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「虎に翼」〜花岡の餓死の衝撃が物語るもの〜第10週 50話 第11週 51話 52話〜映画「渇水」

 花岡の死。

 これは、あまりにも衝撃が大きい。

 まさかの展開だった。

 寅子は本当の自分を取り戻して民法草案に携わり、花岡は本当の自分を貫いて死んでしまった。

 

 花岡悟(岩田剛典)にはモデルとなった裁判官がいる。山口良忠。ドラマのなかにあるように、佐賀出身の人物だ。

 実は、私はまったく知らなかった。

 花岡が佐賀出身であることがドラマのなかで強調されるシーンによって、山口判事のことに思い至る人もいるほど、それほど、当時この事件は大ニュース、大騒動だったらしい。

 

終戦後の昭和21年(1946年)東京区裁判所の経済事犯専任判事に就任。

闇米(配給以外の米)を所持・取引するなどして食糧管理法や物価統制令に違反し、検挙、起訴された被告人の案件を担当していた。

(Yahooニュース 2024年6月7日)

 

 当時は、闇で食料を調達しなければ生きていけないほどの食糧難だった。ゆえに、寅子(伊藤沙莉)もそうしていた。なので、花岡といっしょに弁当を食べているとき、花岡の仕事のことを聞いて思わず寅子は自分の弁当のふたを閉じてしまう。

 

食料管理法(食管法)では配給食料以外は違法。しかし、実際はヤミ米など配給以外の食料を口にしなければ生けていけなかった。だから、誰もがヤミ市に通った。金があったら何でも買えた。1946年だった第44回で寅子が焼き鳥を買ったのもヤミ市だ。

もっとも、山口判事は違った。法を破った人間を罰する立場の自分が、ヤミ米などを食べていてはいけないとの信念を持ち、同年秋からヤミの食料を一切口にしないようになる。そのうえ、配給食料の大半を2人の男児に与えた。2人の子供が腹いっぱい食べたのを見届けたうえで、残りを自分と妻の矩子さんで食べた。それは汁ばかりの粥だった。

当然、山口判事は体を壊す。1947年8月27日、東京地裁内の階段で倒れた。それでも同9月1日までは裁判を担当し続けた。「被告人100人を未決にするわけにはいかない」(山口判事)。凄まじいまでの責任感だった。

(デイリー新潮)

 佐賀の実家に帰って療養したが回復することなく、10月11日に栄養失調による肺浸潤で死亡。享年33歳。若すぎる。

 

 倒れたあと、ノートにこう書いている。

「食管法は悪法だ」。それでいて判事だから「自分はどれほど苦しくともヤミの買い出しなんかは絶対にやらない」と記した。

山口判事は、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスによる「悪法も法」という言葉を守ろうとした。1980年に佐賀県教育委員会が作成した教育資料によると、生前は「私は正しい裁判官でありたい」と言っていた。

(デイリー新潮)。

 ソクラテスは、若者を惑わしているという言いがかりで告訴され、裁判で死刑判決を受ける。プラトンら弟子たちから逃げるよう促されるが、「悪法も法なり」と言って死刑を受け入れ、毒杯を飲んだ。プラトンはこのとき、ひどいショックを受けた。そして、「哲学者は本当のことを言うと殺されてしまうんだ」と思った、という。

 

 花岡はかつて、「きみは裁判官には向いていない」と桂場(松山ケンイチ)に言われた、と寅子に話したことがあった。

 桂場は、花岡が裁判官向きではないと直感していた。

 でも、それはどちらの意味だったのだろうか。

 法に忠実過ぎて余白がないということは、冷徹に法に従って判断するということになるから(いや、それは正しいのだが)、杓子定規な判決で、叙情酌量からは遠ざかる傾向を見せるかもしれない。

 それとも、法と現実の狭間に立たされて身動きが取れなくなるかもしれない、ということだったのだろうか。

 花岡が最後に桂場に残した言葉がまさにそうだった。

「人としての正しさと、司法としての正しさがここまで乖離していくとは思いませんでした」

「でも、これがおれたちの仕事ですもんね」とも花岡は言っていた。

 優三(仲野太賀)は、かつて寅子(伊藤沙莉)に言った。「法はルールというよりも、解釈だ」と。どう解釈するかは、判事の腕次第だ。

 

 つい先日「渇水」という映画を観た。

「渇水」2023年日本 監督/高橋正弥 脚本/及川章太郎 原作/河林満 

出演/生田斗真 磯村勇斗 門脇麦 山崎七海 柚穂 他

 市の水道局職員・岩切(生田斗真)は、後輩職員の木田(磯村勇斗)とともに、水道料金を滞納している家を回って支払い請求をし、支払い拒否が4回を超えると「停水執行」をするという業務に就いている。

 水を止めるという仕事に耐えられない職員もいた。命の水だからだ。

 公共料金を滞納してるとき、電気、ガスから止められて、水道は最後まで止められない、という話は聞いたことがある。

 少し話はずれるが、現在、水道の民営化が叫ばれている。これ、公営ではなく民営だったら、支払いがなかった時点で、おそらく即止められるよね。そして、料金はどんどん上がっていって、さらに支払えない人たちが出てくるはずだ。民営化したヨーロッパでは、公営に戻しているところも多いらしい。

 日本人は水はタダ同然に使う傾向があるが、でも、実際は水はただではない。今の地球では、設備にも管理にもお金はかかる。

 水なんかタダにしろ、という住民もいる。木田も、そうだったらいいのに、と岩切に言うシーンがある。言ってみれば水道料金は税金みたいなものだから(公営の場合)、水道税を取ればいいのかもしれないが、でも使用量は人や家庭、施設によって違う。飲み会で、お酒を飲まない人がお酒の代金まで割り勘にされるのは不公平だよね、ということもある。

 雨が降らず、取水制限が発令される。

 夏休み。水道料金請求のため訪れた家には、育児放棄の姉妹がいた。前回の訪問のときにいた母親はいなかったが、決まりだからと停水を執行する。その前に、できるだけの水をバスタブやバケツやらに溜めさせる岩切。

 その後、あの姉妹がどうしているか様子を見に行こうとする木田に、アイスを買ってやるのか?べんとうを奢ってやるのか?と、岩切は温情をかけることをやめさせる。

 岩切だって葛藤している。でも、それが自分たちの仕事だから。花岡と同じだ。

 

ーーー映画のネタバレ(読みたくない人は飛ばしてください)、

 姉妹は、公園の水道から水を汲んで生活していたが、ついに、カラカラ天気のために公園の水も止まる。母親が置いていったお金も尽き、姉は万引きもしてしまう。もちろん、水のペットボトルも。

 何回目かに店主に見つかるも、ちょうど居合わせた岩切に助けられる。

 その後、自身の離婚と子供のこともあって心が不安定だった岩切は、感情が爆発して、姉妹の家の停水執行を解除し、なおかつ公園の水も、水栓にホースをつけて思い切りぶちまける。水のなかで戯れる岩切と姉妹。

「太陽と空気と水はタダでいいんだ」

 市の職員がやって来て岩切を押さえつけ、警察に引き渡される。市役所を辞めることになった岩切。姉妹は養護施設へ。

 まあ、ふつうに考えて、水道を止める時点で、すでに育児放棄なわけだから、警察か児童相談所(岩切も行政の人間なんだから)に通報すればよかったのに、と思うよね。でもそれじゃあ、物語は始まらない。ーーーーー

 

 私は、この映画の岩切と「虎に翼」の花岡が(100%ではないが)重なって見えた。

 それは、仕事のルールに忠実過ぎる面である。そして「これが仕事だから」と自分に言い聞かせながら仕事を続ける。そこには正義感もあるだろう。その反面、同情心だってあるはずだ。

 確かに、悪いことをしている人たちだから許してあげるわけにはいかない。

 でも、ヤミ市で買い物をしたり、売ったりするのは、ごく普通の生活になっていただろうし。この時代のドラマを観ると、ほとんどみんなそうしている。とはいえ、取り締まりが来たりするシーンはある。確か「ごちそうさん」(2013年後期朝ドラ)でも、主人公のめ以子(杏)がヤミ市で商売をしているときに、取り締まりが来た。

 

山口さんは自身に対しては厳しくても、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しては叙情酌量の余地が大いにあるとして同情的な判決を下していたそうだ。

(Yahooニュース)

 という記述もある。

 どうしてそこまで自分を?と疑問に思うと同時に、法に忠実であらねばという正義感も理解できないことはない。

 

「ほんとうに自分がしたいことに反してしまう」と言って、寅子からチョコレートを受け取ろうとしなかった花岡。お子さんに、と寅子が言うと受け取ってくれた。上の記事にもあるように、子供のことがいちばんだったのだろう(誰でもそうなんだけど)。でも、そこまで自分を犠牲にしなくてもいい環境はあっただろうに、と思わざるを得ない。あ、犠牲とは思っていないのか。

 

 「虎に翼」での花岡の登場シーンは、あまり良い印象ではなかった。東京に来てからは優しい花岡がいなくなった、と同郷の轟(戸塚純貴)が言っていたほど。

 けれども梅子(平岩紙)に、ほんとうの自分になるように言われて、自分を飾ったり、尖ったりするのをやめた。

 

 その「ほんとうの自分」になった結末が、これだったのか…。そう考えると、なんだか虚しくもある。

 

 判事餓死。このニュースは一大事として報道された。

「裁判官が法を守って餓死した」というニュースは大々的に取り上げられ、社会に衝撃を与えた。その行動の是非を巡って大きな論争が巻き起こり、アメリカでもワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズで山口さんの死が取り上げられるほどだった。

当時の裁判官の低すぎる給与問題もあった。闇市で食材を買うこともままならないケースが多く、栄養失調で体調を崩したり、それに起因する病で死亡する裁判官も少なくなかったのである。この事件の後、GHQのマッカーサー元帥は「彼は裁判官として当然の義務を果たしたが、残念なことだ」と延べ、裁判官の給与改善を指示したという。

(Yahooニュース)

 判事、検事の給与ってそんなに低かったんだ。

 第51話でも、そのことには触れられていた。給与の低さから「半検事は続々と弁護士に転業していくなか…」というラジオ放送が流れていた。

 でもね、弁護士は月給制じゃないから、仕事が取れなきゃお金は入ってこない。雲野先生(塚地武雅)みたいな弁護士もいるしね。でも、検事判事よりは自由度が高いからね…。雲野先生も相談料の代わりに野菜とかもらっていたし、お礼の品とか持ってくる人もいるしね。食べ物には困らないかも。うちもよく、ケーキとか泉屋のクッキーとかヨックモックとか、いっぱいあったなぁ(私の父は弁護士でした・既述)。

 

山口判事の死は日本中に衝撃を与えた。同情や敬意を示す声が湧き上がった。27歳の女性は自宅のニワトリの産んだ卵を24個持って最高裁を訪れた。当時、卵は超高級品だった。

「これはヤミではありません。山口判事のように法を守るためにヤミをしない裁判官に差し上げてください」

(デイリー新潮)

 なんとこの女性、「暮らしの手帖」の創業者・大橋鎭子だったそうだ。「とと姉ちゃん」(2016年前期朝ドラ)の主人公・小橋常子(高畑充希)のモデルとなった人物。朝ドラつながりですね。

 朝ドラということで言えば、この年代、ダネイホンはまだ登場していなかったのだろうか。花岡が栄養失調で死んだという展開になって、思わず、ダネイホンは?と思ってしまったのだ。

 ダネイホンとは「まんぷく」(2018年後期朝ドラ)で、主人公・福子(安藤サクラ)の夫・萬平(長谷川博己)が発明した栄養満点の食品だ。萬平のモデルは、インスタントラーメンの発明者で日清食品の創業者・安藤百福。戦後の栄養失調、飢餓問題を解決するべく栄養補助食品として安藤が開発販売したのがビセイクル。それがドラマのなかではダネイホンとして登場していた。

 安藤が国民栄養科学研究所を設立したのが1948年。山口判事が亡くなったのが1947年だから、間に合わなかった…のか…。

 そんなシーンがあっても面白かったのに。すなわち、とと姉ちゃん(高畑充希)が卵を持って「うちのニワトリが産んだんです。ヤミじゃないです。裁判官に差し上げてください」と乗り込んでくるシーン。花岡餓死の新聞記事を読みながら、「ダネイホン、間に合わなかったかぁ」と悔しそうにする萬平さん(長谷川博己)のシーン。

 観てみたかった。

 

 第11週の51話。

 轟が帰還して、偶然再会したよね(土居志央梨)に花岡のことを語る。

でも、おれがずっと前から知ってる、真面目で優しくて不器用がすぎる花岡ならば、やりかねんと。あいつらしいと。

 そういう人だったんだね。

 でもさ、私だってもしその仕事をしながらヤミで買ったものを食べていたら、いささか心が痛くなるだろうな。それに、なに偉そうに裁いてんだ、ってことになるよね、どうしても。

 

 こんな轟のセリフもあった。

佐田と添い遂げることにおじけづいて、別の女と結婚したときは腹が立った。

 え〜、おじけづいたんだ。

 でも、この餓死事件から察するに、あの日は、轟が言うように「真面目で優しくて不器用がすぎる」ゆえのプロポーズを諦めた日だったんだろうな。

 そういえば寅子も、「あれこれ考え過ぎちゃうのね」ってなことを花岡に言っていたっけ。

 

 それにしても(ドラマなんだけど)本当に残念でならない。もし轟がもっと早く帰還していたら、花岡を助けることができた…かもしれない。いつもの調子で、ちゃんとメシを食え!とかなんとか言って説得できたかもしれない。

 

山口判事は佐賀県が生んだ偉人の1人であり、地元の白石町には「山口良忠判事記念図書館」などがある。

(デイリー新潮)

「虎に翼」 花岡がいなくなってしまった公園のベンチ ©2024kinirobotti

 

追記

 第11週の52話。この週から登場の多岐川幸四郎(滝藤賢一)。のちに家庭裁判所の父と呼ばれる人物。この人が寅子に言い放ったセリフ。

法律を守って餓死だなんて、そんなくだらん死に方があるか?大バカタレ野郎だね。

人間、生き残ってこそだ。

どう考えても馬鹿だ。このなかにヤミ米を食わなかったやつはいるか?いないだろう。つまり、そうしなければ生きられなかった、ということだ。

 寅子は反論するが、きみも正しい、おれも正しい、と言って、多岐川は言い争いを中断する。

 

 花岡に同情する声や行政への批判の声と同時にあったであろう、花岡の餓死への疑問。私もいささか思っていた。まさにこれだ。

 もちろん乱暴ではある。時代的背景と花岡の信条を考えれば、まずは同情と敬意しかない。だがそのあと、一歩後退して冷静になると、なんてバカなことを!と思うのではないか。あなたのような純粋で誠実な法律家こそ、社会のために長く仕事をしてほしい、するべきだった、と。

 上にも書いたが、轟がいてくれたら、この悲劇は免れたかもしれない。

 

 戦争ってね、いい人から死んでいくんだよね。

 作家の五木寛之もそう言っていた。そういう様子をたくさん見てきた。だから、自分が生きて帰って来たとき、自分は悪人なのかなとずっと悩んでいた、という。