。老後をゆっくりと過ごすことができるかもしれない。このまま東京にいても、家を売って新居に移り住む可能性は様々な理由から限りなくゼロに近い。

夢にみた壁一面つくり付けの本棚に囲まれた書斎、いや本棚が壁の居間でもかまいません、それも現実味が帯びた!と、今となりましては一瞬ですが心を踊らせました。そのためには田舎の親類、近所付き合いも墓守もいたしかたないかなと、ある種の覚悟さえ持つようにしていました。

そしてある作家の家、部屋の写真を切り抜いて、壁に貼っておきました。いわゆる夢を実現させるためのイメージングです。その家は、吹き抜けの居間の壁一面が書棚になっている憧れの住まいの光景です。

 

細かい経緯はここでは不要と思われますので省きますが、結局のところ移住はなくなりました。一番大きな理由は、帰りたくないという夫の希望です。田舎のあれこれ(人付き合いが主でしょう)が嫌いで東京へ出てきたのですから、当たり前といえば当たり前です。

 

さて、移住、引っ越しのときに「お片づけ&処分」ができる、そのときにあれやこれやを大量処分できるだろうと考えていたので、大きく見積もりが崩れました。

引っ越しというのは、お片づけにグッドタイミングな行事ですよね。それを考えると5年から10年に一度くらいは引っ越しをする、というのもいいかもしれません。

家が汚れてきたら引っ越す、と実は私は若い頃そのように考えていたのですが、何を血迷ったのか、家(集合住宅)を買ってしまいました。現在はだいぶ古くなっているので、本当だったら引っ越したいところですが、恥ずかしながらその余裕はありません。

昨今の震災の多さを鑑みましても、家は買わないほうがいいというのが私の意見です。息子たちにもそう言っています。古くなったり、ご近所に変な人がいた場合、賃貸ならさっさと出ていけます。家のなかで不具合が起きたら大家が直してくれます。家屋に関する煩わしい面倒や心配に神経を奪われることなく暮すことができます。私もすっかり資本主義の罠にかかってしまっていたようです。あのころに戻れるのなら、自分に賃貸に住み続けるように言ってあげたいです。

けれどもこれもまた、まだ答えは分かっていませんが、私の人生にとって何か意味のあることなのでしょう、と自分を慰めています。いや、ただの失敗だったかもしれませんけれども。

私は本当のところ、占い的にも気質的にも定住型ではないのです。まだあと少し人生が残っていますので、どうなるか自分で自分を見届けたいと思います。愚痴、いや愉快な話はまた別の機会に。

 

ということで、2020年のCOVID19によるお片づけブームに乗ったようなスタイルになってしまったわけですが、息子からの司令のようなCD&DVD圧縮作業が、移住計画中止によって頓挫しかかっていた部屋中の整理整頓に、幸いにも注意を向ける機会となったのです。この強制は、天からの思し召しかもしれません。この天啓がくだらなかったら、だらだらとこのまま不用品たちとともに、いわゆる老後を過ごし続けることになっていたかもしれないのですから。「お片づけ&処分」を実行してある程度快適になっている今は、そんなストレスフルな生活から一歩も二歩も抜け出すことができて良かった、と思っています。

老いも若きも、ストレスフリーに生活するに越したことはありません。

 

ちなみに私の2020年の誕生日からの一年間のタロット運勢は何だと思いますか?「お片づけ&処分」から考えますと「死神」かと思われるかもしれませんが、それは不正解です。「運命の輪」です。大きく変化するとかチャンスをつかむという意味からすると移住計画のほうがすんなりしているかもしれません。「死神」でも、古い家を捨てて新しい家を選択する、と考えれば引っ越しも浮上してきます。私の場合、2020年から2021年、あるいはさらにその翌年にかけては「運命の輪」「力」と続くので、残りの人生のことを考えるとやっぱり移住かな、という感想は持っていました(そういう話が出ていたわけですから)。

大きな動きはなかったものの「お片づけ&処分」によって運命の輪を回した、ということにはなりました。さらにこの作業によって、気持ちの持ち方が非常にポジティブになり、考え方も(それなりに)発展したという(いささかの)自負的感覚はあります。

そしてこの作業によって、自分の年齢と残された時間のことに真正面から向き合うことができました。なかでも、これまで私はけっこう若い頃からが自分の年齢をさらけ出すことにどういうわけか抵抗がありました。ですが、この度「お片づけ&処分」という作業をしていくなかで、前にも書きましたとおり「あとで」がない、「あと」がない、という感覚を実体験したとき、タロット占い師としても、この年齢だからこそお伝えできることが様々あるのではないか、と思うに至りました。「当たり外れではないカウンセリング的な占い」をこれまでもずっと心がけてきましたが、なお一層その気持ちが強くなったのです。

 

「あとでがない」「あとがない」という感覚は、「保存の意味がない」という判断へと私を誘導してくれました。

50歳の時点なら保存しておこうと思ったものでも、60歳の時点では、ここから先の5年10年の間にこれを見たり、読んだり、確認したり、使用したりするかと考えるとまずほぼ100%近く「ない」と強い確信を持って思えたのです。その確信の根底に横たわっていたのは、ここから先の5年10年の間にもっとやらなければならないこと、やりたいことがある、ここに保存してあるものに手をつけている暇などない、という思いでした。

おそらく100%手にしないだろうと思われる物、私の場合はそのほとんどが資料やメモでした。服や物品にも同様の気づきを得る人はいるでしょう。コレクションは別かもしれませんが。それでも、もうそのコレクションはやめようと思って売りに行く人もいるでしょう。ただし、コレクター的習性としては、再び新しいコレクションをはじめてしまうかもしれません。それはそれで、自身の性質を理解して受けとめて、最後まで貫けばいいと思います。たとえ傍から見ればくだらない収集やゴミに見えたとしても。

 

捨てようと思うものは、色褪せて見える、ということもありました。昔はあれほど大事にしていたものが、もう光を放っていないのです。古くなったもの、とはこういうものを言うのでしょう。処分の判断に迷うときは、色褪せて見えるかどうかを選択基準にすることもできます。無理に捨てなくても、いずれその時、すなわち色褪せる時は来ます。もちろん「死神」カードのエネルギーが示すように、新しい扉を開くためには迷っていても思い切ってシャットアウトしなければならない事、時もあります。「過去を引きずらない」という意味で。

その色褪せたものが、目の前で一瞬の光を投げかけてくる、ということもありました。忘れていた過去が蘇ってくる瞬間です。それはかけがえのない再会で、思い出によって幾つかの気づきを得たあとに再び色褪せて、そして仕分けによってゴミ箱に入れられたとしても、それらは私の人生で非常に大きな役割を担ってくれたのだという、忘れがたいポジティブな記憶となるでしょう。

自分自身で書いた忘備録然り、受け取った手紙然りです。そこから知らされるのは、過去の自分の姿、思索、出来事、すでに思い出すこともなくなっていたかつての友人知人たち、良いことも良くないことも、恥ずかしいことも。

 

これは「お片づけ&処分」の精神には反する気づきになってしまうかもしれませんが、今まで残してあったからこそ、シニア世代になって処分作業の途中で見返して、あらためて自分自身を発見するというチャンスも得ることができました。

シニアだからこその好都合です。

若いときから都度、定期的にお片づけ作業をするほうが、本当は正解なのかもしれません。人生の時間をもっと有効に使うことができたのかもしれません。

いわゆる断捨離ということをしたあとは、物を増やさないようにするのが本来の目的なのだと考えますと、この度の私のような体験はできないのかもしれません。

そんなセンチメンタルなことを言っているようでは、「方丈記」のような達観した暮らしは、夢のまた夢でしょうか。

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