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『みんなの「わがまま」入門』〜「わがまま」と「おせっかい」〜

社会運動に関する本だが、それだけではない、あらゆる人生、生活の場面に通底することが書いてある。

 

『みんなの「わがまま」入門』

富永京子著/左右社

 

富永京子、立命館大学准教授。私が著者の存在を知ったのは、朝の情報番組「モーニングクロス」(東京MX)でした。オーストリアのウィーンで研究生活を送っていて、帰国しているときにコメンテーターとして出演していました。COVID19の感染拡大によって、ここ1年はずっと東京にいるらしい。

コメントやオピニオン(番組内のコーナー)を聞いていて、とても率直な正論を述べる学者だな、とファンになりました。

ツィッターをフォローしているのですが、富永先生は毎日ケーキを召し上がっているみたいで、羨ましい。私がそれをしたらあっという間に太ります。ダイエットが大変なんで、私は、死期が近づいたら毎日ケーキを食べると宣言しています。ケーキが大好きなのです。ですので、毎日ツィッターにあげられているケーキを見るのも楽しみです。

余談はさておき、そして、とても頭の回転がはやい人なのだな、と感心しています。

頭の良い学者の書くものは、小難しいものが多いのですが、この本は、ある中高一貫校での講演を土台としたものということもあって、中学生、高校生へ向けての言い回しとなっていて、たいへん分かりやすいです。

難しいことを平易な言葉、文で話せる、書けるということが学者や物書きには大事なこと、難解な文章を書くことで優越感を味わう人もいるでしょうが、本当はそれは逆だと私は思っています。衒うことではなく、いかに分かりやすく書いて伝えることができるか、それが学者や作家の本来の仕事、使命だと思います。

本当に頭のいい人は、わかりやすく書くんですよね。

何を言っているかわからない文章は、たいていの場合、書いている方もわかってない、または、たいしたことを言っていない、のどちらかです。

町山智浩アメリカ在住の映画評論家)が、このようにツィートしていました。

小学生でも分かるように書け、とはよく言われる助言です。

 

この本のなかでは、取り組んでいる社会運動の内容を他人に説明することの難しさについても書いてあります。

例えば、家、学校、会社、特定のコミュニティー内でごく当然に使っている言葉が、別の家庭やコミュニティーにいる人には全く理解できないということだってあります。

専門用語や業界用語、略語などもそうです。著者の実家ではリモコンのことを「カチャカチャ」と呼んでいるそうです。

私達が知っていて当然とする知識は、「カチャカチャ」のような、限られた人同士で共有された知識の可能性もあります。

(P142)

話は少しずれるかもしれませんが、私が小学生のときのエピソードです。弟が学校で「ふわふわ」と書いて減点されたと母が嘆いていたことがありました。「ふわふわ」とは何だと思いますか?「スクラブルエッグ」のことです。これを我が家では「ふわふわ」と呼んでいたのです。まあ、これについては、母よ、あなたがそう呼んでいたんじゃないのか、というツッコミをしたいのと、先生も先生で、正しい名称を教えてあげて、マルをくれたってよかったのでは?とも思うのですが。

こういうのを「おうち語」と言うらしいのですが、これで思い出すことがもうひとつあります。

とある通信教育会社の添削指導員の試験と面接に受かって、研修に行ったときのことです。説明してくれる社員さんが「○○○○」という四文字をしきりと使うのです。何のことを言っているのかさっぱり分かりませんでした。しばらくしてその言葉は、ある冊子の略語だと合点しました。そしてこう思いました。「ああ、これって、社員の間で通用しているワードなんだな」と。これは、最初に教えてほしかった。研修に来ている我々は見るもの聞くもの、何もかもが初めてなのですから。戸惑っている間は意識が本題から外れたりするので、双方にとってよくありません。ちょっと例えは変かもしれませんが「木村拓哉のことを“キムタク”と呼びます」と、ひと言断りが最初にあれば、余計な心労は必要ありませんでした。

いや、この本を読んだあとではこう思います。「はい」と手をあげて「〇〇〇〇とは何ですか?」と質問すればよかったのですよね。理解できている人もいたかもしませんが、一方で私のような人もいたはずですから。けれども実際の現場では、その勇気はなかなか出せません。話に割り込んだらいけないのではないか、などと逡巡してしまうので。いかにも日本人です。それにひろ〜い会場でしたから…最前列にでも座っていればできたかも…と今さら言い訳が出てきます。

でも、こうして考えることが次へつながるのです。

 

生活や仕事が違えば、分からないこと、通じないことはあります。社会運動のなかだけではなく、それはごく普通の価値観や習慣の違いにも言えるでしょう。そこが理解できずに排除したり、誤解したまま、ということが社会生活のなかでは多々あります。

特異な単語は解説したり、難解な言葉は平易な説明で補ったりすることの重要性を著者は語っています。この本のなかでもそうであるように、そういえば著者は「モーニングクロス」のなかでも、一般視聴者には馴染みが薄いと思われる言葉には、ささっとその意味を加えて話してくれます。なので分かりやすい。分かりやすいので、こちらにも考える余地が生まれるのです。

 

上の私の個人的なエピソードでもすでに言及しましたが、この本には「自分の困り事が、声をあげてみたら実は他の人も困っていることだったということがある」と書いてあります。ゆえに、我慢しないでわがままを言おう、権利主張しよう、ということなのです。

映画「パラサイト」で作品賞他を受賞した、ポン・ジュノ監督の2020年アカデミー賞授賞式でのスピーチで紹介された「最も個人的なことは最も創造的なことだ」というマーティン・スコセッシ監督の名言も、そういうことを含んでいるのではないか、と思います(この名言は他にも様々な意味を含んでいると思います。私の感覚が全てではありません)。個人的に声をあげる→共感→社会の変化。

 

さらに「おせっかい」についても書かれています。当事者でないからこそ言えることがある、と。

これで思い出すのが「レ・ミゼラブル」。あの市民革命を先導したのは、生活に困窮している貧しい人たちではありません。裕福な青年たちです。そもそも貧しい人たちは声をあげるための余力(物理的にも精神的にも)を持っていません。だからこそ、社会の仕組みに疑問を持った知識も教養もお金もある青年、学生たちが立ち上がってくれたのです。

 

革命でも社会運動でもありませんが、私のかつての知人のたいへん「ありがたい行動」も、この「おせっかい」にあたると思います。

息子の幼稚園バスの話です。少し分かりづらいかもしれませんが、なんとか説明します。

私には息子が二人います。年子です。上の子が幼稚園に入りました。下の子は私から絶対に離れない臆病な性質で、常に抱っこやおんぶをしていなければなりませんでした(当時は自閉症を疑いました)。

幼稚園バスは、我が家から少し離れた住宅地が集合場所になっていました。たいした距離でもないのですが、このときの私にはそこまで歩くのがとてもとても長い距離に感じていました。こちらの集合住宅まで来てくれないのは、バスが奥まで入れないから、という理由でした。

幼稚園1年目もあと少しというある日のこと、バスの集合場所のすぐ前の家の園児のお母さんKさんから電話がかかってきました。「このあいだ、園バスがそっちの奥まで入っていくのを見て、あ、バス入れるんじゃんと思って、そっちの集合住宅まで行ってくれませんか、と幼稚園に提案した」と言うのです。すると園側から「Kさん、あなたわざわざそちらの集合住宅前まで行きたいんですか?あなたに関係ないでしょう」と言われた、だから、「直接交渉してみたら?」と。

びっくりしました。よほど私がたいへんそうに見えていたのでしょうか。Kさんに大変だなどというような話をしたこともなかったのです。

この人、他人のためにこんなことまでしてくれるんだ、いい人なんだな、と感激しました。

Kさんの「おっせかい」に励まされて、私自身が園に話してお願いし(どんな風に交渉したか全く覚えていません)、なんと、こちらへもバスが来てくれることになりました。この集合住宅前を使う園児は他に数名いました。

ただ、この話が決まったときにすごい剣幕で電話してきた同じ集合住宅に住む園児の母親Sがいました。仲のいい友だちがあっちの住宅にいるのに朝会えなくなっちゃうじゃない、と(この人、意地の悪い人で、このあとも長年に渡って私は何度か嫌がらせをされています。息子たちが小学生のとき、同級生のお母さん数名の集まりに誘われた場では、彼女たちのこの母親Sに対する噂話はあまりよくないものでした)。

朝会えなくなっちゃうのは申し訳ないけど、家の前から乗れるのは本当に助かるし、そもそも園バスはお母さんたちの井戸端会議のためにあるわけではありません。これも、この本を読んだあとですと冷静に考えられます。私とSと、どちらの「わがまま」「要求」が合理的なのか。

ひとつ考えられるのは、前段階で例えばこの集合場所を使っている家庭の人たちで相談するべきだったのかな、ということは反省としてあります。けれどもおそらくそうしていたら、このSの「友だちと朝会って話をしたい」という要求が通っていたと想像します。こちらの集合場所のほうが便利だと思っている人たちがいたとしても(いたと思います)、我慢、あるいはもともとそっちだったからという諦念的容認から、このSに同調したと思います。

結果どうなったかと言いますと、じゃあ今からまたもとに戻してくださいと園に申し入れますよ、と電話口で私は言いました。この人のエゴにつきあうのがバカバカしかったので。すると、今さらいいよ、という感じで電話は終わったのです。剣幕の向こう側で、このSにも多少の理性があったのでしょうか。

相談していたら反対したのは確実ではありますが、もしかしたら私が上手にアプローチできたら賛同してくれたのかもしれません。Sの場合、何を根拠にマウンティングしているのか知りませんが、私に挨拶もなしに勝手なことするな、という意味合いが強かったのでしょう。これこそネガティブな意味で面倒臭い人です。こういう雰囲気は様々なグループのなかで大なり小なりあります。よくないDNAだと私は思っています。

ちなみにこの電話口では、私が園に要求した理由の説明として、Kさんの親切心と行動に促されたという話を伝えてあります。

のちにあちらの住宅前の空き地には家が建って狭くなりました。こちらの集合住宅には駐車場につづく広めのスペースがありますので、園バスの運転手さんにとってもUターンしやすかったのではないでしょうか(プロの方によけいなお世話ですね)。いずれにしても安全のためにも、他の人たちにとっても、これは良い結果だったと思っています。

そして、今でもこの園バス集合場所は使われています。朝、そこで園バスを待っている親子を見ると嬉しくなります。

 

当事者でない人は何も口出しできないのでしょうか?

(P243)

私のエピソードの場合、Kさんの「おっせかい」は、園側からすれば無関係なあなたが何を言ってるの?って感じだったのだと思います。私も驚いたくらいですから。

パリの市民革命では、裕福な人々が命の危険を犯してまで国と戦うなんて、お前ら何やってんの、貧しい奴らのために自分の人生台無しにするのか?ってなもんですよね。もちろん貴族のなかにも政治への不満を持っている人はいたでしょうが。

こういう「おせっかい」な人がいてくれるからこそ、世の中が改善されるということがあります。

「おっせかい」をすると日本では疎まれたり、ときに怒られたりします。子どものころからそんな体験を積んでいくと、善なる心も萎えていきます。私がそうでした。日本は「喋る」人を嫌いますから。

「わがまま」を言うべき立場の人はなかなか言い出せない、だから代わりに言ってあげることは大事だし、もしかすると代わりに言うことがじつは自分自身の言いたい「わがまま」と結びつくことがある。

(P253)

 

学校のイジメ問題もそうですよね。おせっかいな正義の人がいて解決されることもあります。近年では、教師の質の問題も相まって、そうそう単純ではないではないようですが。

「今だけ、金だけ、自分だけ」の世の中では、「おせっかい」は損をする行為と見做されているようなので忌避される傾向にあるのかもしれません。電車のなでも道路でもスーパーマーケットでも、昔はおせっかいで親切な人っていましたけど、日本人は往々にして冷淡になりましたよね。内田樹(哲学者・武道家神戸女学院大学名誉教授)は、意地悪になっていると言っています。海外の人のほうが今ところまだおせっかいかもしれません。もちろん国籍、居住地に関係なく「人による」のですけれど、一定の国民性、あるいは民族性はあるように思います。

 

この本を読んだあとに当時を思い返してみますと、幼稚園バスのエピソードは、「おせっかい」に気付かされ、促されて「わがまま」を主張して、それが奏功した実例です。

繰り返しますが、世の中にはこんな親切な人がいるんですね。Kさんのことは一生忘れません。もう長いこと会っていませんが、願わくばあらためてお礼を言いたい気もちです。

 

「わがまま」はすなわち「権利主張」なのだと思います。誰も必要以上に我慢することはないのです。けれども声をあげると波風が立ったりして面倒なことも起きたりする。だったら黙って我慢しておくほうが楽だな、とおそらくほとんどの人がそっちの選択をするのだと思います。

裁判が良い例です。お金も時間もかかるし、面倒なので泣き寝入りする。

ゆえに「憎まれっ子世にはばかる」の世界が広がってしまうのです。

 

富永准教授がこの本で発信してくれていることは、研究課題としては社会運動ですが、運動まではいかずとも、快適な生活、人生を送りましょう、そうする権利は「みんなに」あるのです、ということだなのだと思います。だから「みんなのわがまま入門」なのです。

おかしな校則、満員電車、パワハラ、セクハラ、社会の仕組み、親の言い分、理不尽なこと……あらゆる世代のあらゆる現場に「わがまま」を言っていい、いや、言うべき事例があります。

日本人は我慢が美徳のように育てられています。

学校では従順であることを教えられているので、大人になっても主張ということが苦手です。なんだったら、主張する人は面倒臭い奴、悪い人になってしまいます。デモも民主主義の正当な行為だと教えてもらっていません。著者が言うように、デモをする人は怖い人というイメージすら植え付けられている始末です。

「あなた自身の社会スウェーデンの中学教科書(新評論)」という本が話題になったことがありました。現在の天皇陛下が皇太子時代45歳の誕生日に朗読されたドロシー・ロー・ノルトの詩「子ども」

批判ばかりされた子どもは非難することをおぼえる

(略)

しかし 激励を受けた子どもは自信をぼおえる

(略)

が収録されています。社会に参加する方法が様々しっかり学べる教科書になっています。

人は一人では無力です。何かに影響を与えたいとき、成功を勝ち取るのは他の人々と一緒にやるときです。多くの人々が集まりデモをすれば、統治者はより真剣に耳を傾けようとしますし、マスメディアのより大きな関心も引き付けることになります。(P131)

 

「みんなのわがまま入門」のように富永先生の講義を受けて、ワークショップで「わがまま」提示を体感してみる、あるいは実際に学校で、給食や制服、校則など不満のある所を生徒たちが学校に要求するということをしてみる、そんなことができると、日本人も少しづつ変わっていけるのかもしれません。例えば、売店にキャラクターグッズを置いてほしい、とか。奇妙な道徳の教科書を学ぶよりもずっと有益ではないでしょうか。この本では、売店のパンの種類を増やしてほしい、という要求について書かれていました。

要求すれば何でも通るわけではない、ということも学びのひとつですし、また諦めないで実現させるための説得力を学ぶこともできます。

私が中学2年生のときのことです。学校でとつぜんアンケートなるものに記入するように言われました。そのなかに制服についての質問がありました。友人とも話して「セーラー服にしてほしい」ということをその理由も含めて熱を込めて書きました。そう書いた人は数名いたと記憶しています。けれども何も起きませんでした。そもそもそのアンケートがいったいどういったもので、どう使用されたのか、結果はどうだったのか、音沙汰なしでした。何だったんだろう?

今あらためて当時を振り返りますと、みんな何かしら不満や希望は持っていて、希望については熱心に伝えようとするのだな、ということに思いが至ります。楽しかったです。

 

さて実は私、このたび、集合住居での不満があり、我慢すればいいか、我慢するしかないのか、と2〜3年ずっと思ってきたのですが、「60歳からのわがままタロットセラピー(※)」的には、余生も限られてきたなか、心地よく過ごして死んでいきたいという趣旨のもと、管理人さんに「わがまま」を提示しました。お金を払って住んでいるのですから、住民なら誰でも快適な暮らしを主張する権利はある、そんなことをどこかで読みましたので、実行しました。

言ったら言ったでややこしいことも発生してきますし(精神的にも)、そもそもその主張を聞き入れて動いてくれるかどうかも分かりません。動いてくれたとしても、解決しないかもしれません。それでも、我慢するよりはいいかな、どうせあと少しで死んじゃうんだし、と思ったら開き直れたのです。何もしなければ何も改善されません。けれども行動すれば改善される可能性が出てきます。それにもしかしたら、困っているのに言い出せず、あるいはこの程度は我慢しなきゃ、と思っている住人が他にもいるかもしれません。

もし解決しなかった場合は、引っ越しも視野に入れています。金銭的な問題その他もあるのであまり現実的なプランではないのですが、そういう希望をもちつつ、不具合に耐えられないのであれば逃げるしかありません(学校と同じですね。いじめっ子が残って、いじめられている方が転校しなければならない)。最悪の事態を想定して受け入れる覚悟をしておくことは、ポジティブな心構えを助けてくれます。最悪を恐れるのでネガティブになってしまうのですから。

人生の最後、1年でもいいので、心静かに死んでいける「庵」を見つけたいと思っています。

読書エッセイですのに、「60歳からのわがままタロットセラピー(※)」のような締めくくりになってしまいました。

 

(※)私はこちらで「60歳からのわがままタロットセラピー」を執筆中ですが、決してこの本のタイトルをパクったわけではない、ということは申し添えておきます。

ちなみに、「わがまま/権利主張」と「おせっかい/人ために気を利かせる」は、タロットカードで言いますと「No8正義」と「No6恋人」が代表的なエネルギーです。

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