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「らしさ」の哲学(7)〜タロットカードとコナトゥス①〜No11「力」カード〜

 私はタロット占い師なので、ここでタロットカードから見た「らしさ」について、稚拙ながら書いておきたいと思います。

 

 タロットカードは全部で78枚。大アルカナカード22枚、小アルカナカード56枚。

 小アルカナカードは、4組のスートからなっていて、その構成はトランプカードと似ている。ワンド(棒)・カップ(杯)・ソード(剣)・ペンタクル(コイン)、それぞれが14枚ずつ。それぞれのスートは10枚の数字カードと4枚のコートカードの組み合わせ。コートカード(宮廷カード)は、キング・クィーン・ナイト・ペイジという人物を象徴している。

 詳しい説明は別の機会に譲ります。

 

 私は、78枚すべてのカードを使って占っている。

 なかには大アルカナ22枚のみで占う占い師もいる。私も、小アルカナをうまく解釈する自信がなかったデビューしたてのころは大アルカナのみで占っていた。

 私の場合は、タロット数秘術という占術も持っており、はじめての相談者さんは、まずは数秘術(生年月日を使う)をみてからタロットカードを引いてもらうようにしている。それでも、数秘術は必要ないとおっしゃる方もいるので、もちろん数秘術は省いてもかまいません。

 ただ、質問を伺ってタロットカードを引いていただいても、占い師としては、この人の持って生まれたカードはなんだろうと気になってくるし、それが分かっていたほうが引いていただいたカードの解釈がより分かりやすく正確になるということもある。もちろんこれは占い師側からの意見であって、相談者さんがどう占ってもらいたいかは各々で自由。

 けれどもタロット数秘は、より良い占いのために、占い師と相談者さんの間の良い関係性とインスピレーションのために、そして何より相談者さん本人が「自分のほんとう」を認識しておくためにも必要不可欠だ、とあえてここで申し添えておきます。

 

 私のタロット数秘術は私の師匠からの直伝。ちなみに私の師匠はヨーロッパの人。

 タロット数秘からお伝えできることは、本人の持って生まれたカードすなわち「あなたはこういう人ですよ」という生来のエネルギー(性質)と年月週日の運勢(エネルギー)だ。占いの現場では時間が限られているので、数年の年運を提示する。月週日までみることはほとんどないが、何かをやろうとしていてピンポイントで運勢を知りたいという相談者さんもたま〜にいらっしゃる。婚姻届とか契約日とか引っ越しとか面接とか告白とか……。

「占いセラピー タロットの散歩道:SSブログ」という私のサイトでは、個別ではないが、世界共通のタロットエネルギー(運勢)を、年始めには年間、月初めには月間、週初めには週間でお伝えしている。このサイトで書いている短い助言(占い)は、その年月週のエネルギーだけに終始しない、普遍的助言あるいは人生論(哲学)となっているはずです。ゆえに、気になったタイトルの助言をいつなんどきでもお読みいただいて、ヒントや考えるチャンスとしていただけるというコンセプトが密かに含まれています。

 

 前置きが長くなりました。

 

 ということで、ここでは、22枚の大アルカナカードを使って、「らしさ」と「コナトゥス」について思いを巡らせてみたい。

「らしさの哲学」をここまで読んでくださった方々には、すでに「コナトゥス」の意味を把握されていると思う。

 振り返っておこう。

「コナトゥスconatus」はラテン語。哲学者スピノザ(1632年〜77年)の有名な概念。

あえて日本語に訳せば「努力」となってしまうのですが、これは頑張って何かをするという意味ではありません。「ある傾向をもった力」と考えればよいでしょう。

コナトゥスは、個体をいまある状態に維持しようとして働く力のことを指します。

(略)

私たちの中ではいつも、自分の恒常性を維持しようとする傾向をもった力が働いています。

國分功一郎「はじめてのスピノザ」P56〜57)

「自分の存在を維持しようとする力」であり、「ある物がもつコナトゥスという名の力こそが、その物の“本質essentia” である」とスピノザは考えていた。

 

「はじめてのスピノザ」のこのページを読みながら、私の心には「タロットカードNo11力」がその姿を現した(㊟私のカードでは11番が力で8番が正義。ライダー版など世界に多く普及しているカードセットでは11番が正義で8番が力となっている。だが、もともとは11番が力だったらしい)。

 

「No11力」カードの主な意味、解釈は「力強さ 何事にも動じない意志の力 自制心 諦めないパワー」など、ポジティブすぎるほどのエネルギーがありながら自分を収めることもできる、そんな風にほとんどの解説書に書いてあると思う。

 このカードには、猛獣であるライオンをなだめているひとりの人物が描かれている。この人物はライオンの口のなかへ手を入れて何かを取ろうとしていたり、この人物自身がライオンの口のなかに入り込んで鋭い牙の大きな口を広げていたりする。

 いずれにしても、制御していることは確かだ。この制御されているライオンが象徴しているのは、自分の周囲や環境なのか、あるいは自分自身の暴れる心なのか。リーディングによっても違ってくる。

 

 このカードに「欲」を読み取るとき、それは極めて現世利益的な欲の現れで、むしろ自己制御よりも、周囲の人々や環境を捻じ曲げてでも、捻じ伏せてでも、無理矢理押さえつけて欲しいものを手に入れる、というなんとも強欲なエネルギーすら感じることもある。けれども、人はそのくらい強い意志を発揮しないといけないときもある。ぐずぐずしていたり、遠慮したりしていてはやりたいことがやれない。

 また、恋愛について占っているときにこのカードを引くと、肉体関係だけの間柄という意味も発生するので、非常に肉欲的なカードでもある。

 そういう意味では「本能」という意味も読み取ることができるだろう。それは、スポーツ選手や政治家などの「野心」にも通じる性質だ。

「生存欲」が強く、うっかりすると「それだけ?」になってしまうかもしれない。いわゆる詩人の魂とは真逆なパワー(詩人にも様々な性質の人がいるが)。世間の荒波にも強いでしょうから、繊細な芸術家が早死してしまうのとはずいぶんと違う種類のエネルギーだ。けれども、こんな人がひとり家族のなかにいてくれると、お金に困らなくていいかもしれない。繊細な芸術家は金儲けが下手なので、このカードのパワーを持った人がそばにいてくれると助かるだろう。

 

「No11力」カードを「コナトゥス」として捉えると、様相は少し変わってくる。

 私は、こちらの意味解釈のほうが現代社会にはぴったりくるように思った。

「ある傾向をもった力」

「個体をいまある状態に維持しようとして働く力」

「自分の恒常性を維持しようとする傾向をもった力」

「自分の存在を維持しようとする力」

「その物の本質 」

 私は、このカードを相談者さんが引いたとき「自分がやりたいと思ったことをどんどんやってください」と助言していた(もちろん他の意味になるときもある)。

 それは、私が師匠から伝授された解釈のなかに「精神的な意欲 自分のなかにあるこうなりたいという思い」という意味があったからだ。

 これって「コナトゥス」ではないか。

「自分を自分自身であらしめようとするある傾向をもった力」である。

 私たちのなかには「私自身」であろうとする、ありたいとする「意志」「魂」のようなものがあって、それはときに「本質」と呼ばれたりする。「No11力」のカードはそれを教えてくれていたのだ。

 では「私の本質」とは何だろう。

 

 本質と聞くと「ゆるぎないもの」を想像するだろう。しかし、スピノザは「変状affectio」という言葉を使う。

変状とは、ある物が何らかの刺激を受け、一定の形態や性質を帯びることを言います。

(略)

変状する力は、コナトゥスを言い換えたものです。たとえば暑さという刺激を受けると、発汗という変状が起こります。それは熱を冷ますための反応であり、コナトゥスの作用ですね。力としての本質の原理がコナトゥスである、それは変状を司るという意味では「変状する力」としてとらえることができると考えればよいでしょう。

私たちは常に様々な刺激を受けて生きているわけですから、うまく生きていくためには、自分のコナトゥスの性質を知ることがとても大切になるわけです。

スピノザはさらにこの本質としての力を「欲望」とも呼んでいます。

(同上P64〜65)

「欲」は「No11力」カードに備わっているエネルギーのひとつ。「欲望」というとマイナスなイメージがつきまとうが、「意欲」と言えばプラスのイメージを保つことができる。

 もちろん「力」のカードにも、ネガティブとポジティブ両方のエネルギーが宿っていて、この強い力がネガティブな方向に働くと、どこまでも落ち込んでいってしまうので要注意だ。ゆえに、このカードがめぐって来た年に不甲斐なさや不満足、苦痛を感じてしまう人も少なくない。浮上の方法は、本来の自分らしさと取り戻すことに尽きるだろう(詳しくは別の機会に)。

 

本質は力です。力ですから、それは刺激に応じてさまざまに変化します。たとえば私の本質は、aという刺激によって、Aという状態になることを「決定」される。そしてそのAという状態は私に、「あることをなすよう」働きかけます。この働きかけが欲望であり、その欲望は本質そのものだと言っているわけです。

(略)

スピノザは、力としての本質が変化しながらたどり着く各々の状態が、欲望として作用すると言っているわけです。

(同上P65〜66)

 

 人は変化する。変化を前提とせずに他人を評価するのは「レッテルを貼る」ことだと、前のテキストですでに書いた。身勝手な決めつけ、そしてときに意地悪で冷笑的で支配的な「〇〇さんらしさ」の押し付けである。

 人はたくさんの刺激を日々受けながら生きている。その刺激によって、ときに人は成長し、ときに成長せず苦しんだりもする。苦しむときは、「あることをなすよう働きかける欲望」が「コナトゥス」と違う方を向いてしまっているときだ。本質は変状するのだが、しかしその本質は向き不向きというものを兼ね備えているのではないか、と私は思う。「らしさの哲学(4)」で言及した「農耕馬と競走馬」の違いに代表される「個性」であり「らしさ」である。いくら刺激を受けて変わるからと言っても農耕馬が競争馬になるのは難しいし、競走馬が農耕馬になることはおそらくできない。特別に珍しい奇跡が絶対に起きないとは言わないが、ほぼほぼ、いや、まず「ない」だろう。

 

 変化するからと言って、その人の本質が全く別人になってしまうわけではない。

 ゆえに、タロットカードNo11「力」は「本当の自分自身になろうとする自分の思い(魂)」に視線を向けるそのようなパワーであると理解することができる。なだめるべきは、自身の欲望の方向である。

「力」のカードに「コナトゥス」と表記してもバチは当たらないだろう。

 

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