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「コロナの時代の僕ら」〜元に戻りたくないことは?〜

新型コロナウイルス感染拡大の今現在、読んでおきたい一冊。

 

「コロナの時代の僕ら」

パオロ・ジョルダーノ著 

飯田亮介訳

早川書房

 

気が散らなければ、2〜3時間で読み終わる。

 

図書館も閉まっており、コロナパンデミックが身近になってから、私は実のところ読書ができなくなっていた。

ここ2ヶ月くらい、これまでに味わったことのない気分を覚えている人も多いのではないだろうか。そのなんとも言えない虚無的感覚の延長なのか、私の読書は止まっていた。

備忘録を見ると、3月14日に内田樹「サル化する世界」を読み終えてから新しい本は読んでいない。翌週に、アリストテレス「心とは何か」、マルクス・ガブリエル「私は脳ではない」の読み残していた部分を読んでいる。その翌週「一週間本を読んでいない」とメモっている。

それから、「コロナの時代の僕ら」に出会って購入、読了したのが5月2日である。

 

著者は、イタリアで人気の小説家、だそうだ。

コロナ禍、2020年2月下旬から3月上旬までのイタリアで感じたことを綴ったエッセイということだったのだが、読み始めたとき、ふと「え?これ小説?」と疑った。短いエッセイを連ねた手法の独白小説のような雰囲気があった。そう、まるでカミュの「ペスト」か何かのように。

それだけ文面に文学の香りが漂っているのである。

著者は、トリノ大学博士課程で素粒子物理学を専攻しただけあって、コロナウイルスやその他感染症についても数学的、物理的に語る。それが非常に分かりやすい。

日本の報道番組や専門家会議の人々から次々と繰り出されていた感染症関連の新出専門用語の概念が、柔軟かつ論理的に私の理解の枠に収まった。

 

ビリヤードの球に例えられた感染拡大の様子は、臨場感があった。これは日本の情報番組でも取り上げてほしい。

今さかんに言われ始めた「基本再生産数(アールノート)」(この数値が1未満なら伝播は自ら止まる)についても、分かり易く書かれており、なるほどと合点がいく。

日本は、不躾にグラフを提示して外出するなとぶっきらぼうに言う前に、論理的説明をしたほうがいいと思う。どうせお前らに説明しても分からないだろう、くらいな上から目線なのだろうか。

 

「隔離生活のジレンマ」というタイトルでは、パーティに参加するかどうかの選択肢について書かれていた。

私も自分に当てはめて想像すると、なんとも情けないことをしているな、と反省した。

つまり例えば、どこかへ出掛けようとしているとき、「無事を祈りつつ出かける」「外出をやめる」という選択肢の間で揺れる。そこでこんな期待をする、と著者は言う。みんな外出をやめているだろうから空いているんじゃないか、だったら行っても大丈夫だな、と。でも、そのみんなが自分と同じことを考えていたら、そこに人がいっぱいという状況ができてしまう。

私もついついそのような思考パターンに陥りがちだ。先日、東京都から完璧に休業要請される少し前に、予約を入れていたので恐る恐る美容室へ行った。空いてていいかもと期待しつつ、逆に混んでたら帰ってこようかな、などと悠長に構えながら。結果はほぼ貸切状態で、美容師さんは、来ていただいてありがたい、と言ってくれた。

数店ある他の店舗は休業しているとのこと。大型商業施設内にある店舗は、その施設が休業なので自ずと休業。私の通っている店舗は駅ナカにある。鉄道会社からは休んでくれと言われてる、と言っていた。やはり固定費の問題は大きいようだ。

理美容店は海外では休業させられている。美容師さんと客の接近度が高いだからだ。それにお喋りもする。飲食店には仲間で行っても喋らなきゃいいと言われている。なので喋らないようにしようと思っていたが、喋ってしまった。とくに現政権のコロナ対策への不満を。

次の予約を入れた。「また元気で会えますように」なんて挨拶をして店を離れた。

ちなにみその駅ナカにある外食チェーン店は全て営業していた。かた焼きそばを持ち帰り購入してその日の夕食にした。明るくて元気な店員さんに救われる思いがした。

その美容室もこの連休は休業になった。

髪の毛切らなくても死にゃあしないけど、でも、切ってくれるほうは……。

自分の損得勘定だけにもとづいた選択はベストな選択とは言えない。真のベストな選択とは、僕の損得とみんなの損得を同時に計算に入れたものだ……。

つまり、残念だが、パーティーは次回にお預けだ。

(P41)

感染症の流行を止めるための生活は、楽しみや経済活動を考慮にいれたらできない。

 

このウイルスは、ジレンマや自利と利他について容赦なく問いかけてくる。

さらにこのパンデミックは、現代社会の仕組みや人間のあれやこれやを明るみに出してくる。

環境破壊による気候変動もそのひとつだ。

人間は、エゴで自然を破壊しつづけ、動物たちの生息地を奪ってきた。そして、ひっそりと暮らしていたウイルスが、飛び出して来た。新たな生息地は人間だ。

経済活動をやめて人間が引きこもったら、空気や運河がきれいになった。 

感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって?僕たちが属しているのが人類という共同体だけはないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ。

(P71)

 

人間が生きていく上で「本当は何が大切なのか 大切だったのか」ということが見せつけられている。

危機のときには社会の仕組みが変容する。ヨーロッパではペストによって封建主義が終わったと言われている。日本で言えば明治維新とか、戦後民主主義とか、だろうか。

 

日常が不意に、僕たちの所有する財産のうちでもっとも神聖なものと化したわけだが、これまで僕らはそこまで日常を大切にしてこなかったし、冷静に考えてみれば、そのなんたるかもよく知らない。とにかくみんなが取り返したいと思っているものであることは確かだ。

(P96)

日常が一時中断された非日常の時間のなかで生きることを学ぶべきである、と著者は言う。

本当に大事なことは、当たり前のなかにすんなりと溶け込んでいて、特別に意識しない。私たちは普段、日常に感謝することはまずない。

 

この時間を有効活用して、いつもは日常に邪魔されてなかなか考えられない、次のような問いかけを自分にしてみてはどうだろうか。僕らはどうしてこんな状況におちいってしまったのか、このあとどんな風にやり直したい?

(P99)

ここで言うところの日常は、日々の慌ただしさのこと。今となっては懐かしいかもしれないが。

私はタロット占い師だ。とくに2020年5月、世界のタロットカードカードエネルギーはNo9「隠者」である。隠者は俗世を離れて籠もって探求する性質の象徴だ。

このカードは周期的に回ってくるわけだが、その都度、ひとりになって考えることの大切さを助言をしても、おそらくは多くの人たちは、なるほどな、そうしよう、と一瞬思ってもそうしない。いや、できない。なぜなら、世間の喧騒のなかに常に身を置いているからだ。仕事や生活、娯楽に追われている。隠者になって洞窟に籠もるには、よほどの意志の強さが試される。

ところが今は、ほぼ世界中の人々が、いやでも隠者、ハーミットだ。

 

パオロ・ジョルダーノは、本著「あとがき」でとても良いことを教えてくれている。

コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」

(略)

今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。

(略)

すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。

(P101~109)

著者は言う。外出自粛している人々の姿や、病人を助けている人々の献身とそれを称える市民たちが窓辺で歌う夕刻。これらはおそらく感染症流行にまつわる公式エピソードとして残るので思い出せるはずだ、と。

しかし、マルグリット・デュラスが戦争について書いた言葉「平和の様相はすでに現れてきている。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある」のように、感染拡大収束に伴う社会の復興とともに忘れてしまうことがある。

「でも僕は忘れたくない」という書き出しで、著者はひとつひとつ忘れたくないことを綴る。

 

さらにこう言う。

もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。

(P115)

 

僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。

(略)

今のうちから、あとのことを想像しておこう。

(P115~116)

 

この「あとがき」は、3月20日付の「コリエーレ」紙の記事で、日本語版に特別掲載されたのだそうだ。

訳者(飯田亮介)は「訳者あとがき」でこう書いている。

(略)

この最後の一章がいちばん魅力的だと思う読者さえ出てきても不思議ではないくらい、力強い文章だ。本文の翻訳が終わったあとに偶然の成りゆきで出会い、ぎりぎりのタイミングで掲載の決まった記事(略)。

この作品は実は、この宝石のような文章があって初めて完成する一冊だとすら思っている。

(略)

イタリア在住のこの翻訳家に感謝だ。

ジョルダーノのこの最後の一章は、珠玉の一文である。

 

「隠者」生活を余儀なくされている今、私たち個々人も日本で、コロナ禍のあとも「忘れたくないこと」に思いを馳せてみてはどうだろうか。

私にとって「忘れたくないこと」は「元に戻ってほしくないこと」と「日常生活を支えてくれていること(エッセンシャルワーク)」。

例えば、

給付金=ベーシックインカム(そもそも大学生がアルバイトしないと大学に通えないっておかしい。学生は勉強すべし)

テレワークでできることはたくさんあった

満員電車には戻りたくない

公共交通機関、コンビニやスーパーマーケットの店員さん、郵便配達や物流配送業、清掃ゴミ収集の仕事への感謝

無駄なこと、実は不必要だったこと

……etc

 

みなさんも読後に、ぜひ。

 

「人にはどれほどの土地がいるのか(トルストイ)」ということを、COVID19は私たちに教えているのかもしれない。

 

海外文学を読むような感じで読めます。

グッドタイミングな一冊です。

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読書 ©2020kinirobotti

 

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