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タロット占い師のetc

「らしさ」の哲学(8)〜タロットカードとコナトゥス②〜持って生まれたあなたのカード〜

 人間には「本来の自分であろうとする力」があり、本来の自分とは別のことをさせられているときには「本来の自分に戻ろうとする力」が働く 、ということをスピノザ哲学から考察してきた。

「らしさ」について、『「らしさ」の哲学(1)〜(6)』を通してあれこれ考えを巡らせ、「本来の自分に戻ろうとする力」の「本来の自分」が本当の意味での「らしさ」なのだ、と書いてきた。学者たちが忌み嫌う「レッテル」という意味での「らしさ」とは違う。

 「(7)①」では、タロットカード「No11力」は「コナトゥス」カードと言えるのではないか、というところへたどり着いた(もしかしたらこじつけかもしれないが)。

 

 さらにここでは「らしさ」について、タロットカードの視点から言及する。

「(7)①」で、タロット数秘術について書いた。生年月日を計算して、「持って生まれたカード」と「年月週日運」を出す占術だ。これらは、大アルカナカードのみを使用する。つまり、算出した数字を大アルカナカードにあてはめる。例えば私の生年月日は分解して足し算して数を少なくしていくと21になるので、私の「持って生まれたカード」はNo21「世界」ということになる。

 数秘術にも流儀はさまざまある。私の持って生まれた数字が「3」になるものもある。21を2+1=3とさらに計算するからだ。計算方法が違うものもあるので、全く別の数字になることもある。

 私のタロット数秘術では、算出した数字を大アルカナカードに呼応させるので「21」はそのまま生かされる。ちなみに22は0「愚者」と認識する。23から上の数字はタロットカードにないので、さらに計算して例えば2+3=5(神官)とする。

 もうお分かりかと思うが、大アルカナカードは全部で22枚だと先述したが、22番目のカードは存在しない。なぜなら、上で示した通り「愚者カード」が「No0」なので。大アルカナカードはNo0「愚者」からNo21「世界」のカードで構成されている。

 

 「らしさ」の哲学に大いに関係するのは、この「持って生まれたカード」だ。言うまでもなく、これはあなたの「性質」だ。占星術で言うところの「星座」だと思っていただければ理解しやすいと思う。〇〇座のあなたは、明るい気質だけど神経質な面があって……みたいな占いを、どれほど占い嫌いな人でも一度は目にしたことがあるのではないだろうか。血液型でも、例えばB型はわがままで、などというのを聞いたことがあるかと思うが、そんな感じに理解してください。

 占いの現場では「このカードが自分だと思ってください」と、私は相談者さんにお伝えしている。タロットカードにはイメージされた人物像が描かれているので、数字だけ示されるよりも分かりやすいという利点がある。次回の占いのとき「自分のカードを覚えていますか?」と尋ねると7〜8割の人は覚えている。数字は忘れてもカードの「絵」は覚えていて「これこれこんな感じの絵」と答えてくれる相談者さんもいる。

 

 繰り返すが、ここで言うところの「らしさ」は、レッテルでも押し付けでも他人からの評価でもない。「自分のほんとう」である。「本当の自分」と言うと、そんなもの分かるわけないという意見もあるし、逆にその「ほんとう」というのが強制、圧力になって苦しいという人もいる。ゆえに、『「らしさ」の哲学(1)〜(6)』で示してきた「らしさ」を根底においていただけたら、と思う。まだまだ拙くはあり、これからさらに発展し、成長による変化もしていくと思うが、現時点(2021年10月)での私の考える「らしさ」です。

 

「持って生まれたあなたのカード」は「あなた自身」です。

 それぞれのカードには意味がある。分かりやすい言葉を使えば「個性」。そしてそれは「コナトゥス」「本来の自分」「本来の自分に戻ろうとする力」だ。

 ちなみに、前にも書いたが「個性」は、目立つ何かでも、人より突出した何かでもない。他人と比較するものではなく、むしろ、他と協力し合えるそれぞれが持つ特性、能力だ。

 能力を才能と言ってもよいのだが、才能という単語には優越的特別感が伴うがゆえに「持っている人と持っていない人がいる」という印象を与えてしまう、と私は思っている。本当は全員にギフトはあるわけで。個性に優劣はない。それは尊重し合うものであって、競争するものでも、驕るものでも、やたらと絶賛するものでもない。

 

 例えば、No9「隠者」とNo0「愚者」では、性質が全く違うのは明瞭だ。「静」と「動」と言ってもいい。両者とも自由を好むが、厳密にはその「自由の性質」は全く違う。「隠者」は、思慮深く、学究肌で、ひとりでいることを好む。「愚者」は、好奇心旺盛で無鉄砲なところがあり、束縛を嫌う。(むろん解釈はこれだけではないし、自由の性質についても語れば興味深いものになると思うが、ここで語るテーマではないので別の機会に譲る)。

 

「らしさ」というのはこのもともと持って生まれた魂のエネルギーについて言うのであって、10年20年とこの世に生きて、その環境から得た性質(自覚、無自覚問わず)や癖、習慣について言うのではない(それはタロットカードを引いてもらって占う)。

 もちろんその元来の性質は、同じカードの持ち主でも瓜二つではない。それは占星術でもそうではないだろうか。全く同じ誕生日の人が全く同じ人生を歩むわけではない。生まれた場所や時間による差異を占星術の場合はより個々人的に鑑定できることもあるのだろうが、大抵の場合は、しし座はこう、おとめ座はこれこれこういう人……と一般化されるだろう。これもまた別にテーマを設けるべき内容だ。いずれ。

 

「どんな職業」に向いているか、という占いを本や雑誌で見たことのある人もいるだろう。実際に占い師に訊いたことのある人もいるだろう。

 私もときどき尋ねられるが、実は私にとってこれはとても答えるのが困難なのだ。これは私の場合であって、タロット占いでも見事に具体的な職業名を教えてくれることがある(もしかしたらそちらのほうが多いかもしれない)。

 私のタロット数秘術による職業選択の自由は、例えば「隠者」なら、静かなところでひとり思索するのが好きなのに、騒がしいところでの接客や営業を要求されたりすれば心を病んでしまうかもしれない。とは言え「隠者」カードを持って生まれた人でも、接客業、営業職、スポーツ選手……もいる。コツコツ書くのが得意なので作家向きのはずなのに、脚本ではなく俳優をやっている人だっている。

 

 私のタロット占いでは、基本、どのカードの人もどんな職業についても良い。そのように相談者さんには言っている。本人が何をしたいのか、が一番問われるのである。

 ただし、仕事の取り組み方、表現方法には違いがある。逆に言えば、そこを間違ってしまうと不具合や窮屈を覚えるはずだ。自分自身を活かせていないからだ。

 なんか苦しいなぁ、つまんないなぁ、うまくいかないなぁ、と感じるときには「その場所、職種が自分にあっていない」か「仕事の取り組み方を間違っている」はずだ。

 例えば「隠者」はあまり運動能力に長けているように見えないカードだが、このカードを持つスポーツ選手だって世界中にいる。この人がスポーツ界で成功するためには「自分らしく」取り組むことがより大切になってくる。例えばNo7「戦車」の人と同じ様な練習、訓練をしてもうまくいかず、自分には能力がなさそうだと思ってしまうかもしれない。ある程度のところまでいったとしても、そこから伸びない。「戦車」さんが激しくとにかく動き回っているからと言って、「隠者」さんは「戦車」さんの真似をしてもうまくいかないし、「戦車」さんが華々しいからといって「戦車」さんになろうとするのは無駄な努力だ。「隠者」さんはまずじっくり考えて、自分の心身について、さらにそのスポーツの特徴なども探究して、どうすれば良いパフォーマンスをすることができるのかを見極めて(ピッチャーなのかキャッチャーなのか、など)、そして「隠者」“らしい”スポーツ選手を表現すれば(大)成功するだろう。もちろん、肉体的な能力(運動神経)の有無も条件にはなるだろう。例えば同じ棋士でも、その戦い方や攻め方は、隠者さんと戦車さんでは随分と違うはずだ。

 あるいは例えば、どうしてもサッカーが大好きで幼少時よりずっとサッカーをやってきたがプロにはなれなかった人がいて、たとえばその人が「隠者」さんだったら、逆にスポーツライターの仕事などは断然向いている。それが「戦車」さんだったら、日本のみならず海外へも積極的に動き回るスポーツライターになるかもしれない。

 どのカードの人にも、あらゆる扉は開かれている。本当の「自分らしさ」を見失わなければ。

 

 今いる場所で、ワクワクしないとか、違和感を覚えていたり、ひどい目にあっているなどがあれば、あらためて「本来の自分」について考えてみる必要があると思う。

「本来の自分」がやりたいことをやっていないときには、「コナトゥス」が働く。すなわち「本来の自分に戻ろうとする力」が働いたり「戻りたいという欲求」が湧いてくるはずだ。

 それをわがままだとか、根気がないとか、怠け者だとか言う人がいたら、そんなことを言う人のほうが間違っているので、そんな場所からは離れたほうがいい。さらに、パワハラやセクハラなどハラスメントの被害に合っている場合は、たとえそこが「自分と組み合わせのよい」場所だとしても、そのハラスメントをする人がいなくなる気配も、上司に相談して解決策や緩和も見えないのであれば「逃げるは恥だが役に立つ」である、ということは現実問題として申し添えておく。

 

 私は「らしさ」「スピノザのコナトゥス」を考察してきて、これはタロット数秘の「持って生まれたカード」だな、というところに行き着いたのでした。

 それは「本当の自分」であり「生き方」であり「得意」であり「個性」であり「好きなこと」であり「ワクワク」であり「自分を自分足らしめているもの」であるのではないだろうか。

 

 世の中の人々がみな「自分らしく」生きることができるのであれば、そのような世界はストレスのない世界だ。調和の取れた社会であり、嫉妬も争いも暴力も嘲笑もないだろうと想像できる(ただの空想だろうか?)。

 

 息苦しいときは、タロット数秘術の自分のカードに立ち返ってみるといい。私も師匠から自分のカードについて教えてもらったとき、実は驚いたのだ。え?私、そんなんじゃないけど、とすら思った。何か間違ってないか?と。

 タロットカードはポジティブだ。大アルカナカードが教えてくれる「自分のほんとう」は本来の自分なので、おそらくたいていの地球人がそれをネガティブに生きてしまっていることが多いと思う。ゆえに、え?それ私?と思ったりしてしまうのだ。「本来の自分」は「コナトゥス」となって、私たちを本来の自分に戻そうとしてくれる。あなたのカードはこれですよと知ることによって、意識的に「コナトゥス」を働かせることができる。

 タロット占い師の私は今、そんな風に考えています。

 

 まだまだ思索は続きます。

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