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60歳からのわがままタロットセラピー12「ネガティブな思い出への処方箋」〜あるいはペイ・フォワード〜

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

「60歳からのわがままタロットセラピー5」で触れました、ネガティブな思い出・記憶の対処方法について、ここで少し述べておきます。

カップ6」カードは、私の解釈では「(幼い頃の)思い出」です。

思い出と言うとなんとなくロマンチックな様子を思い描くことが多いかもしれません。が、思い出というのは良い思い出ばかりではありません。ネガティブな思い出すら懐かしい思い出に変わっていたりします(これもなかなかややこしいテーマですので別の機会に譲ります)。ゆえに「記憶」とここでは換言することにします。

 

過去の出来事は、ネガティブなものほど実はしっかりと取り組んだほうが良いのですが、反省や内省などというワークに四つに組むような十分な時間も体力も、老後には残されていません。

ですので、私のオススメ方法は、あっさりと対処することです。あっさりと。

傷を広げても、傷つき続けても、悔しい思いを持ち続けても、腹を立てても、恨み続けても、いいことはなにもありません。

たいていのネガティブな記憶は自損事故ではなく、相手のあることだと思います。

自損事故の場合は、自分はなんてバカだったんだと自分を責めるわけですが、それもやめましょう。これからの余生を楽しく過ごしていこうというのに、自分卑下ばかりでは楽しくありません。

相手がいる場合には2通りあります。自分が誰かを傷つけた場合と自分が誰かから傷つけられた場合です。

 

あなたが誰かを傷つけた場合は、後悔の念に襲われることでしょう。ですがいくら後悔してもその事実はなくなりません。心のなかで「ごめんなさい」と謝罪して許してもらいましょう。そのときの自分にも何かしら訳があったのでしょうから、そこまで解明できそうであればしてください。できなければ棚の上にのせて忘れましょう。死ぬまでの間のいつの時かにハッと気づくこともあるかもしれません。

相手の人がどれだけ自分を恨んでいるかですけれど、これはもう相手の問題ですので、罪を認めてごめんなさいという気持ちがこちらにあるのであれば、身勝手かもしれませんが許してもらいましょう。

ときどき、実際に手紙を書いたり、会いに行ったりして謝りたいと言う人もいますが、どうしてもそうしたいと言うのであれば私も強硬に阻止はしませんが、できればやめたほうがいいと思います。もちろん良い結果が得られることもあります。けれどももうはるか昔のことです。お互いに今現在の生活があります。相手だって思い出したくないかもしれません。忘れてしまっていることをわざわざ浮上させることもありません。もちろんなかには奇跡的でドラマチックな展開が万が一あるかもしれませんが、あくまでも万が一です。

 

あなたが誰かから傷つけられた、不当な扱いを受けたという場合は、思い出せば思い出すほど口惜しさや屈辱の念がふつふつと湧いてくることでしょう。考えれば考えるほど相手のほうが悪い、あれは意地悪な行為だったという思いが募り、納得がいかないがゆえに、なんであんなことをしたのかと問い質すために相手のところへ乗り込んで行く妄想さえ描くかもしれません。最近では過去のセクハラやパワハラなどを訴えるという事例が海外でも起きており有罪判決も出ていることを考えると、訴えてやろうかなどと思うかもしれません。

セクハラやパワハラや侮辱やいじめを受けて現在PTSDなど精神疾患を得ているようなことがある場合、時間と金銭的余裕を鑑みて、そして弁護士と相談してどうするか決めてください。

作家の古谷経衡は、親から受けつづけてきた虐待を法廷に持ち込みました。「毒親と絶縁する(集英社新書)」に詳しく書かれています。

 

どうしても恨みを晴らしたいという人もいるかもしれません。かもしれない、というよりも記憶にのぼってくればそんなネガティブな気持ちにならない人はいないでしょう。そのような恨み辛み怒りの気持ちが生きがいになる(そんな人もいるでしょう)と言うのであれば私に止める権利はありませんが、しかし、年齢を考えたとき(いや全年齢でそうかもしれません)、そんなこと(あえて「そんなこと」と言います)にかまけて、余生の限られた時間を無為に過ごしてしまうことは得策でないと私は思います。

相手に思い知らせてやりたい気持ちは、多かれ少なかれ誰もが持っていると思います。こちらはこんなに傷ついているのに相手はのほほんと暮らしている、もしかしたらいまだにどこかで悪口を言われているかもしれない、あいつのあれはいったい何のつもりだったんだ。そんな風に思ってしまうこと、ありますよね。

けれども、どうでしょう、タロット占い師から言わせていただくと、そういった心の態度はNo15「悪魔」カードのネガティブなエネルギーそのものなのです。そう考えますと、自分で自分が怖くなりませんか。

確かにあなたも私も傷つきました。トラウマも抱えているかもしれません。上記の古谷さんも、パニック障害という完治しない精神疾患を持つことになってしまいました。

古谷さんは1982年生まれ。2021年時点では38歳です。まだ若い。ものすごく計画的に訴えを起こしています。

60歳前後から上の私たちは、もっと別の魅力的なことに心血を注ぐほうが幸福に生きることができるはずです。簡単に、いやちょっと乱暴に言えば、面倒なことからは逃れて、好きなことをして生きて、死んでいく。

どうしても決着をつけたいという人は、そうしてください。それも人生です。

けれども、できれば平穏に幸せを感じながら過ごして生きていくことが穏やかな死につながります。

「悪魔」カードは執着と束縛を意味しています。勝手に誰かへのネガティブな思いをつのらせていつまでも思考にのせているということは、その見えない相手、あなたのことをもう名前も顔も忘れてしまっているかもしれないその人にいつまでも支配され、操られていることになってしまうのです。そんなヤツ(言葉遣い悪くてすみません)のために、自分人生の楽しみを奪われてしまうなんてバカバカしいです。

もしどうしても思い出したいのであれば、小説やエッセイでも書くように、客観的に遡上にのせて物語るという方法がポジティブで生産的だと思います。そこから何らかの学びや新発見が得られるかもしれません。

 

自分が誰かを傷つけた場合、心で謝罪して許してもらうことをおススメしました。ならば、傷つけられたことも、どこかで誰かが心で謝罪したり、恥じているかもしれません。

人生のなかで一方的に、自分だけ傷つけられたという人はいません。私たちはみな、傷つけ、傷つけられています。そういう意味で相互依存的でもあるのです。

自分を傷つけた誰かがどこかで能天気に暮らしているように思うかもしれませんが、どこかで誰かがあなたのことを同じようにそう思っているかもしれないのです。

 

誰かが誰かに謝り、その誰かがまた誰かに謝る、そんな循環が許しの循環なのかもしれません。

ここから先は、今出会っている人、これから出会う人に対して、恨んだり要求したりするのではなく、許したり、親切にしたりしていけばいいのではないでしょうか。若い頃にできなかった分、そして振り返ればなおのこと申し訳ない気持ちが募るのであれば、その人に直接ではなく、別の人にお返ししていけばいいのだと思います。

この考え方は好都合ではなく、日本でも昔から言われている「恩送り」です。欧米では「ペイ・フォワード」と言われています。Pay it foward。受けた善意をその人に返すのではなく、別の人に返していく、という意味です。ゆえに「恩返し」ではなく「恩送り」。Aさん→Bさん→Cさん→Dさん→Eさん……と延々と続いていきます。そしてまたそれは→Aさんと戻ってくることでしょう。世界中でそうしているのですから。

自分がやったこと言ったことは自分に戻ってくる帰ってくる、というのはそういうことなのです。

 

ペイ・フォワード」(2000年アメリカ)という映画もありました。主演はハーレイ・ジョエル・オスメントです。

少し長いですが、あらすじを引用します。機会があればぜひ観てみてください。

原作者キャサリン・ライアン・ハイドは「ペイ・フォワード」誕生についてこう語っている。 治安の悪い町で車がエンストしてしまったハイドは、車に近付いてくる男2人に恐怖心を抱く。しかし男はエンストしてしまったハイドの車を快く修理してくれたのだった。そこから、この“善意を他人へ回す”という思考が誕生した。

あらすじ 
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。

中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。

トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。

Wikipediaより)

 

「お片づけ&処分」の最中のみならず、「思い出」はときどきふっと心をよぎります。楽しく嬉しい記憶ばかりなら良いのですが、自責の念や恨み辛み、疑問すら湧いてくるかもしれません。そのネガティブも含めてこれまでの人生だったのだと達観して、さらに好都合に解釈していくことも、晩年の人生を豊かにしていくコツだと思います。

ただし、好都合に生きるからと言って、自分の欠点を大目に見すぎて横暴な老人になっては元も子もありませんので、できるだけ静かな心持ちを保って穏やかに生きるよう心がけることが間違いが少なくて済むのではないでしょうか。晩節を汚すなんてことにならないように。タロットカードで言えば「No14節制」の本領発揮です。

 

梨木香歩著「ほんとうのリーダーのみつけかた」(岩波書店)のなかの一節にこうあります。

吉野さん(吉野源三郎)の『君たちはどう生きるか』のなかで、コペル君のお母さんが思い出話をするところがあります。お母さんが若い頃、石段を登るおばあさんに、「おばあさん、もってあげましょう」、とどうしても言い出せなかった、そういう後悔の思い出です。けれど、お母さんは、その思い出は厭なものではないと言う。また同じようなことが起こったときに、自分の気持ちを素直に行動に表すことが少しはできるようになった、それはやはり、あの思い出のおかげだから、と。

(P10)

 

ネガティブな記憶へのシニア世代的対処方法について書いてきました。

もちろん良い記憶もいっぱいあると思います。それらは自分の自信やこれからの活動の下支え、応援、喜びとしてあらためて受けとめさせていただきましょう。

あんなに良いことをしてもらったのに、助けてもらったのにお礼ができていない、というようなことが心に留まっているのなら、先ほどのペイ・フォワードを実践すればいいと思います。もちろん、実際に会ったり、手紙を書いたりできるのであれば直接の感謝も良いと思います。お礼を言われて嬉しくない人はいないでしょうから。その相手の方がすでに故人であるなら、お線香をあげに行ってもいいし、お墓参りに行くのもいいかもしれません。

いずれにせよ、できるだけ心残りを少なくして、穏やかな心持ちで余生を過ごし、死んでいきたいものです。

 

いろいろ偉そうに書いてきましたが、ネガティブを許したり忘れたりすることは、凡人、生身の人間には難しいことです。お釈迦様ならいざしらず、僧侶だって神父だって、葬儀やミサのとき(失礼ながら)いかにもって顔で説教を語って聴かせてくれますが、ネガティブな感情をこれっぽっちも抱かないという人は皆無と言っても過言ではないはずです。

無念な気持ち、恨みがましさが記憶のなかにあるのなら、いつなんどきでもふと心を過ぎることは誰にとっても珍しいことではありません。ですので、それをいったん受けとめて処理する、を繰り返すしかありません。

そして、できるだけそのようなネガティブな気持ちが起きないように、好きなことをして楽しい生活をしましょう。環境に不満があるのであれば、環境を変えてしまうことも大事だと思います。

 

最後にひとつ。

ネガティブな記憶と向き合うときに、自分が悪かったんだと自己処罰的な心の態度になってしまうことは避けましょう。だからといって他罰的であることもまた避けたいところではあります。自分が悪かったこともあれば、相手が悪かったことももちろんあるのです。

いつもいつも自分が悪かったと思うのは絶対避けてください。なんだったら、今となっては解決のつかないことなのですから、あっけらかんな気持ちで、あの人がいけなかったんだよ、と手放す感覚でそのネガティブがら解放されるものひつの手です。

 

追記

ハラスメントや差別問題などで、自身の過去の体験を持ち出すことが社会運動への賛同、参画となり、社会変革への一助となることもあります。

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60歳タロット ペイ・フォワード @kinirobotti