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「ハヤブサ消防団」〜えぇ?カルト教団の話だったとは

 まさかの展開に、ちょっと唖然。

 

ハヤブサ消防団テレビ朝日2023年7〜9月/木曜夜9時

原作/池井戸潤 脚本/香坂隆史

出演/中村倫也 川口春奈 山本耕史 満島真之介 生瀬勝久

 

 池井戸潤のサスペンスといえば、多岐にわたる舞台があるが、今回は町の「消防団」がテーマなのか?と、ちょっとほんわかしたドラマを想像していた。ところが、1話目からいきなりサスペンス臭が漂ってきた。

 あ、こういう話?そっち方向で楽しめばいいのね?

 ということで、放火と殺人の犯人探しの謎解きをしながら視聴を重ねていった。

 すると、中盤辺りから雲行きが奇妙な感じで怪しくなってきた。

 主人公の作家・三馬太郎(中村倫也)が、映像ディレクターでいささか謎めいた女性・立木彩(川口春奈)と親密になったとたん、彩が「アビゲイル騎士団」の信者の可能性が高いから注意するようにと編集者の中山田(山本耕史)から忠告される。

 ええぇ?そんな話なの?ちょっと話の展開に一瞬ついていけなくなった。

 アビゲイル騎士団とは、かつて信者12人を拷問死させるという大事件を起こした宗教団体。すでに解散しているはずだが…。

 

 原作ではもっと複雑な人間模様がからんでいるようだが、いずれにせよ、教団が聖母として崇めている女性(若いときに死亡)の出身地がこのハヤブサ地区ということで、事件後もまだ活動を続けていた教団のメンバーたちが、移住によってハヤブサユートピアを築こうとしているらしい。そこにハヤブサ消防団が立ち向かう、という物語。

 加えて終盤は、立木彩が新しい聖母に祭り上げられようとしていることが判明。

 困っているとき、悩んでいるときに助けてくれた人を人間はいとも簡単に信じるし、さらに自分を認めてもらえたりすれば承認欲求も満たされ、信頼の度合いはますます高まり、服従の気持ちも芽生える。彩もそのひとりだった。

 まさにカルト教団の巧みな手口だ。

(↓「ハヤブサ消防団」批評のつづきは下方で読めます)

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 ここですこし、ドラマ批評からは横道に逸れる。

 2023年3月にBBCが報道したことで、ようやくいっきに火がついたジャニー喜多川の性虐待事件。

 私はフォーリーブスのファンだった。とくにコーちゃんこと北公次のファンだった。そのコーちゃんが1988年に「光GEBJIへ」という暴露本を出版した。そのなかにすでに性虐待について書かれていた。そうなの?という思いのなか、たぶん本当なのだろうと思いつつも、それ以上に世間では問題視される様子もなく、その後もSMAPTOKIO、嵐…とジャニーズは強大な帝国となっていった。

 一方で、その暴露本がジャニー喜多川の怒りに触れたことで、フォーリブスの映像をテレビ局が使えないという状況がずっと続いてきた。青山孝、北公次が亡くなったときも「なぜだか分からないが若い頃の映像が使えないのです」と、小倉智昭が朝の番組で不満と怒りを表していたのが今でも強く印象として残っている。小倉は若い頃、若い彼らと共演しており、その無念さは人一倍なのではないか、と想像した。

 まさに「触れてはいけない得たいの知れない何か」が、現場にはあった(ある)のだろう。おそらく事務所側からかつてそういったお達し(脅迫や圧力の類い)があり、それが20年も30年もいわゆる忖度という形で続いてきている(いや、たぶんもし使用したら実際に大変なことになる)、ということなんだろうなと今さらながら今回のことで明確となった。

 1回目の会見で新社長となった東山紀之は、元SMAPの3人などの活動を妨害しないと約束してほしいという記者からの要望に、そんなことはもちろんしないと明言。私からのお願いは、フォーリーブスの当時の映像をテレビ局は使ってください、ということです。忖度の必要はもうどこにもないのだから。

 

 なぜ「ハヤブサ消防団」のドラマエッセイのなかで、この話題を挿入するのか。

 キーワードは「カルト教団」である。

 一連のジャニーズ事務所関連の報道を見ていて、これは一種のカルト集団なのだな、と思ってしまった。

 その根拠は、現在活躍しているタレントたちの発言にはっきりと現れている。いや、退所し告発、告白している人たちのなかにも一部依然として存在している。「ジャニーさんのことは好きだ」「ジャニーさんに感謝している」という言葉と感情である。

 東山は、2023年9月7日の会見で「事務所の名称は変えない」という結論にたどり着いたと言っていた。所属タレントたちやファンたちの意見を聞いて考えたと言っていた。これこそが狭窄的な思考、判断の枠組みである。すなわち例えるなら、教団幹部が出家信者そして在家信者に話を聞いて決めた、ということになるからだ。出家信者はタレント、在家信者はファン。

 いわゆる統一教会(協会)の報道を見ていれば同様の構図だと分かるのではないだろうか。

 会見のあと「show must go on」などとして、敬礼するかのようなポーズの自身の様子をインスタにあげたジャニーズの大スターがいた。これは、とても象徴的だった。「もうこれで終わり。よっしゃー次に行こう」みたいな声が聞こえてくるような無機質な投稿だった。

 この教祖による洗脳は、すばらしくあらゆる場所まで行き届いている、と言わざるを得ない。

 2023年10月2日月曜日の2回目の会見で、それは明らかだった。

 NGリストの存在や時間制限など、事務所側が主導権を握っていたことと、仕込みのような複数の芸能リポーターやファンを公言するライター、まともなジャーナリストを揶揄する一部のテレビ局員やメディア。井ノ原快彦のトーンポリシングも含めて、全てがシナリオのなかで動いていたように見えた。誰が書いたシナリオなのか?

 

 新会社を設立するというが、これは新会社なのだろうか。タレントもスタッフも希望者をみな移動させるのだから、これは新会社ではなくジャニーズ事務所だ。外見だけ変えて中身は同じというのは、統一教会(協会)が家庭連合と名称を変えたのと同じだ。しかも、世間では結局いまでも統一教会と呼んでいる。

 そこで育ったタレントたち、そこで働いていたスタッフたちは、そこのやり方しか知らないし、そこのやり方に慣れ親しんでいる。ゆえに、この発表にある新会社の体制だと、まったく同じことをすることになるだろう。度を越した権威主義的振る舞い。

 そしてそれはすでに2回目の会見で始まっていた。この後に及んでメディア・コントロールをしようと仕掛け、協力会員(マスメディア)を優遇した。

 ファンから名称を公募する、ファンとともに新会社をつくっていく、というのが、それがそもそも狭窄的思考ではないか。すなわち、幹部と出家信者と在家信者のユートピア。独裁者は、周囲の崇拝と持ち上げがあって育ち、完成されていく。

 

 1回目の会見では事務所名は変えないと宣言していた東山の思考が、記者たちの指摘によって変質していった。そして2回目の会見で名称変更を発表した。外の世界の人々と、権威者の立場ではなくフラットに触れ合うことで、洗脳が解けていく可能性が高いのだ。

 そう考えると、タレントたちは別の事務所へ移籍したほうが「健全」だと思う。本人たちのためにも、メディアも含めた周囲のためにも。それが本当のジャニーズ事務所の廃業、ジャニーズ帝国の終焉ではないのか。

 

 少し余談になるが、いささか不可思議なのは、この2回めの会見から元ジャニーズで被害者のひとりであるHだけが、テレビ各局に出ずっぱりだったことだ(一部、当事者の会のIが申し訳程度にインタビューされていた)。このHの頻繁な登場は、確か東山と面談したという報告からはじまったように思う。これは一連のシナリオの一部なのか?それとも、インタビューに答えてくれるのが彼しかいなかったという単純な理由なのか?

 

 2回目の会見での不適切が発覚した以上、NGリストで排除されたジャーナリストを中心に(お詫びで)、再度会見を開くべきだ。

 事務所に好意的な記者とそうでない記者を分類したということの証左らしき光景があった。実は私はその様子にけっこう疑問を感じた。テレビによく出ている女性芸能レポーターは、マイクを引き取られることもなく、司会者から注意されることもなく、更問いを2〜3問していた。更問いのときマイクを通した声だったので、あれ?マイク返してないんだ、と思ってびっくりした。

 

 性虐待もさることながら、その権威主義的な手法、社会との関わり方も解体しなければならない事柄のひとつなのではないか。テレビ、新聞、雑誌などマスメディアが率先して自己反省、自社検証をしつつ、厳しく追求し、構図を刷新していかなければならないのではないかと思う。被害者が勇気をもって告白したように。それがひいては芸能界、社会全体の健全化へとつながっていく一歩になるかもしれない。

 奇しくも2023年夏シーズンに、フジテレビで放送されたドラマ「この素晴らしき世界」は、芸能プロダクションと放送局を改革しようとする女優と社長と主婦の物語だった。大女優・若菜絹代(若村麻由美)は、自分はあやつり人形だったと告白し、プロダクション社長・比嘉莉子は覚悟をもって問題を解決していく道を選ぶ。比嘉莉子を演じたのは木村佳乃だった。このシンクロは、神様から東山への応援なのではないか。

 

 踏襲的新会社はあり得ない。能力あるタレントたちは別の事務所へいくか、個人事務所を立ち上げたらいいと思う。ジャニーズのお膳立てがなくてもやっていける、と自分を信じて。

 

追記

毎日新聞2023年10月7日東京朝刊

「ジャニーズNGリスト、識者に聞く ジャーナリスト・ 江川紹子氏/法政大教授・上西充子氏」より抜粋

江川紹子

広報とは、社会と対話し、コミュニケーションを取ることだが、ジャニーズ事務所はこれまで、黙って言うことを聞くメディアとファンだけを相手にしていればよく、まともな広報の経験がないのではないか。今はそうはいかない。批判的な人を含めていろんな人たちとのコミュニケーションが求められているのに、どうしたらいいのか分からないのかもしれない。

上西充子

ジャニーズ側は、リスクをコントロールした上でイメージを回復できると考え、会見を選んだのだと思われる。そういうコントロールをするために、メディアや記者を選別し、都合の良い人を指名して質問させ、そうでない人は黙らせておく。さらに、人気タレントでもある東山紀之氏や井ノ原快彦氏を表に出しておけば難を逃れられると考えたのだろう。

(略)

 一方、ジャニーズにそんな振る舞いを許したのは、メディアの側にも原因がある。これまで、タレントを起用できなくなったら面倒だからとジャニーズに問題があっても触れないようにしてきた。その結果、健全な緊張関係が築かれず、きちんと振る舞うべき時にそれができない事態を招いてしまった。

 宗教的カルト教団なら、横柄で偏屈で奇妙な態度を示し続けてもそのままでいけるかもしれないが、ジャニーズ事務所の場合はそうはいかない。社会のなかで善人として振る舞う必要がある(まだそれが要求されているようなので、世の中が完全なディストピアとなっていないのは幸いだ)。

 カルト教団の洗脳信者のなかでも、違和感を覚える人は必ず出てくる。教団の場合は脱会するしかないが、この事務所の場合は不都合が表面化していることもあるので声を上げやすい。タレントのなかにも、NGリストの件などに不満や批判を述べる人が出てきた。メディアはそいう気骨のあるタレントこそ取り上げて報道してほしいと思う。

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ハヤブサ消防団」についての感想を期待してくださっていた読者の方々には申し訳ないほど余計なことを、カルト教団つながりとはいえ、長々と書いてしまいました。

 

 閑話休題、三馬の説得によって彩の洗脳は解け、聖母にならずにすんだ。現実世界ではこんなに簡単にはいかないと思うが。

 彩が創作したアビゲイルのプロモーションビデオは、真っ白な服装で輪になって踊るというものだったのだが、これを観たとき私はヤバいと思った。どうしてカルト教団といえばこの光景、なんだろう。

「ミッドサマー」(2019年アメリスウェーデン)も「妖怪シェアハウス〜白馬の王子様じゃないん怪」(2022年日本)もそうだった。聞くところによると「妖怪シェアハウス」のほうは「ミッドサマー」へのオマージュらしいが。

 そこをユートピアだと思っている信者たちにとって、白装束、頭に花冠でみんなで輪になって踊るという光景が、そのユートピアの表現なのだろう。

 

 最後は、ハヤブサ消防団の面々が、ハヤブサを救う。

 放火や殺人を犯していた信者たちは逮捕される。彩も拘置所にいる。が、再び教団が復活している様子が映し出されてこの物語は終わる。

 難を言えば、もう少し教団とハヤブサの関係をスティーヴン・キングばりに表現してくれたらよかったのに、と思った。

 

 三馬担当の編集者・中山田の存在がよかった。演者が山本耕史なので、良い人と見せかけて実は…じゃないかという推理が視聴者の間であったようだが、私としては、最初から最後までこの人物の存在が安心感を与えてくれていた。やっぱりこういうときは、情報収集に長けているマスメディア関係者は頼りになるな、と。

 最初からいちばん怪しかったルミナスソーラーの真鍋(古川雄大)ではなく、いちばん怪しくない三馬の幼馴染である勘助(満島真之介)が実は犯人なのではないか、というのが私の安易な推理だった。が、いちばん怪しかった奴がやっぱり犯人で、加えてなんと、カルト教団ハヤブサ消防団の対決の物語だった、というある種のホラーサスペンスだった。

 

 それなりに楽しめたドラマでした。

ハヤブサ消防団」三馬太郎(中村倫也)a la TsuTom ©2023kinirobotti