コロナが5類になったからなのか、ドラマの数が多すぎる。
緊急事態が出た年はドラマの撮影ができなくて大変だった。各局工夫してドラマをつくっていた。それもすでに懐かしい記憶か。
にしてもこんなにたくさんつくらなくていいのに、と思っていたら、同様のことを話しているドラマ評論家がいた。そうだよね、やっぱり。
テレビも配信もあって、ドラマの数はなかなかすごいことになっている(地上波放送だけでもすごい)。
俳優をはじめ制作側の人々にとっては仕事のチャンスが広がるわけなので、良いことなのかもしれないが。
評論家の人たちは全部見ているのだろうか。
そんななかで厳選して観た私好みのドラマの感想をいくつか書いてきた。
「わたしのお嫁くん」「ラストマン」「波よ聞いてくれ」「日曜の夜ぐらいは」については、個別にドラマエッセイを書いた。
「ペンディング・トレイン」についても長文を書いたが、これは良かったドラマとして書いたのではない。(やや)手厳しい批評をさせていただいた。面白いテーマだっただけに、もっと面白くつくってほしかった。
上記以外で面白かったのは、
「合理的にあり得ない 探偵・上水流涼子の解明」フジテレビ(カンテレ)月曜夜10時
出演/天海祐希 松下洸平 白石聖 中川大輔 仲村トオル 丸山智己 他
「ケイジとケンジ、時々ハンジ。」テレビ朝日木曜夜9時
脚本/福田靖
出演/桐谷健太 磯村勇斗 長井短 岡崎紗絵 比嘉愛未 中村アン 北村有起哉 吉瀬美智子 他
の2作品。
どちらもバカバカしいほどのエンターテインメント。とくに印象深いエピソードがあってそれについて論じるというような内容は(まったく)ないのだが、気軽に楽しめた。配役もよかった。探偵と刑事ものなので、もちろん謎解きもしっかりある。
こういった種類の観るに耐えるドラマの存在は、侮れないのである。
かなり厳選して観たが、これでもけっこう多いかなと思っている。
自分を正当化するわけではないが、数が増えると良質でないドラマの数も増える。そして、その多数のなかで良質なドラマもどんどん消費され、流されていくということもあるように感じている。
今は、配信などで過去の作品も常に繰り返し視聴可能な環境にはなっているが、短期の消費財となってしまうのは(そもそもそのようにドラマを位置付けている人もいるが)、文化としての価値を低めることになるのではないか、と思わないでもない。
なんでもシーズン間のお休み(ドラマのない2〜3週間にスペシャル番組などを放送している)をなくしていく方向だという話も聞いた。確かにそうなりつつあるようだ。
この度テレビ朝日で「刑事7人」が6月中旬からはじまって、なんでだろうと思っていたら、ドラマとドラマの間を空けないようにするためだ、とどこかの記事で読んで愕然とした。
視聴者にとって余韻を楽しむ暇もなく次へ次へと消化させられていく。
それはテレビ局、制作側にとって良いことなのだろうか。消費社会としてはお金が回って良いことなの…かな?
これはもう、本格的に視聴するドラマを厳選しなければならない。けれども、本当に良いドラマが視聴キャパを超えて複数重なってしまうときもあるだろう。もったいない。とはいえ昔と違って録画で視聴することができるし、上にも書いたように配信で観ることもできるので、チャンスは十分にあるわけだが。
でも、そんなに人生に時間の余裕はない(だから近頃は倍速で観るのか?それはそれで…)。ドラマや映画だけを観て生きているわけではない。
人はパンのみにて生くるものにあらずなのだが、逆に、与えられる文化のみで生きているわけでもない。
「まりなちゃん」というツイッターのアカウントが書いていた。
フランスではすでに内戦状態。これに対し、日本では政府がどんな酷いことをやっても、ワイドショーとお笑いとスポーツ中継さえ流しとけば国民は大人しい。世界中の為政者が羨む衆愚政治が完成している。(2023年7月2日)
この「ワイドショーとお笑いとスポーツ中継」に「ドラマ」も加わりそうだ。
退屈と向き合うことを余儀なくされた人類は文化と呼ばれるものを発達させてきた。そうして、たとえば芸術が生まれた。あるいは衣食住を工夫し、生を飾るようになった。人間は知恵を絞りながら、人々の心を豊かにする営みを考案してきた。
それらはどれも、存在しなくとも人間は生存していける(略)
生に余裕がなければ、文化を受け取ることも創出することもできない。そして私たちは今、暇をなくそうとスケジュール帳を埋め尽くす。それは、考える時間をなくすこともである。
人間が他の生き物とちがうのは、お腹がいっぱいになるだけでは満たされない、という点です。絵とは、遠いむかしから、人間がもともと持っている想像力と能力によって生み出した、頭のための“ごはん”なのです。
ドラマは心を満たしてくれたり、思考を刺激してくれたりする創造物だ。それはゆとりのなかで生まれてくる。ところがそれが、人々のゆとりに過剰に浸透して感性を急き立ててしまうかもしれないような様子が見えてきた。資本主義社会は、文化も消費していく、のか…。
それでも私は、ドラマを楽しみたいし、そこから語るべきものを抽出していきたいと思うので「高品質」を厳選していこうと思う。とはいえ、あくまでも個人的嗜好の域を出ないのではあるが。