2020年7月18日土曜日、夕刻近く、
「三浦春馬が死んだって」
と家族がスマホを見ながら言いました。
「え?」
死んだ?……。
「なんで?」
「自殺らしい」
「え?どうして?」
どうして?というのが、おそらくは関係者もファンもいち視聴者も誰もが抱いた疑問なのではないかと思います。
所属事務所アミューズからの発表にもあった「茫然自失」という言葉が、すべてを物語っていると思います。
理由が想像できない。あんなに活躍してて、そしてこれからまだまだ伸びていく人。
私は自分の身体の力が抜けていくのを感じました。人の死と出会って、このような体感は初めてです。
「応援してたのに……」
と、私は思わず知らずつぶやいていました。
「今日の夕飯、お弁当にすれば?」
家族が言いました。私の意気消沈がひどかったのでしょう。確かにきびきび動けない感じでした。
なんらかの事故や事件に巻き込まれたのなら、驚くだろうけれど、そうなんだ、酷いな、残念だな、と単純に悲しみ、惜しむことができたのだと思うのです。
数日経っても、情報番組やネットで情報を集めても、納得もできないし、腑に落ちることもない。乱暴な言い方ですが、むしろ、まだ、殺人事件だったほうが心の整理がついたかもしれません。
それほどの、不条理なのです。唐突なのです。
私はものすごくファンだった、というわけではありませんでしたが、なんとなく注目している俳優のひとりでした。
つい先日は「世界一受けたい授業」で講義をしていたのを見たばかりでした。
こんなとき占い師のしてしまう下衆なことは、彼についてみてみることだったりします。
タロット数秘術でみましたところ、
え、ああ、そういうこと……?というカードの並びでした。
選択の道はどちらにも伸びていたはずですが、
こんな風に重なってしまうと、人生のなかで積み重なってきたあれこれが、なにかしらの引き金で引っ張られてしまうのか、と自分のなかで再検討しました。詳しい内容は今は控えます。
これまでにも衝撃的な有名人の死はありました。
まだまだ生きてほしかった人(それはもしかしたらこちらの身勝手な願望なのかもしれませんが)……。
さくらももこさんの死もすごく悲しかった。「コジコジ」が大好きなので。けれども病気だったということが分かって、しっかりとその死を受けとめて、それからあらためて彼女のエッセイや漫画に触れて、自分なりのグリーフケアが落ち着いてできました。
私がこれを今書いているのは、自分自身のグリーフケアなのだと思います。
実はメディアがこの報道をするとき、私はいささか別の側面から違和感を覚えたのでした。
ものすごく即座に、間髪入れずという感じで「ある反応」をした一定の人たちがいました。自殺報道規制に関しての発信です。
それは、
世界保健機関(WHO)により、作成された自殺対策に関するガイドラインの中のひとつに「メディア関係者に向けた自殺対策推進のための手引」があります。この手引では、メディア関係者が自殺関連報道をする際の「やるべきこと」「やってはいけないこと」などがまとめられています。
(厚生労働省ホームページより)
というもので、
有名人の場合は特に注意すること、家族や友人へのインタビューは慎重にすること、影響を受けてしまう人のために支援機関への情報提供をすること、などがあります。
誰かの自殺の引き金になったり、後追い自殺だったりは、絶対に防がなければなりません。あってはなりません。
なのですが私は、なんだかとても悲しい気分になってしまったのです。
自殺防止活動に日常的に取り組んでいるジャーナリストやコメンテーターたちは、死亡報道のVTRが流れたあと「お悔やみ申し上げるんですが」と小さな声でまるで無関心かのように軽くさっさと受け流すと同時に上記の内容を力強く話し出します。これは、おそらくこの取り組みに熱心な方々に共通していたので、何かこういった場面でのマニュアルのようなものがあるのかな、とすら思ってしまいました。ツィッターでは、繰り返し上記のガイドラインを流してくる人もいました。気持ちは分かります。さらっと流す言動でそこに留まらない雰囲気を醸し出して影響を少なくしようと努力しておられるのだと思います。
「ウェルテル効果」、ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」が出版されたあと主人公ウェルテルと同じ方法で多くの若者が自殺した、という社会現象が18世紀にあったことからこう呼ばれているようです。(ちなみに、私はゲーテファンです。自伝「詩と真実」が好きです。「若きウェルテルの悩み」は中学2年生のときに読んだ記憶があります)
引き金や後追いを防止するほうが何よりもずっと大事だということは重々分かっています。この瞬間、マスコミが衝撃的な文言を使って細かく報道するであろうこの瞬間が肝要なのだということも分かります。連鎖が起きるとしたら「今」だから。
なのですが、あまりにすごい勢いの畳み掛けが、死者に対していささか無礼ではないかとすら思ってしまうほどでした。
もちろん一方の側に立つ人たちの使命として、それは立派な態度なのだと思います。が、何事も偏り過ぎになってしまうって人を怖い人にしてしまうのだな、と我が身をも振り返りつつ感じました。いつもは高邁な倫理観、道徳観を厳しい言葉を使っても穏やかに語る人が、なんとなく偏狭に見えてしまったのです。いや、そうしてでも守らなければならないのは今そこにある命です。
特に私は、注目していた俳優さんだっただけに、どうして?に答えてほしい、ヒントがほしい、そんな風に思って情報番組を漁っていましたので。少しでも不条理を解決したい、と。そんな風にばっさり切り捨てられてしまうと、立つ瀬がないといった心境でした。
ただお亡くなりになりましただけのニュース、いやなんだったら自死の場合は死亡告知の報道すらするなくらいのコメントは、あったことをなかったことにするかのような勢いだったのが本当に妙に怖かった……です。
じゃあ、腑に落ちず、気持ちの整理がつかないでいるファンや視聴者たちの心のケアはなくていいのか?
もちろん、ジャーナリストたちの怒りの矛先はメディアなのですが、まるで三浦春馬に向かっているかのような錯覚すら抱いてしまうほどでした。私だけ?
私のような人間にもグリーフケアは必要なのです、ということは許していただきたいのです。
ドラマやCMなどTV画面のなかでしか知らない俳優さんでも、見ている側の心にはそれぞれ何らかの想いや思い出はあるものです。その人が不条理に突然いなくなってしまうという喪失感、これも計り知れないものがあります。しかも今回の場合、なんで?感が大きい。人の悩みの本質など他人には決して分かるものではありませんが、それにしても衝撃はあまりに大きかった。
そんななかで癒やしとなるのは、彼の友人や俳優仲間たちの発信しかありません。そこに至るまでの時間的経緯や、自分と同じようになんで?とショックを受けている俳優たちの悲しみやお悔やみの発信は、慰めです。そういったものも上記の対策によって取り上げられてしまうのかな、とちょっと心配しましたが、そこは各テレビ局が(ルール違反と検証されるものも含めて)流してくれて救われました。恩師や友人、知人の方々のインタビューを聞けて、私はありがたい気持ちにさえなりました。
ただ、やっぱりまだまだマスコミは、センセーショナルな見出しだったり、〇〇で悩んでいたとか、自暴自棄に酒を飲んでいたとかというような死の理由を詮索して、世間の好奇心を煽るような報道をする傾向はあるようです。これはやめてほしい。SNSのおかげでメディア・リテラシーの幾ばくかを学んだ私からすると、もしかして内容的に嘘ではないとしても、故意にセンセーショナルな表現だなとか、こじつけようとしているな、というのは見通せます。そういうのはそろそろやめたほうがいいと私は思っています(あらゆる報道で)。それもやはり、死者への冒涜だと思います。
2020年7月21日放送の「グッとラック!」は良かった。
立川志らくがこう言いました。
「昨日私はこの番組のなかで、あまりこういった話題をセンセーショナルに取り上げるのはコロナの状況だから、若い人が今不安定だから、大きな影響を及ぼすからよくない、と。それからコメンテーターの東大王の井澤さんもWHOのガイドラインがあるからそれに従って報道すべきだ、って話をしました。
だけど今日は、これだけの愛されたスターが亡くなったので、みんなで偲ぼうという気持ちですね」
コメンテーターのコメントもそれぞれ良かった。
共演したことのある上地雄輔は、
「みんなが言うように真面目でストイックだった。本当にびっくりした」と。
バイオリニストの木嶋真優。
「十代のころからこれだけストイックに全身全霊で臨まれてた方って、どの分野でも本当に真面目でストイックすぎると、どっかの段階で生と死っていうのは向き合うことになると思う。早い段階で彼はずっと向き合いすぎたのかな。愛せば愛すほど心配かけたくなくて相談できない。孤独感が強まってしまったのかな」
フランス在住の西村博之。
「進撃の巨人の主演の方が亡くなった、ということでニュースにはなっていたが、やはり自分で亡くなった人が、実績はあるにせよ、みんな褒めて悪く言わない。そうすると今自殺を考えている人が、死んだら悪く言われないんだ、みんなに褒められるんだって誤解しちゃうので、僕はいくら実績のある人でもやっぱり三浦さんは良くないことをしたというのは、はっきり言ったほうがいいかなと思っている」
鴻上尚文は、
「キンキーブーツを観たとき、本当にブロードウェイと対抗できる人がいた、と思って圧倒的に驚いた」と。
鴻上はネイティブの人と英会話の勉強をしているが、その相手の人が春馬を知ってるか?春馬も教えてる、と言っていたと。「本当に海外を目指して勉強しているんだな、と感動した」。
これはとてもよい報道だったと思いました。
報道するな的発信が多くて気の毒に感じていたので、こうして偲んでくださることで私の心も癒やされました。 さらに西村博之の「良くないことをしたということは言うべきだ」という発信は、「お悔やみ申し上げるけど」とぶっきらぼうに言い放ってWHOのガイドラインを説明するだけよりもずっと響く。
海原純子(医学博士/心療内科医/日本医科大学特任教授)が「報道を見てつらい人の心の回復法」という記事を書いていました。
実際に面識がなくても普段テレビなどで見て身近に感じていた人の死も大きな衝撃になります。
(略)
自死による死別4つのストレス
大事な人を失ったという衝撃
自死を止められなかったという自責の感情
恥の感情と社会的偏見
ネガティブな同一化
(略)
たとえ前兆に気がつき万全の対策をとっても止められないことはあることを知ってほしいと思います。
(略)
自死した人の気持ちや状況を想像し自分のことであるかのような思いに陥る状態が「ネガティブな同一化」です。
(略)
三浦さんの報道を見て「体調が悪い」「気持ちが滅入る」といった心身の変調を感じる方は、ネガティブな同一化に陥っている可能性があります。
彼をドラマや映画で知る人が陥るのは、この同一化だと思います。もちろん、今後もう彼のさらなる活躍を見ることができないのかという落胆や残念という感情もありますが、同時に私自身もネガティブな同一化を感じないでもありません。
海原は次のように助言しています。
まずは「言語化」をお勧めします。言葉にしてつらい気持ちや悲しい思いを表現することが大事な癒やしへの一歩になります。今回Twitterなどで三浦さんの死に関してつらい気持ちを表現した方が多かったことは、つらさを表現しなければいられないという思いもあったと思われます。
ただしこれは、癒やしになる一方で、ネガティブな同一化を増幅される方向に進むことも否定できないのです。
(略)
SNSを利用したあとに気持ちが落ち込む場合は、ネガティブな同一化のリスクがあるのでしばらく投稿も閲覧も控えましょう。
加えて、気分チェックをしてひどく落ち込んでいる場合は診療内科を受診すること、を勧めています。
「言語化」というのは、最大級のケア、セラピーとなります。おそらく自然と多くの人は、そのような行動を起こしていると思います。辛い目にあった人や被害者やその遺族などが述懐したりするのも(出版社の商業根性は別問題として)、癒やしの意味合いが大きいはずです。
言語化が難しければ「対話」「話を聞いてもらう」です。適当な人物が近くに居ない場合は、心療内科、カウンセリングが助けになります。タロット占いもそのひとつです。タロットカードは基本、当て物よりもカウンセリングの要素が強いのです。
さらに最後に海原先生は、情報を遮断して、全く別のことに集中にすることを勧めています。
運動でも、散歩でも、勉強でも、仕事でも、料理でも。ゲームでもいいのでは?
これは、悩みという執着、悪いエネルギーから逃れる方法といっしょです。
私のグリーフケアにお付き合いいただき、ありがとうございました。
次の記事では、俳優・三浦春馬を偲ばせていただきます。