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60歳からのわがままタロットセラピー3「お片づけの年賀状」

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

年賀状については、年の変わり目に処分してしまう人のほうが多いかもしれません。残しておいたとしても10年以上保存しておく人は少ない、でしょうか?1年間手元に残すのは、その年の12月にそれらを見ながら次の年の年賀状を書くのに役立つから、だったりします。

 

私は年賀状を捨てられずに長い年月取り置いていました。

風水的にだったでしょうか?年賀状はしっかり毎年処分しないとよくないですよ、と言われているのは知っていました。分かってはいても、どうも捨てられない。あ、そういえばあの人……なんて思い出したり、もしかしたら何かの拍子に必要になるかもしれないとか、無意味な想像をどんどん膨らませて引き出しのなかで増えていました。

いつか処分しなきゃと思いつつ時は流れ、このほど処分の決心をしたというわけですが、ざっと30年以上分はありました。それでもいくらかは処分していたようです。処分していたのは親類関係です。親類は消えていなくなることはありませんので。取り置いているのはほぼ結婚してからのものです。お世話になった方々や新しくできた知り合いなどなど。いまはもうお付き合いの全くない人たちもたくさんいます。

近年は、年賀状を出す習慣は世間的にも薄れつつあるようで、年賀ハガキをポストに投函するかわりに、メールやラインでの「おめでとう」がすっかり定着している気配です。

私の家でも例にもれず、年賀状のやり取りはほとんどなくなりました。

私にとってはこれは嬉しい習慣の変化です。私は、年賀状とかお歳暮とかいう季節のご挨拶的儀礼の習慣がたいへん苦手で、さらに言えば、疑問さえ持っていたという多少(かなり?)偏屈な人間だからです。

 

さて、年賀状の処分は早朝から午前中いっぱいの作業となりました。チェックして、仕分けして、シュレッダーで処理。

仕分けといっても全処分が基本スタンスです。

内容と差出人を確認して、今の私にとって価値の高いものや、私を励ましてくれるようなもの、さらにはクオリアを感じるもの(質の高い文化の香りがするもの)は取り置くことにしました。

励ましてくれるものというのは、ポジティブな内容、かつての私自身の希望を思い出させてくれるもの、あるいはなんかちょっと褒められている感じのするものだったりです。

わざわざ気分の悪くなるようなものを残しておく必要がないのは当たり前のことです。そんなものがみつかったときには、まったくもって死神の大鎌で断ち切って、ぽいっとシュレッダー、ゴミ箱行きです。もちろん、あまり良い思い出のない人からの年賀状でも、その思い出から自分を振り返ったりして何かしらの教訓を得られることもあります。年齢を重ねた今だからこそ気づけるということもあります。

クオリアを感じるというのは、なんとはなしに心や魂の色が伝わってくる文面のことです。ありませんか?そういうの。

 

こういった個人情報満載のものは焼却するのが本当は一番良い処分方法なのでしょうが、我が家には庭もなく、戸建てで庭があったとしてもはたして最近は庭で勝手に焚き火をすることも許されないでしょうから、自ずとシュレッダーに通すか手作業で細かく破るかすることになります。さすれば一枚一枚が目に入ってきますから、すでに確認仕分け作業をしているにもかかわらず、良くも悪くも二重チェックの機会を得ることができます。

でも、焚き火に放り込めばパッと短時間で済むだろうに、そのうえ焚き火の炎とパチパチという音に癒やされるだろうなと想像すると、やってみたい誘惑に駆られます。

 

ちょっとここで興味深い気づきをご紹介します。

読者のみなさまも、お片づけ&処分の作業中にさまざまな気づきや視点を得ると思いますが、今回年賀状を処分するなかで「後悔」を感じるということがあったのです。

写真付き年賀状です。子どもの写真がプリントされている年賀状です。

写真付き年賀状の多いこと多いこと。ちょうど流行りだったのですね(いまでもそうでしょうか?)。家族全員の写真を毎年送ってくれる人もいます。そのご家庭の恒例行事なのか写真館で撮影されたものもあります。スナップ写真から選ばれたものもあります。スナップ写真のほうが多いですかね。

 「60歳からのわがままタロットセラピー1」で写真について書きました。そのとき、写真の処分というのはなかなか勇気のいるものだと書きました。写真を破くいう行為は、ある意味その人物の人形(ひとがた)あるいは魂を傷つけるかのような意味合いを含んでいるからです。とはいえ、年賀ハガキですから、もう致し方ありません。いつかは処分される運命のものなのだということは誰もが知っていて、わざわざ写真付き年賀状をつくっているのですから。そう考えれば罪悪感も薄れます。むしろ、そのまま捨てたり荒く破壊するよりも、シュレッダーにかけて細かく裁断したほうが個人情報を守るという観点からは良いことのはずです。

 

さて私は、写真付き年賀状の何を後悔したのでしょう。

仕分け作業をしながらこう心のなかで叫んでいました。

「わぁ、私もやってたぁ。子どもが生まれてから幼稚園、小学校くらいまで、年賀はがきに子どもの写真、プリントして送ってたぁ」

春、夏、秋と、年賀ハガキにプリントする写真はどうしようか、と考えながら写真を撮っていました。

なんと言いましょうか、これはそのときそのときのご挨拶なので、こんな風に何十年後かにしみじみと眺めたりする人はまずほとんどいないでしょう。が、お片づけ&処分作業をしている現在の私が見たとき、子どもの写真を送ってもらっても誰だか分からないし、全然ピンとこないのです。なんとなく違和感を覚えてしまいました(子どもの写真に限らず、見覚えのない人の写真というのは、ちょっと不気味です)。

そして、そう思った途端やってきた感覚はこうです。

私が送った子どもたちの写真も、すでに捨てられているのがほとんどだろうけど、こんなどうしようもない気持で眺められていたりするのだろうな、恥ずかしい、独善的な自己満足の世界だったんだ、家族写真がプリントされた年賀状って。

その家族や子どもたちといまだに親しいお付き合いがある知人だったり親類の場合は、こんな小さいときもあったよねと懐かしむことができるでしょうから、それはそれでいいのだと思います。が、ほんのいっときの繋がりだったりした場合、なんだか時間の経過とともにありがた迷惑な代物でしかなくなる、と感じてしまったのです。

 

ついでながら申し添えますと他人の写真というのは、いわゆる賞味期限があるのかもしれません。写真付き結婚しました報告ハガキも、いくら友人でも時が経ちますとなんとなくとぼけた感じに見えてしまいます。引き出物の裏面かどこかに、日付と二人の名前が刻まれているのがユーモラスに見えてしまうのと似ているかもしれません。でもそれは新郎新婦からの「ありがとう」の挨拶であり、忘れたころに発見して「あ〜、そういえば」と思い出すのも人生の一興なのかもしれませんが。

 

私が送った我が子の写真付きの年賀ハガキは実は迷惑だったんだろうな、という恥と後悔。とはいえ当時は、写真屋さんが、写真つき年賀状を盛んに宣伝していて、もうおおはやりだったのです。結婚しました、子どもが生まれました、引っ越しました、事ある毎に写真付きのハガキでお知らせが来ます。世間に流されて私も調子に乗っていました、と言ったら自分に厳しいのか、社会のせいにしているのか……。

差し出し人の氏名から顔が思い出せない人もたまにいるので、子どもよりもむしろ本人の写真をプリントしてくれてたら良かったのに、と訳の分からない身勝手なタラレバをつぶやいたりもしました。

とは言え、こんな感想を抱いてしまう私は、やっぱり偏屈なのかもしれません。

 

写真付き年賀状、ひとつ利点があるとすれば自分自分に対してです。いくつか余分に残っている我が家の年賀状がありました。自分の子どもなので当たり前ですが、とても懐かしいし、記念になります。大切な思い出として保管することにしました。2枚あったものは、2人の息子それぞれに渡しました。なつかし〜と言っていました。

ついでながら、小学生のときに息子たちに届いた同級生からの年賀状もいくつか残っていたので、厳選して手渡しました。いつも惜しみなく何でもガンガン捨ててしまう長男が、「これは捨てられないな」と言っており、ちょっと驚きました。うっかりしますと、私が取っておきたいと思っているものまでいつの間にか捨てていたりする(それも素早い)、そんな性格なのです。

そういえば、私の小中高時代の年賀状は一枚も残っていません。親が処分したのか……小学生まではそうだったとしても中学高校大学時代のものは自分で処分したのでしょうね。結婚して家を出るときだったのか、その都度だったのか、残念ながら記憶にありません。

あまり後悔ばかりしてもいけませんが、私が注文してつくってもらった私の息子たちがプリントされた年賀状は、1枚でもいいので毎年手元に確保しておけばよかった、という無念な気持ちも一方で感じました。きっと余所のご家庭でも、息子や娘たちがプリントされた年賀ハガキの一番大きな役割は自分用、なのだろうなとほっこり想像しています。

 

そのほとんどをシュレッダーにかけた年賀ハガキでしたが、美しい絵葉書とか風景写真、海外旅行の報告など(旅行先で知り合った人)、なんとなく残しておきたいものはしばらく保存しておくことにしました。またいつか見返して、思い入れが薄れたり、年齢が更に高くなったら捨てることになると思います。

 

そういえば、

「いつもかわいい息子さんたちの写真をありがとう」

と、年賀状のお礼を言われたことがあります。

単純に嬉しかったです。

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60歳タロット 年賀状 @kinirobotti