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「ペンディングトレイン」〜ネガティブ・ケイパビリティでよかったのに〜私のイチオシは大西礼芳

 う〜ん、全体的に残念だった。

 

ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と

2023年4〜6月TBS 金曜夜10時

脚本/金子ありさ

出演/赤楚衛二 山田裕貴 上白石萌歌 井之脇海 古川琴音 大西礼芳 松雪泰子 杉本哲太

 

 登場人物たちが電車に乗っていたところ、地震が起き、そしてひとつの車両(実際には2つ)だけ何処かへ飛ばされる。そこは未来だった。その世界は荒廃していた。

(ネタバレ)後で分かるのだが、民間の宇宙開発事業会社が競って衛星を飛ばした結果、デブリ同士が衝突し、さらにその破片が小惑星に当たって方向を変えて地球に衝突したことで、大洪水や地殻変動が起こり、地球は破滅してしまったのだった。

 その飛ばされた未来世界でのサバイバルがはじまる。それぞれの人生の葛藤、乗客たち同士の摩擦と信頼、協力など、パニック映画お決まりの物語が展開される。

 現場での人間模様に加えて、彼らの人生の背景を丁寧に描くのだが、それがかなり冗長だった。私は視聴途中何度か意識が飛んだし、眠くなった。ワンシーンワンシーンなんでこんなに長くするのか?もっとすっきり描けば、5話か6,7話で完結できるのでは?

 

 日本は、パニックサバイバルものの描き方が下手だと思う。「Cube(キューブ)」(1997年カナダ)という映画があった。これは、2021年に日本でリメイクされた。私はオリジナルとリメイク両方観たのだが、やっぱり日本のほうは、登場人物の背景が丁寧に描かれていて、そこに物語を集約させようとしているようだった。この映画は基本的的にものすごく面白い映画ではなかったが、どちらが面白かったかと問われたらオリジナルのほうと答える。あえて言えば、日本版は倫理性を帯びており、海外オリジナル版は論理性を貫く。

 

 要するに「ペンディングトレイン」は良質の作品ではなかった。副題の「8時23分、明日 君と」も、キャッチコピーの「何があっても、会いにいく!」も意味が分からない。もうひとつのキャッチコピー「未来は変えられる」は、分かる。「未来は変えられる」だけでいいんじゃないかな。他の2つはどういった了見なんだろう。特定の視聴者をターゲットにしようってことかな?いずれにせよ、最終話を見終わったあとでもピンとこない。8時23分というのは、飛ばされた電車がある駅から出発する時刻で、最終話ではそこも回収されるわけではあるが。

 伝えようとしたテーマ自体は良いと思うので、もっと上手に描くことができたのではないか、と思うと残念だ。

 加えて最終話も、上手な終わり方ではなかった。

 こういったSFものは、終え方が難しいだろう。(未来から戻ってきた乗客たちの訴えかけもあって)地球は救われたという結末を匂わせているが、はっきりと「救われた」とは描かれていない。

 救われた物語なのだろうけれど、日本政府の力だけで対処できたとは思えないし、そんな短い時間で計画して対処できるとも思えない。時代は2026年。2023年時点でマイナンバーカードに不具合続出なていどの実力なのに(いや、これはブルシットジョブをつくりだすためのやらせなのかもしれないが)。なんとなく不自然でご都合的エンディングな感じを免れない(私には)。

 メイン登場人物たちは、まだ救われるかどうか分かっていない、その日を目前にした途中の状況で描かれている。だとしたら、あの学者もほっとしたりしないで、途中の状況にしておけばよかったのに。

ネガティブ・ケイパビリティ」という概念がある。「答えの出ない、対処しようのない事態に耐える能力」という意味だ。小説でも映画でも、こうした終わり方をするものはある。読者、観客に考えさせるという狙い。

 だって、そんなにうまく宇宙の変則に対処できる能力が地球にあるとは考えにくいし(実はある?)、地球規模の壊滅なら誰にも逃げ場はないので(一部は生き残るだろう)、このあとどうなるでしょうか…は誰にも分からない。

 とはいえ、はっきりとした結果を示さなければ視聴者に不満が続出するだろうし、今回のようにいとも簡単に救われたかのような結末を匂わせた場合、そのあっけなさにがっかりする人もいるだろう。あるいは匂わせてしまっているがゆえに、救われたの?破滅したの?どっちなの?と妙に好奇心と不満足な疑問を抱く人もいるはずだ。

 いっそのこと、地球は壊されて、その荒野から一部の生存者たちが再び地球の文明をつくっていくのでした。でもよかったかも。

 

 共感できた部分はあった。

 ひとつは、現代に戻ってきてから、「こんなクソな社会はなくなったほうがいい」というようなことを、主人公の白濱(赤楚衛二)と萱島山田裕貴)が言うシーン。帰還乗客たちがネットに晒されたり、Youtuberらの無礼極まりない態度だけを見てもなるほど「クソな社会」である。

 あちらの世界にいるとき、帰りたくないと言う人も数人いた。実際、田中(杉本哲太)は残ることを選択した。彼らは、少なからず現代社会のなかで生きづらさを感じている人たちだ(その描き方に多少難はあった。こんな人じゃ嫌われるのでは?という態度を示していたので)。

 でも確かに、今の社会、世界を見ていると、こんな地球ならなくなってしまっていいのでは、と思ってしまう人もいるだろう。私もそのひとりだ。ゆえに、上にあげた結末もありかな、と思う。

 

 もうひとつは、乗客だった学者・加藤(井之脇海)の提案で、防災インフラが整っているスイスに避難しようとなったとき、白濱は「残る」と言ったシーン。すべての人が逃げられるわけではない、だったら自分は残って人を助ける、と。

 最近、2025年の日本に大災害があるという予言が広がっている。その話をしていたあるYoutuberAが、自分はアメリカへ逃げる計画がある、と言った。自分がそうすることでフォロワーたちが気づいてくれることを願って、と。もうひとりのYoutuberBも、同調めいた様子だった。でもあとからそのBは、自分もアメリカに(知り合いがいるので)逃げようと実は前から考えていたがそれは違うと思い直した、と話した。災害が起きると予言されているのなら、その日が来ると分かっているなら、自分はここにいてそれに対して準備ができるはずだ。そして誰かを助けることができる、助けたい、と。

 東日本大震災原子力発電所が破壊されたとき、先に情報を得ていたジャーナリストの多数が仕事を放り出して逃げた、という話をあとから聞いた。確かに、放射能からは逃げたほうがいいと私も思う。けれども全員が逃げられるわけではない。場所の問題もあるし、おそらくお金の問題もあるだろう。けれどもなにより、ジャーナリストの仕事ってなんだろうねと思ったとき、こいつら特権利用して逃げるんだ、とがっかりしたのを覚えている。相手が拳銃を向けたからと警官は逃げるのだろうか。そんな警官もかつていたな。

 私は、白濱の正義感は素晴らしいと思った。そしてBの思考をとてもポジティブだと思った。「逃げるんだ」と言って権威的に優越的にはしゃぎさんざめくAの様子は、Bと較べるとなんとも卑小で卑怯に見えた。

 コロナが広がりはじめた頃、各国の学者たちがメディアから様々に意見を求められていた。アメリカの歴史学者だったと記憶しているが、自分はいま山のなかの別荘に家族で逃げてきたと嬉しそうにコロナについて語っていた姿が、なんだかとても「嫌な感じ」に見えた。お金も余裕もあるからできる行動だ(似たようなことを言っているアメリカの有識者もいた)。逃げられない市民は大勢いるし、エッセンシャルワーカーや医師や看護師、警察や消防など、仕事を放り出せない人も大勢いる。

 ウクライナもそうだ。みんな逃げられるわけではない。もちろん戦っている人たちもいるが、使命感から逃げない人たちもいる。警察官や消防士が、爆撃されたとき傷ついた市民を助け出さなければならない、と言っているのをニュースで見た。私は驚いた。そうだよね、そうなんだ。

 震災のときの役所の人たち、医者、看護師もそうだ。家族よりも目の前で助けを求める人々を助けるのが職業的使命。「救命病棟24時シーズン3」は東京に大地震が起きる物語だった。ドラマのなかでは病院から逃げ出して帰宅してしまった看護師もいた。

 いやぁ、自分の命がいちばん大事なんだから、逃げて当たり前だろう。そうかもしれない。でもそれは社会じゃないし、人間じゃないんだ、きっと。

 悪人ほど逃げて助かる、というのはいつも言われていることだ。作家の五木寛之が、敗戦後に満州から帰国するときの状況について語っていた。善人は他人にゆずるからみんな先に死んでいった、と。だから助かった自分は悪人なんじゃないかとずっと悩んでいた、という。

ペンディングトレイン」でもあったが、最後ワームホールへ入ろうというとき、別の号の乗客二人が、人を押しのけて車両へ飛び込んできた。そして萱島がまだ残っているのに扉を閉めようとした。明らかにこいつらは悪人だ。アメリカの映画だと、悪人は必ずどこかで制裁される、死亡するのだが、このドラマではそれはなかった。

 有事のときに生き残った人たちの世界は、悪人だらけになる可能性があるのではないか?と私は常々思っている。そんな悪人だらけの世界には行きたくない、という理由で逃げたくない、生き残りたくないという選択も、消極的だがあるのかもしれない。

 これは本当にさまざまな矛盾を抱えるテーマである。

 

 最後にキャラクターについてちょっと。

 古川琴音が演じた渡部玲奈というネイリストのことだけど、最後まで生き残って現代に帰還して、そして何気にみんなに受け入れられて溶け込んでいたけど、これはあり得ない。なぜなら玲奈は、遭難して直後、みんながどうしようかと戸惑っているとき、人のものを盗んだり、食料も横取りしたり、作業も手伝うことなく、とても悪い人間だったからだ。

 回想シーンのなかで、現実世界で仕事場の人間関係に難を抱えていたり、陰口を言われていたりと、生きづらさを感じている人物であることが視聴者に伝えられていた。ゆえに、現代に戻りたくない、と。けれどもどうなんだろう。善良な人間が、そもそも人のものを勝手に取ったり、食べ物を平気で奪ったりするだろうか。いや、そんなことはできない。お客さんにだけいい顔をして、普段はとんでもない人間って…そういう人もけっこういるだろうが、それにしても、盗んだり奪ったりするという行為は、ちょっと嫌な奴というレベルの問題ではなく、悪徳だし犯罪だ。

 かわいそうな人なんだろうなぁ、と視聴者に思わせるシナリオなのだろうが、ちょっといただけない。こういう人物は、アメリカのドラマだったら、どこかで死ぬ。乗客たちには何もできないだろうから、神の鉄槌を待つしかない。

 他の乗客たちはみな究極の善人なのかなんなのか、誰も彼女を本気で咎めない。これは、視聴者の精神衛生にあまり良くないと私は思った。もちろん罰を加えればいい、ということでもない。しかし、これはドラマ。善悪や正義、良心というものを提示することもまたその使命として持っているはずである。

 最悪なのは、玲奈は全く反省も謝罪もしていなかった。こういうことしてもいいんだ、許されるんだ、と視聴者に思わせてこのドラマは終わった。あるいは、こういう人も許してあげましょう、という急に宗教じみた慈悲心を伝えるているのだとしたら、それもまた違う、と私は思っている。

 私が、このドラマのキャラクターのなかで一番気に入ったのは、大西礼芳が演じた立花弘子。システムエンジニアで、確かクリスチャンだと言ってなかったかな(間違っていたらごめんなさい)。

 この人は、主人公たちを差し置いて、おそらく全乗客(登場人物)のなかで、唯一ブレなかった人だ。とても親切で優しい人、積極的に話し合いにも作業に加わる。気力を失っている人に自分の恥ずかしい話をして笑わせたりすることもできる。途中、ちょっと崩れそうになったが、すぐに引き戻った。物語終盤で、別の車両の人たちが攻め入ってきたときに大声で怒鳴って威嚇しようとした、その一生懸命さも誠実でよかった。最後は、エンジニアだからなのか、配電盤を操作して専門能力を発揮をしてくれた。現代に帰還してからも、その性質は全く変わらない。遭難時にも変わらない人柄はすばらしかった。

 ということでというわけでもないのだが、このドラマの私のイチオシは、大西礼芳(立花弘子)。大西礼芳、他のドラマでもよく見かけるが、様々な役をこなせる良い俳優だと思う。

 

 思わず知らずなんだか熱く語ってしまったように見えるかもしれないが、私は高評価をしているのではない。批判的指摘をしている。

 

 タイムスリップした乗客たちは、未来の地球を救うために選ばれた民だったのだろう。いやそれは、彼らのなかのたったひとり、かもしれない。だとするとそれはやはり白濱、かな。

 こういうことも実際にあるやもしれないな。

駅のベンチで電車を待つツトム