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「マクヤマク しあわせの味あわせ〜フィンランドのじぶん時間」星利昌著〜なにもしないをする時間

 自分を大切に、ゆったりと。

 

「マクヤマク しあわせの味あわせ〜フィンランドのじぶん時間」

星利昌(ほしとしあき)著 アルク出版

 

 フィンランドって、なんとなく憧れる。福祉国家で、教育も医療も無料、あくせくしてなくて、老後の心配もいらない。そんなイメージ。

 もちろん、どの国にもその国の抱える問題はあるだろう。しかし、今の日本を考えると、羨ましい国に見える。

 それと、映画「かもめ食堂」の舞台になっているのがフィンランド。

 

「かもめ食堂」2006年日本 フィンランド

監督/荻上直子 原作/群ようこ

出演/小林聡美 片桐はいり もたいまさこ 他

 ある夏、ヘルシンキで「かもめ食堂」を開店したサチエ(小林聡美)。どうやってお客を呼び寄せるか考えている。そこへ日本からやってきたミドリ(片桐はいり)とマサコ(もたいまさこ)が加わって、店を切り盛りしはじめる。そしてさまざまな出来事があって……。私の大好きな映画だ。

 小林聡美主演の映画「プール」や「マザーウォーター」、荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは」などに関わっている会社の名前は「スールキートス」。フィンランド語でThank you very muchという意味だ。スールキートスには、テレビドラマ「スイカ」や映画「めがめ」などで小林との共演も多い市川実日子が所属している。

 そんなこんなで、私はフィンランドというと、「かもめ食堂」と小林聡美をいつもまず思い浮かべてしまう。そしてたいへん興味深く感じているのである。

 

 著者は料理人。日本の割烹料理屋で修行ののち、2008年、フィンランドへ移住。日本料理店、フレンチ、スカンジナビア料理レストラン、フィンランド料理レストランで修行を重ね、独立。日本食レストラン「ほしと」をはじめた。大繁盛のなか、7年3ヶ月後の2018年に閉店。現在は、オンライン料理教室「マクヤマク」を運営しながら、陶芸家としての道も歩んでいる。

 本のタイトルにもなっている「マクヤマク」の「マクmaku」はフィンランド語で「味」という意味。「maku ja maku」「味と味」。これは著者の造語だそうだ。味と味を合わせて、食べて巡り合って幸せまで感じてほしい、という願いを込めてオンライン料理教室の名前にしたそうだ。

 もちろん、苦労はたくさんあったと思うが、どちらかというと、本人の好きな道を妥協せずに歩んでいる、そんな印象を受けた。

 

 高校時代に日本を出て外国に行こうと思った著者は、サッカー選手になろうと思うほどサッカーに本気で取り組んでいた。ところが…。

高校で入部したサッカー部はスパルタ指導で、教育とは呼べないレベルの罵倒や体罰が日常的に行われている場所でした。耐えかねて、心が折れてしまうチームメイトもいました。こんな場所で頑張り続けることはできない、そう感じて私も夢をあきらめざるを得ませんでした。大人になった今なら他校に移る選択肢も思いつきますが、当時高校生だった私にはそこが「世界の全て」のように思えたのです。これが人生で初めての挫折でした。

(P2〜3)

 そして、料理の道に入り、フィンランドへ渡ることになる。

 これも、運命だったに違いないのではあるが、「心が折れてしまう」生徒もいたりして、著者も頑張り続けることがでいないほどの過酷な現場だったという高校のサッカー部。例えばいわゆる強豪校などではそのような光景は当たり前(いまだに?)なのかもしれない。が、「教育とは呼べないレベルの罵倒や体罰」というのは、実はスポーツの世界に限らず、特に昭和の時代には散見されたと思う。

 伸ばせるはずの才能の芽が摘み取られてしまった、という生徒もいたに違いない(それでやめていくやつにはもともと才能がないんだ、と言う人もいるだろうが、そうだろうか?という疑問と、それだけではない深刻な問題がそこには横たわっている、ということを私は述べておきたい)。確かに著者が言うように「他校に移る選択肢」もあったであろうが、そのときは思いつかない。おそらく自分も親も。

 私事で恐縮だが、小学生のときピアノを習っていた。6年生のときにやめてしまったのだが、今思い返すと、親はどうして別の先生にしてくれなかったのかな、と恨みがましく思ってしまうのだ。もっと良い先生がどこかにいたはずだ。でもそのときは、誰もそこに頭が回っていなかったのだ。そんなことを思い出してしまった。

 

 P142ページに「ラスキアイスプッラ」というお菓子が紹介されている。その写真を観た瞬間、あ、これ、映画「オットーという男」(2023年アメリカ スェーデン映画のリメイク 主演/トム・ハンクス)に出てきたスウェーデンのお菓子「セムラ」じゃないかな、と直感した。その形が印象的だったので。解説を読むと、

最近日本でもスェーデンの「セムラ」が有名になってきていますが。ラスキアイスップラもよく似たお菓子です。

(P143)

 とあった。…やっぱり。私って、こういう勘だけは働くんだよね。

「灰の水曜日」から「イースター」までの40日間が断食の期間。その前に「甘くてカロリーの高いお菓子を食べる週間がある」。そのための「期間限定スイーツ」だそうだ。

 

 夏、湖のほとりのコテージに行くフィンランドの人々。「何もしないことをしに行く」という。

おなかがすけば何かを食べ、大事な人と話し、眠りにつく。好きな時間にサウナに入る。サウナに入った後、湖につかっていると、まるで自分がフィランドの自然の一部になったように感じます。そうやって、日々の“何かをしなければならない時間”から解放され、“何もしないをする時間”を作っているのです。

(P17)

フィンランドの職場で誰かと競争したことはほとんどありません。

物が豊かにある中で、食料や衣類を誰かと取り合う必要はありませんし、手に入れたものを誰かに見せびらかす必要もありません。誰かに勝つとか負けるという意識を持つこともないので、焦りや不安もあまりありません。自分がいいと思うこと、やりたいことを率直に突き詰めていく。このスタイルが、自分には合っていると気づきました。

(P110)

 シンプルで心豊かに暮らしている著者だが、競争は悪いことばかりではない、とも著者は言っている。そこから得られるものもある、と。

 引用にある「食料や衣類を誰かと取り合う必要はありませんし、手に入れたものを誰かに見せびらかす必要もありません。誰かに勝つとか負けるという意識を持つこともない」。これは、脱成長、脱資本主義の考え方の基本と同じではないか?

こういったことは「何もしないことをする」ことによって、考えられるようになりました。

(P111)

「何もしないこと」をすることによって、おそらく人は自分のやりたいこと、すべきこと、自分にとって大切なことは何なのか、を理解するようになるのだろう。あくせくして過ごす日々では、不安や焦り、あるいは嫉妬などにとらわれて、本当の意味で考えたり、感じたりすることができない。自分ではない何か別のものになろうとしたりしてしまうことさえある。多くの日本人が日本(の都会)で、そのような暮らしをしている、と思われる。

 

明日死ぬとしたら何をするかを考えて毎日を生きよという言う人がいます。もう少し視野を広げてみて自然が自分に与えてくれている恩恵を考えれば、たとえば、将来暮らしていく環境のために木を植えて育てることの大事さもわかるはずです。そしてその木からも必ず新しい発見があり、生活や考え方に豊かさをもたらしてくれます。

(P111)

 私は、タロットカードの「死神」のエネルギーを使って、自分の余命が限られていると仮定したとき、あなたは何をしますか?それがあなたが本当にやりたいことですよ、という話をすることがある。

 また、残された人生の時間を考えるとき、たとえばバケットリストを書いて、やりたいことをやる、やりたくないことはやらない、そんな自由な時を過ごすことは大事だと私は思っている。なぜなら、人は、社会のなかで束縛されてやりたくないことをやって我慢して生活していることが多いからだ。ゆえにストレスフルになる。

 明日死ぬかもしれないと思って日々を生きる、すなわち一日一日を大切に生きることも大事だと私は思っている。が、ともするとこの思考は、いささかの焦りを生み出してしまうこともあるのかもしれない、とこの本を読むことで思った。それは良くない。そんなときは、視野を広げて、与えられた自然の恩恵に思いを致して、遠い将来に視点を移して自分にできる何かを探して実践することは、大いなる豊かさをもたらしてくれる、ということなのだろう。たとえ私が明日死んだとしても、今日植えた木はそこから育っていき、誰かのためになるのだろうから。

 

何か一つでも人と比べることなく自信が持てるものや、突き詰められるものがあれば、自分本来の人間らしい暮らしをしながら、豊かに生きていけるのではないでしょうか。

(P111)

 それを平和な暮らし、と言うのであろう。残念ながら。そうしようとしてもそれを邪魔する人が世の中にはたくさんいる。まずはその「大きなお世話」に負けないこと、だな。

 

 自然(美しい風景)や料理の写真が各ページに載っており、いくつかのレシピも伝授されています。

 加えて、著者の陶芸作品も楽しめます。

「マクヤマク しあわせの味あわせ〜フィンランドのじぶん時間」 ©2024kinirobotti