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「もうレシピ本はいらない」〜自由を獲得した著者〜タロットカードは「隠者」

 心が軽くなった一冊。そして味噌汁をつくろう。

 

「もうレシピ本はいらない」

稲垣えみ子著/マガジンハウス

 

 稲垣えみ子(1965年生)は朝日新聞の記者だった。2016年に朝日新聞を退社してフリーになった。書籍なども多数あり、なかなかの人気作家だ。

 私はTBSラジオ「たまむすび」にゲスト出演していた稲垣と赤江珠緒の対話を聞いていて、稲垣の本が読みたくなった。

 どんな人なんだろうと思っていたら、大きなアフロヘアーの、というキーワードが出てきて、あ、もしかしてテレビで見たことがあるかも、と記憶が蘇った。

 

 この人なかなかすごい。フリーになってから引っ越しをして、いかに楽に暮らすか考えた。いちばんの大きな負担は料理だと気づいた。今は冷蔵庫も電子レンジも炊飯器もない生活だ。ごはんは鍋で炊く。

「一汁一菜」というのか、言ってみれば江戸時代の庶民の食卓で十分だという。

 

 誰か別の作家も言っていた。女性たちは、テレビや雑誌の情報によって手のこんだ「料理」をしなければいけない、家事も仕事もしっかりしなければいけない、と思い込まされている、と。そんなのできるわけがない。

 そういえば、ポテトサラダ論争もあったっけ。ポテトサラダくらい家でつくれ、と老人男性がスーパーで買い物をしていた子ども連れの若いお母さんに言った、と。

 惣菜は活用すればいいと思う。料理好きの人はすればいいし、そうでない人はしなくていい。

 でも、稲垣はたいていのものは自分でつくってしまう。と言っても、手の込んだものをつくるわけではない。ごはん、味噌汁、漬物、これだけで美味しい食事ができるという。調味料も塩と醤油と味噌とポン酢だけ。余計なものは買わない。調理器具も必要最低限。

 

 私がここで言いたいのは、実は私、少し前にこちらで「味噌汁をつくりたくない」的なことを書いている。味噌汁をつくることをとても面倒に感じていたのだ。

 私は料理は得意ではないし、つくるのは苦手、下手なほうだ。なので、これといってたいしたものはつくっていないのだが、他のものを準備していると、味噌汁をつくるのが億劫になってくるのだった。なので老年期を迎えて、ここから先の余生をできるだけ好きなことをして生きようと意気込んでいたとき、ふと、いったいいつまで味噌汁をつくり続けないといけないのかな、といった気分になったのだった。なんだかその時間がもったいないような気がして。とにかくなにより面倒だった。

 そんな文句を書いていた私だったが、実は今はけっこう味噌汁に力を入れている。具だくさんの味噌汁をつくって食べている。力を入れる、具だくさんといっても、豪華なものをつくるわけではない。ごく普通の味噌汁で、具がちょっと(もしかしたらかなり)多め。

 ゆえにこの本を読んで、味噌汁さえあれば他のおかずはいらないくらいなんだな、と分かったとき、とても嬉しくなった。

 

 加えて、毎日同じおかずだっていいじゃないか、とこの本は言ってくれている。

 よかったぁ〜。今の私が肯定された気分になった。もちろん本当に毎日同じではないが、一週間周期くらいである。それがほぼほぼ同じメニューなので、うっすらと心苦しさを感じていないでもなかった。その私が、あ、これでいいんだ、と思わせてもらったらとても心が軽くなった。

 献立のことでけっこうな時間を費やすのは、余生、すなわち人生の残り時間を考えたらちょっと嫌だった。なので、一週間単位で考えて、ハンバーグとパスタとカレーは必ず入れて、魚の日と肉の日、週に一回はおべんとうを買う日にしよう、惣菜コーナーの餃子の日とかも入れれば一週間、などと考えてやってきた。

 稲垣のメニューだと、肉や魚もほとんど食べていないようだ。本気で一汁一菜。菜食主義か?と思ってしまうほど。

 我が家の場合は、健康のこともあって、サラダと肉魚は欠かさないようにしている。ごはんは雑穀米。豆とキノコも食べるようにしている。キノコは味噌汁に入れるのが簡単でいい。

 稲垣のようにしたら、もっと楽になるのかもしれないが、冷蔵庫や電子レンジや炊飯器を手放すことはさすがにできない、かな。

 

 いずれにせよ、私の楽ちんメニューも肯定された、と思うのでより楽ちんになった。ホントよかった。

 我が家の場合は、月イチくらいで豪華なおべんとう類やケーキを食べようと決めている。稲垣のような暮らしをすれば、お金もかからないのだろうが、そこまではできない。もう、余生なので、いわゆる「おいしいもの」も食べたい。私はケーキが好きなのでそれは欠かせない。本当は毎日ケーキを食べたいくらいなのだが、体重管理的に気をつけている。

 

私が会社を辞めて自由の身になることができたのは。貯金があったからでも、何か特別な才能があったからでもない。

それは料理ができたからだ。

そしてそれは、全然キラキラした料理なんかじゃない。

簡単で、質素で、誰でもできるワンパターンの料理だ。

(「あとがき」P265〜266)

 

 本当の自由は、世間の情報に振り回されないところにある。それを稲垣は「料理」によって手に入れたと言う。自分の人生を自分で生きる。料理ができれば自立できる。

 私はここまではできない。が、この本によって了解された気分になって、より自由になった心地がしている。これまでなんとなく、我が家のそれこそ「ワンパターン」な食生活について心の隅っこに巣食っていた罪悪感めいたものが、どこかへ消え去ってくれた。

 

 タロットカードでは「自由」というと「愚者」を思い浮かべる人は多いと思う。確かに自由気ままでなにものにも縛られたくない人物だ。けれどもこの人物は、世俗のなかにいて、周囲の影響を受け続けている。そのなかで、気ままに、ときに気まぐれに、束縛や規則を逃れていく。

 一方で「隠者」というカードがある。私はこの人物こそが「本当の自由人」だと思っている。

 この人は、自分の価値観で生きており、誰にも邪魔されない居場所を見つけている。孤独で寂しそうに見えるかもしれないが、それはおそらく当たっていない。むしろ孤独を好む。でなければ、自由な身と心でいることはできない。そして、孤独のなかでこそ創造性は育まれ、発揮される。

「愚者」は「逃れる」ことができる自分に自由を見出している。「隠者」は「向き合う」ことで自由を得ている。

 この本の著者は、取材や打ち合わせなどで外に出て人と会うが、それが終われば即座に帰宅して我が家を、そして我が家の料理を楽しむ。「愚者」よりも「隠者」に近い。

 

 ちょっと最後に身も蓋もないことを言ってしまえば、「自由の身になれたのは、貯金があったからでも、何か特別な才能があったからでもない」と稲垣は書いているが、それはやっぱり新聞社という特種な世界にいたことを考えると、簡単に頷くことはできない。一般庶民にとっては難しい選択であることは否めない。

 でも、このセリフを一般庶民も言うことができるのではないか、と私は思う。

 貯金がなくても、特別な才能がなくても、誰でも自由の扉を開くことがはできるはずだ。開かないとしたら、それは、開けられないのではなく、自分が開けようとしていないだけ。

 稲垣のようなシンプルライフをすれば、お金もかからない。そこで、やりたいことを自由にやっていけばいいのだろう。余計なものを手に入れようとするから、お金がかかる。お金がかかるので、そのお金を稼ぐために(好きでもない)仕事をしなければならない。そして、窮屈になってしまう。

 

 どんな場所でもいつ何時でも、どのような心持ちでも、人は自由になれる。

 成功したら、お金持ちになったら、権力を持ったら、定年退職をしたら自由になれるのではない。

 「レシピ本」も「自己啓発本」も不要だ。

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