ねことんぼプロムナード

タロット占い師の神秘と現実

コロナパンデミックの世界で大谷翔平に救われた〜加えて 藤井竜王 新庄ビッグボス〜2021年 今年を振り返る〜

 今年を振り返るにはまだ少し早いが、大谷翔平がMVPを受賞したこともあるので、さっそく振り返ってみた。

 え?大谷?MVP?いやいや関係ないでしょう、と思われるかもしれませんが、やはり「今年のポジティブは大谷だ」と感じているので。

 

 今年の私は、5月中頃から体調不良に見舞われた。

 病院とのお付き合いはここから死ぬまでおそらく続くのだろう。そう思うとあまり良い気持ちはしないが、具合が悪いときにはどうしても医者を頼らざるを得ない。私はこれまで、薬を服用すれば即座に症状は改善すると思ってきたし、実際そうだった。ところがそうではないことがあるのだな、ということを実体験している。こういうのを「老化」というのだろうか。若い時は大きな回復力を持っているので、風邪にしても、腹痛にしても何にしても、実は薬が効いたのではなく本人の自然治癒力が回復させているのかもしれない、と思わないでもない。

 

 コロナパンデミックによってこの約2年、生活、仕事、精神面において、地球人は通常ではない時間を過ごしてきた。私の場合はコロナよりも、今年後半の半年ほどは自身の体調不良のほうが生活や仕事に大きく関わってきたので、飲食店をはじめとする困難を抱えている様々な仕事の方々よりもずっとたぶんお気楽なのだろうとは思う。

 とはいえやはり世間、世界が2年前とは明らかに違う様相であるわけなので、個人的なネガティブもあったが、多かれ少なかれコロナ禍ストレスを感じてはいたと思う。加えて、政治の無策や不条理がストレスに輪をかけていたように思う。

 本当に申し訳ないのだが、約1年間首相だった人をテレビ画面で見ると、死にたくなった。死にたくなる、とはいささか物騒な表現だが、つまり絶望感なのだろうと思う。その前の長期政権も非常に退廃的かつ腐敗的だったが、人を見て死にたくなる的な奇妙な感覚ははじめてで、私は私なりにそれにあらがってきた。精神衛生によくないので、テレビ画面に映ればチャンネルを変え、もちろん記者会見などは見ない。首相会見によって「チコちゃんに叱られる」は数回放送がなくなった(災害もあった)。

 ぶっ飛んだことを言えば、死にたくなる=他の惑星に移住したい、である。異星人が迎えに来てくれないかなぁ……。

 

 さらに、このパンデミックの2年間、現政権は、庶民がやってほしいと思っていることは絶対にやらず、やってほしくないことをし続けてきた。変なマスクを配ったり、一律給付金もたったの1回ぽっきりだったし、PCR検査は感染者以外は高額な費用を負担しなければならない。ナイチンゲール型(大規模病床)の施設は絶対に絶対に頑固にもつくらない(もしかしたら、つくれない?)。発熱外来も不十分だった。あげくのはてに、患者の自宅放置、遺棄(療養などではない)。入国者の隔離もほとんどしていないに等しかった。それゆえの石川遼の謝罪会見なんだろうな。つまり石川にとってはなにかルールを破っている感覚はなかったのだろう。無知だとかそういうことではなくて、それがごく普通だったに違いない。

 この政権党は、与えることにはものすごく時間がかかるのに、取り上げることは素早い。この人たちはいったい何なんだろう。そのうえ、お金の使い所を間違っている。中抜きにばかり地道な努力をしている。シンプルでも透明でもない。コロナの影で大儲けをしている人たちがいる、いや、コロナの影で国からお金を落としてもらっている人たちがいる。

 37.5℃以上の熱が4日間つづいたら云々と言っていた大臣は、そんなこと言っていないとうそぶいて今も堂々としている。そのせいで亡くなった人もいる。岡江久美子はその典型的な犠牲者ではないか、と私は思っている。

 こういったことはパンデミックで始まったわけではない。この約10年、あるいはそれ以上前からずっとそうだったのだろうが、パンデミックによる変則的状況のなかで、ネポティズムパターナリズムがいよいよ明瞭にそして堂々とその姿を現してきた。都議をようやく辞職した木下富美子のあの厚顔無恥と権力欲と自己中心が、そのまま政権与党のように見える。

 

 日本の政策も首相発言も、他国との差が大きすぎた。人の心には、ストレスから逃れるための和(なご)みというものが必要だ。それを、ニュージーランドやドイツなどのリーダーたちから得ている人も少なからずいたようだ。私もそうだった。

 この精神的閉塞感が、人間にはかなりの負担、不健全、不衛生なのだと思う。

 私はこう思っている。すなわち、時の政権(政治家)の言動によって、人々(国民)の行動や精神は容易に支配される。そう考えると、犯罪(最近とくに理解しがたいものが多い)や事故もそこから何らかの影響を受けた結果だと言っても過言ではない。

 

 私は、この2年間で「環境整備(お片付け&処分)」にいそしみ、「自分らしさ」や「老い」について随想的考察を重ねてきた(いずれも現在進行中)。ちょうど、コロナ禍と重なる。これもたぶん、外出(仕事も含めて)することが少なくなったがゆえの時間の余裕からできていることなのかな、とも思う。たぶんそうだ。他には、年齢が進むに伴って私自身の思考や興味関心が変化した、ということも無視はできないだろう。

 いずれにせ、これはうまい具合にバランスが取れた、ということなのかもしれない。と、ポジティブに捉えておくことにする。

 

 とはいえ、個人的にも社会的にもなんとも言えずいささかウツウツモヤモヤとした日々を過ごしていた2021年、その初夏、大谷選手の記録が日々更新されていくニュースが、メジャーリーグにほとんど全く興味のない私の耳目にすら飛び込んできた。しかも、ほぼ毎日のようにホームラン数が増えていった。

 え?また打ったの?ほんとう?すごい!

 そうなると、人というのは極めて意識的に情報を追いはじめる。

 アメリカの野球は、NHKBSで午前中から放送している。しかもエンゼルスの試合。BSで放送がないときには、J SPORTSというチャンネルで観戦することができる(オリンピック期間中はこちらで観た)。

 

「気分のすぐれないコロナ禍で、大谷選手の朗報を聞くことが毎朝の楽しみになった」という声を、あちこちのメディアで聞くことが多くなった。

 私もそうなっていた。これはいったいなんだろう。政治経済の報道もしっかりと受けとめなければいけないのだが、政治家たちの不誠実な態度、ごまかし、偽りを見聞きするよりは、大谷選手のニュースやゲームを見ている方がずっと、本当に心地よかった。

 活躍もさることながら、いわゆる大谷の「人柄の良さ」が垣間見える行為というものが多く話題にもなっていたし、その光景も沈みがちな私たちの心を治癒してくれたように思う。なぜなら、巨大なエゴや強欲、狡猾さ、詐欺まがいの出来事などを政治家やその他の人たちから見せつけられながら、それらを正すこともできず、納得すらできず、批判の声も届かないどころかあげられない、という理不尽をひたすら見つづけなければならないという状況のなかに生きていたので。

 そこへ、大谷翔平というひとりのプロ野球選手、メジャーリーガーが、その輪郭をはっきりと現して見せつけてきた。泥沼の蓮によって、楽しみや安堵を抱くことができた。それが2021年の初夏だった。

 

 人のせいにしたり誰かを盾に使ったりする言い訳が、木下富美子のなんちゃら会見で頂点に達した感がある。新自由主義による自己責任論もどうかと思うが、「自分は悪くない」的主張は、木下富美子の場合は明らかにおかしい。またとあるカップルの会見も、同様の理由から私はいただけなかった。

 大谷選手は、他人のせいにはしない、ようだ。インタビューを聞いていても、極めて謙虚だ。謙虚は過剰になると自己卑下になる可能性も十分にあるのだが、大谷の場合は、自分自身を知ったうえでの本物の謙虚さなのかもしれない。

 自己卑下というのはその裏に、自分がまともに評価されていない感にともなう承認欲求が横たわっていて、それゆえに謙虚を装うことで良い人間アピールをしつつ、自分を限りなく卑下していく、そういう心の状態だ(これについては機会があればどこかで書きたいと思う)。

 さらに申し添えると、木下富美子やその他の人たちが、自分の手柄を主張したり、自己主張にあけくれる様子と比較すると、いや、比較するまでもないのだが、大谷のインタビューでの受け答えはそれらとはあまりにも対照的だった。

 

 占い師の習性で、大谷の持って生まれたタロットカードを調べてしまったのだが(誕生日情報が正確であるという前提)、ちょっと驚いた。正直なところ、え?このカードなの?が第一印象(何のカードなのかはご想像ください)。

 だとしたら、とても努力してゴミ拾いや親切を行っているのではないか。ゴミ拾いや礼儀正しさなどは、高校時代からの教えだということなので習慣づいているのだろうとは思うが。こんなことは言いたくないが、逆に、親切や善行は自分に帰ってくるのだという信念だったとすれば、それは利己的行為ということにもなりうる。すなわち見返りを期待しているわけになるので。運を呼び込むというのはそういうことでもあるので、どのような心の状態をもって利己的だと判断するのかは難しいと私は思っている(「思いがけず利他」という書物で中島岳志が利他と利己について考察しているので、別の記事で書きます)。

 スピリチュアルの世界では、「ゴミ拾い」は天使が見ているのでゴミを拾うと願いが叶うと言われている。誰も見ていないところで善を行うということの大切さを説いているのだろう。そして、天使は見てくれていますよ、と。大谷のグラウンド内でのゴミを拾ってユニホームのポケットに入れる映像が繰り返し放送されるの見ながら、私はこの天使のことを思い出していた。

 この礼儀正しさや人柄の良さはどこから来るのだろう。生来のものなのだろうな、きっと。こういうことは努力したからといって、そうそう素直にできるものでもない。

 礼儀正しさは、私の占いでのカードからも読み解ける。また大谷は、ただのいい人ではなく論理的、そして原因と結果、因果応報という観点から、物事、人生を考えることができる人だ。それを賢明、緻密とみるか、計算づく、打算的と捉えるかで印象は変わってしまうかもしれない。カードの意味からも「情に流されずクール」という側面がある。それは論理的思考ができるというポジティブな性質がある一方で、うっかりすると冷静を通り越して冷徹になりかねず、自己中心的思考に陥ってしまうというアンバランスを体験することにもなる。私の占い経験からすると、後者のネガティブを体現している人は多い。

 

「謙虚」に話をもどすが、スポーツ選手などのインタビューで「夢を与えたい」「憧れられる存在になりたい」という応答をよく聞く。これもいっけん謙虚のように聞こえるし、発言している本人もへりくだった物言いをしているつもりなのだと思う。が、大谷の場合は、自分のプレーの結果としてそういうことになるのならそれはそれでよい(すなわち夢を与えることになったり、憧れてもらったり)と思っているようだ。持って生まれた因果の法則的思考パターンにのっとっているだけなのかもしれないが、夢を与えたいから頑張るのではなく、自分はひたすらプレーするだけだという淡々とした自己表明が、常に浮足立つことのない大谷選手をますます高評価足らしめる。

「夢を与えたい 憧れられる存在になりたい」というセリフは、ともすると他人の評価に重点が置かれてしまうかもしれない。それは、SNSで「いいね」を期待してそれを評価基準にし、その評価が少なければ落胆するという承認欲求の世界と似ている。一方で大谷の反応はひとことで言うなら「いいね」を気にしていない。

 どちらがより自己本位かと問われると、正直なところいささか答えに窮する、と言わざるを得ない。

 謙虚とは?利他とは?というのはなかなか複雑に心情の絡み合う心の態度だ(ここでは詳しく考察する余裕がないので、別の機会に譲ります)。

 

 野球が大好きという大谷の純真性は愛すべき性質で、それは、取り立ててファンでもない野球素人の私にさえも、ひしひしと伝わってくる。

 いわゆる「二刀流」は、まさしく大谷が持って生まれたそのカードが示している通りだ。2つのことを同時にできる能力があって、なおかつそのバランスを取ることができる。常にどこかで自分を客観視しているがゆえの離れ業なのかもしれない。

 

 今年はオリンピックがあったけど全く印象に残っていない。それよりも大谷の活躍のほうが大きかった。というような発言をしている人がいた(記憶が定かではないが、ビートたけしだったかもしれない)。同感だ。

 

 大谷がたくさんの本を読んでいる、という取材レポートもワイドショーのなかで放送されていた。

 本好きの私としては興味が湧かないはずがない。そのなかの1冊をアマゾンで検索するとその作者の本はとても値段が高い。大谷が読んだとされる本は、手頃な値段の普通の書籍のようだ。が、どうやら絶版になっている様子。図書館で検索すると「あった!」。で、即予約した。私が検索したそのときの状態は「貸し出しできます」だったのに、利用照会をあとから見たら、なんとすでに順番が8番目になっていて、15件もの予約が入っていた。その本の紹介は、ある日のある放送局の午前中のワイドショーの大谷コーナー内でのほんの2〜3分の出来事だったのに。図書館に貸し出し予約が殺到したのは、どう考えても大谷効果だ。同じ番組を見ていて、しかもこの本読みたい、と思った人がこれだけこの図書館圏内にいた、ということかぁ。

 現実問題としてこれ、しばらく回ってこないなぁ……。最短なら来年の春くらいには回ってくるかもしれないが、それは希望的観測で、夏か秋になるだろうな。いやもっとかかるかもしれない。貸し出し期間が2週間なので、月に2名借りられるという単純計算はできない。取り置き期限も1週間あるので、少なくとも次の順番が回ってくるまでに3週間はかかる。返却期日を守らない人もいる。もちろん、知らせが来たら即引き取りに行って、読書のスピードもはやくて2週間より前に返却する人もいるだろうが。

 大谷が読んだ本というだけでもこれだけの人気になるということは、服や靴、持ち物などへの問い合わせはどれほど殺到するのだろうか。

 

 本当に本当に、今年は大谷翔平に心が救われた年となった。

 大谷の姿にほっとするのは、報道される政治やゴシップ、事件、事故があまりに理不尽だったり、裏切りのようだったり、素直でなかったり、詐欺のようだったり、他人のお金だけで生きようとする人間や、不誠実、嘘……、そんな歪みきった世界のなかで疲弊していた心に飛び込んできた、優しさ、誠実さ、真面目さ、素直さを見い出すことができたからではないか、と思う。

 

 同様の感覚を得ることができた人物を、あともうひとりあげることができる。

 将棋の藤井聡太だ。なんと、竜王も獲得して、藤井三冠(王位 叡王 棋聖)から四冠になった。そして、竜王を獲得したので、藤井四冠ではなく「藤井竜王」と呼ばれるらしい。「竜王」と「名人」はそのタイトル名で呼ばれるのだそうだ。そういったことも、こういうことでもないかぎり知り得なかったことだ。

 ちなみに、藤井聡太がおやつタイムに食べたケーキなどは、その日、売り切れになったりするらしい。

 

 大谷と藤井、この二人の活躍が、コロナパンデミックのなかで人々の心に平穏や歓喜、楽しみを与えてくれて、いささかの安らぎが心に灯った、そんな一年だったと言っても過言ではないと私は思っている。

 来年も、引き続きメジャーリーグを観戦しようと思う。

 加えて、新庄監督の誕生で日本のプロ野球も面白くなりそうだ。日本ハムファイターズ(すなわち大谷のかつての所属球団)の試合を多く見ることになるかも。また、きっとメディアも注目して放送してくれるだろうから。

 新庄は、2023年の春にオープンする日本ハムファイターズの新球場について、今までにない球場だと言っていた。私は、大谷翔平のおかげで、アメリカの球場のデザインを知ることができた。とても楽しそうで、それぞれ個性的だ。日本の球場は右へ倣え的で平凡な感じがする。その辺りはどうしてアメリカを参考にしなかったのだろうか。

 

 最後にちょっと社会的な論題。

 大谷の年俸が3億円くらいと聞いて、こんな私でもちょっとびっくりした。そんなに安いの?である。今年の活躍ぶりからすると、誰もがそう思ったのではないだろうか。スポンサー収入もあるのだろうけれど、それでもちょっと驚いた。「こんな私でも」と書いたのは、スポーツ選手やその他高額所得者らの収入について、私は批判的見解を持っているからだ。

 斎藤幸平(経済思想家/大阪市立大学准教授)は、行き過ぎたスポーツビジネスについて、スポーツ界にも「脱成長」が必要だと説くなかで、次のように言っている。

私は大阪なおみさんがどんなに優秀な選手であっても60億も稼ぐ必要は微塵もないと思っています。3億もあれば十分でしょう。みんなでスローダウンすべきではないでしょうか。

神との対話」という本のなかで、神と名乗る筆者の対話相手も、同じようなことを言っていたのを思い出した。アメリカではバスケットボール選手などスポーツ選手の桁外れの高額所得は間違っていると指摘していたと記憶している。

 今年は東京オリンピック開催によって、オリンピックがいかに商業主義であるか、さらに日本がいかに無駄な支出をしているかが露呈した。

 資本主義を続ける限り、広がり続ける格差や増え続ける貧困の問題を考えるとき、見過ごすことのできない視点だと思う。

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大谷翔平 ©2021kinirobotti