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ドラマ「日曜の夜ぐらいは…」〜幸せになっていいんだよ〜幸せになろうよ

 久々に岡田作品を堪能できた。

 

「日曜の夜ぐらいは…」テレビ朝日 2023年4〜6月 日曜夜10時

脚本/岡田惠和

出演/清野菜名 岸井ゆきの 生見愛瑠 岡山天音 川村壱馬 和久井映見 宮本信子

   生田智子 エレキコミック

 

 和久井映見宮本信子岡山天音生田智子やついいちろうエレキコミック)は、「ひよっこ」(脚本/岡田惠和 2017年NHK朝ドラ)のメンバーだ。

 実は私は、いち視聴者、ドラマファン、岡田ファンとして、岡田は「ひよっこ」で息切れしてしまったのかな、と失礼ながらここ数年感じてきた。あれ以来、「?」な作品が私にとってはほとんどだったので(2018年TBS日曜劇場「この世界の片隅に」は別として。これは、こうの史代の漫画原作)。

 

「日曜の夜ぐらいは…」、岸井ゆきの清野菜名のファンである私は、とにかく観てみようと思って視聴した。期待は半分。途中でコケるかなと恐る恐る、さらに、途中でコケないでと願いながら。

 よかった。コケなかった。

 

 人生に問題を抱えた3人の女性が、新たなチャンスを掴んでそれを離さないで突き進んでいく姿が、素朴にポジティブに描かれていた。

 

 サチ(清野菜名)は、車椅子の母・邦子(和久井映見)と団地で二人暮し。ファミレスで働いている。邦子は、サチが高校生のとき団地の階段から転げ落ちたことが原因で車椅子生活に。父親(尾美としのり)は、邦子の足が不随になったときに出て行ってしまった。ときどきサチに金を無心に来る。

 翔子(岸井ゆきの)は、一人暮らしのタクシー運転手。元ヤンキーで、タトゥーを入れたことで家族から縁を切られており、遺産放棄の承諾を迫られている。

 若葉(生見愛瑠)は、田舎で祖母・富士子(宮本信子)と二人で暮らしている。ともにちくわぶ工場で働いて生計を立てている。若葉の母、すなわち富士子の娘(矢田亜希子)は家を出ており、ときおり金の無心に来る。この母が男たらしだという噂から若葉も奇異な目で見られている。

 みね(岡山天音)は、営業マン。とても優しい人間。子どものころから男の子よりも女の子といっしょにいたいタイプ。

 この4人は、エレキコミックのラジオ番組が主催するバスツアーで知り合うことになる。

 女性3人で買った宝くじがあたり、その3000万円を使って3人でカフェをやろうと決める。今の暮らしから脱却してみんなで幸せになろう、と。

 

 4人の出会いからカフェオープンまでの物語。

 どうなるかなぁ、とちょっとはらはらしながら観ていた。

 よくある話は、せっかく得た3000万円がなくなってしまうというやっぱね的アクシデント。自分で使ってしまうとか、サチの父親や若葉の母親に取られてしまう。そういうパターンがドラマとしては多いよね。世の中ってうまくいかないんだよ、と。

 このドラマの良いところは、そのネガティブが全くなかったことだ。

 すなわち、たいていそういううまい話はなくて、結局不幸になって、またそこから立ち上がろうみたいな根性物語に、視聴者の意識は慣らされていはしないか?それがなかったのが、なんともストレスフリーだった。なんか新鮮だった。新鮮と感じるということは、たいていそうであるシナリオがテレビドラマを席巻していた、という証になるのではないだろうか(私個人の狭い見識だが)。

 

 途中、大丈夫かなぁ…というシーンはあった(なんにもなければドラマにならないし、いわゆる起承転結が弱くなる)。

 サチの父親が金をせびりに来たので渡してしまったり、若葉の母親が金を要求してきたので若葉が90万円ほど貯めた預金通帳を渡したりすることはあった。でも宝くじの1000万円を持っていることはバレずにすんだ。

 今までのドラマだと、必ずと言っていいほどそのお金は奪われる。親に抵抗できなくて、言ってみれば親への親切心から渡してしまう。

 こういう類いの人間たちというのは、なぜか鼻が利くんだよね。お金があるときにかぎってすり寄ってくる。そして、家族は無碍にできずに金を渡してしまう。切り離すことができない。いや、家族だからね、どうしても渡してしまうその気持も分かる。逆に助けることを拒んだら、それは誰かから非難されるかもしれないし、あるいは後悔したり、自分を責めたりすることがあったりする。もうほんとに救われない。

 そんなドラマをどれほど見せられてきたことか。いつも言うが、ドラマの影響力は大きいのである。これでは人々の意識は変化できない。まるでドラマが、お金を渡すこと、お金をせびられることを奨励しているようにすらなっているのだから。

 

 さらに良かったのは、みねの存在だ。カフェ経営計画に向けて仲間入りしたみねくん。みねは、少ないけどと自分の預金300万円を提供する。そして3人は3000万円の通帳をみねに管理してもらうことにして、計画は進んでいく。

 ドラマ最終話、オープンを待つカフェのなかでみねは言う。サチは父親がやってくるんじゃないか、若葉は母親がやってくるんじゃないか、と恐れているかもしれないけれど、自分が追い返すから安心してほしい、と。もしお金を要求してきたら、会議にかけて承認してもらわないと出せない、と言ってくれ、と。

 この「しがらみを突っぱねる力強い言葉と態度」は、すばらしいと思った。自分ではできなくても、共同経営者が淡々と言い放ってくれることがどれほどありがたいか。

 

 ただ、ちょっと残念だったのは、せっかくみねが家族と縁を切ってもいいんだよ、という意味のことを発信してくれたのに、最終話で、サチの父親がサチと同じファミレスで仕事をはじめたり、若菜の母親がいい人ぶってカフェを探し出してやって来たりしたのは、元の木阿弥ではないか。しかも、娘のことを良く分かってますよ的に描かれていたのもの解せない。

 いや、分かります。親との関係は改善したほうがいい、改善したいと思わない娘も息子もいないだろう。だが、人はそう変われないことも分かっている。

 世の中にはそんな人たちは大勢いることだろう。親が死ぬまでしかたないと諦めて、苦しみながら生きている人たち。親に限らないが。

 最後は、こんなふうにしっとりと回収しないで、本当にみねがきっぱり引き離して、クズな親どもはすごすご退散していく、というシーンがあってもよかったのではないか。そう思う私はクール過ぎますか?もちろん、みねのパワフルで客観的な提案があったからこそ娘たちは強くいられる、そんなことを示すシーンだったかもしれないが。

 

 翔子の母は現れなかった。カフェオープンのお知らせを実家にポスティングしたそうだが結局いまだに現れない、というナレーションが入った。翔子はむしろ、自分の過ちを反省しているがゆえに母親に会いたい、許してもらいたいと思っている。そこはサチと若葉とは立場がすこし違っている。

 岡田は、そんな翔子にはサチと若葉とは違う結末を書いた。なんでだろう…。そもそも、今は真面目に働いている翔子を、そこまで家族で嫌って、遺産も放棄して縁を切る的なことをするのだろうか。翔子のおかげで母親は病気になったと兄が言っていた。母親の今の気持ちも健康状態も実際には分からない。兄が母思いで、当時どれだけ嫌な思いをしたかも想像できるが、もしかしたら翔子を家族から引き離すのは全て兄の望みであって、カフェオープンのお知らせももしかしたら兄が捨ててしまったのかもしれない。そんな想像までしてしまった。

 3人の娘のなかでは、翔子がいちばん不憫かもしれない。翔子を通して岡田は視聴者に何を伝えたかったのだろう……。

 

 カフェには、サチ、翔子、若葉、みね、の他に邦子と富士子も加わっている。障害を持つ人と高齢者。とても優しい居心地のカフェになるだろう。

 まだしばらくは、4人ともこれまでの仕事を続けながら、シフトを組んでカフェを経営するという。とても堅実だ。

 そうそう、カフェプロデューサーの住田賢太(川村壱馬)も、4人とカフェをつくり上げていくなかで、自信と確信を得ていく。実は住田は、同級生たちからチャラチャラした仕事しやがって的なこと言われて悩んでいたのだ。

 良い出会い、というものはあるものなんだな。

 

 ごく普通のドラマだったら、みねにお金を預けた時点で、あ、この男持ち逃げするな、と思うよね。カフェプロデューサーにお金を振り込む時点で、もしかして騙されるんじゃない、と疑うよね。そんなネガティブは杞憂だった。

 確かに、現実の世界だったらこううまくはいかないこともあるだろう。他人にお金を預けるのは危険だし、カフェプロデューサーなんて仕事依頼料金高いけど誠実かどうか分からない。そもそもお笑いタレントのラジオリスナーとしてたまたま出会った3人が、同じ夢を持って首尾よくやっていくなんて、そのうえ宝くじに高額当選するなんてなかなかないだろう。

 いやシンクロニシティーというのはそういうもので、あるときにはあるんだよね運命的な出会いが(実はそこここにあるのだが、気づいていない私たち)。

 こういうポジティブなドラマを観ることで、人々の感覚が変化してくことが大事なのである。

 

 何もかも失ってしまうような残酷で寂しい物語でなくてよかった。彼女たちの背景からしてもしかしたらそっちも可能性あるかもという予想もいくらかしていたので、良い意味で裏切られてとても嬉しい。

 視聴者は、3人、4人、いや6人、いや7人と一緒に夢を叶えていく経緯をたどり、ドキドキとワクワクを感じさせてもらったと思う。

 夢って叶うんだ、叶えられるんだ、嫌なことからは脱却できるんだ、幸せになっていいんだ、なれるんだ。そんな物語だった。

 

 私にとっての岡田作品の復活でもあった。

カフェでくつろぐツトムとカタマさん