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「虎に翼」第12週〜奇跡はいつどこに起こる?

 浮浪児と呼ばれていた戦災孤児たち。本当にたくさんいたのですね。

 ナレーションによると、この昭和24年(1949年)から20年近くもこの問題は続いたということ。ってことは、昭和44年(1969年)まで?長過ぎる。1964年は東京オリンピックだし、1970年は大阪万博のあった年じゃないか。……そうだったのですね。

 

脚本/吉田恵里香

出演/伊藤沙莉 石田ゆり子 森田望智 三山凌輝 土居志央梨 ハ・ヨンス 平埜生成

   滝藤賢一 戸塚純貴 名村辰  松川尚瑠輝 和田庵

語り/尾野真千子

 

「家に女房なきは火のない炉のごとし?」

家に主婦がいないのは、炉の中に火がないのと同じで、大事なものが欠けていて寂しいということ。

(ことわざ辞典オンライン)

 第12週のことわざは、そのまんま、でよいのでしょう…ね?それとも、もっと深い意味があるのでしょうか?

 

目次===

〜はるの死

〜〜よね、轟との再会でのniceなセリフ

〜〜〜戦災孤児の青年・道男のゆくえと奇跡

追記①戦災孤児

追記②笹山さん

追記③よねさんのトラウマ

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〜はるの死

 第12週の物語の最後に、寅子(伊藤沙莉)の母・はる(石田ゆり子)が亡くなった。いつかこの日が来るだろうと心構えはしていたが、実話とは違って最後までいてくれるかも、などとちょっと期待したりもしていた。でもやっぱり死んじゃった。

 はるの最後は見事だったと思う。花江(森田望智)も言っていたけど、はるは自分の死期が近づいているのを感じ取っていたのだろう。人にはそういう能力があるのかもしれない。

 死の床で、日記に自分が死んだあとのことがだいたい書いてある、と言う。そして、その他の日記は全部燃やしてほしい、恥ずかしいから、と。ですよね。

 私も死ぬときや死んだあとどうしてほしいかなどを書き記しているし、日記めいたものや、その他諸々、死後に見られたくないものは死期が近づいたら捨てようと考えている。コロナ禍のときにの「お片付け&処分」作業で、日記や手紙の類いはおおかた捨てた。いくらか必要なものは残してあるが、死ぬ直前に捨てるものとして分類してある。けれども、自分でできないこともあるだろうし、はるさんのように伝えることもできないかもしれないので、「死ぬ直前に捨てるもの」ではなく「私が死んだあとに捨ててください」という分類をしておいたほうがよさそうだな。もうずいぶん前の話だが、私の知り合いは、ある日(心臓で)倒れて救急車で病院に運ばれたのだが、退院してきて即、すべての日記を処分した、と言っていた。

 はるの死によって、猪爪家が「火のない炉のごとし」のようになってしまうのは致し方ない。それほど、はるの存在は大きかった。

「やだ!」と嗚咽のなかで叫ぶ寅子。伊藤沙莉の号泣シーンが、迫力のある悲しみで視聴者の胸を打つ。

 

〜〜よね、轟との再会でのniceなセリフ

 寅子に家庭裁判所判事補の辞令が出た。人手不足のおり、家庭局事務官も兼務する。

 当面の仕事は、戦災孤児たちの保護。国も乗り出すがなかなかうまくいかない。児童相談所も満杯で、そもそも場所が足りない。養子縁組もままならない。そりゃそうだよね。余裕のある国民はそうそう多くない。自分たちのことで精一杯だ。

 上野にたむろしている孤児たちの視察に来ていた寅子たち。小橋(名村辰)がスリにあう。財布を盗んだ子どもの跡をつけると、そこはかつて「カフェ灯台」があった場所。「轟法律事務所」という看板に変わっている。

 寅子がなかに入ると、そこにはよね(土居志央梨)がいた。よねは寅子を冷たくあしらう。そこへ轟(戸塚純貴)も現れる。戦災孤児たちの面倒をみている二人。

 リーダー格の青年・道男(和田庵)が財布を返す。

 そこへ、多岐川(滝藤賢一)と汐見(平埜生成)も入ってくる。

「誰だおっさん」とつっけんどんに言うよねに、「今顔を合わせた相手をおっさん呼ばわりするやつに名乗る名はない」と言う多岐川。この多岐川のセリフ、いいね。よねの乱暴な言葉に怯むでもなく、過剰な反応もしない、静かな抵抗。よねさんって、意外とこういう人を信用するんじゃないかな。

 もうひとつ、niceなシーンが。

 寅子が多岐川と汐見によねと轟を紹介すると、「よねさん、あなたが…」と思わず口にする汐見。これは嬉しい想像を掻き立てる。すなわち、汐見の妻・香子(香淑/ハ・ヨンス)が、よねをはじめ、かつての学友たちのことを、懐かしく夫に語って聞かせているのだろうという行間を読み取ることができるセリフだ。寅子に冷たい態度の香子だが、心の底では「トラちゃん!」と抱きつきたい気もちもあるのでは?

 

〜〜〜戦災孤児の青年・道男のゆくえと奇跡

 孤児たちを保護というより補導しに来る警察。道男も家庭裁判所に送られてくる。

 いやぁ、道男という青年(16,7歳)、どうなることかと思った。これほどまでに世を拗ねている人間が更生できるのか、と私は疑問だった。年齢も10代後半だしね。まあ、スリや置き引きをしなければ生きていけないという厳しい現実もあるし、それが小さな子どもたちを守るための術だったのだろうから、ある種の正義感らしきものは持っている人間ではあるのだろう。だが、それにしても、ああ言えばこう言うのレベルが半端ない。

 そんな道男を、寅子は猪爪家へ引き取ることにする。家族をいささか困惑させるが、はるは「ここにいなさい」と受け入れる。

 が、さまざまあって結局、道男は出て行ってしまう。

 そのとき、はるが倒れる。

 死の床で「あと十年はがんばってみんなを支えるつもりだった。自分はみんなに囲まれてなんにも悔いはない」と言うはるだが、どうやら、道男のことが気にかかっている様子。実は、「道男」は、直道(上川周作)が生まれたときの名前の候補にあがっていた名前だった。それもあって、いささか思い入れがあったのだった。

 寅子が道男を探す。轟法律事務所にいた。

「みんな自分から逃げていく」という道男に、「私たちから逃げたのはあなたでしょう」と言葉を返す寅子。そうなんだよね。道男は差し伸べられた手を自らはたく。はるも少し前、「やさしくされることに慣れてないのね」と道男に言っていた。そう、だから、逆らってしまう。実際に親切にされたことがないのだろう。だから、猪爪家のみんながいい人ぶっている、と思ってしまう。

 寅子がなんとか説得して、はるの死に目に会えた道男。

はる よくここまでひとりで生きてきたね。

道男 ばあちゃん、死ぬのかよ。

はる 死ぬ。

道男 死ぬなよ。じゃあ、またオレひとりじゃん。

はる それはこれから先の道男しだい。すべてを突っぱねちゃだめ。

「じゃあ、オレまたひとりじゃん」と言う道男。

 これは、はるが自分を受けて入れてくれたことを実感し、そして自分もはるを受け入れた、そういう道男の奇跡的な瞬間だったのだろうと思う。

 

 奇跡はもうひとつ訪れた。

 非行の処分を決めるための面接など、調査を受けている道男。

 そんなときなんと寅子は、寿司屋の店主で裁判傍聴マニアの笹山(田中要次)と家庭裁判所で再会する。また東京で店を開くという。

 笹山は、15年来の推しであるトラちゃんから道男の話を聞いて、住み込みで店で働かないかと誘ってくれた。道男は「行きます」と即決する。

 審判は、不処分となった。試験観察を経て、自分で立ち直ることができると認められたのだった。居場所や働き場所がある、ということも不処分の決定に加味されているのだろうな。

 笹山との再会もまた、奇跡と言わざるを得ない。

 そして、多岐川のこの言葉。

「佐田くんを見ていて思わんかい?愛が理想を超えて、奇跡を起こすわけだよ」

 愛って理想を超えるんだ。

 奇跡は、何もないところには起こらない。奇跡の起こる過程を、第12週の寅子の行動は思う存分に見せてくれたのだ。悲しいことも辛いこともいろいろあったけど、寅子のいっしょうけんめいな愛と正直が、出会いの奇跡を呼び込んでいった。

 

 道男の立ち直りは無理じゃないかと思っていた私だったが、第12週は、はるさんの死という悲しみをも乗り越えるほどの良い気分で終わった。変な言い方になるが、はるさんの死もまた、奇跡の一助となっているという人生のアイロニー。

「虎に翼」 トラちゃんの号泣が視聴者の胸に迫ってくる ©2024kinirobotti

 

追記①戦災孤児

 確か「カムカムエヴリバディ」(2021年後期朝ドラ)のジョーこと大月錠一郎(オダギリジョー)も戦災孤児だった。カフェのマスターに引き取られて、ジャズミュージシャンになる。主人公のるい(深津絵里)と結婚してひなたが誕生する(このドラマは、主人公が3人いる。すなわち3代。安子(上白石萌音)→るい→ひなた。

 余談だが、汐見役の平埜生成は「カムカムエヴリバディ」に出演していた。条映映画村の社員・榊原。主人公のひなた(川栄李奈)の先輩で、ひなたと協力し合って映画村を盛り上げる。

 平埜は、今のところ、良い人の役が多いみたいですね。

 

追記②笹山さん

 寿司屋の笹山さんのことなんだけど。

 この人、序盤から登場してじゃない。寅子に裁判の傍聴の仕方を教えてあげたりなんかして。近くで寿司屋やってて、裁判所の人もよく店に来るから話を合わせられるように傍聴してる、ってなこと言ってたよね。

 この人どう関わってくるのかな、と思っていた。よく刑事ドラマにあるみたいに、店に集まる司法関係者たちの場面とか?でもって、いつの間にかトラちゃんのファンになっていて。何のときだったか、お祝いに猪爪家にお寿司を届けてくれたりもした。

 それがなんと、ここでキーパーソンになるとは想像以上の状況設定だな、と思った。あのときから、このストーリー(すなわち、道男が笹山の寿司屋で住み込みで働く)が出来上がっていたということですよね。すごい伏線力。

 そしてこれって、本当に、奇跡というかシンクロニシティというか、人生の物語の偶然と必然、そして神秘性が何気に描写されている、というか。

 あのとき寅子と笹山が裁判所で出会っていなかったら?そもそも寅子が裁判所に行ったのは、よねの跡をつけたからだったよね。寅子とよねが出会っていなかったら?でも、もしかしたら、別の方法で寅子と笹山は出会っていたかもしれない、という物語もあったかもしれない。

 この話、さらに続けたいが、またどこかで。みなさんも「もうひとつのあったかもしれない物語」を空想してみてください。

 

追記③よねさんのトラウマ

 よねは、絶対に寅子の相談にのらない。「いついなくなるかわからんやつの言葉は届かない」と。そうだよね、よねさん、おねえさんも急にいなくなったんだよね。きっとそんなトラウマが、あのとき逃げてしまった寅子と重なるんだろうな。親身になってまた裏切られる、というのはキツい、確かに。

 でも、ちょっと思った。寅子はおそらく、それでも、そんなときでも、相手を信じるんだろうな。そこが寅子が寅子たるゆえん、かもしれない。それが奇跡を起こす。