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「老い」の哲学(2)この老人は誰?〜隠者の孤独と自由=60歳からのわがままタロットセラピー19=

 さて、タロットカードで老人を象徴するのはどのカードでしょうか。

 No5「神官」も決して若い人物ではありませんが、明らかに老齢な人物はNo9「隠者」です。「隠者」は「俗世間をはなれて洞窟にこもり、なにやら熱心に探究を続ける人物」というイメージです。あるいは隠遁生活をしている人。手に持っているランプは、暗闇を照らし、隠者自身の探究する道を照らすと同時に私たちをも導いてくれます。

 

「隠者」は、俗世間を離れてこの洞窟にやってきました。仕事を引退したのかもしれませんし、あえて積極的にこの場所へやって来たのかもしれません。やっと心静かに暮らすことができる、ひとりの世界、自分自身の世界を堪能できる、そう思っています。

 世間の喧騒は焦燥や苛立ちに満ち溢れており、競争と足の引っ張り合いのなかで人は消耗されていきます。そんな生活からはいち早く脱出したかったのですが、ちょっと時間がかかってしまいました。

 若い頃からときどきこの洞窟のことは気になっていて思い出したように訪れることもありましたが、ここにずっと留まっていると実社会での生活が困難になってしまうので、致し方なく世俗に塗れてお金を稼がなければなりませんでした。

 いまやその世塵から解放される時がやってきて、人目をはばかることなく洞窟暮らし、隠遁生活を満喫しているのです。

 この人物は今、とても自由です。

 

 この世で生きていくためには、煩わしいことがたくさんあります。満員電車、忙しい仕事(ときにやりたくないことを生活費を稼ぐためだけにやっている)、面倒な人間関係、嫉妬、羨望、意地悪、パワハラ、セクハラ、モラハラ、いじめ……。

 私たちは、ある年齢がくればそれらのストレスから離れることができます。それが「隠者」に象徴される高齢者のリタイアです。

 

 最近は、60歳から年金を受け取らせたくない国の方針で、定年年齢を引き上げるように言われていて、なんだったら自助だとかいうことで死ぬまで労働させられそうな勢いです。もちろん、仕事によっては死ぬまで続けることができるものもありますが、上に書いたような「生活費のためだけの仕事」すなわち「やりたくないこと」「苦手なこと」「楽しくないこと」を生存のためだけにやっている人たちにとっては、死ぬまで労働しなければならないのは過酷です。

 そこまで大きなストレスを感じていなくても、定年退職したら悠々自適に好きなことをして暮らそうと、それを楽しみに仕事をこなしてきた人だっているはずです。老後を楽しみにしていたら、年金額は減るわ、年金受給開始年齢は上がるわ、老人たちも元気なんだから働きなさい、そのほうが楽しいでしょう?あなたたちの希望どおりに社会の仕組みを変えてあげますよ、と自由でも民主でもない政権政党に誘導されて、踏んだり蹴ったりの21世紀前半です。

 かつての55歳定年は若すぎるにしても、死ぬまで老人たちを働かせようという魂胆には、私は素直に頷くことはできません。魂胆と書きましたのは、すなわち年金制度を誠実に機能させることができなかったので、できるだけ支給額を減らそうという策略だからです。少子高齢化のせいにして国民に責任があるかような振る舞いですが、これはもうずっと以前から予測できていたことなので、政治家や官僚が無駄遣いをせず、しっかりと国民第一の制度を組み立てていませんでした(消えた年金問題もありました)。日本の年金制度は、高齢者、いや、市民に本気で寄り添っていないように見えます。そして公務員だけは別格のようです。

 根底にある思考が意地悪だと表面的には同じように見えても、愛のある方策とは比べ物にならないくらいに人々の心を荒ませます。そもそも、60歳定年で退職したら好きなことをして暮らそう、と描いていた夢がすっかり断たれている人たちが大勢いるわけですから。いやいや、年取っても仕事ができる社会の仕組みにしてあげるんだから、楽しいでしょう?生きがいがあっていいでしょう?なのでしょうか。

 もちろん、好きな仕事や天職であれば、そのまま死ぬまで続けることはやぶさかではありません。楽しいのですから。国からやれと言われなくても、逆にやるなと言われてもやります。60代70代で起業する人や、新しい(仕)事に取り組みはじめる人だっています。問題なのは、生活費を稼ぐためだけの労働です。これには老いも若きもないのですが、いよいよ「そこ」から逃れられると考えていた老齢期の人たちにとってはより深刻であると言わざるを得ません。

 社会的、政治的問題についてこちらで語る余裕はありませんが、今のような状況、政策、政治は庶民にはよろしくない、ということだけは記しておきます(2021年)。

 

 さて、「隠者」は俗世で忌み嫌われている「孤独」なのでしょうか?

 そもそも孤独とは何でしょうか。「孤独」「ひとり」は恥ずかしい、という風潮すら蔓延しています。外で、大学でひとりでランチを食べたりするのが恥ずかしいというのでトイレで食べる人たちがいるという報道を見たことがあります(しかしコロナ禍では、孤食が推奨されました)。

 けれどもどうして「ひとりで居る」ことが恥ずかしいのでしょう。友だちがいないと思われるから、ということが理由のひとつにあるようです。友だちってそんなに重要なものでしょうか。悪い友人ならいないほうがましですし、体裁を整えるためだけならまったくの不毛です。

 

 私がタロットカードと長年付き合ってきて思い至ったのは、「隠者は実はタロットカードのなかでいちばん自由な存在だ」ということです。

「自由」といえば、No0「愚者」を思い浮かべる人も多いかと思います。「愚者」は自由奔放な人物です。生まれたばかりの純粋無垢な存在でもあります。それゆえ怖いもの知らずという心情も持っています。すなわちその「自由」は、軽率や無謀、無思慮ゆえの行動とも言えるでしょう。見るものすべてに好奇心を隠しません。そんな姿勢も、私たちの人生にはときに大事で、ルール破りにさえ見える冒険心を持てるからこそ新しい方向へと飛び込んでいくことができます。

「隠者」は違います。経験と知恵と思慮深さを持っています。一見して「隠者」は、自由な存在には見えないかもしれません。なんだか分からないけれど気難しい様子でひとりどこかに隠れ住んでいる世捨て人は、「自由」という概念とは相容れないように見えます。

 ですが先述しましたように、この老人は今まさに自由を得ました。

 巷間の喧騒や煩わしさ、面倒から逃れて自分だけの時と場所を得たのです。静寂と孤独こそが、自分の「ほんとう」を教えてくれます。孤独の時間は、いや、孤独の時間こそが人を成長させて創造性を育むので、本当は若い世代にも必要な時間です。

 社会生活のなかで起きるあれやこれやは、実は自分自身を忘れるにはもってこいの環境でした。常にカレンダーを次から次へと予定で埋めていく人もいます。「ひとり」が怖いのは、寂しいからでも恥ずかしいからでもありません。自分と対話することを恐れているからです。

 

 忙しいを言い訳に「自分のほんとう」を生きていないがゆえに、定年退職したら「ほんとう」の自分を生きよう、やりたかった事をやろうと、老後に思いを馳せてきた人は少なからずいるはずです。

 もちろん職業によっては定年のない人もいますし、死ぬまでできる好きな仕事についているラッキーな人もいます。どんなに好きなことをしていたとしても、年齢とともに衰えていく心身を感じて仕事量を減らしたり、リタイアに近い生活を選択する人もいます。

 いずれにせよ、隠遁生活ができる年齢になったら「孤独」を謳歌することは、誰かとつるむよりも大事なことですし、実は楽しいことなのだと私は思っています。

 孤独の世界は、誰にも邪魔されない世界です。誰かとつるむということは、その相手に遠慮したり、合わせたり、ときに嫉妬したりして、若い頃同様のストレスを延長させるだけ、ということだってあります。

 

隠遁的な生き方が心の安らぎにかくも並はずれた好影響をおよぼす理由の大部分は、こうした生き方をすれば、たえず他人の目にさらされ、他人の思惑にたえず気をつかう生活を脱して、自分自身に立ち返ることになるからだ。

ショーペンハウアー「幸福について」P97)

 

 実は、孤独は安らぎなのです。

 

人間が社交的になるのは、孤独に耐えられないからであり、孤独のなかの自分自身に耐えられないからだ。内面の空疎さと倦怠が社交や異郷、旅へと駆り立てる。

(同上P227)

私たちの苦悩のほとんどすべてが社交から生じるものであり、健康に次いで、もっとも本質的な要素である心の安らぎは、社交によって危うくされるため、著しく孤独でなければ、心安らかであり続けることはできない。

(同上P231)

 

 人は人によって救われたりもするのですが、不親切で心乱される関係のほうがより多いのかもしれません。社会の煩わしさのほとんどが、人間関係の煩わしさです。

 ひとりになって自分と向き合えば自分の「ほんとう」が見えてきますし、他人と比較する必要もなく、他人に自分を披露して評価してもらおうとしなくてもいいのです。

 価値を外に置かず、自分自身の内側に置くことができれば、孤独は友だちです。

 誰かといっしょにいれば、その人に合わせて自分を抑圧してしまうことも多々あります。それは、俗世間での調和ということを考えたときには致し方ない振る舞いではあるのかもしれませんが、それがずっと続けば人は心を壊してしまいます。

 もしかしたら、誰かといっしょにいれば自分はいつも満たされるし、とても良い関係を築けていると思っている人もいるかもしれません。が、それは、相手の人が遠慮してあなたに合わせているからかもしれません。その場合は、あなたは気分がいいかもしれませんが、あなたの友人は苦痛を味わっているかもしれません。

 多かれ少なかれ人と人の間には、そのような煩瑣で面倒なことが横たわっているものです。べったりと付き合うことには不自由が伴います。私たちはみな個々人、「個」なので「個として自立して互いを尊重し合う」ことが、お互いの「自由」につながります。我慢したり、誰かに合わせたり、遠慮したりするのがマナーや思いやりや親切だと勘違いしている人もいるかもしれませんがそれは、尊重し合う、尊厳を守るということとは違います。

 

「隠者の孤独」は「最強の自由」です。邪魔する人も命令する人もいません。誰かに遠慮して諦めたり、気を使ったりする必要はありません。自分の裁量で何でもできます。食べたい時に好きなものを食べて、寝たいときに寝ます。場所にも、人にも、時にも、何にも拘束されていません。嫌なことはしません。それは孤独だからできるのです。

 

「老い」の利点はいつでも「隠者」になれることです。「隠者」は「賢者」です。

 寂しいからといって群れずに、せっかく社会の煩わしさから遠ざかることができたのですから、「ひとり」を恐れないことをおすすめします。

 お付き合いは「君子の交わりは淡きこと水のごとし」を心がけたほうが、余生をより良く生きることができると思います。

 

 60歳を過ぎたら孤独を堂々と楽しむ自由な時間を持つことができます。そのためにも、本当は60歳から年金を受け取れるのが本来の姿だと私は思っています。

 ベーシックインカムがあれば、若い人でも同じことができます。資産がある人は常に自由自在のはずですが、欲望は尽きないという悲劇はあります。

 

 No9 のタロットカード「隠者」は、「孤独」という名の「自由」を楽しんでいる老人です。

「孤独」とは「精神的に自立」していることです。個を知って大切にすることです。

 

附記

 今はネットという便利なものがあるので、人と実際に会わなくても多くの情報を得ることができますし、そういう意味では孤立や寂寥を感じることは少ないと思います。ただし、そのネットのなかで人と必要以上につながって様々密接なやり取りをしてしまうと、そこには自ずと再び煩わしさが付き纏ってきます。

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タロットカードNo9隠者 ©2021kinirobotti