ねことんぼプロムナード

タロット占い師のetc

占い師が占いの仕事を疑うとき〜現在 過去 未来〜

新型コロナウイルス感染拡大という災厄が起きてから、私自身、筆が覚束ない。

 

経験したことのない出来事。生活。

目まぐるしく変化する報道に追いつこうとする日々。

 

昨年は、アニメ会社放火事件、無差別殺人やそこから憂慮した父親による息子殺し事件など、痛ましい事件も続出したりで、日本のニュース番組の幼稚さにほとほと呆れてCNNばかり見ていたのをやめて、日本のニュース番組を見ざるを得ない状態が続いた。

そして、今年。COVID19というウイルスがやってきた。日本で何が起きているかは、やはり日本の報道をチェックしなければならない。

ところがしばらくすると、例によって日本の政府、総理大臣を始めする政治をやっている人たちの、煮えきらない、もごもごとした愚かな政策と、市民のためにより良いことができない(したくない)言い訳が続いた。そして、彼らは国民の命よりも自分たちの旨味を選んでいる人たちなんだと分かった。他国の首相たちのほうがずっと人間味があって誠実で、頼もしく見えてきた。メディアもジャーナリズムを放棄しており、日本の本当を知るには、CNNを見るしかなくなった。すなわち、海外から日本がどう見られているのかを知らなければ、井の中の蛙どころか、無知無明になる。

 

私は執筆作業が好きだ。

その私が、筆を執っても思いがつづかない、という感覚を味わった。今まで感じたことのない感覚だ。

何というか、集中できない?気持ちが散ってしまう?とは少し違うような気もするが、それらと似通った感覚である。

 

さらに、読書もできない。楽しめない。

stayhome、こんなときだからこそ、堂々と引きこもって読書ができる絶好のチャンスなのに。再読したり、丁寧に読む時間もあるのに。書評欄やツィッターでの推薦を見ても、食指が動かない。いつもならあれこもこれもと読みたくなって注文したり、図書館のサイトで探したりするのだが。ちょっと探っても「ま、いっか」と思いをとめてしまう。

 

ネットにあがった学者や作家たちのつぶやきや記事、インタビューは読む。新しい世界の情報集めでもある。けれども、それは読書とは違う。流行、流れゆく見解を追っているだけだ。いや、それも大事だ。自分自身の心や行動の態度を選択して決めたり、思考を深めたりするために「今」必要なのだから。

 

(略)

私たちは今そんな悠長な時間意識のうちにはいない。あまりに物事の変化が速すぎて、遠い目をして往時を回想したり、遥かな未来を望見する余裕がないのである。AI導入後の雇用環境はどう変わるだろうかというような「悠長」な話をしていたら、パンデミックでそれ以前にいくつかの業界がまるごと消失というような事態が切迫してきたからである。

内田樹AERA」より)

そのとおり、と思わず膝を叩く。内田の文面は当意即妙だ。

「悠長な時間意識」

「遠い目をして往時を回想する」

「遥かな未来を望見する」

これらは余裕だったのだ。これらの文言がなんとも人文的で、なつかしい気さえする。

晴天の遥かな大地や、星空の遠い宇宙を眺める詩的情緒は、見失って初めて分かる。

 

しかし、過去を顧み、未来に備えるという営みが虚しく思えるというのはほとんど「文明史的危機」と言わなければならない。(略)昨日ははやかき消え、明日は寸前まで予測不能という「無視界飛行」を強いられている現代人にはもう「一生」という概念そのものにリアリティーがなくなっている。そんな人に人間的成熟を求めるのは論理的に不可能である。

(同上)

これを読んで、合点がいった。

私の仕事は「占い」である。

占いというのは、過去と未来を扱う仕事だ。現在の苦悩が、どこから来てどこへ行くのかを知ろうとするワークだ。どこへ行きたいのか、行きたかったのかを知ることで、現在の迷妄の何たるかに気づき、今どうしたらいいのかを理解して、選択と行動につなげていく。そのためのヒントをカードに尋ねていく(私の場合はタロット占い師なので)。タロットは人生を問いかけてくるカードなのだ。

 

昔は(今でもかもしれないが、昭和時代ほど目立たない。ネットは別として)、占い師や霊能者による予知番組が人気だった。今だったら、ウイルスパンデミックを予知した占い師や霊能者がいれば、引っ張りだこになって、かつての宜保愛子細木数子のようなスピリチュアル番組が復活したかもしれない。

現実の今は、ビル・ゲイツが5年前に予言していたと騒がれ、その映像がネットで拡散している。ビル・ゲイツの財団「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」は現在この新型コロナウイルス感染症対策への活動に全力を注いでいる。CNNにも登場して多くを語っている。

そして今私は、内田樹のコラムから、占いというのは「過去と未来を扱う仕事なのだ」と、今更ながらあらためて思い知らされているところだ。

 

このウイルスはなんとも意地が悪い。人と人との間に物理的距離を要求してくる。そして尚且つ、仕事、生活のこれまでの既成概念や習慣に首を突っ込んでくる。

社会システムのあれこれが変化してしまう予感、もしかしたら無くなるシステムや、仕事そのものすら無くなるかもしれないと考えるとき、はたして占いが、当たるとか当たらないとかいった類いの占いが、どれほどの効力を持ち得るのだろうかと思わないでもない。

内田樹の言うように、流れが速く、未来が即過去になってしまうような状況では、落ち着いて人生について考える悠長な余裕などない。占いなどどこ吹く風、かもしれない。

ゆえに私は、今週や今月のタロット運勢について書くとき、いささかの躊躇を感じていたのだった。

私自身「あれ、今までどおり書けない」そんな感覚を味わっていた。

私の特性として、書き始めると筆が進むということがあるので、幸い、時勢に即したメッセージをお伝えすることができている……と自画自賛的に思っている。

 

根源的な宇宙のメッセージが、タロットカードにはつまっている。

さらに時代とともに、その背景に伴って、カードが語りかけてくる意味合いも変化していく。それは、カードを引く人それぞれに符号するのと同質だ。

それこそがタロットカードの柔軟な神秘性であり、個々の占い師の感性であり、相談者さんたちとの相性でもある。

 

ようやく読みたい本を2冊見つけた。1冊は購入を即決めた。もう1冊は、欲しかった少し前に在庫切れになっていたのが入荷されたのを透かさず見つけて注文した。そのあとすぐに再び在庫切れになっていた。

いつもより出荷から発送に時間がかかっている様子だったが、本日、届く予定。

 

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