面白かったです。
「まる」2024年日本
脚本・監督/荻上直子
出演/堂本剛 綾野剛 吉岡里帆 森崎ウィン 柄本明 早乙女太一 吉田鋼太郎
小林聡美 片桐はいり 他
なんだこれは、と思う鑑賞者もいるのではないでしょうか。
不可思議な物語です。
画家を目指している沢田(堂本剛)は、人気現代美術家の秋元(吉田剛太郎)のアシスタントをやっている。ドラマはそこからはじまる。
秋元の工房には大勢のアシスタント(職人)がいて、全員でさまざまな作品を手掛けている。
秋元はアートディレクターなのかな。私はこういった現代美術の世界のことに詳しくなく、報道などで知った限りでの推測しかできません。
なんとなく、2015年に東京オリンピックのエンブレム盗作疑惑問題が浮上したときに、アートディレクターなる存在を知り、ああ、今はそういうことになってるのか、と知り得た次第。もちろん、ルネサンス時代だって、ミケランジェロもダ・ヴィンチもみんな工房を持っていたわけで、それが良いとか悪いとかではなく。
仕事終わり、同僚の矢島(吉岡里帆)に沢田は呼び止められる。あなたはそんなんでいいのか、アイデアを秋元に盗まれている、私たちは搾取されている、と。沢田は特にその矢島の指摘に刺激されるでもなく、雨のなか自転車に乗って帰路につくのだが、坂道で事故にあい、右腕を骨折。秋元からは解雇されてしまう。
その後、ふらふらしていると、公園の池のそばで出会った先生と呼ばれている謎の老人(柄本明)が「円相」について教えてくれた(あとで分かるが、茶道の先生)。
「円相」
禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。
悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。
また、円窓と書いて「己の心をうつす窓」という意味で用いられることもある。 臨済宗の位牌や塔婆の1番上に書かれることが多い。
また始まりも終わりもなく角に引っ掛かる事もない円の流れ続ける動きは、仏教が教える捕らわれのない心、執着から解放された心を表わしている。
(ウィキペディア)
恥ずかしながら私、「円相」なるものをはじめて知った。この映画に感謝である。
沢田は、自宅のぼろアパートのごっちゃごちゃした部屋で、大きな紙に、たまたまそこにいた蟻の歩みに合わせていくつも「まる」を筆で描いていく。怪我をしていないほうの左手で。
その描いたものを古道具屋へ持っていく。店主(片桐はいり)に大きすぎると言われて、円をひとつひとつハサミで切り離し、そこに「さわだ」とサインを入れた。
アシスタントの仕事を失った沢田は、コンビニでバイトをはじめる。ミャンマー人の店員モー(森崎ウィン)に厳しく指導されながら。沢田はこういう仕事に慣れていないのである。
モーがレジで、客に日本語の発音をからかわれたとき、沢田が「あいつらがバカでごめん」とモーに謝る。モーは明るい笑顔で「まる」を両手でつくる。「人間まるくないと。ミャンマーは仏教の国」と言う。
このシーンは、昨今の日本でありがちな排外主義の表現と言えよう。
ある日、ひとりの男が訪ねてくる。円相を描いてくれたら100万円で買うと言う。ただし自分が認めたものだけ。「つちや」という名刺を残していく。
沢田の知らないところで、沢田の描いた例の「まる」が芸術作品として大人気になっていたのだ。古道具屋に尋ねると、3万円渡される。
ある画廊に「さわだ」のサインがある「円相」が店頭に飾ってあった。後日訪ねていくともうない。そのギャラリーのオーナー(小林聡美)がもう売れたと話す。
自分が「さわだ」であると申し出る沢田。「つちや」の名刺を見せるとオーナーの態度が一変。個展をやろうと持ちかける。
知らぬ間に売れっ子になって、街でも指をさされたり、コンビニにまでファンが押し寄せてきたりする情景って、「世にも奇妙な物語」だな、と思った。似たような話、いくつかあった。急に売れたり、急にモテたり…。
そうか、この映画は「世にも奇妙な物語」なんだ。
ただし、沢田の隣人で漫画家志望の男、横山(綾野剛)が、不可思議世界から現実世界に主人公と鑑賞者を引き戻す。
横山は沢田に、さまざま疑問を投げかけてくる。自分は漫画家になれるのだろうかとか、あんな「まる」誰にでも描けるとか言ってほんとうに描きまくったりする。
横山は、沢田の元同僚女性、矢島と同じ立ち位置なのかな、と思う。
矢島は仲間たちともに、沢田の個展会場にまで入ってきて、絵に液体をかけまくり(ヨーロッパの環境活動家が美術館のゴッホの絵にスープを投げつけたりして環境保護をアピールするような事件は少し前にいくつかあった。彼らは、絵画がフレームで守られていることを承知している)、我々は搾取されている、と演説する。あなたたちは、芸術を金儲けの手段にしている、お前らはみんなニセもんだ、と叫ぶ。
この映画はただ奇妙奇天烈なだけではない。
「世にも奇妙な物語」もそうだが、奇妙な物語の背景には「社会」がある。ただぞっとしたり、不思議を感じたりするだけではなく、たいてい社会批判や現代社会への問い掛けになっている作品が多い。
さて、「まる」では、2つのポイントがある。
ひとつは、芸術というものの曖昧さ。
すなわち、誰が何の権利をもって評価し、そこに金銭的価値を付与するのか。いや、いかなるプロセスでそうなってしまうのか。
搾取されていると叫ぶ矢島も、自分は世界が滅亡する前に漫画家になれるのかと焦燥感と世間への嫉妬を抱く横山も、ともに、芸術という世界の漠然とした、不明瞭な世界へのレジスタンス的象徴となっている。もちろん、沢田も。沢田を通して、彼らの心が明瞭になる。
横山も矢島も寿司を食べたがっている。寿司が裕福のシンボルとなっている。
横山の面白いところは、人類滅亡説に怯えていて、そして、滅亡する前に成功したい、と思っているところ。どうせ滅亡するんだからいいや、ではないのだ。
もうひとつは、「円相」である。
この悟り。これを理解して生きるのは容易ではない。
現代社会にそれができる人はいるのだろうか。いや、100年前にも、1000年前にも、おそらくいない。釈迦はどうだったのかな?いや、釈迦は円相を体現した人、ということになっている。
でも、誰でも一瞬ならその境地に達することはできるのかもしれない。それを「ゾーン」と言ったり「フロー」と言ったりするのではないだろうか。
好きなことに夢中になっている時間。邪念がない。
好きだから、漫画を描く、絵を描く。彼らはそう言う。それが、この世で売れるか売れないかは分からないけど。
例のアートディーラーのつちやが、2度目に沢田のアパートを訪ねて来たとき、沢田の描いた円相を見て、残念ながら買い取ることはできない、と言った。その理由は、「円のなかが欲に満ちている」から。
資本主義社会、消費社会、経済至上主義社会の地球は、おそらく欲にまみれている。「人新世」の時代は「強欲の時代」だ。円相みたいな人はいないし、もしいたら、競争社会から外されてしまって、出世などできない。いや、この世で生きていくことができるのか?純粋な人やいわゆる善人たちは、円相に近いのかもしれない。
話はすこしずれるかもしれないが、芸術家が自分を保っていくのは大変だろうな、と思う。周囲もうるさいだろうし。純粋な元来の自分を見失わずに作品を作り続けていける人は、ゼロとは言わないが、限りなくゼロに近いだろうと思われる。
流されない、飲み込まれない、操られない、欲望にまみれない、自分を勘違いしない、優越感を持たない、という心のままずっといられる芸術家って、どれだけいるんだろう。絵の世界に限らない、あらゆる所で。
若いころは、純粋と嫉妬が混じっているかもしれない。成功して、次第に丸くなる人もいれば、欲望や嫉妬の尽きない人もいる。成功しなくても純粋なままいられる人もいるし、ずっと妬み嫉みを持ち続けて死んでいく人もいるだろう。
そういう意味では、横山の心持ちが正直でよい。死ぬときに穏やかでいられるから。
私は荻上作品が好きだ。
今回も、荻上作品でお馴染みの小林聡美、片桐はいりが出演している。
堂本剛も、この度、荻上作品で主役を好演。とても良かった。
出演者全員、適役でたいへん見応えがありました。
次回作を楽しみにしています。
