あまりにもたくさんのことがあって……
「女冥利に尽きる?」
「女冥利」
女に生まれた甲斐 (かい) があること。女に生まれたことの幸せ。女冥加 (みょうが) 。「—に尽きる」
「冥利に尽きる」
その立場にいる者として、これ以上の幸せはないと思う。「教師として—・きる」
(goo辞書)
女に生まれてこれ以上の幸せはない、ということ、すなわちおそらく「出産」のことだろう。第8週の寅子(伊藤沙莉)に訪れた出来事は、妊娠、出産。それによって、寅子のこの戦時中の人生は大きく変わった。
子どもを授かることで、「はて?」という不満や疑問を心の深くに抱えながらも(おそらく)、法曹界での厳しい環境から離れても(逃げ出しても)いいのだ、という状況になった(追い込まれた)。そして、優三(仲野太賀)との穏やかで幸福な時間を過ごすことができた。
脚本/吉田恵里香
語り/尾野真千子
そこに至るまでには、本当に本当に辛い道のりだった。
久保田(小林涼子)も中山(安藤輪子)も弁護士の仕事をするのをやめてしまった。女性は、仕事も結婚生活も満点を求められる、と。それは令和の今も同じだ。随分と変化してきたとはいえ、まだまだではないだろうか。
「もう私しかいないんだ」。ひとりになってしまった寅子。退いていった学友たちのためにも、これから女性弁護士を目指す後輩たちのためにも頑張らねば、という重圧がのしかかる。
責任の重さもさることながら、私が思うに、「ひとり」になってしまったという寂しさのほうがより大きく寅子の心を占めていたのではないか。どんなに過酷なことも、同様にがんばっている友の存在を感じるだけで勇気は湧くものだ。
仕事が増えて忙しくなる寅子。久保田が連載していた女性雑誌の法律相談まで引き受ける。大量の女性たちからの悩み相談…。
よね(土居志央梨)の「私もやれるだけのことはするから、おまえはひとりじゃない」という言葉は勇気だったと思う。
「らんまん」(2023年前期朝ドラ)でもあった。大学から追い出された万太郎(神木隆之介)。そこへ、かつて植物採集のときに出会った少年から「先生…」と、手紙が届く。「ひとりぼっちじゃない」と気づく万太郎。万太郎には全国に植物採集の仲間たちがいたのだった。
寅子はよねの申し出にそれほど感激していなかったようだが、それはお腹に子どもがいたから、かな。
結婚した以上、第一にすべきは子を産み育てることだと、急に保守的なことを言う穂高(小林薫)。自分には女性の法曹の道を切り開いていく使命がある、と言う寅子。そうそう簡単に世の中は変わらない、と言う穂高。
穂高は、寅子の身を案じてくれているのだろうが、けれども使命感を背負った寅子には裏切りのようにも聞こえてしまっているのだろうな。
日本はこのあと、戦争に負けて、そして一気に世の中は変わった。一気にだ。
もし日本が戦争に勝っていたら、「そうそう世の中は変わらない」が続いていたのだろう、と想像できる。そう考えるとなかなか複雑な気持ちになる。
法律事務所に辞表を出した日、寅子は母・はる(石田ゆり子)に言う。お母さんが言っていた通り、歩いても歩いても地獄でしかなかった、私なりにがんばったけど降参だ、と。
どうしても女性には出産という大仕事がある。それも含めての社会福祉のあり方が、現代でもこれからまず問われていくべきなのだろう、日本は、と思う。
「私はどうすればいいのか」「私はどうすればよかったのか」。「どうすれば」と、この週、寅子は2回も言った。1回は穂高に、2回目はよねに。
穂高は、出産子育てに専念するように箴言する。よねは、弁護士の仕事をやめて母親の仕事を選んだ寅子に、もう二度とこの道に戻ってくるな、と言い放つ。
ものすごい苦悩だったんだと思う。どうしたらいいのか、どうしたらよかったのか、を自分以外の人間に問いかけるのだから。
寅子の家は軍に取られる。空襲に備えて道路を広げるため。一家は父・直言(岡部たかし)の工場のある登戸へ移り住む。
寅子と優三に女の子が誕生。優未(ゆみ)と名付ける。
そんななか後輩から、女子部が閉鎖され、そして今年は高等試験が行われないことを知らされる。
いろんなことが無くなっていく戦時下。
戦時下の様子は、さまざまな日常シーンの背景で自然に描写されている。ラジオ放送、鉄鍋などの回収、国策標語の張り紙、子どもたちの戦争ごっご、軍歌、たたまれていくお店、配給に並ぶ人々、質素になっていく猪爪家の食卓……。
そしてついに優三にも赤紙が来た。
兄・直道(上川周作)も、轟(戸塚純貴)も、すでに召集されている。
寅子は優三に謝る。
ごめんなさい。私のわがままで、私なんかと結婚させてしまって。普通の結婚生活を送らせてあげられなくて。あと、高等試験を諦めずに続けてくださいって、ちゃんと説得しなくてごめんなさい。
私、自分が弁護士として出世したいばかりに、優三さんの優しさにつけこんで結婚して、でもすぐやめて、優三さんに甘えて子どもつくって。結局優三さんは戦地に行って、大好きな優未とも離れ離れになって。だから、私にできるのは、謝ることぐらいで。
優三が言う。
トラちゃんが僕にできることは謝ることじゃないよ。
トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです。
また弁護士をしてもいい。別の仕事をはじめてもいい。優未のいいお母さんでいてもいい。僕の大好きな……あの、何かに無我夢中になっているときのトラちゃんの顔をして、何かをがんばってくれること。いや、やっぱり頑張んなくってもいい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやりきってくれること。それが僕の望みです。
寅子が応える。
なんでそんなこと言うんですか?もう、そんな、もう帰って来ないみたいな、もう会えないみたいなこと言わないで。
そして、優三が旅立つ日。
優三に手渡すお守り。「虎は千里をを行って、千里を帰る」。
BGMがなんで英語の歌なんだろう。いや、とてもぴったりナイスな選曲なんだけど。
優三が一本の道を歩く、その後ろ姿を見送る寅子。昭和19年、1944年。
あと少し、来年には戦争は終わるんだけど…、って思っちゃうよね。
史実通りなら、これが優三と寅子の最後になる。
追記
二人の女性相談者。
ひとりは離婚したいと言ってきた女性。仕事を引き受けるが、よねは女性のほうから離婚を成立させるのは難しいぞと忠告される。だが後日、その女性は離婚相談を引き下げる。夫に赤紙が来たから。
なんとも…。こんなこと言ってはいけないのだが、女性は夫の戦死を願ったかもしれない。でも、こういう人って生きて帰って来るんだよね。けれども、戦後は憲法が変わるから。離婚できるでしょう。
もうひとりは、よく民放のリーガルドラマでもあるけど、実はあんたのほうが悪人だったんだ的な人。
相談者(岡本玲)には4歳の男の子とお腹に子ども。歯科医の夫は半年前に亡くなった。仕事を探すがみつからない。夫の友人だった歯科医から提案され、亡き夫の診療所に自分の出張医療所をつくって、その借り賃を支払うことで相談者を養うことに。それを亡き夫の両親が訴えた。妾になったと言って子どもの親権を取り上げようとしている。
親権を取り上げるために亡き夫の両親は相談者に援助をしなかったのでは?と考える寅子とよね。
裁判には勝った。
しかし、あとから調書をよく読んでみると、お腹の子は亡き夫の子どもとは言えない。身ごもったと推測されるころ、すでに夫は昏睡状態だったので。
数日後、事務所に礼に来た相談者に、お腹のお子さんについてなんですが、と問い掛ける寅子。気づいてなかったのかと白々しい態度の相談者。お腹の子も上の子も、夫の友人の子だと言う。女が生きていくためには悪知恵が必要、先生もがんばってくださいと言い残してふてぶてしく去って行く。
雲野弁護士(塚地武雅)は、これは失態だ、と言う。
そうかもしれないが、でも、これってむしろ、相手の弁護士の失態なのでは…。
こちらはもし気づいたとしても、それをどう処理するかは弁護士次第だとは思うが、少なくとも、弁護士は依頼人の味方なので、依頼人に有利になるように弁護するのが仕事なんだよね。アメリカでは殺人犯も無罪にしちゃうのが敏腕弁護士みたいだし(良いか悪いかは別にして。悪いと思うけど)。
とはいえ、真実を知ったうえで上手に調停するのが、誠実な弁護士の最善の仕事なのだと思う。悪いやつを悪いままにしておくのはちょっと、ね。
この事例の場合は、真実にたどり着けば、寅子の相談者が絶対的に不利だ。なので、この女性は根っからの悪人の部類に入るのかな(もしかしたら、なにか事情があるのかもしれないけど)。
寅子が真相に気づいていたら、どう弁護したのか、それも見てみたいところだ。失態だと言って寅子に反省を促した雲野だったらどのように解決したのか、気になるところではある。
ひとつ救われたのは、亡き夫の両親が、自分たちの息子の血を引いてもいない子どもを引き取ることにならなくてよかった、のでは。
この裁判のあと、落ち込んでいる寅子に優三が次のように話してくれた。
人には良い面と悪い面があって、守りたいことが違う。だから法律があるんだと思う。トラちゃんも正しい人のまんまだと疲れちゃうから、せめて僕の前では肩の力を抜いて…
正しい人のまんま、ってなかなか鋭い評価ですね。
確かに正義を貫き通すって、気力体力が必要だ。そしてそしていつも思うのは、どうして世の中、悪人のほうが強いんだろうね。