ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

いじめ~善良なる人が逃げなければならない地球でいいのか?~

このようなツィートがあって、注目されていました。

春名風花 official@harukazechan8月25日
毎年この時期になると「無理して学校に行かなくて良いんだよ」というツイートがタイムラインに溢れます。一見優しい言葉に見えますし、緊急対応としても間違いではありません。でも、「学校に行かなくてもいいんだよ」と言うメッセージは、本来、いじめている側にかけるべき言葉です。

さらに春名風花は、いじめられて学校を離れた人たちのなかにはその後不登校になったり、ひきこもりになったりして不本意な人生を歩んでいる人もいる。その一方でいじめた側は、のうのうと生きて人生に成功したりしている、というようなことも発信しています。

 

上記ツィートを読んだとき、私が知り得ているいくつかのエピソードが、わっとばかりに脳裏をかすめました。

 

まず、「ムー」的エピソード。数年前に「アセンション」なる言葉が、超常世界愛好者、信奉者の間で広まっていました。私は占い師ですので、例に漏れず大いに興味を抱き、本を読んだりして、情報集めに余念がありませんでした。そんななかで私がはたと疑問に思ったことがあったのです。

ちなみに、ここで言うところの「アセンション」というのは、地球がシフトアップするという意味です。

つまり地球も地球人も「次元上昇」するということです。今より進んだ状態になるということ。進んだ状態になるのですから、当然のことながら、より良い地球を想像しますよね。現況のような戦争や飢餓やいじめのない世界です。5次元に上昇するというのはそういうことだと私は理解していました。そのときに置いていかれる人間、つまりアセンションできない人間もいるということでしたので、それは5次元という精神性がより高くなった世界には不適合などうにも救いようのない悪人なんだろうな、とごく自然に想像していました。

ところが、いろいろ読んでいくと、「?」なことに私はひっかかってしまったのです。あれこれ考えたり、心に葛藤を持っている人はアセンションできません、ということらしいのです。私はむしろ哲学的で精神性の高い人ほど今の地球では葛藤を体験すると思っているのですが…ということは、なんの疑問ももたずに能天気に行動して生きている人が次元上昇した世界へ行けるというのであれば、人を傷つけても平気でいて悩むことのない人は、いやそういう人こそアセンションできるってことか?と思ったのです。だとすると、その世界は悪人ばかりがいることになり、上昇というよりも下降か地獄ではないのか、と思ったのです。そこで、アセンションに備える方法をわざわざサイトを立ち上げてあれこれ発信している人物に、思い切ってメールで質問してみたのです。すると帰ってきた答えは、そんなことを考えているとあなたはアセンションできませんよ、でした。それからフェイクと思われるスピリチュアル情報や人間について書いてきたので、私もフェイク情報の何たるかを書いて送ったところ、返事が来なくなりました。そして、この人が真実の神だと言っているツィッターのアカウントは、明らかにフェイク、というか大本のものを上手に真似たものであるのは見て取れたので(しかもその大本も霊的なものでもなんでもなく、作家の創作です。内容は良質です)、この人はこんなものに騙されるのか、と思ったのでした。この人物は、質問者に対して、どうせすべてなくなってしまうのだから仕事はやめなさい、とすすめていました。助言通りしていた人も多かったように思いますが、彼らは今どうしているのでしょうか。この人も。

正直なところ、本当にアセンションとやらがあって、そちらの世界が上昇した世界だとしても、そこが穏やかではない世界であるのなら、私自身はアセンションなどしないほうがいいと考えていました。彼らの理論に従うと、残された人たちのほうが平和そうだからです。

 

ある美容師(男性/店長)さんと働き方や仕事場でのパワハラなどについて話をしていたときのことです。この美容師さんも、仕事をはじめたばかりの店ではずいぶんといじめられたそうで、何かというとトイレに呼び出されてパワハラされたそうです。ところが、結局はそういうことをする人たちはいなくなって良い人たちばかりが残った、と彼は言うのです。春名風花のツィートのことが頭にあったので、え?そんな良い方法、いじめられている側が出ていかなくてもいい方法が何かあるのか?と思ってさらに詳しく話を聞いてみると詰まるところ彼は、パワハラ、いじめに耐えたのだ、というのです。そうしてそういった意地悪をしてくる人たちというのは実力がないので自然淘汰されていったのだ、と。なるほど、それはそれで納得がいきました。つまり難癖つけてきた先輩美容師たちは、新人たちの才能に驚異を覚えて身を守ろう、こいつらを潰しておこうとしていたわけです。

そのことに先輩本人たちは気づいていたのかどうかは分かりませんが、ある種の本能的行動だったのでしょう。内田樹が「そのうちなんとかなるだろう」(マガジンハウス)のなかで書いている「師匠のダークサイド」と通じます。弟子や生徒が自分より優秀にならないようする一部の師匠や先生の心の闇です。

加えてこの美容師さんは、もちろん耐えきれずにやめていった繊細な人もいたけどね、と言っていました。彼はけっこう打たれ強いタチのようです。

 

2014年76歳で亡くなった料理研究家小林カツ代の次のようなエピソードがあります。少し長く引用します。

私が戦争を体験したのは、まだ小さい頃のことだった。

(略)

父は生粋の大阪の商人で、よく笑い話をする面白い人だった。けれども、毎晩、睡眠薬を飲んでいた。そして、お酒を飲むと、戦争中に中国で体験したことを話した。

「お父ちゃんは気が弱くて一人も殺せなかった」。上官の命令に背いて、どれだけ殴られたか、日本軍がどんなに残酷なことをしたか…。父は泣きながら話していた。

まるで「遊び」のように現地の人を殺す日本兵もいたそうだ。ギョーザや肉饅頭の作り方を教わり、仲良くしていた人たちが住む村を焼き討ちしろと命令が下りた時、父は「あそこはやめてくれ。村人を逃がしてからにしてくれ」と頼んだ。だが、父のその姿を見て笑う人たちもいたという。

同じ部隊に、ことに残酷な上官がいた。命乞いをする人に銃剣を突きつけ、妊婦や子どもを殺すその上官を、父は止められなかった。それは悪夢だった。生涯、睡眠薬を手放せなくなった父は「これくらい何でもない。殺されたり拷問にかけられた人たちにどうお詫びしたらいいか」と語っていた。

(略)

戦後、父は毎年、戦友会に出かけた。ガンになり死期が迫っても、やせた体に背広を着て、出かけようとした。私は、「戦争はいかん」と言いながら欠かさず戦友会に行く父を許せず、「なぜ行くのか」と問いただした。すると父は、初めてその理由を話してくれた。

残酷な行為をしたあの上官は、戦後 成功を収め、大金持ちになった。「あんな残忍なことをして、よく軍法会議にかけられなかったな」と陰口をたたいていた人たちも、成功者と見るや、すり寄っていった。戦友会では、その人を一番いい席に座らせ、昔のことなど誰も口にしなくなった。

けれども、父は許せなかった。その人の隣に座って「忘れへんのか。夢に出えへんのか。よくあんな残酷な目にあわせたな」ーそう毎年言い続けるのだ、と父は言った。「中国の人に代わって、罰のつもりで言う。自分への罰でもある」と。

ノンポリだった私は、その言葉を聞いて雷に打たれたような気持ちになった。父の意思を継いで、2度と戦争はしない、してはいけないと決心した。

(2004年8月28日 須坂市メセナホールにて第6回信州岩波講座での講演要旨)2004年8月31日 信濃毎日新聞に掲載

キッチンスタジオ

戦後、小林の父親が戦友会へ出かけて行く理由が凄まじく、私は心を打たれました。

小林の父はとても心優しい人だったのです。戦地にあって平気で人を殺している人間がほとんどのなか、どうしても人を殺せなかった。当時の国からしてみれば、なんとも非国民で弱虫な人間とみられていたことでしょう。上官に殴られてもできなかった。どうしてもできないと怯えている人でも、上官からハラスメントを受ければそちらのほうがよほど怖いのでたいていは命令に従ってやってしまうものです。

小林カツ代の父親のような人を、本当に心の強い人というのではないでしょうか。上記のおかしなアセンション理論に従えば、この父親はアセンションできない人になるはずです。

そしてさらに、戦後の戦友会。人でなしのような人間が、成功して大金持ちになって、再び当時の部下たちに持ち上げられている。そいつの隣りに座って、残酷な仕打ちをしたことを咎める言葉をつぶやく。これはすごいとしかいいようがありません。映画のワンシーンのようです。

 

すこし飛躍するかもしれませんが、以下の出口治明ヤマザキマリの対談からも、同質の匂いが漂っています。

出口 ノーベル賞作家のバーナード・ショーは、「世界を変えるのは少数派だ」といいました。賢い人は、多数派に合わせれば自分もかわいがってもらえることがすぐにわかるから、即座に同調します。でも、不器用な人は同調できずに自分を押し通して、結果的に世界を変えていく。

(略)

出口 まわりから批判されると、「そうかもしれない」とすぐに態度を変えてしまう人が少なくありませんが、そういう人は結局、自分の生き方に自信がなく、腹落ちしていないのだと思います。

ヤマザキ 他人に何かを言われて潰れてしまう人って、もともと「まわりから言われた情報でできあがっている人」だと思います。まわりの人のリアクションがないと、自分がどういう人間かわからくなってしまう。
出口 それは性格が強いとか弱いとかの問題ではないですよね。自分の行動に腹落ちしているかどうかの問題です。だから、腹落ちさえしていれば、性格的に弱いところがあっても、人間は頑張れると思います。

出口治明の「死ぬまで勉強」 第20回 

ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家) 「生きる」という勉強(前編)より

優しく繊細な人は、不器用なのですね。そして少数派。けれどもこの二人の思索に従いますと、小林カツ代の父親のような人は「自分の行動が腹落ちしている人」だったわけです。平気で人殺しをした人たちや、戦後金持ちになったパワハラ上官を持ち上げる元兵士たちは、「すぐに態度を変える、まわりから言われた情報でできあがっている人」たちです。映画「少年H」(原作・妹尾河童/主演・水谷豊/脚本・古沢良太)に出てくるゆらゆら揺れる「コンブ」たちです。ここでも、乱暴だった上官たちが、戦後うってかわったようにアメリカ占領下の民主社会に溶け込んで商売をして金儲けをしています。それを見て、少年H(肇/吉岡竜輝)は違和感を抱くのです。妹尾家は、父親も肇も戦争中でも一貫した心根、良心を持ち続けていたのです。肇もアセンションできないタイプですね。

戦争中というのは、異常な事態です。ゆえに平気で人を殺しても致し方ないという考え方もあります。そうしなければ自分が殺される。その通りだとは思いますが、小林カツ代の父親や妹尾河童とその父親のような人間がいるかぎり、必ずしもそうではない、人間の心を失うことのない少数派の人々もいるのだということは、後世までこうして語り継がれるわけです。 

 

水谷豊が出てきたからというわけではありませんが、テレビドラマ「相棒」(テレビ朝日)のエピソードにも興味深いものがあります。すでに社会的成功を収めているが学生時代に散々悪事を働いていた人間たちにその被害者が復讐する、というものです。刑事ドラマではお馴染みのパターンとも言えるのかもしれません。アメリカのテレビドラマ「コールド・ケース」にもよく出てきます。昔も今も相変わらずのチンピラもいますが、経営者や政治家として成功している例も多々あります。

上の対談のなに、「賢い人は、多数派に合わせれば自分もかわいがってもらえることがすぐにわかるから、即座に同調します。でも、不器用な人は同調できずに自分を押し通して、結果的に世界を変えていく」とありますが、即座に同調できる人たちが往々にして成功者となり(あるいは成功者のおこぼれにずかる)、不器用な人たちは何にでも同調できるわけではないので成功しないことが多いのです。

結果的にはその少数派が「世界を変えていく」と出口とヤマザキはポジティブに語っているわけですが、そこへ至るまでの道のりは一本道ではないし、道なき道であり、舗装道路ではない、というのが現況ではないでしょうか。

これも、春名風花が言っている「学校に残って、卒業後ものうのうと生きて、社会でうまいことやっていくいじめっ子たち」と「いじめられて学校を去っていった人たち」を彷彿とさせます。

 

古谷経衡 が「日本型リア充の研究」(自由国民社)のなかで書いている「リア充」「パリピ」と名付けられた人々もまた同質のにおいがします。

古谷がこの著書のなかで述べているひとつの例は、2018年の渋谷ハロウィン暴動事件で逮捕された男。彼は家も仕事も失うことのない地元を持っている人間で、何ら反省する精神的能力を持たない幸せな人間。もうひとつあげられているのは、ミスター慶応強姦事件の男。これも複数の罪を犯し続けているのにもかかわらず、どこぞの御曹司という後ろ盾のお陰様で不起訴になる。強盗までしているのに。「相棒」や「絶対零度〜未然犯罪潜入捜査」で、この男にそっくりな犯人を見たことがあります。

 

悪事を働いても生活に困らなかったり、むしろ金持ちになったりする人間たち。彼らから傷つけられた人々は、どこかでひっそりと怯えながら、PTSDを抱えたままひたすら人生最後の日を待っているかもしれません。

 

春名風花の言うように、いじめている人こそ学校や仕事場からいなくなるべきです。繊細で優しい人々が逃げるように出て行ったあとの学校や仕事場、社会は、アセンションした世界なのでしょうか?5次元以上の意識を持った異星人がいるなら、心優しい繊細で不器用な人々をこそ、宇宙船に乗せてネガティブ惑星地球から脱出させてほしい、と空想し、願います。

 

いじめやパワハラをする人の根本原因は育成環境にあります。ゆえに、いじめる側、パワハラをする側こそがカウンセリングを受けるべきなのです。いじめられた側、パワハラを受けた側がカウンセリングを受けるのは、加害者から受けた被害によるうつ症状だったりPTSDだったりを治療するためです。

加害者サイドのカウンセリングは、人を攻撃したり、人権侵害で組み敷いたりしないと自分を保てないその心がどこから来ているのかを探って、人間性や良心を取り戻すことにあります。ただ、生まれつきのサイコパスという存在がいるそうで、彼らはもともと良心がなくそれを学ぶこともできないのだそうです。 多くの学者が研究中のようです。それについてのいくつかのドキュメンタリー番組があります。

 

どのような犯罪でも加害者には精神的な問題があるわけですから、いわゆる矯正刑務所(施設)というものをしっかりとつくるべきです。 

子どもでも大人でも、いじめ、パワハラ、セクハラなどのハラスメント、性犯罪から盗み、放火、いやがらせまで、結局は治らない人もいるでしょうが、それでもそれによって助かる加害者も被害者もいるわけですから、矯正施設を充実させていくしかないのではないでしょうか。DV、子ども虐待も同様です。親でも教師でも同等です。

加害者本人が、本当はいちばん苦しんでいるはずなのです。

人間は、穏やかな生活をしたいのです。ずっと争っていたい人などいません。争い事が楽しいというのは、アドレナリンを幸福と勘違いしているからです。

 

いじめでもパワハラでもセクハラでも、加害者たちが惨めになるような雰囲気をつくっていくことが大事です。加害をすることが恥ずかしい雰囲気のなかでなら、もはや悪事ははびこる術を失います。

 

一瞬にして心に過ったことも、書き起こしますと長くなるものですね。

 

価値観を変えます。優しさが強さです。

善良なる人が逃げなければならない社会が変わっていきますように。