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タロット占い師のetc

「どうしても捨てられないものがある」〜60歳からのわがままタロットセラピー7

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

お片づけ&処分でシンプルライフ

古いものは捨てましょう。

そうは言っても……

「どうしても捨てられないもの」ってありませんか?

 

つい最近買ったものでも、頂いたものでも、これ要らないな、使わないな、とポイッと躊躇なく捨ててしまうものがあります。本当はこれって悪しき消費社会の典型なので、地球環境的によろしくないことなのですが。

一方で、もう何十年も経つものなのに、こんなにボロボロなのに、もう絶対に使わないし不要なものなのに、どうしても捨てることができない、というものもあります。

どうしても捨てられないものには、自分だけの付加価値がついているのです。

タロットカード的には「カップ6」の思い出と「No15悪魔」の執着心、さらに「No6恋人」の優柔不断が相まって、「No13死神」のスパッと断ち切って新しい扉を開くという行為ができていない状態なのかもしれません。

 

けれども、どうでしょう。人間というのはそんなに効率的に論理だけで動けるものでしょうか。

タロットカードだって、そんな情緒のないことを勧めてはいません。むしろ78枚それぞれのカードは、「深い思い」を大切にすることを伝えてくれています。

占い好きの方はご存知かと思いますが、タロットカードにはその1枚1枚に、ポジティブな意味とネガティブな意味が宿っています。占い方法によっては、正位置と逆位置をみることで質問に対する助言の意味を汲み取ります。ちなみに私の占術では、逆位置をみませんので、相談者さんの様子と相談内容、出てきたカード全体をみて、ポジとネガを受け止めます。

そもそも、各々のカードには肯定の意味も否定の意味も両方含まれているのですから、わざわざ逆位置をみる必要はないのです。というのが私の師匠からの教えです。ただ逆位置が出るようにシャッフルしたほうが、引いてもらったときにプラスマイナスを判定しやすいので、本当は楽なのかもしれません。そう思ってかつてほんの数回試してみたところ私は逆に混乱してしまい、その方法は自分に向いてないということが分かりました。私の場合は、私と相談者さんとの間に漂う神秘的な何か、カードと相談者さんの間で紡がれる、あるいはカードのほうから相談者さんに積極的に問いかけたり伝えたがっているインスピレーション、などを素直に受け取るほうが自然であり、ある意味で楽です。

 

さて、捨てられないもの、廃棄を思わず躊躇してしまうときに特徴的な理由があるように思います。

ひとつは「思い出深いもの」

もうひとつは「高額のもの」

です。

 

「思い出」が染み付いているものを持っていない人はおそらくいないでしょう。そういったことをあまり気にしない人、何かをきかっけに気にしないようにした、という人もいるかもしれません。

ついでながら言い添えますと、気にしない方がクールだからと、ポイポイ捨てているとあとで泣くことになるかもしれませんので、いささか慎重になることはみなさんに繰り返しお勧めしておきます。また「No8正義」のカードのように理性ばかりでは、自分を傷つけてしまうことになります。理性や客観性はクールでかっこよく見える反面、その裏では無機質という冷酷な顔も見え隠れしているからです。それは他人や物に対してばかりではなく、いずれは自分に対しても向けられてしまうことになりかねません。

 

「思い出」というのは自分のものです。そして「思い出」は「過去のもの」です。自分の生きてきた人生の長さの分だけ思い出はあります。

「60歳からのわがままタロットセラピー1」で取り上げた写真も「思い出」に分類されます。

写真も今はデジタルですから保管場所に苦労しないので、お片づけ&処分の対象にならないかもしれません。が、これはこれで膨大な量の保存写真が、デジタル情報のパンクを引き起こしている場合もあります。とりあえず保存し続けていた似たりよったりの写真群がたまりにたまってしまうと、あとで分類するのが億劫になることもあります。そのつど整理整頓していくのが有効な作業かと思います。デジタル時代の整理整頓もけっこう面倒ですね。都度、現物と同じようにお片づけ&処分をする必要があるでしょう。気楽にストックしておけるものですから、どんどん溜めてしまう。気づいたらすごい量、なんてことも私の場合しばしばあります。ただ、視覚に入らなくても溜まっていく物や情報というのは、どこかで私たちの心の負担になっているものです。

そういえば整理しなきゃ、という思いがときおり心を過って余計な思考が積み重なっていきます。また、あれどこかにあったはずだけど……といった探索作業に時間の無駄使いをしたりします。

デジタル情報にだって整理整頓は必要ですよね。勝手に分類してくれる機能もあるそうですが、それはそれでまた思い通りに分類してくれないといった焦れったさもあるそうですね。

 

話は少しずれますが、私はドラマや映画が好きでよく録画しておきます。連続ドラマは一気に観るのも醍醐味です。ですが、あとで観ようと思っていたものがどんどん溜まって、コピーするのも面倒になって、ある日ついに機器が故障してしまって交換して録画が全部消えるという危機に陥ったとき、たまりにたまってもう録画する余裕がほとんど残っていない状態からいきなり空っぽになったとき、たいへん爽快な気分になったことを覚えています。またそこからスタートできる、というような新しい気分です。とはいえ、また溜まっていくのですけれどね。ご存知かと思いますが、その都度消す作業をせずにあとでまとめてやると、これはこれでまた数十分かかったりして疲れます。ですが、観てすぐ消すのもなんですし。もう一度観たいと思うかもしれませんしね。映画などは2〜3回観て理解できた、ってなこともありますので。

なんてごちゃごちゃと考えているうちに、捨てられないものがどんどん増えていくのです。ちなみに、ツイッターで誰かが紹介している記事を後で読もうとブックマークに入れておくことがよくあるのですが、そんなもの入れておいても絶対読まないから、と息子と言われたことがあります。確かにそういうこともあります。で、結局どんどんブックマークに記事が溜まっていく。私の場合、どちらかと言いますと読む方なので、読んだら、あるいはその記事を印刷したらブックマークから外す、という作業はけっこうできています。が、それでもなんだかんだ溜まってますね。

この話題ももっと喋りたいのですが、本題とずれますのでこの辺で。機会があればまた。

 

要するに、実際に目に触れなくても、心の片隅に思わず知らず負担を掛けてしまっている「何か」というものはあるので、それは取り除くに越したことはありません。

写真につきましては、今回のお片づけ作業では処分していません。ほとんどが子どもたちの思い出。あとは旅行の写真などです。整理整頓して、正確に言いますと整頓はしていませんが、一箇所にまとめてしまい込みました。手紙やメモ、資料などを処分したことによって、これまで置き場所に難儀していた写真を全て詰め込む空間ができたのです。

昔の写真にはネガというものがあります。これがまたたいした分量なのです。なぜネガが保管されているかというと、あとで焼き増ししたいときにないと困るな、という頭が働くからです。昭和の感覚かもしれません。ネガと写真を組み合わせて保管してあれば 「この写真もう一枚ほしい」と思ったときにネガをすぐ探すことができますが、もうバラバラになってしまっているのでそれも適いません。ネガを探し出して焼き増しするなどそんな面倒なことこれからしたくないですし、そもそも焼き増したいなどとおそらくもう考えたりしないでしょう、と思います。ですので、ネガは捨ててしまってもいいのかなとも思いましたが、その決断は今しばらく控えることにしました。数年後のお片づけ作業か、私が死ぬ直前に捨てるか、息子たちに委ねることにして、今回は写真といっしょに保管しておきます。ネガがなくなれば、またさらにスリムになるのですけれどね。

 

写真以外でも、我が子の思い出が詰まっているもの、これはなかなか捨てられません。息子たち本人が捨てていいよと言っても、捨てられない。

特に赤ちゃんのときに使っていたものなどは、本人たちは記憶にないので懐かしくもなんともないでしょうから処分しなよと簡単に言いますが、私としては子育て中の大変さも含めた愛おしい思い出がつまっていて、今回の作業ではどうしても捨てることはできませんでした。飾ったり、日々眺めたり愛でたりするわけでもないのですが。何かよほどのことでもない限り死ぬギリギリまで捨てない、と決めました。これから先の「お片づけ&処分」の際に迷うことはしません。私が死んだあとに息子たちに委ねることになるかもしれません。

 

どうしても捨てられないもののもうひとつ。捨てるのを思わず躊躇してしまう「高額なもの」に話を移しましょう。

すっごいお金出したんだから捨てられないよ。でも、必要ない。必要ないどころかおぞましかったり、悪い思い出が宿っている、そんなものもあるでしょう。

まず、売れるものなら売ってしまいましょう。少しでもお金になるなら「高額だったから捨てられない」の半分くらいは納得できるし回収できるのでは?

恋愛相談の占いで、なかなか次の恋人ができないという相談者さんが「死神カード」を引いたとき(このパターンは実に多い)、新しい恋人がほしいのなら前の恋人のことをひきずらないこと、何か思い出の品が残っているのなら躊躇なくゴミ箱に捨ててください、高価なものは売ってください、とお話しします。

高額なものでお片づけ&処分の対象になるものはあまりないかもしれませんが、それでも出てきたときにはまず売れるかどうか考えましょう。

例えば、カルト教団やスピリチュアル系に巧みに誘われて購入してしまった、世によくいう「つぼ」とか「護符」の類いとか、無価値の石とかもあるかもしれません。これらは売れませんので、燃えるものは燃えるゴミの日に、資源になるものは資源ゴミの日に、金属や瀬戸物、石などは有害ゴミの日に、各自治体の規則に従って捨てましょう。御札やお守りでもし心配なら、どこの神社でもお焚き上げをしてくれますので、お願いするとよいです。古い御札やお守りの収集所に置いて帰ってくるだけですから。

この話題もまた別の機会に。

 

古いもの、不必要なもの、曰く付きの思い出(記憶)が宿っているものは、購入したものでも、いただいた品でも、それらがどれほど高額でも、処分すべきときは処分します。

もしかしたら、それがあなたの前進を阻んでしまっているかもしれないからです。物質というは独特の雰囲気を醸しているものです。

例えば、知性溢れる書物がたくさん置いてある部屋に入ったときと、それとは正反対のものがある部屋とでは、たとえ目に見えなくても確実に感じる雰囲気が違うはずです。私たちには超能力はなくても、そのくらいの様子を感じ取る神経は誰でも持ち合わせているのです。

高額だから捨てられない、という基準は外したほうがいいと思います。

 

大々的なお片づけ&処分をすでに何度も実践してきたという人もいるでしょう。そのたびに、捨てられずに残ってきたもの、というものもあるかもしれません。

私は、これはこれでいい、と思っています。

「思い出深いもの」も「高額なもの」もそうですが、どうしても捨てられないのなら、そのときは保管に回せばいいのです。お片づけの度に次第にそれらが色あせて見えていき、ついに色を失ったらそのときが捨て時です。

それに気づくヒントとして、あれ?まだこんなの残ってたんだ、捨てたはずなのに、と思うかもしれません。実際に私も今回のお片づけで、そのような物がありました。前に片づけたときには捨てられなかったのでしょうね。それを見たとき、なんだか笑ってしまいました。

「時」が必要なこともあります。

もっと言えば、捨てられなかった物は、年齢とともに捨てることができるようになります。

余生を考えたら、もう必要ないと感じるものが増えるので。

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