アフロえみ子さん、ほんとにお酒がお好きなんですね。
「一人飲みで生きていく」
稲垣えみ子 朝日出版社
稲垣えみ子シリーズ、最後の読書となりました。
まあ、なんというか、お酒のお話のようなので、正直なところ興味があまりわかなかった。なんだったら読まなくてもいいか、くらいな。
でもここまで読んできて、この1冊だけ未読というのも、ね。
2021年出版だから、比較的新しい。稲垣の本を私は図書館で借りて読んでいるのだが(2冊だけ文庫化されているものを購入しました)、他の本はけっこうボロボロになっているのに較べて、きれい。すなわち、借りる人が少ないのかな、とも思った。私と同じ印象を持つ人も多いのかもしれない、と勝手な憶測。
予想に反して、いつも通り面白い。
そして、名言の数々。
とはいえ、「一人飲み」を実践する効用を味わうことは、私には、過去にもないし、今もこれから絶対にない、断言できる。
なぜなら、私はお酒が飲めないからだ。飲まないのではないく、飲めないのである、体質的に。ぜんぜん弱っちいのだ。それに美味しいとも全く思えない。
お正月などに日本酒をすこ〜し飲む。ビールもたま〜に飲む。小さなコップに一杯。ビールを美味しいと思ったことはないが、最近はノンアルが飲みやすい、炭酸飲料として飲むことができるかも。ま、それでもまったく常習性は伴わない。
ゆえに、著者の喜びの半分は分かっていないと思う。
それでも、「一人飲み」を実践していく過程、店を探して、常連になっていくいきさつが、興味深い。著者の心の声をぜんぶ綴ってくれている。
この感じ、何かに似てるなと思った。
そうだ、「ソロ活女子のススメ」(テレビ東京)だ。
一人でさまざまな場所へ行き、さまざま体験をするドラマ。ひとりが好きな、出版社編集部の契約社員である五月女恵(江口のりこ)が、レストラン、遊園地、博物館などなどで、ひとり時間を楽しむというコンセプト。すでに2024年時点でシーズン4まで放送されている。
そのなかに、「一人飲み」があった。確か「せんべろ」とかなんとか。なんかその時の様子と、この本のなかの稲垣が多少重なる。
「一人飲み」だけではない。どの回もひとり行動(参加)なので、戸惑いとか、感想とか、反省とかの心の声が、とても似ている。
私たちはお店に入ると、たいてい自分のことしか考えていない。誰かと連れ立って来ればなおのこと、自分たちのことだけに夢中だ。心静かに周囲の空気を感じるなんてことはまずしない。騒がしい客がいれば迷惑だなくらいは思うし、無礼な店員には気分を害されたりもするけど。また一方で、店員さんに親切にしてもらえれば嬉しいし、良い気分で食事も買い物もできるってことはある。
居酒屋での一人飲みには、店の雰囲気を感じ取って自分を馴染ませていくというのはとても大事なことなんだろうな。常連になっていく、とはそういうことか。
そもそも稲垣は、自宅の近所に行きつけのカフェを確保している。そこで仕事をする。フランスのリヨンでは、なんとたった2週間の間に、カフェの常連になる(店員に認めてもらう)ことに成功している。
これは、ひとつの才能だと私は思う。
私だって、複数回頻繁に通えば常連客になることはできるかもしれない、いやできるだろう。が、それは自然の成り行きで、稲垣のように計画的に行動することはできない。なので、稲垣のような気づきを得ることはないだろう。
とはいえ、私は私なりに、たぶん何らかの発見は常にしている。というのも、私は店に入るとほぼ一瞬でその店の雰囲気、店員の良し悪しが分かる。だからといって、そのことで店を選んだりしない。そんな余裕はないので。けれどもあまりにひどい目に合ったときには、二度とその店にはいかない。すっごくひどいときは、店長や本部に問い合わせる。
苦情も難しいよね、最近は。カスハラとか言われかねないし。言い掛かりをつける人がいるから、まともな指摘までまともに受け取られなくなってしまう。
話がずれた。
「家飲み」のときの「秒ツマミ」も写真つきで紹介されている。
やっぱりアフロえみ子はすごい。料理が好きだったというだけある。これも私には無理だな。そもそもお酒が好きではないので「ツマミ」という感覚がまったくない。子どものころからそうだ。私の実家では誰も酒を飲まなかった。晩酌というものを知らないのである。ドラマなどで見て知っている程度。
そんな私がこの本を楽しく読ませていただけたのも、ひとえに著者の観察眼の鋭さと、「一人飲み」への情熱を語る読ませる筆致が心地よかったからに違いない。そして、これから先、私が決して体験することのない「一人飲み」の世界を、著者とともに体験させていただきました。
さて、名言をいくつか。
せっかく名店を見つけても、次の名店の情報をいつだって探さずにはいられないのである。どこまでいってもまだ見ぬ「本当に素晴らしいお店」が自分の前に現れるのを待っているのである。言い換えれば、永遠の不満・不足を抱えているのである。ホント、何なんだろうねこれ。
考えてみれば情報とはそもそもそのような性質のものなのかもしれない。次々と繰り出される新しい情報に次々とみんなが飛びつくことが、おそらくは誰かの富の源泉になっているのだ。そんな中に巻き込まれていると、いつの間にか情報依存症になって、人生の貴重なお金も時間もエネルギーもどこまでも誰かに吸い取られて生きなきゃいけなくなったりする。
(P172)
これは、稲垣が別の本で書いていたことと同根だ。すなわち、例えば新しいトースターを買って、美味しいパンに感激していたとしても、それはすぐに慣れたり、飽きたりする。そしてまたすぐ新製品が出るのでそれを買う、を繰り返す。どこまで行っても満足がない。これは資本主義、消費社会の特徴だ。
現代人は美味しいものを求めてやまず、情報は溢れまくっている。だが、改めて考えてみてほしい。「美味しい」とは一体どんな味か。何が美味しいかは100人いれば100通りなはずなのに、まるで一つであるような常識がまかり通っている。我らはいつの間にか「美味しい」という大事な感覚を誰かに盗まれているのだ。
一人飲みも同じである。情報を調べただけでは本当の居心地の良い店は見つからない。その答えは自分の中にしかないのだ。自分で体験し、失敗もして、掴み取る。それは人生の醍醐味だ。「秒ツマミ」はその日のための予行演習でもある。
(P184)
圧倒的多数の人は、自由とはお金であり権力であると思っている。有り余るお金を手に入れて、周囲の人を家来のごとくアゴで使うことができるのが最高に自由な人間なのだと。なので耐え難きを耐え忍び難きを忍び、なんとか競争に勝とうと頑張っているのである。で、頑張りすぎて心身をすり減らし、自由を手に入れるはずが気づけばボロボロになっているのである。
これを人生における大き過ぎる罠と言わずしてなんであろう。
でも実は、自由になるってそういうことじゃないんだとしたら、そんなこととはこれっぽっちも関係ないんだとしたら。
それを知ることはこれはもう間違いなく、人生における革命を引き起こす行為である。
それが一体何なのかは、この本をお読み頂いた方にはもうおわかりのことと思う。そう一人飲みとは、人生の罠から抜け出し、真に自由な人生を歩き出すための第一歩なのである。
(P202)
別の言い方をすると、「一人飲み」は、資本主義、消費社会から脱却するための第一歩、ということにもなりそうだ。