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スタンダップコメディアン村本大輔「あの時の悲劇はこの先の喜劇に」~マーベラスな体験談~人はいつ死ぬか分からない~

「感動が新鮮なうちに書く」というのは大事だ。

 

「あの時の悲劇はこの先の喜劇に」

noteへの村本大輔の投稿。

 

すばらしい。

この内容だけで小さなドラマが撮れそうだ。

 

夢中になると便秘になるのだな。

早朝5時ごろこの投稿に読みふけっていたら、トイレへ行くのを忘れた。

ゴミ出しも忘れそうになった。

ルーティーンが乱れた。

 

読みながら、マーベラス・ミセス・メイゼル」(※)が心を過っていた。

そうそう、彼女もこんな感じだった。

(※)
レイチェル・ブロズナハン主演のアマゾンビデオコメディドラマ。レイチェルは「ブラックリスト」にも出演していたが、そのときは悪役だった。ミセス・メイゼル役は適役だと私は思っている。シーズン3を楽しみに待っているところ(2019年8月現在)。 

村本が書いているように、ユダヤ人がアウシュビッツを、黒人が人種差別を、女芸人が男に振われた暴力をネタにして笑う、というアメリカの芸人たち。

ミセス・メイゼルは、ユダヤ人(富裕層の家庭に育った専業主婦)。ユダヤ女性差別もネタにする(ドラマの背景は1958年ニューヨーク)。

コメディアンになるきっかけは、夫に浮気をされた愚痴を、ガスライトというカフェのステージで喋ったこと。飛び入り即興スタンダップコメディ。それを見ていたガスライトの店員スージーが「天才だ!」と、マネージャーを買ってでることに……。

ミセス・メイゼルの天才性は即興でそのとき感じていることを面白おかしく喋ること。

これらミセス・メイゼルのシーンは、村本の投稿記事にあるシーンと符号する。

テキサス州オースティンには沢山のお笑いをやれる場所がある。だいたいBARの奥にステージの付いた客席があり、腕試しをしたいミュージシャンや芸人達が歌やネタを試している。

アメリカでやったネタは色々あるけど一番盛り上がったのは「日本で大麻を合法化したほうがいいという発言をして、仕事をクビになった、1ヶ月無職。発言だけで。それが日本だ、おい日本、お前ら一度、大麻吸ってリラックスしろ」ってネタ。

アメリカの劇場の支配人が言ってた。「うちの劇場に出す芸人はなにか言いたいことがあるやつだ」と。

だけど多分、このネタは1ヶ月後はもうウケない。なぜなら「おれがいま言いたい」という気持ちがあるからいまウケるんだ。不思議なものでそれは絶対にお客さんに伝わる。

そのとき感じたこと言いたいことを、そのとき喋る。書く作業も同じだと思う。

ゆえに、私は、急いでこれを書いている。

感動は薄れていく。もちろん、積み重なって教養となってその人間の厚みとなっていくこともあるし、ずっと考え続けていることだってある。

メモしておいても、なんでこんな風に思ったのかな、ということもけっこうあったりする。そのときは、アハ体験だったのはずなのに。

自分が成長してしまったということもあるだろうし、それほどのことでもなかった、ということもある。が、そのときそれについて書いていれば、何か面白いことが書けたこともあるかもしれない。

一方で、急激な熱狂というのは注意が必要だ。ほだされてしまって、後から思うと恥じ入ってしまうこともあるからだ。

 

ミセス・メイゼルは、変にネタ作りをすると失敗する。面白くない。堰切って、思いっきり喋るのが真骨頂だ。

 

芸人はジェスター(ジョーカー)、宮廷道化師だとよく言われる。タロットカードでは「No0愚者」。支配者、王様のそばにいて、権力批判、揶揄をするキャラクター。愚者は、バカの振りをして実は頭脳明晰、悪いことをしようとしている人たちからすれば怖い存在だ。ゆえに時事ネタ、権力批判をするのが芸人なのだから、政権と懇意にするのはよくない、と言われることがある(2019年夏、とくに吉本興業のことが話題です)。

村本のこの投稿を読んで、あらためて思った。そういうことなんだな、と。つまり、今起きていること、今感じていること、それこそ劇場に来る直前に起きた事、出会った事をネタにして笑わせる、その臨場感やオリジナリティ、それがスタンダップコメディーの本質なんだな、と。

村本の投稿を読みながら、先日視聴したばかりの2019年夏ドラマべしゃり暮らし」(日本テレビも脳裏を過った。主人公コンビ(高校生)が創ったネタを盗んで、他のコンビが漫才コンテストで漫才をした。そのあと出場の主人公コンビは即興漫才をする、という第1話。この放送を観ながら、私はやはり「マーベラス・ミセス・メイゼル」を思い出していた。

 

「プレバト」というTBSテレビのバラエティ番組がある。そのなかの「俳句」査定コーナーで、夏井いつき先生の「空想ではなく自分で体感したことを書きなさい」という助言あるが、それも同質のことだと思う。

もちろん、村本にもネタ帳はある。作家にも備忘録はある。普遍的ネタもあれば、時事的ネタもある。「時事」とはそういうことだ。

 

ネタを書き、英訳し、英語の勉強をし、ネタ帳を持ってバーや劇場を回り、断られてもくらいついてネタを披露させてもらう、そしてウケた!という村本の果敢な異国での挑戦。すごいパワーだ。

内容も背景も全く別種のものなのだが、

若林正恭著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」(KADOKAWA

をふと思い出した。

クオリアテイストが私のなかでは同質、のようだ。

「情」が漂っている、「感性」が鋭い、「思考」が深い。

そして、人生と向き合っている。

今騒がれている吉本問題についてなぜ黙っているのかと問われたことに対して、村本は次のように書いている。

ワイドショーにふりまわされるほど、おれは暇ではない。人はいつ死ぬかわからない、まだまだ乗りたいアトラクションがある、(略)

「人はいつ死ぬかわからない」という覚悟。

タロット占い師の私は「死神幸福論」を唱えているが、まさしくそれだ。「明日死ぬとしたらあなたは今日何をしますか?それがあなたが本当にしたいことです。明日だとあまりに時間が短いので、3日後でも1週間後でも、半年後…でもかまいません。思いを致してみる価値はあると思います」

村本大輔の本当の自分を生きようとする覚悟のほどがうかがわれる。

 

臨場感あふれる文面。

ぜひこの投稿、ご堪能してください。

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